[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年09月04日 21時39分20秒 ) | パスワード |
始発電車で、富士宮へ頼朝史跡巡りをしました。
曾我兄弟の仇討ちに名を借りた、頼朝暗殺のクーデター事件を追ってみました。
クーデターの件は、これでけりを付ける積りです。
何処まで追っても切がないですから。
クーデターに関しては、最後の史跡巡り。
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年09月04日 21時40分06秒 ) | パスワード |
鷹嶽山曾我寺と兄弟の墓。
墓も全国で十数ヵ所あるんですから、もう止めます。
曾我の隠れ岩(兄弟が密談をした岩陰)にも行きました。
[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年09月04日 21時40分24秒 ) | パスワード |
最後に、工藤祐経の墓を見てきました。
印象としては、曾我曾我と持て囃され工藤祐経が可哀想。
墓も貧弱でした。
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年09月05日 12時56分30秒 ) | パスワード |
続き
富士宮は、例の巻狩の場所ですから史跡はいっぱい。
孝行息子の曾我兄弟の史跡で溢れています。
暗殺だのクーデターだのは、一言も出てきません。
苦節18年の仇討ちばっかり。
「いい加減にしてよ!」と言いたくなります。笑
一つの救いは、祐経の墓を密かに守ってきた人がいたんですって。
あれだけ持て囃される曾我兄弟の陰で、祐経を守り通した。
文化人でもあった祐経の立場を理解していた人もいたんですね。
操られた兄弟の美談の中での一つ明るい話でした。
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年09月05日 20時45分58秒 ) | パスワード |
続き
あの仇討ちで、曾我兄弟が持て囃されている。
そういう中で、祐経の墓を守った人は辛かったと思いますよ。
でも祐経の理解者だったんでしょうね。
心の中では、クーデターの真相を知っていたんでしょう。
だから祐経の役割は、哀れだった。
もっと広く考えれば、「守ってやってくれ」と頼まれた。
首謀者の北条時政、或いは大庭景義か岡崎義実から。
私なら、心優しい岡崎義実だったような気がしますが。
しかし、工藤祐経の墓を見た時、足が竦んでしまいました。
曾我兄弟の墓(供養塔)は、どれもこれも立派な五輪塔。
でも祐経の墓は、石の小さな塔でした。
涙が出そうになりましたよ。
逆に考えれば、小さな石の塔だから守り通せたのかも知れません。
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