【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る | 使い方とお願い | 日子の島TOP
 投稿番号:100973 投稿日:2006年12月22日 10時05分28秒  パスワード
 お名前:暇潰しのギャンブラー
メモ:石上神宮蔵国宝七支刀の謎:菅政友

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

NHKの「古代史ロマン よみがえる国宝 七支刀」を見ました。
デリンジャー現象などで音声と画像が混乱してて
ハッキリ見られませんでした。

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月22日 10時06分23秒 ) パスワード

構想25年?
実際には半年かかって複製したようです。

その苦労話でした。
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月22日 10時08分39秒 ) パスワード

まず作った国は?

1.百済
2.中国の東晋

このどちらかだろう。

答え:多分 百済 だろう。
[3]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月22日 10時09分49秒 ) パスワード

製造法は?


1.鋳造
2.鍛造


答え:鋳造


鋳造で作ったなら4世紀の匠は非常に高い技術を持っていたことになる。
[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月22日 10時19分26秒 ) パスワード

金象嵌が施してあるが
これはどこの技術か?


その前に

鍛造の日本刀には鏨で銘が入れられるが
鋳造では硬すぎるので鏨が入らない。強く鏨を打ち込むと鏨がいたんでしまう。

ではどうやったのか?


答え:鋳造してから熱処理をした。


白銑に長時間熱を加えると鋼のような層ができる。(白銑って?)

890℃で6時間熱するのが1番効果が出た。
まず表面の酸化鉄を叩いて落す。
研いで銘を入れる。
[5]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月22日 10時36分32秒 ) パスワード

七支刀には表と裏に62文字彫られて金で象嵌してある。


この象嵌技術はどこのものか?


1.半島の技術か?
2.中国の中原か?
3.遼寧省あたりの辺境の技術か?


中国の中原では七支刀より250年早い紀元2世紀の「金錯鉄刀」が出土。(中国国家博物館蔵)
6mmのみねに金象嵌が施してある。「肥痩」文字が細かったり太かったりしている?
(意味不明)


象嵌には鏨で彫って
   ,U、こんな形に左右に余分な溝をつけて金象嵌が引っ掛かるように外れないようにしてあったり
   ひ こんな形にして金を入れて○の形に金を埋めたり

中国は「蹴り彫り象嵌」?  鏨を斜めに打ち込んで象嵌してある。


七支刀の象嵌法は 文字を軽く鏨で打って書いてから V 字型に彫って溝をつけていく。
         金を留めることはしていない。


 ∴ 中国の象嵌法とは共通点無し。
[6]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月22日 10時40分03秒 ) パスワード

実際に七支刀の文字を真似て鏨を打って象嵌してみたところ

大きい字
小さい字
字の間隔がバラバラ


結論1:文字を理解していない人が象嵌したらしい?


当時朝鮮半島にはまだ漢字が伝わっていなかった。


結論2:見よう見真似で漢字を彫ったらしい?
[7]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月22日 10時42分26秒 ) パスワード

七支刀

1.鋳造
2.熱処理で表面を柔らかくした
3.V字型の溝を彫り金を埋め込んで完成させた。


1.なだらかな曲線
2.薄い刀身
3.62文字の銘文
[8]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月22日 10時44分08秒 ) パスワード

25年の構想で半年かかって復元させた。復現?


鍛造では実物には近づけなかったろう。
だから鋳造で作ったのだろう。
[9]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月22日 10時46分53秒 ) パスワード

おそらく紀元4世紀の朝鮮半島の百済で鋳造と象嵌を行って作られたのだろう。


象嵌技術からすると
中原で作られたものからかけ離れているので
中国製ではないことが分かる。
[10]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月22日 10時48分07秒 ) パスワード

朝鮮半島で七支刀のボディが作られ
ローカルな地域で象嵌がされ
その候補地が百済だろう。
[11]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月22日 10時51分21秒 ) パスワード

62文字の象嵌文からすると

鉄の貴重な時代に
相手に贈ったということは

権威の象徴であり
相手に対する敬意であり
重要な時代背景もあって(百済は戦争時代だった)
吉祥も込められていたのだろう。
[12]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月22日 10時55分16秒 ) パスワード

百済王が倭国王に贈ったのは「友好」からだろう。


鋳造品であると証明できれば
同等の、対等の、関係で記念品して贈ったのであろう。

(鍛造なら武器だが)

鋳造なら武器ではないので
倭国に友好の証として贈ったのだろう。


これは
当時百済は戦いにあったので
倭国に同盟国の証として贈ったのでは?
という説もある。


倭国は鉄を輸入していたのだろう、だって。
[13]総督さんからのコメント(2006年12月22日 10時55分45秒 ) パスワード

実物をまだ見てませんがどこに出てますか、七支刀興味があります。
[14]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月22日 10時56分37秒 ) パスワード

