[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年10月13日 07時48分16秒 ) | パスワード |
全然分かりませんが
上田秋成は丹波氷上郡上田村出身で多田源氏の流れだそうですよ。
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年10月13日 08時02分03秒 ) | パスワード |
かなり迫れるとしたらこんな方法があると思います:
明治時代初期の御先祖さまの除籍謄本を御自分から1代1代遡って取得。
明治初期にどこに住んでいたかを特定し
その場所あたりの同姓の人を捜し
もし同じ家紋を使用していたらほぼ同族だと思います。
それから
本家宗家に当る人を聞き
この人にお話を伺います。
また御親戚で一族について詳しく知っている人を親やオジオバから訊く。
必ず1人2人御先祖さまについて御存知の方がいらっしゃるものです。
そういう人が鬼籍に入る前にコンタクトする。
親やオジオバ長老などから御先祖さまや家紋について訊く。
丹波の歴史を取り寄せる。
県立図書館などにあるようですよ。
または市役所や県庁の教育委員会の歴史編纂課から手に入れる。
[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年10月13日 08時07分01秒 ) | パスワード |
なんとなく
上田重秀
上田重安
上田重元
このあたりの人物を徹底的に調べたら関連性がみつかるかも。
家紋が同じだといいですね。
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年10月13日 08時13分49秒 ) | パスワード |
http://www.geocities.jp/susano567miroku/zuisenen.html
出口王仁三郎(こんな字?)の母上の姓が上田氏だそうで
紋がついてますからチェックなさってみてください。
[5] | 上田 伸太郎さんからのコメント(2006年10月13日 13時14分47秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさま 早速のご返答ありがとうございます。
地元の官庁などにも聞いてみたいと思います。
様々な情報に感謝いたします。
紋は「剣花菱」と聞いておりますので、調べて行きたいと思います。
[6] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年10月13日 18時53分48秒 ) | パスワード |
出口王仁三郎さんとこは
元は本姓藤原氏だったそうですね。
それがアチコチして信州上田に住んだから俗姓が上田氏になった
そう書いてありますね。
佐野氏なんてモロ藤原秀郷系ですから
やっぱり藤原出身になりますねえ。
さらにこの上田家は元々、画家である円山応挙の子孫だ、と書いてありますね。
とすると上田秋成さんとことはちょっと違いますね。
[7] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年10月13日 19時08分30秒 ) | パスワード |
花菱紋というとやっぱり源氏系が代表かな?とも思いますね。
特に武田家。
武田一族も戦国時代若狭に勢力持ってましたから
丹波なら場所的に近いしなあ
と思いますね。
この武田の奥さんが後に秀吉の愛妾・松丸殿と呼ばれたそうです。
そういえば友人の家が木曾出身で義仲の侍大将をしてたとある本に出てましたが
友人宅の家紋は「剣」なんとかって紋だと聞いた記憶です。
剣カタバミ?
1つの家に家紋は1つというワケじゃないので
いろいろ時代によっていろいろな理由で家紋を替えましたから
他の家紋も分かると良いですね。
昔は身分を隠すためにわざわざ家紋も名字も変えたりしましたよ。
拝領で替えた場合もありますしね。
やはり御親戚の長老で御存知のかたが見つかると良いですね。
[8] | 上田 伸太郎さんからのコメント(2006年10月13日 22時17分01秒 ) | パスワード |
こんばんわ 書き込みありがとうございます。
身内の記憶によると、系図に丹波・黒田城主だった「赤井悪右衛門」←(実在したようです!)の甥にあたる「荻野肥前守」−長男?「荻野孫五郎」次男?「上田縫殿之助」三男?「上田源右衛門」四男「荻野仁助」の名前から残されていたモノがあるそうですが、 確証がありません。
それと 丹波国 インデン村? と記録があるそうです・・・
長男?「荻野孫五郎」-「上田 宗右衛門」(1600年頃に関が原で活躍?)と記録があるそうな・・・
それから紋は男子=剣花菱で! 女子=花菱だけだそうです!!
