[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月15日 04時08分50秒 ) | パスワード |
興味のある方はこちらを参照なさってください。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~BIJIN-8/fsyohyo/busikakei.html
【新潮社】
『武士の家計簿』
「加賀藩御算用者」の幕末維新
磯田道史著
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月15日 04時22分14秒 ) | パスワード |
入払帳とは「収入と支出」のこと。
普通武士は家計簿をつけないそうです。
(武士は喰わねど高楊枝、の世界の住人なので)
猪山家は前田藩の会計係の家だったので
几帳面な性格だったらしく細かく家計簿もつけていたようです。
それから江戸時代の武士の生活が見えてくるそうです。
例:
某年の猪山家の薬代は銀で30目。
銀1目(匁)=約4000円。
つまり薬代に12万円払っていたそうです。
家族はおばばさま+御主人夫妻+若夫婦+娘+家来1人+下女1人の計8人。
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月15日 04時29分54秒 ) | パスワード |
前田家には2万人の武士とその家族がいて
この猪山家は「由緒並一類附」によると前田家譜代の武士ではなく
猪山清左衛門が関が原の頃に菊池右衛門に仕えていたそうです。
つまり猪山家は前田家には陪臣だったというわけでした。
それが5代目の時に御算用者(ごさんようもの)になって
前田家直参になったそうです。
この入払帳が始まるのは江戸時代末期。
1842年当主猪山金蔵信之(67歳)が口述するのを
息子弥衛門(31歳)が筆記した。妻はお駒、娘はお熊。
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月15日 04時44分30秒 ) | パスワード |
江戸時代の武士の身分階層区分は
・藩主
(領地として知行を貰う:土地の生産高で実収入はその3割〜5割)←厳しいねえ〜
・八家
・七十家
(お年寄と呼ばれ家老を代々輩出する家で軍役(戦争)を担当する司令官指揮官クラス:
家来を連れ馬に乗り一軍を率いる高級武士:1000石あたりを貰う)
・平士(ひらし)
(少数の家来を連れ、馬には乗れない、槍を持って突撃するクラスで首籠を持った家来などはつく:
100石あたり)
・徒歩(かち)
(1人で歩いていく。家来は無し:20石あたり)
・足軽(あしがる)
(藩から武器を支給される。鉄砲足軽など:藩から直接切米として玄米を支給される)
・中間・小者
(荷物運び)
[6] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月15日 04時56分41秒 ) | パスワード |
大名行列の絵の服装から見る武士階層区分:
昔は服装を見れば身分がすぐに分かった。
行列の先頭に中間・足軽・徒歩がきて
彼らは背も高く体型も立派で見栄えが良い集団で
人々はこの人達(今で言うとイケメン)を見るのに集まった。
彼らは制服着用。
中間は刀1本を差し裸足。
御籠の周りは平士以上で
うって変わって服装・身長・年齢などバラバラ。
年齢がバラバラなのは世襲だったので子供が家督を継いでいたりしたから。
服装は自前。
[7] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月15日 05時03分40秒 ) | パスワード |
当時の代表の人々の収入:
大岡越前守忠相
1万石になり大名に
大石内蔵助
1500石の家老
長谷川平蔵
400石
三屋清左衛門
120石→藩主の側用人となり→320石になり馬に乗れた
西郷隆盛
御小姓で47石
忍者は武士の内に入った。
伊賀者・甲賀者は藩に雇われ70石〜100石前後貰っていた。
[8] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月15日 05時05分46秒 ) | パスワード |
猪山家は最初40俵で始まり
徒歩扱いの70石で
江戸時代平均的な武士。
武士の中で一番多い層であった。
年収700万円ぐらい?
ま、現在のサラリーマン並み?