今回七支刀を半年かけて作ってみた。
想像以上に古代の技術は高度であった。

ですって。終わり
[15]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月22日 11時03分12秒 ) パスワード

先日、六カ国協議に反発して、北が日本を3日にわたって「蔑視表現」で呼んでいたそうです。

「島国」とか「倭国」とか。(へ〜)


なんかおかしかった。
向こうは蔑視表現でもこっちはナンとも感じないので
そうなの?蔑視なの?
でした。


そうか、日本人が「わが国は島国だから」と言うのは自虐表現だったの?

差別って、差別と思う人には差別であって、差別とは思わない人には差別じゃない、ってこと。
ワタシみたいに「ひゃ〜、差別だったの?へ〜、差別なんだ〜!」と思うのは面の皮が厚いから?
[16]総督さんからのコメント(2006年12月24日 02時58分08秒 ) パスワード

あの七支刀のことですが、色々調べた所ヤマトタケルがつかつたクサナギの剣と結うことになつて居るようですが、西暦の初めごろだとするとだいぶあとのことになりますが、ぢつわ私が毎日拝んでいます杉田の岩刻画ペトログラフの中にこの七支刀があるのですが、3000年以上前のものになつていますが、歴史わ古いのかもしれません。
[17]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月24日 07時29分22秒 ) パスワード

あらら
では七支刀の原型は古代人にあったのかもですね。

3000年前にあったなら
縄文人や弥生人には、そういうアイデアを持ってたのかも。
[18]ときおさんからのコメント(2006年12月24日 08時20分48秒 ) パスワード

ギャンブラー様
総    督様

杉田の岩刻画ペトログラフに七支刀が刻
まれているのですか。恐れ入りました。
その筋の話題や本類にあたりたいなどと
思いながら、久しく遠ざかっております。

「七支刀」・・・復元考古学的な手法で
の解析は真実に近づく手立てですね。

かすかなうる覚えで、「よく言うよ。」
になるかも・・です。でも、でも・・
私的には、ズバリ言うわよ・・・(^_^;)。

たしか・・古代イスラエル神殿に在った
「七支の燭台」と関連が有るように覚え
ているのですが。秦熱の仲間・・・?
[19]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月24日 14時18分26秒 ) パスワード

ときおさん

「七」というのは東洋も西洋も「吉」なんですよね。
上に「七支刀」は「吉祥」なんて紹介されてたのをメモしておきましたが。


「七支の燭台」は今でもハヌカのお祭りで使ってますよ。
この時期そこら中で目にしています。


この関連性が分かったら是非書き込んでください。



総督さん
0.xxグラムまで計れる秤というのをテレビでやってました。
サフランを計るのに使ってました。

イランの知り合いがサフランはものすごく高価だと言ってました。
値段は忘れました。
10gで何千円だったかな?笑
[20]総督さんからのコメント(2006年12月24日 15時24分50秒 ) パスワード

七は何の意味ですかねえ、一週間も7ですがなですかねラツキーセブンともいいましが、わかりませんか。
[21]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月25日 00時51分38秒 ) パスワード

>一週間も7です

これはユダヤ教の「天地創造」の影響でしょうね。
神が6日間かけて地球を創って、7日目に仕事は終わり、と言ってお休みになった。
それで7日目の日曜日は安息日、というのですね。



「喜」という字は
俗字で

 七
七 七

と書きますね。


なんで「七」なんでしょうね。
なな・七・ナナ
どうしてかな?


それに「ラッキー 7 」もなんで?


その上、パチンコ屋さんの ラッキー 7 って、ラスベガスのスロットでもラッキー7は
  777
ですよね。

漢字の「喜」 なな・七・ナナ との共通点は何なんでしょう?


人間の深層心理にあるんでしょうかねえ?
人間というより「人類」にまで遡るのかなあ?謎
[22]総督さんからのコメント(2006年12月25日 02時26分58秒 ) パスワード

月齢を調べてみた所30か31なんですねえ,15やわ大体満月なんですねえ、7でわ割り切れないんです、で太陽暦でやつて居るんですが、あれなんですかね2,4,6,9,11、コレも7とわ関係ないみたいですが、ナンですかねえ七支刀とか7燭台とかゆうの分かりませんね。
[23]総督さんからのコメント(2006年12月26日 02時07分09秒 ) パスワード

どうも振動の鼓動が七みたいですね、日本の歌も7,5丁だし中国の漢詩にしても7,5丁だし、西洋の歌にしてもドレミファソラシドにしても全部7なんですね、僕も一息ついた見ましたが7ですかねえ。
[24]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月26日 03時45分31秒 ) パスワード

わたくしも「ナナ」で調べてみます。笑
[25]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年12月31日 08時17分00秒 ) パスワード

昨日見たNHKの「探検ロマン世界遺産スペシャル エルサレム 34億人の聖都」の
嘆きの壁のあたりのなんとかいうユダヤ教の燭台は9支でした。

あのなんとかいう燭台も時代とかで装飾が異なるから
「奇数」ってことかな?