(母の記憶)
[9] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年10月13日 23時59分15秒 ) | パスワード |
「丹波 赤井悪右衛門」で検索するとたくさん出ますね。
特に
http://www.ne.jp/asahi/tanba/kirinosato/TANBA-kanegaska-siro-docu.htm
ということは旧丹波国関係の現教育委員会から史料を取り寄せたらかなりハッキリしますね。
上田「源」右衛門からすると、やはり「源氏系」なのかなあ?
結論的にはかなり「多田源氏系」のような感じになってきましたね。
そうしますと「上田秋成」関係の資料も手に入ると良いですね。
[10] | 小次郎さんからのコメント(2006年10月14日 15時14分45秒 ) | パスワード |
丹波と赤井・荻野とくれば、ちょっとコメントを・・・・。
荻野氏の系譜は市島町史にあったと思います。
ただ、太平記の頃に尊氏に従って九州で一族200人討ち死に云々
とありますので、これはそのまま信用できません。
丹波の荻野氏は鎌倉期から史料に見えます。兵庫県史の史料編中世を
みられると、多数見つけることが出来ると思います。
中世に丹波で「上田」を名乗っている史料は覚えがありませんので、
恐らく黒井城落城前後の御分家でしょうか?
インデンは「位田」と書きます。綾部市にあり、荻野氏関連の場所で、
丹波国一揆の中心地です。
もし、位田の荻野氏の跡でしたら、この大一揆を主導した張本人の跡
ということになります。
幕府に参じていた同族は責任をとって、管領細川政元の館で詰め腹を切ら
されています。
参考となる本を少し上げておきます。
綾部市史 福知山市史 市島町史 丹南町史 兵庫県史(本編・史料編 中世)
これらの本で「上田」氏が出てこなかったら、史学的な考証は不可能かと
思います。
あとはご自分で探し出してください。見つけたときの喜びは一入です。
[11] | 上田 伸太郎さんからのコメント(2006年10月14日 19時26分28秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさん,小次郎さん
参考になるお話をありがとうございます。
上田の姓はあまり出てこないのかも、知れませんね・・・
教えて頂いた本や資料を探し、
時間をかけて、もう少し調べてみます。
ありがとうございました。
[12] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年10月14日 23時44分51秒 ) | パスワード |
小次郎さんからの興味深い書き込みがあって良かったですね。
「丹波国一揆」で検索したら(私にとって)関心のある文章が出てきました。笑
>「位田の殿さんは南朝方であった」とか。「古城には荻野彦六が居た」とか。
この「位田の殿さんは南朝方であった」というのがオカルト・パワーを齎したのかな?爆
上田重秀
上田重安
上田重元
このあたりの名前はオカルトさまから「調べてみよ」とのお達しなのです。臨界
あはは
[13] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年10月14日 23時55分31秒 ) | パスワード |
ちょっとバカ話なのですが
上記の上田さんは戦国時代あたり尾張の星崎の人だそうで
丹羽さんや蜂須賀さんとも仲が良かったそうで
おお、それで「南朝方だった私の先祖」からのオカルト・パワーが来てたのか、でした。
それに茶道に造詣深かった(古田さんのところで書き込んだ)伯父からもパワーが来てるのかな?と
この伯父が星崎に住んでたので。
上田さんの一族が南北朝の頃に転戦して尾張に来て定着したとするならカンペキだな、と。
蜂須賀さんとこと仲が良かったら当然尾張南朝方関係だろうし。
縁とはホント不思議です。
[14] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年10月14日 23時58分03秒 ) | パスワード |
それから数年前「兵庫の旧家から宗尊親王直筆の御歌」が出て来たというニュースも見ましたし。
当時は一族が敵味方に分かれて戦ったので、そういう関係かな?、なんてロマンを感じました。
[15] | 上田 伸太郎さんからのコメント(2006年10月19日 12時20分49秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさん 度々の書き込みありがとうございます。
上田家を検索すると「尾張」「奈良」「広島」「福岡」「丹波篠山」の上田氏はHITSしますが・・・
「氷上郡 棚原」は少数で系図に残された名前と結びつかないのがほとんどです。
来月、丹波の資料館の行ってみようと思います!!