[9] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月15日 05時15分32秒 ) | パスワード |
天保13年の猪山家:
当主
猪山金蔵信之(67歳)
藩の御算用者で知行70石
1ヶ月のお小遣いは 6万円余り
息子
猪山弥左衛門直之(31歳)
藩の御算用者で切米40俵
1ヶ月のお小遣いは 6000円
おばばさま
1ヶ月のお小遣いは 3万円
母上
1ヶ月のお小遣いは 3万円
妻
1ヶ月のお小遣いは 7000円(夫より多い)
娘(生まれたばかり)
1ヶ月のお小遣いは 3000円
これに家来1人+下女1人の計8人で生活していた。
生活は大変厳しかった・・・だって。
[10] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月15日 13時45分23秒 ) | パスワード |
「プライスの謎:学力投資より」
5年前 東京の古本屋で幕末の貧乏侍が書いた家計簿が発見された。
そこから浮かび上がってきたのは
今と変わらぬ我が子の教育にかける親の情熱だった。
その侍、莫大な借金を抱え、身の廻りの物を売って日々の生計を立てていた。
妻の嫁入りの着物に、武士の魂・脇差まで手放す始末。
しかし決して出費を惜しまなかったのが子供の教育費だった。
学習机に筆箱、硯など勉強道具一式、剣道の習得のために道場に支払う講習料。
厳しい家計をやりくりしながら子供の教育に力を注いだ。
その甲斐あって息子は明治新政府で海軍の主計係として活躍する。
(猪山成之)
侍は隠居の間際、鉄道開通の知らせを耳にして武士の時代が終わったことを悟った。
その時に残した言葉がある。
「もはや自分に出来ることは何もなく、あとは死を待つばかり。
ただ最後に出来る御奉公は孫への教育である」
[11] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月22日 02時06分49秒 ) | パスワード |
訂正:
標題のところに「筑波大学助教授」磯田道史先生と書きましたが
「茨城大学助教授」でいらっしゃいました。
[13] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月22日 02時15分20秒 ) | パスワード |
今回は武士の収入と財産について:
桂小五郎:知行150石 約1300万円
西郷隆盛:籾47石 約 630万円
大隈重信:知行300石 約2600万円
福沢諭吉:籾13石2人扶持 約 200万円
「身分制度は親の仇でござる」
[14] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月22日 02時49分33秒 ) | パスワード |
加賀藩の御算用者猪山家は父子で御算用者をしていたので総年収が約1230万円だった。
今回は猪山家の収入と財産について:
父:知行70石扶持銀34.3匁
子:切米40俵に拝領金小判8両
これを解釈すると
藩の経理係の猪山家は
父信之=70石+銀34.3匁
・知行(一定面積の領地で)70石与えられていた。
普通、実収入は30〜50%。
4公6民あたりで実収入は 22.5石だった。米1石は金0.76両。
・扶持銀34.3匁=0.45両に相当=1匁が約4000円=13万7200円
子直之=切米40俵+拝領金8両
・切米(俵に詰めた玄米を貰って帰る。領地ではないのでバカにされた)40俵
切米40俵は20石(加賀は1俵=0.5石だった。藩によって異なる)
1人扶持とは大人が米を1日5合食べるとして年間で1.8石
・拝領金(役職手当)
直之は藩主の秘書官のような役だった
米1石は金で0.76両
銀75匁=金で1両
猪山家は父子でお米としては小判で 32.3両 頂いていた。
これに扶持銀と拝領金が加わる。
猪山家は米と現金で小判41両分頂いていた。
1両は大工が30日休まず働いて小判1枚だったから
現在の大工さんの日当を1日1万円で換算すると小判1枚は30万円ぐらい。
猪山家の総年収は 41両 x 30万円 の 1230万円 だった。
[15] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月22日 02時53分13秒 ) | パスワード |
天保13年から37年間に書かれた猪山文書によると最初に出て来るのは借金の一覧。
借金は銀で6260匁 x 4000 = 約2500万円
これを金利、年20%近くで借りていた。
年に利払いで500万円。
総年収1230万円あっても家計は破綻寸前だった。
[16] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月22日 03時06分55秒 ) | パスワード |
猪山家の借金の原因は父・信之が優秀で仕事をし過ぎて借金まみれになった。
父信之は52歳の時に8年に亘る江戸上屋敷詰めを命じられ
加賀に残った家族の生活との2重生活を強いられ
生活費が嵩んだ。
文政10年?