先月の「カントリー・リビング」の特集がこの燭台でしたが
うちはユダヤ教じゃないのでこの雑誌を捨ててしまいました。


ミツバーとか結構ユダヤ教の言葉も日本人の耳には親しみがあったり???
ユダヤ教の人が頭につける箱(13歳の元服式の飾り?)烏帽子みたい?
あれが修験者の頭につけるひし形の帽子に似ていなくもない。


結局古代に人間が考えてたようなことには共通性があるのか
それとも我々はイブの子孫なのか。
考えれば考えるほど「ロマンだなあ」とウットリします。
[26]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 07時38分38秒 ) パスワード

今井さんの「日本書紀」から頂いて来ました。

《垂仁天皇三九年(庚午十)十月》三十九年冬十月。五十瓊敷命 居於茅渟菟砥川上宮。作剣一千口。因名其剣謂川上部。亦名曰裸伴。〈 裸伴。此云阿箇播娜我等母。 〉蔵于石上神宮也。是後命五十瓊敷命。俾主石上神宮之神宝。〈 一云。五十瓊敷皇子。居于茅渟菟砥河上。而喚鍛名河上。作大刀一千口。是時楯部。倭文部。神弓削部。神矢作部。大穴磯部。泊橿部。玉作部。神刑部。日置部。大刀佩部。并十箇品部賜五十瓊敷皇子。其一千口大刀者。蔵于忍坂邑。然後従忍坂移之。蔵于石上神宮。是時神乞之言。春日臣族。名市河令治。因以命市河令治。是今物部首之始祖也。 〉
[27]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 07時44分56秒 ) パスワード

メモの続きです:

垂仁天皇紀(垂仁天皇の時代)
剣1000口が作られて石上神宮に納められた。


古代天皇が使った武器は石上神宮に納められ剣が御神体として収められているそうです。
秋の例大祭で剣の舞が奉納されるそうです。


この話が「日本書紀」に書かれています。
レス「26」参照のこと。
[28]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 07時57分07秒 ) パスワード

今井さんの「日本書紀」より頂いて来ました。


《神功皇后摂政五十二年(壬申二五一)九月丙子(十)》五十二年秋九月丁卯朔丙子。久〓[氏+一]等従千熊長彦詣之。則献七枝刀一口。七子鏡一面。及種種重宝。仍啓曰。臣国以西有水。源出自谷那鉄山。其〓七日行之不及。当飲是水。便取是山鉄。以永奉聖朝。乃謂孫枕流王曰。今我所通海東貴国。是天所啓。是以垂天恩。割海西而賜我。由是国基永固。汝当善脩和好。聚歛土物。奉貢不絶。雖死何恨。自是後。毎年相続朝貢焉。


《神功皇后摂政五五年(乙亥二五五)》五十五年。百済肖古王薨。
[29]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 07時59分35秒 ) パスワード

神功皇后紀に「七支刀」が贈られたと書かれています。


《神功皇后摂政五十二年(壬申二五一)九月丙子(十)》五十二年秋九月丁卯朔丙子。久〓[氏+一]等従千熊長彦詣之。  


則献七枝刀一口。  ← ななつさやのたち


七子鏡一面。及種種重宝。仍啓曰。臣国以西有水。源出自谷那鉄山。其〓七日行之不及。当飲是水。便取是山鉄。以永奉聖朝。乃謂孫枕流王曰。今我所通海東貴国。是天所啓。是以垂天恩。割海西而賜我。由是国基永固。汝当善脩和好。聚歛土物。奉貢不絶。雖死何恨。自是後。毎年相続朝貢焉。


《神功皇后摂政五五年(乙亥二五五)》五十五年。百済肖古王薨。
[30]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 08時04分44秒 ) パスワード

NHKの番組では 4世紀の作 となってますが
日本書紀では  3世紀  ということになりますか。



国宝「七支刀」は神の剣として崇められてきました。
プレゼントしてくれたのは  百済の肖古王 らしい。

NHKでは「近肖古王」インチョゴ王。
[31]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 08時19分05秒 ) パスワード