[16] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年10月19日 14時55分34秒 ) | パスワード |
>上田家を検索すると「尾張」「奈良」「広島」「福岡」「丹波篠山」の上田氏はHITSしますが
御先祖さまが南北朝時代にどちら側だったか分かると良いですね。
とはいえ
足利尊氏の弟が南朝方についたり
楠正成の家は南に決まってるのに正行の弟は北朝方についたり
この時代ってグチャグチャになってるんですよね。
そういう混乱があったからこそ
「うちは源氏方だった」という話が「うちは源氏出身」という話に変わってしまったり。
嘘800じゃなくて
そういう話に変わって行く必然性があったわけで。
本当に膨大な史料を集めまくることですね。
そして系図を持ってる人が見つかると良いですね。
同じ家の出でも南朝方と北朝方は系図に使う漢字が異なるということもあるんですよ。
ですから
御自分のお家に伝わる方に重点を置いてくださいね。
もう20年近く前だったか
「鑑定団」の番組に多田源氏の系図を持って出て来た御子孫がいらっしゃいましたよ。
出席者達が感動してたのを覚えてます。
「これだけのものが伝わってたなんて
誇りにして
誰か見せてくれと言っても傷や埃がつかないよう光には当てないようにして見せるな」
と言ってました。
上田家もどなたかちゃんとした系図をお持ちですといいですね。
30年はかかるものだと覚悟して
暫く東京と丹波を往復なさってください。
本屋さんにも行って上田秋成やその他の上田姓の方の本をお求めになってください。
本屋の本棚から本の方が存在を主張しますよ。
必ず有形無形実在霊的なんらかの形でパワーを頂けますから。
[17] | 小次郎さんからのコメント(2006年10月19日 20時43分05秒 ) | パスワード |
>上田さんへ
お身内が本家に系図があったことをご存知なのですから、そこへご連絡
されて、見せていただくことが第一ですね。
いままでの投稿から推察しますに、ご本家と縁が切れているように思われ
ますので、礼を尽くして、縁を復活させることが第一です。
丹波へ行かれるのでしたら、前もって荻野氏・赤井氏の事について、出来
る限り予備知識を得ておかれたほうが良いと思います。
暇つぶしのギャンブラーさんがお書きの通り、荻野氏を追えば、30年でも
十分とは言えないくらい、史料が出てきます。
私も歴史に興味をもって、ちょうど30年。最近は研究者モドキになってし
ましました。^^:
まず、日本史の通史で、鎌倉後期から南北朝・室町にかけて、歴史上に現れ
る事件を大体頭に叩き込まないと、荻野氏の動向について理解できないだろ
うと思います。
地域の図書館、大学の図書館・国会図書館を利用して、参考資料を片っ端か
ら調べて下さいね。先日書きました文献を調べるだけで、何年もかかると思
いますが、丹波へ行こうと思われたのですから、「所縁の地」へ立って、山
・川・京都への通路などを実感されるのは良いことです。
丹波史を探る / 細見末雄. 神戸新聞総合出版センター, 1988.12
「荻野氏と荻野朝忠」 P14〜31
「赤井氏の盛衰」 P79〜97
は必読です。荻野氏・赤井氏の系図も一部ですが、掲載されています。
荻野氏の系譜は源氏・平家、それぞれ別のものが存在しています。
お近くの図書館から文献のコピーを依頼することが出来ます。すぐ読みたい
と思えば、東京大学史料編纂所か、国立国会図書館へゆけば本はあります。
丹波で室町期に著名であった武士は、多紀郡では中澤・波伯々部(ほうかべ)
酒井・、氷上郡では、久下・足立・荻野です。
上田氏について、何か見つかると良いですね。ではでは。
[18] | 小次郎さんからのコメント(2006年10月19日 22時16分26秒 ) | パスワード |
もうひとつ、追加で・・・・。
私の家と荻野氏とは所領が隣り合わせでした。
棚原から南の山を登って、山嶺が境界です。
一時的に赤松氏が来ますが、暫くして播磨へ帰ったようですのです。
領地の争いをした記録はありませんので、仲良くやっていたので
しょう。どこかの時期で姻戚関係があったようですが、私に家は
落城と共に系譜を失っていますので、本系は他の史料で考察する
しか方法はありません。
鎌倉後期から南北朝にかけて、荻野氏と一緒に幕府の命を受けて
動いたこともあります。
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