藩主前田斉泰と将軍家斉の娘・溶姫との縁談があり
この婚礼に現在の東大・赤門の建築から婚礼一切を取り仕切ったのが猪山信之だった。
さらに婚礼後も溶姫さま付きの会計係を勤めた。
この褒美に「70石の知行地」を貰い
米70石を生み出す土地の領主となって武士としては名誉ではあったが
実態は
それまでの切米50俵(25石)から
知行70石取りの実収入22.5石取りに目減りした。
知行取りは武士のステータス・シンボルだった。
猪山信之氏談:
「知行を貰ったのはまことに名誉なことだったが
切米50俵を召し上げられたのが痛かった」
格は上がったのに給料は下がった。
お祝いで回りに御馳走しなければならなかったし
お金はどんどん出ていった。
[17] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月22日 03時15分51秒 ) | パスワード |
天保13年に息子直之も御算用者になった。
ダブル・インカムになったが借金は減らなかった。
借金総額 2500万円
平均金利 20%
年間利払い 500万円
この借金を猪山家はどのように乗り越えたのか?
猪山直之日記(家計簿と同時に日記もつけていた)より:
天保13年7月8日、
父・信之の言いつけで全ての借金を書き出し
親戚を交えて返済方法を相談した。
家財道具一切の売却を決断した。
8月に道具家を呼んだ。
家族の所持品を片っ端から売り払った。
父:24品目
子:44品目
母: 7品目
妻:13品目
合計88品目 総額銀2564匁を得た。
親戚(妻の実家)より銀1000匁を借り
藩より前借り 銀 500匁
計 銀4064匁 約1600万円を用意した。
1600万円をこの場で支払うので
と交渉し
残り900万円無利子で10年分割にして貰った。
[18] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月22日 03時23分59秒 ) | パスワード |
負債整理に猪山家が処分した物と値段:
父
・茶道具一式 銀275匁 110万円
茶道は身分を取っ払って話せることの出来る機会だったので武士には大切な趣味だった。
・手提弁当箱(加賀蒔絵)銀30匁 12万円
花見などの時に使用する高級な重箱
子
・儒教の本(四書正解) 銀55匁 22万円
・普段使いの弁当箱 銀1匁銭9文 4440円
妻
・黒地の小袖 銀155匁 62万円
・縮緬の小袖 銀105匁 42万円
[19] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月22日 03時30分14秒 ) | パスワード |
家財道具を売り払い借金の整理をし身軽になった筈だが猪山家の台所は豊かになったとは言えなかった
翌年は長女の「髪置きの儀」があり
これは子供に鬘を被せ白髪になるまで長生きして欲しいという願いをかける儀式
このお祝いは普通赤飯を炊いて鯛で祝うところ
猪山家は「絵鯛」で済ませたらしい。
これは本物の鯛が買えないので絵に描いた鯛で代用したということではないか?
だそうです。
[20] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月22日 03時45分53秒 ) | パスワード |
売るときは叩かれるので
ダイヤモンドの指輪でも買値の20%あたりで売れればヨシの世界なので
父上の茶道具は400万円〜500万円した御道具だったのかもですね。
・・・・600万ぐらい払ったのかも。
奥さんの着物も嫁入り道具に誂えた立派なものだったんでしょうね。
少し前にはやった日本の自己破産の時の借金整理みたいで
なにか哀しいですね。
それに役職に就くとポストは上がったのに収入は減るという今の管理職の悲哀にそっくりですね
[21] | ボニさんからのコメント(2006年07月22日 14時21分32秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさん、こんにちは。
この番組に興味があってテレビ見てます。
そうなんですよねぇ、格は上がったのに給料は下がった。
必要経費は増すばかり。
猪山家、たいへんだなぁ…と思いました。
家財道具を売ってある程度まとまった借金を清算する代わり、
残りの借金については金利ナシにさせたのは、
猪山家さん交渉上手。
[22] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月22日 21時16分47秒 ) | パスワード |
ボニさん
レスありがとうございました。ぺこり
知り合いが加賀前田藩の40石取りの出身で
(彼は「加賀100万石」という言い方は間違っている。
あれは越中の分が大きく占めてるのだから「前田100石」と言え〜!」
と頑張る人です。笑)
(へ〜、40石取りだったの)
と同情してましたが
40石取りでも「知行で40石」と「俵米で40石」では手取りが倍以上違うんですよねえ。
驚きました。
武士としては「知行」取りになって面子は立ったけれど台所はますます火の車で
武士といえど生活は大変だったんですね。
管理職は今も昔も大変だったんですね。笑
[23] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 02時57分55秒 ) | パスワード |
今回は「武士が貧乏だったワケ」です。
友人からこんな話を聞きました。
幕末の多摩の百姓の暮らしぶりですが
近藤勇の実家の宮川家は10石あたりの中農。
土方歳三の家は40石あたりの豪農だった。(もとは内藤姓)だからボンボンだった、と
江戸幕府時代って三河気質でねじれてたから(笑)
幕政に携わるのは小身の武士で大役を担っていた
商人はお金持ちでも身分は低かった
だから百姓も馬鹿にされながらも実力は武士よりあったのかも。除:小作・水飲み百姓
かな?