25年前にX線を利用して「七支刀」の銘を解明しようとしたそうです。




泰和四年
十一月十六日
丙午正陽
造百練鉄
七支刀
出*百兵   *は癖 の病垂れを取った字 避のシンニュウをとった字
宜供供侯王
XXXX作

泰和4年
11月16日
へいごしょうようの日に
百練の鉄で七支刀を造る
い出ては百兵を退けたる
きょうきょうたる侯王によろし(???)
XXXX作


西暦369年11月16日
刀を作るのに良い丙午の日の正陽の時刻を選んで
よく鍛えた鉄で七枝刀を作った。
この刀はあらゆる兵による攻撃を避けることが出来
うやうやしく侯王に供するによろし。
作者XXXX


????
[32]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 08時26分08秒 ) パスワード



先世以来
未有此刀
百済王
世子奇
生聖音故為
倭王旨造
伝示後世


せんせいいらい
いまだこのかたなあらず
くだらおうの
せしき
せいおんにいきるがゆえに
わおうしのためにつくり
こうせいにでんじず


かつてこのような刀は無かった。
百済王の子である私は
聖なる教えを受けて現在に至っている。
そこで倭王の為に
この刀を作らせた。
末永く後世に伝えられることを期待する。


橿原考古学研究書の訳だそうです。
放送がデリンジャー現象のため画像が停止し音声が飛んだので聞き取れませんでした。
[33]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 08時35分18秒 ) パスワード

明治時代から「七支刀」の研究が始まり
謎が3つ残されました。


1.製造地の謎

   ・4世紀今のソウルを中心とした百済と刻まれているので半島製か?
   ・泰和は中国の年号で、東晋の太和なので中国製か?


2.製造目的の謎

   倭王の為に作ると書かれている。
   当時4世紀の東アジアは激動の世紀だった。
   高句麗 vs 新羅 vs 百済 が争っていた。

   それで倭王の為に造った真意は?


3.製造法の謎

   「百練の鉄」とは?
    100回鍛錬した鉄とは?


  鉄器の製造法は2つ
   ・鍛造法?これは伝統的な日本刀の作り方と同じ方法で?
   ・鋳造法?鋳型に流し込んで作った?
[34]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 08時47分25秒 ) パスワード

中国の史書に残る世界に於ける日本の動向の歴史


1世紀
倭の奴の国王
後漢に朝貢(後漢書の記録より)


2世紀
倭国王
後漢に朝貢(後漢書)


3世紀
卑弥呼
魏に遣使(魏志倭人伝)

三国志の魏志倭人伝には3世紀の日本は小さな国々が分立していた
卑弥呼が鬼道で纏めようとしていた
青銅鏡が出土


4世紀
記録なし
ところが
七支刀が現物として存在

4世紀は空白の時代と呼ばれる

中国の史書から日本が消えている


5世紀
東晋に遣使(宋書)
倭王讃朝貢(宋書)

5世紀に日本が再び出現
日本には古墳が多く造られた
大和王権が強大になっている
[35]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 08時48分05秒 ) パスワード

日本って1世紀には世界史に登場してたの?
へ〜
[36]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 08時55分57秒 ) パスワード

62文字しか刻まれていないが
製造法と作られた理由が分かれば
空白の4世紀を知るのに「七支刀」は良い史料となる。


昔は「七支刀」は鍛造法で造られたと考えられていた。
しかし鍛造法ではあのような厚さや曲線は「叩いては」出ない。

七支刀は極めて薄い。
3mmしかないところがある。
7つの矛先を突き出すこと、根元に繋ぎ目が無いので
後かた継ぎ足したのではない。
鉄は熱いうちに打たなくてはならないので短時間に7つの矛先を打ち出すことはできない。

∴ 鍛造法ではないことが分かる
[37]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 09時03分05秒 ) パスワード

鉄器の歴史


中国編

河南省で11.5mの地下にあった西周時代のかくこく王の墓より青銅器や銅鐸と共に鉄剣が出土。
BC9世紀で
成分から2800年前には鉄器が用いられていたことが分かった。
これまではもう2世紀後だと考えられていた。


ピーヤン?で大規模な下岸湾製鉄所跡が見つかった。


漢の武帝は各地に40箇所の製鉄所を作らせ鉄の専売制を作った。


BC5世紀には製鉄業が盛んだった。


中国は鋳造だった。
これは青銅の技術を受け継いだもの。
[38]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 09時11分18秒 ) パスワード

