[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月20日 13時17分55秒 ) | パスワード |
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陸続きになった歌舞島は、頼朝の時代には本当に島だったんでしょうね。
松島の島々を想像して頂ければいいのでは・・・。
歌舞島公園に向かう階段の周りは、松が沢山繁っていました。
頂上からは、遠くは富士山・伊豆連山・丹沢山塊が見えます。
手前には当然海です。
こんな所で歌舞宴楽を楽しむなんて、頼朝も贅沢な奴っちゃ。
それにここは、頼朝の山荘である椿の御所・桃の御所・桜の御所に近いんです。
椿の御所には、愛妾・妙吾尼。
当然他の御所にも、愛妾はいたでしょうね。
そういう女たちを呼んで、ここで歌舞宴楽を楽しんだんでしょう。
昔は住んでも、心地よく生活が出来たでしょうけど。
今は三崎と言えば鮪の町。
町中が鮪の臭いと、それを食べさせる店で溢れています。
いくら歌舞島でも、散歩にはいいけど住む場所ではないですね。
住むなら、鎌倉・御成町です。
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月20日 21時02分24秒 ) | パスワード |
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歌舞島は地名にこそなっていませんが、バス停などにその名が残ります。
離れ島だったのが地続きになったんじゃなく、地続きにしたんでしょうね。
頼朝の安房鋸南町の上陸地点も、昔は島だったのが今は地続き。
(本当の上陸地点は、鋸南町じゃない!)
日本の埋め立ては、凄い勢いで海をなくしてる。
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