[24] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 03時00分35秒 ) | パスワード |
江戸後期の武士の家計は大半が火の車であったのに
これは自分ではどうしようも出来なかった。
それは武士という身分ゆえ。
つまり「身分費用が嵩んだ」ということ。
[25] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 03時07分11秒 ) | パスワード |
加賀藩の御算用者(今の経理係)つまり算盤侍の猪山家は
父子2人で総年収 約1230万円
家屋敷は藩から与えられ下男と下女も加えた8人暮らし。
借金は 約2500万円
借金を整理し借金の3分の2を現金で返済し残りを無利子で10年分割で払うことになった
ところが一家の生活はその後も窮乏していた。
原因は出費が減らなかったから。その理由 ↓
[26] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 03時21分40秒 ) | パスワード |
理由
1.昇給がなかった
給料が上がらないのに物価は上がるから実質給料は目減りした。
お米で給料を貰ってたので人件費が2〜3倍になっていくのに給料が同じでは・・・
2.給与カット
藩では武士の数が増えたので藩の台所事情も苦しかった。それで給料カットがあった。
例:桂小五郎は知行150石でも実際の収入は60石で、
更にその半分を藩に召し上げられていただろう、ですって。
つまり30石ぐらい?
3.支出を削ることが出来なかった
猪山家では年収の3分の1を借金返済にあて(約400万円)
身分費用に約568万円が必要だったので
一家の生活費は 約260万円 だった?
ここから医療費・薪代などの燃料費・食費(米8石あたり)・用品代・運送費・修繕費を捻出
[27] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 03時27分58秒 ) | パスワード |
天保14年の猪山家の支出
3分の1・・・借金返済(約400万円)
3分の1・・・生活費 (約262万円)
3分の1・・・身分費用(約568万円)
この「身分費用」が猪山家の貧乏の秘密だった。
官舎住まいとはいえ
生活費260万円あたりで家の修繕費は自分持ちだったということは
立派な武士の家を修繕するのに屋根を直したり壁を塗ったりするのは
これは凄い出費よねえ。
運送費というのが不思議でしたけどね。今でいう宅配代でしょうね。
荷物を出したりする費用だそうです。
[28] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 03時33分33秒 ) | パスワード |
「身分費用」
これは武士が武士であるために掛かる費用。
これだけは減らせなかった。
武士は家の格や役職によって服装や使用人にかかる費用を削ることが許されなかった。
前田家では参勤交代に1回 2000人で 13億円掛かった。
格式を守るために人数も出費も減らせなかった。
格式を守る費用は武士の義務だった。
[29] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 03時41分19秒 ) | パスワード |
例
500石以上の武士は駕籠に乗って良いが
11人以上の家来を抱えなければならなかったし
馬を1頭持つ義務があった。
これは「義務」だった。
前田家の高田家は550石の中級の上の武士だったが長屋門のある屋敷に住んでいた。
長屋門には中間部屋があって奉公人が住んでいた。
10人ぐらいが住んでいたので
1年に1人5両かかるとして10人だから50両。
1両30万円として年間 1500万円 人件費でかかった。
馬を飼うことは武士のステータスだったが
馬を持つと
馬の世話係と(戦場に連れて行く)馬の口取りも雇わなくてはならないので
2人で10両、
それに
馬の餌代で1両あたり
1年間の維持費に11両 (330万円) かかった。
[30] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 03時46分11秒 ) | パスワード |
30年位前、私の近所の知り合いから
「父が競走馬の子供を 300万円 で購入した」と聞きましたが
調教師を雇ったり厩務員も何人か雇ってましたから
全部で馬を何頭持ってたのか知らないけど
お金持ちだったのねえ〜
[31] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 03時56分46秒 ) | パスワード |