半島編


BC3世紀
半島北部を燕が支配していた。
鉄は燕を通して朝鮮半島に伝えられた。

明刀銭と共に鉄の鍬や鋤が入って来た。


その後半島でも鉄器が作られるようになった。

AD3世紀
韓の国は鉄を輸出していた。
日本もここから鉄を輸入した。

これは「板状鉄斧」てっぷという形で輸入し
これから農具や武器などの鉄器に作り変えた。


AD4世紀
半島では高句麗・百済・新羅・伽耶がおこり、それぞれ対立した。

百済の近肖古王(インチョゴ王・キンチョゴ王)の名が七支刀に見える。
鉄器は中国から入って来たが半島で鋳造法が発達しこれが日本に伝わった。


中国では鍛造法は少数派技術だった。
半島では鋳造法だった。
中国も半島も鋳造技術が高かった。
[39]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 09時16分43秒 ) パスワード

製造地の謎


・百済説
三国志に百済は戦いにあったことが書かれている。
近肖古王が高句麗軍2万に攻められ撃退したことや
2年後にも近肖古王が勝利したことが書かれている。


百済は高句麗の南下に対立する中で倭王を味方につける必要があった。
それで「七支刀」を贈ったのだろう。



・中国説

銘に泰和の名はあるが
日本が東晋と交易した記述はない。

5世紀の宋書に
421年讃が朝貢した記録がある。
[40]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 09時17分49秒 ) パスワード

4世紀は空白の世紀ではあるが
4世紀も3世紀同様交流があったことになる。

だって。
[41]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 09時50分16秒 ) パスワード

謎に迫るには
1.古代鉄の成分の再現
2.刀身の鋳造
3.銘の金象嵌
が分かればいい。


1’:
4世紀の古代鉄の成分について


鉄の成分の大半は「白鋳鉄」=「白銑」
炭素の含有率が 2% 〜 4%
白っぽい鋳造鉄で「白銑」と呼ばれる。

溶かした鉄を自然にさますと「白銑」になる。


炭素の量が多いと固く、衝撃に弱いので、今では「風鈴」に使われるだけ。
へ〜


2’:
刀身の鋳造の鋳型は粘土と砂で型を作る。


鉄を溶かして(湯)に炭を加えて炭素を与えて白銑を作る。
鋳型は立たせて湯を流し鋳込む。
鋳込んで1時間で型を外す。
炭酸ガスが抜けないと気泡が出来る。


3’:
金象嵌


中国の象嵌の仕方では無い。
[42]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 22時34分51秒 ) パスワード

「七支刀」が「鍛造では作れない」というのは

矛が左右3本ずつ互い違いに出ているので
叩こうたって叩けないんだそうです。

それに矛の内側は叩けないし。


思い出したので書いておきます。
[43]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 22時59分07秒 ) パスワード

ちょっと検索してきました。
いろいろな説があるとのことなので、
どんな説があるのか。

とりあえずウイキペディァから:



銘文


泰X四年X月十六日丙午正陽造百錬X七支刀X辟百兵宜供供王XXXX作


先世来未有此刀百済X世X奇生聖(音?晋の上に点?)故為王旨造XXX世



解釈


泰X四年十X月十六日丙午正陽造百錬X七支刀X辟百兵宜供供侯王XXXX作


先世以来未有此刀百濟X世X奇生聖音故為倭王旨造XXX世



泰和四年五月十六日丙午正陽造百練X七支刀出辟百兵宜供供侯王永年大吉祥 


先世以来未有此刀百濟王世X奇生聖音(晋?)故為倭王旨造傳示後世



銘文の解釈

この銘文は、
「表は東晋で鋳造された際に刻まれ、裏は百済で刻まれた」
などの説があり、

その内容もかつては『日本書紀』・『三国史記』などに
百済が倭に対して朝貢や人質を献上していた記述を参考にして、
百済からの献上品であるという説が有力だったが、


朝鮮・韓国系の学者からは
「百済王が臣下たる倭王に下賜した」という下賜説が主張され、

現在の日本では「上下関係はなく、あくまで対等な関係であった」
とする折衷説が主流であるが異論もある。

中国の学者は日本の通説をほぼ支持。


未だに定説と言えるものはない。
ハッキリしているのは
百済と倭国との間に交渉があり、百済から倭国へ贈られたこと。



元号について

銘の「秦X四年」の文字。

1.「秦和四年」と解釈し、制作年次が東晋の太和四年(369年)であったであろうことが推測されている。

2.宋 (南朝)の泰始四年(468年)とする。

3.東晋年号を用いていることから、単なる百済と倭の二国間関係ではなく、
  背景に東晋の関与、影響を指摘する説、
  また東晋でオリジナルが製造されたとする説などがある。


