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 投稿番号:100946 投稿日:2006年08月24日 00時40分50秒  パスワード
 お名前:暇潰しのギャンブラー
外房散策:広常

コメントの種類 :史蹟  パスワード

友人より


始発電車に乗って、外房の大原に行ってきました。
今日の目標は、頼朝の名づけたお寺さんと筆かけの槙、そして広常の舎利塔。

日が差してくると、死ぬほど暑くなりました。
でも10kmは歩いて、半分以上は日が陰っていたので後半は楽でした。
大原から布施や御宿あたりまで歩くと、広常の膨大な領地を垣間見ることが出来ます。

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月24日 10時20分38秒 ) パスワード

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上総介広常は、頼朝配下では一番多くの兵を提供しました。
それだけ領地だって、広大でなければ養えないですよね。

ただ広常は、田舎者のせいか「礼」を知らなかったんですね。
自分が長であったための悲劇でしょう。

しかし、誰にも負けないほどの忠誠心はあった。
だから忠誠の誓詞が発見されたあと、頼朝自ら上総まで謝罪の旅に出ているんです。
広常は偏屈だけど、いい親父だったんでしょうねえ。


上総では、もう秋ですよ。
稲刈りもやってたし、田圃も水を落としている。

御宿あたりでは、海水浴客も殆ど見かけませんでした。
大原では、タクシーの運転手が欠伸の連続。
秋ですね。
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月24日 21時55分14秒 ) パスワード

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頼朝と景時は、「阿吽」の呼吸で広常を亡き者にしました。
その後、忠誠を誓う広常の起請文が発見され、頼朝は大きな後悔をしたと言います。

実質は「謝罪の旅」でも、そうは言えませんから、名目は違うでしょうね。
旅の途中で、寺に山号を付けたりしたのも、広常へせめてもの償いであったかも知れません。

その後も、広常の追善供養にお布施を送ったりしています。
昨日歩いた下布施や上布施の地は、そうした頼朝のお布施から名付けらました。
側近を殺した頼朝が、これほど想い入れをするのも珍しいですね。
[3]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月25日 00時44分55秒 ) パスワード

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先程、「阿吽」の呼吸で広常を斬ったと書きました。
確かに頼朝からみれば、広常は目の上のたん瘤になった。

ですが、「斬る!」と言った言葉は双方から出なかったでしょうね。
そこが2人の「阿吽」の呼吸だったと思います。

頼朝も景時も、斬ったあとは後悔の念に晒されたんでしょうね。
謀叛を理由に没収した領地も、子供に返している。
これは、明らかに謝罪している証拠です。

確かに、景時は頼朝のためなら何でもやった人です。
しかし景時は、頼朝には必要な人物だったことも確かです。
こういう関係は、今も昔も難しいです。
[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月25日 11時47分44秒 ) パスワード

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頼朝・景時のような関係は、ナンバー2の意見は挟めないでしょうね。
ナンバー1の意向を、あれこれ考えなきゃいけない苦しさ。

斬ったあと、「斬れって言ったじゃん!」と言えない辛さがある。
責任は、全部自分に降りかかって来る。
ナンバー2の立場って、微妙ですね。

先日は広常と、蚊に刺されながらじっくり話をしてきました。
頼朝の本心も伝えてきました。
分かってくれればいいのですが・・・。

頼朝は、いい部下を持って幸せな男です。
[5]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月26日 00時50分42秒 ) パスワード

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景時こそ頼朝に頼りにされた部下の筆頭でしょう。
でも、信頼されていたかどうかは別問題。
信用はおけないが、彼奴は頼りになる、っていますよね。

広常の嘆きが癒されたでしょうか。
もし魂というものが存在するなら、多少は理解してくれたかも知れません。
これで、「以って瞑すべし」ならいいのですが。

良し悪しは別にして、広常は後世に名を残しましたね。
子孫が安泰となったかどうかは、現実には分かりません。

どうやら広常の子孫は、常胤の下に入ったようなのです。
まっ、常胤なら広常の子孫を悪いようにはしないでしょうけど。
[6]Haraさんからのコメント(2018年09月30日 04時08分06秒 ) パスワード

初めまして、最近史跡探訪を始めWikipediaに画像UPすることにしました。
夏に近い方の三浦半島からフェリーで房総半島、外房線浪花駅から歩いて128号線に出て金光寺上総広常公の供養塔へ、既に夕方で写真は微妙でしたが此方を参考に。
http://ismkayusou.blog.fc2.com/blog-entry-1337.html

前の週に鎌倉、源頼朝公の墓所から東に杉本寺・報国寺を抜け、朝比奈切通し入口
大刀洗水から裏の旧道を登り。降りた所の金沢八景への環状4号線の朝比奈バス停近くに上総介塔と呼ばれる暗殺された上総広常公の墓と伝わる五輪塔があります。
https://okadosblog.blogspot.com/2010/11/blog-post_4951.html

で最終的に金沢八景・六浦の海岸に出て京浜急行に乗れるわけですが
上総広常公も船で東京湾を渡って朝比奈切通し近くに鎌倉の屋敷があったようです。

でこれらの写真を元にWiki編集
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 上総広常

更に大刀洗水となると梶原景時公の存在が反映され神奈川県高座郡寒川町、静岡県静岡市清水区と行くわけですが以外にも両方に皇太子殿下の訪問記念板が
な所で続く
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