半島系の学者は、
下賜説をとるために東晋の年号ではなく百済独自の年号だとする意見が多いが
百済が独自の年号を用いたという記録はなく、
中国の学者や日本の学者の間では受け入れられていない。



侯王について

「侯王」という用語は臣下に対して使用するものだとして下賜説の根拠とされるが、
単なる吉祥語とする説、
東晋皇帝を上位に置いていることによる説
などがある。



奇生聖音について

1.「奇」は近肖古王の太子「貴須」を指しているとする説
2.「奇しくも」と読む説[要出典]などがあり、
3. 聖音も仏教思想、道教思想の影響と見る説、
4.「音」ではなく「晋」であり東晋皇帝を装飾しているとする説
などがある。



旨について

裏面の「故為倭王旨造・・・」の解釈として、
1.旨(し)という名の倭王の人名とする説、
2.倭王の旨(むね)、つまり倭王の意志を表しているとする説、
3.または東晋皇帝の意志を表しているという説、
4.さらに旨(うま)く、つまり精巧に作ったとの意味であるとの説、
5.「嘗」の略字で「はじめて」と読むとする説などがある。



表面判読不明の四文字について

1.表面判読不明の「XXXX作」は、制作者の刀工の銘であるとする説、
2.定型句の「永年大吉祥」であろうとする説
などがある。



日本書紀について

日本書紀には百済と倭国の同盟を記念して神功皇后へと献上された「七枝刀」の記述があり、
百済から倭国への献上が372年にあたるためこれが同一のものであろうと考えられる。

五十二年秋九月 丁卯朔丙子 久氐等從千熊長彦詣之  則獻七枝刀一口 七子鏡一面及種種重寶 仍啓曰 臣國以西有水 源出自谷那鐵山 其邈七日行之不及 當飲是水 便取是山鐵以永奉聖朝 乃謂孫枕流王曰 今我所通東海貴國 是天所啓 是以垂天恩 割海西而賜我 由是國基永固 汝當善脩和好 聚斂土物 奉貢不絶 雖死何恨 自是後 毎年相續朝貢焉


神功皇后摂政52年(372年)9月10日、百済使久氐らは千熊長彦に従ってやってきた。七枝刀(ななつさやのたち)一口、七子鏡(ななつこのかがみ)一面、および種々の重宝を奉った。そして「我が国の西に河があり、水源は谷那の鉄山から出ています。その遠いことは七日間行ってもつきません。まさにこの河の水を飲み、この山の鉄を採り、ひたすら聖朝に奉ります」と申し上げた。(近肖古王は)孫の枕流王に語って、「今わが通うところの海の東の貴い国は、天の啓かれた国である。だから天恩を垂れて、海の西の地を割いてわが国に賜った。これにより国の基は固くなった。お前もまたよく好を修め、産物を集めて献上することを絶やさなかったら、死んでも何の悔いもない」と言った。それ以後(百済は)毎年相次いで朝貢した。


日本書紀によると、神功49年(369年)の倭の任那七カ国平定後、倭が百済に領地を賜ったことを受けて、それに対する感謝を表し献上されたというふうに書かれている。本文中で谷那鉄山から採ったとあるが谷那鉄山は369年に百済が高句麗から奪った土地であるという。なお、この時同時に奉られた七子鏡は、アメリカのボストン美術館に所蔵されている銅鏡ではないかとする説がある。この鏡は、丸い突起が同心円上に七つあり、七子鏡の名称に相応しいという。これらの遺物は、1875年大雨で崩れた大仙陵古墳(仁徳天皇陵)から発掘されたものとされるが、年代的に疑問もある。


国宝指定

昭和28年に国宝指定。所蔵は石上神社。基本的に非公開であるが、近年では平成16年に奈良国立博物館で公開されたことがある。



復元作業について

奈良県立橿原考古学研究所付属博物館と奈良県東吉野村の刀匠の手によって七支刀復元制作されている。

1980年と2005年の2回製作法を変えて行なわれた。
1980年のものは鍛造で復元され、
2005年のものは鋳造で復元されその後890℃の炉で6時間処理したものである。

2回の復元作業による研究の結果、七支刀は鋳造されたと推定されている。
[46]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 23時34分09秒 ) パスワード

<44>と<45>を書き直します。

日本の紀元915年干支乙亥=神功皇后55年=西洋歴の紀元後255年
日本の紀元 1029年干支己巳=仁徳天皇57年=西洋歴の紀元後369年


余談ですが

日本の紀元元年とは天皇が神武の御世で
干支は辛酉で
西洋歴では紀元前660年だって。笑

大昔にも
干支乙亥は日本の紀元255年にあります。これは西洋歴で紀元前406年
この時の己巳は西洋歴では紀元前292年に相当します。
[47]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月07日 23時46分24秒 ) パスワード

いよいよワケが分からなくなってきた。


<30>についてですが


神功皇后の時代既に a 七支刀 または 七支刀s という剣は存在してたということですか。
現物の the 七支刀は1世紀後の仁徳天皇の御世に外国で作られ、
これが日本に来た、ということですか。


なんか神功皇后と卑弥呼が重なってしまいました。


昔のことって考えれば考えるほどゴチャゴチャになって行きます。
わたくしの中では神功皇后と卑弥呼がイコールか限りなく重なる人物像になってきました。
[48]総督さんからのコメント(2007年01月08日 03時07分24秒 ) パスワード

おご苦労様です、神功と卑弥呼がどおいつ人物とゆうこと聞いたことありますが、なにわともあれ大変ですね。
[49]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月08日 23時41分38秒 ) パスワード

>神功と卑弥呼が同一人物とゆうこと聞いたことあります

おお、ヤッパリそういうお話もありますか。


「七枝刀」も「七支刀」も半島では何百年もの間、作られていたのでしょうね。

それが神功皇后の時と仁徳天皇の時に日本に来たということなんでしょうね。
実際はもっと来てるかもですね。

鉄は錆びるから、保管をきちんとしてないと後世に伝わらないから
石上神宮のようなハイランクの所ではちゃんと手入れして守られてきたけど
弱小豪族に贈られた場合は「錆」になって霧散したんでしょうね。
[50]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月10日 06時05分16秒 ) パスワード

<31>の
>出*百兵   *は癖 の病垂れを取った字 避のシンニュウをとった字


これは出<辟>百兵 

辟易の<辟>です。
「ヘキ」では変換出来ず
「辟易」という言葉も失念してました。
バカですね〜(恥)
[51]ときおさんからのコメント(2007年01月11日 03時22分55秒 ) パスワード

ギャンブラー様

とんでも系になるかも・・。
>出辟百兵
の「辟」と「出」について思い巡らせて
いました。「出」は「大」の読み間違い
では・・・考えすぎかな??。

秦氏の謎で本を出している人の説で
辟(へき)について述べていました。
偏や旁が異なると全く別物になる場合と
基本字が共通していると偏や旁が異なっ
ていても意味は同じことがある。日本の
中世・近世の地方文書によく有る例です
ね。
大  闢  =  大 辟
だいびゃく おおさけ

大裂=大荒=大闢=大辟=おおさき・おおさけ
大酒=大崎

結局のところ、
景教では「ダビデ」(12支族のユダ族)を
意味する・・・・だそうです。

秦氏はユダヤ人で景教徒とのことです。

この説の人は、
「七支刀」のモデルは7枝の聖樹である。
7枝の聖樹の「七枝樹」「七支刀」はみな
古代イスラエル人がもたらした「生命の樹」
の一バージョンなのである。・・・と述べて
います。
「生命の樹」は、ユダヤ教神秘主義の「カ
バラとかカッバーラ」と言われているもの
ですね。
[52]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月11日 03時40分04秒 ) パスワード

>「七支刀」のモデルは7枝の聖樹である。
>「生命の樹」

おお、なるほど。
ここから出てるのかもですか。

貴重なレスをありがとうございます。
[53]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月18日 09時08分16秒 ) パスワード

友人から貴重な記事を送って頂きました。

多分2006年10月14日の朝日新聞か日経だと思います。
切り抜きで頂きました。


茨城大学には古文書がたくさんあって
水戸藩士の蔵書が納められているそうです。

菅文庫もあって
水戸藩で歴史編纂をやってた菅政友(1824 〜 97)の蔵書だそうです。


明治になって石上神宮の大宮司になり
「宝物の剣を見たい」
と言い出して秘蔵の扉を開けて七支刀を見つけたのだそうです。


また禁足地とされてた誰も入ってはいけない神宮の神域を掘り起こして
天皇家が日本を平定するときに使った
御神体の霊剣・布都御魂剣(ふつみたまの剣)を本当に見つけてしまったそうです。

へ〜!
すっごぉ〜い!


日本ってすっごぉ〜い!
[54]ときおさんからのコメント(2007年01月20日 15時29分21秒 ) パスワード

ギャンブラー様へ
 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/3902/revelation.html
ヨハネの黙示録の聖書研究
「ヘロデ大王が作った10個のメノーラー」

http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/07sk/160627fabrication/fabrication.html
5.新羅と百済の争いは、ローマ帝国とユダヤの闘争の再現
「七支刀と七支の燭台」で百済も倭(熊襲)も共にユダヤ系
である可能性が高いと述べています。
                     http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/_floorA3F_hb.html
「ヘブライの館 2」 3F/「日ユ同祖論」の謎
「セム系」の直系のイスラエル・ユダヤ人について
述べられて居ます。

*とんでも系とは言い難いですが、楽しめるサイトです。


一泊二日のお仕事で当地の雪国へ出かけてまいりました。
でも、雪が消えかけて、高原地帯はまだら模様でして
、スキーのリフトは止まったままでした。暖冬ですね
こちらは。
頚のヘルニアで一ヶ月たちました、時々腰から足に
神経がぴりぴりしている・・・・・ときおより
[55]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月21日 08時27分57秒 ) パスワード

ときおさん


http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb010.html
こちらの日本語は読みやすかったです(笑)

すごい量なので、読むのに時間がかかりますが、不思議な一致ですね。
[56]ときおさんからのコメント(2008年12月30日 01時41分17秒 ) パスワード

アロハのギャンブラー様へ

七枝刀についてのルーツ話について、またアップしました。
というのは、映像でお目にかかっていましてむずむずとして居ました。
ただし、ドラマです。
http://www.showtime.jp/special/korea/sodonyo/ の動画「韓国ドラマ」です。最初の方は無料です。
 百済王室の大学舎(物作り工房)で博士に成るときの宣誓式に七枝刀が使われていました。内容ではかなり差し引いて見ないといけませんけどね。国威昂揚か自慢とも捉えられる創作部分も見られますからね。当時の日本では使用して居ない名前の「聖徳太子」なんて言うのが出てきますね。
[57]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月30日 02時06分17秒 ) パスワード

ときおさん


     ShowTime は日本国内からのみ利用可能です
     ShowTime site use only from Japan.

ということで見られませんでした。


「百済の王子」ということは日本も関係していきますね。
[58]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月30日 02時17分47秒 ) パスワード

大河ドラマ『薯童謠』は、これまで朝鮮時代を中心に描かれた時代劇から視点を大きく移し、それより1400年前、三国時代の百済にまでさかのぼり、西紀 578年百済 27代国王威徳王の時代から、西紀 610年百済 30代国王武王までの 10年間の物語を描いた作品である。

百済時代の豪華な文化と技術を再現しながら、百済の博士制度にスポットライトを当てるところ。なかでも「七支刀」の発明から製作までを伝える部分は大変興味深い。



>西紀 610年百済 30代国王武王までの 10年間の物語を描いた作品である。

610年でしたら日本は推古天皇の時代ですね。
聖徳太子は36歳ですね。
でもこの呼び方は天平勝宝3年(751年)に書かれたそうですから
日本にはもともと存在しなかった  らしい。
[59]ときおさんからのコメント(2008年12月30日 03時04分55秒 ) パスワード

アロハのギャンブラー様へ

>聖徳太子は36歳ですね。
 でもこの呼び方は天平勝宝3年(751年)に書かれたそうですから
 日本にはもともと存在しなかったらしい。
・武王の兄で暗殺された阿佐太子は聖徳太子と親しいと言っていましたね。
日本史でもこ阿佐太子は出てきますから、日本に来たことが有るようです。

武王 (百済)‐Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%8E%8B_ (%E7%99%BE%E6%B8%88)
の中の「[編集] 演じた俳優チョ・ヒョンジェ-「薯童謡(ソドンヨ)」にて演じた。」
でも、およそが分かると思います。

また、下記のものがおもしろいです。
http://www.path.ne.jp/~robcorp/QAE/59SAOtFBA66688379.htm
「日本は韓国人が作った国か?」
国史高麗本記の神話に出てくる名前がセム系の言葉らしいのです。
解夫婁=ヘブル、阿蘭弗=アラブ、解慕漱=ヘモス 鯤淵=コンエン=コーエン?
なんてものが出てきますよ。

百済・高句麗・新羅と倭国の王族や貴族は渾然一体ですね。新羅に至っては、大和朝廷に朝貢していた様ですし新羅王昔氏は丹波の出身のようですし、宗主国的存在と感じられますね。庶民にとっては?ですけどね。
 【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る
この投稿に対する
コメント
注意  HTMLタグは使えませんが、改行は反映されます。
 http://xxx.xxx/xxx/xxx や xxx@xxx.xxx のように記述すると自動的にリンクがはられます。
お名前 (省略不可)
削除用パスワード (省略不可8文字以内)
メールアドレス (省略不可)
URL
 ホームページをお持ちの方のみURLを記入して下さい
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇  DB-BBS-system V1.25 Rapha.