実例:猪山家の身分費用内訳
家来給金(家来1人+下女1人) 155.48匁 約62万円
寺社祭祀費 80.46匁 約32万円
祝儀・交際費 284.41匁 約114万円
頼母子講 456.40匁 約183万円
上納金 442.12匁 約177万円
合計 約568万円
[32] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 04時17分34秒 ) | パスワード |
もっと詳しく:
・家来給金について
家来1人に80匁ちょっと
下女1人に30匁ちょっと
更に
小遣いが約50匁かかった。
食べさせ料=食事や衣類は主人持ちだった。
格式ある武士は軍役があったから使用人が必要であったし
武士は1人歩きはしないので草履取りや家来を連れ歩かねばならなかった。
(私の学校でも外出の際、お付きの人を何人連れて歩くかで、1人だと悪い噂となった)
・寺社祭祀費について
神社へ30匁先祖供養として
お寺へ40匁
武士は世襲だから御先祖さまの御蔭で食べているので
親戚を招待して先祖に対する祭祀を就り行った。
食べたり飲んだりお金がかかったでしょう。
・祝儀・交際費について
客がやたらと来て付き合いにお金がかかった。
同僚が60回・親戚が100回・町方の人間が10数回の計200回ほど訪問している
客が次から次に来て
武士のお共には「お引き」という祝儀を1回15文(約750円)中間に払った。
年間15万円かかった。
・頼母子講について
これは武士同士のお金の貸し借りでお金の融通をし合った。
積み立てで貯金のようなものだった。
・上納金について
藩に対して上納した。(ヤクザの世界の上納金のことは知ってたけど)
例えば職場で使った薪代などを負担した。
普通給料の半分を返納した(これは聞いてたから知ってた)
177万円で済んだ前田藩の武士は上納の負担が他藩に比べて小さかったということになる。
[33] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 04時37分01秒 ) | パスワード |
なるほどねえ・・・
学校に入った時に最初にクラスメートの家に遊びに行かないようにと担任から言われて
(学生は勉強が本分だからフラフラ遊んでいるな)という意味だと思ってました。
最初に、1日机に最低5時間座っていなさい、と言われたから。
毎日「5時間勉強した人は手を挙げなさい」とチェックされたし。
その後、誰それさんの御宅に御招待されて
○○さんはお付きの人がX人だったけど
△△さんはお付きの人がネエヤ1人だけだった
なんて話があったし
天皇の御学友の○○さんの奥様が買い物に行く時にはドータラと聞いてたし
李王朝の元王妃のお買い物時は、5人はお付きの人がいましたものね。
ちゃんとした家のお嬢様や奥様は1人で外には本当に出掛けないものなのねえ。
(うちは濡れ落ち葉が1枚べったりくっ付いて来ますが)
わたくしも1人では外出が出来ないのは、そういう影響だったのですねえ。
1人でフラフラ出掛けるなんて親からは叱られるし学校からも叱られるし
罪悪感で一杯で
クラスメート宅にも殆ど行った事ないし。
それでいつも男子学生を何人も引き連れてたんだあ ?
武士が1人で外を出歩くなんて服も着ないで下着姿で、パンツ1丁で、ウロウロするに相当
するんだそうです。
[34] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 04時47分27秒 ) | パスワード |
天保14年猪山直之の妻女が懐妊。
白砂糖1袋と銀1匁を妻に。
妻の安産を願い当時贅沢品だった白砂糖を購入。
貧しい家計から4000円を奮発
ですって。
贅沢品の白砂糖なので空袋は借金の証文入れにリサイクル。
(天保13年 勝手向 仕法???なんて書いてありました)
今でも綺麗な包装紙とか箱は捨てられないけど。
[35] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 04時57分31秒 ) | パスワード |
弘化元年1843年4月13日
嫡男 成之 誕生。
喜びとは裏腹に お金が・・・
武家は子供を育てていくのに物入りが続くので大変だったから。
誕生後
3日目に祝宴
7日目に祝宴
1ヵ月後に初詣
4ヶ月目は箸ぞめで初めて物を食べる儀式
数えの2歳で髪置きといって髪の毛を伸ばす儀式
4歳で袴着(袴を穿き刀を差す儀式) 皇室は「着袴」だったような?
11歳で角入れで前髪を剃る
14歳で元服
武家の子は成長に従って数々の儀式を経なくてはならず
親戚一同を招待し
祝儀を出し
人数分仕出しをとり
猪山家では 袴着に1日で 銀85匁 約34万円 が消えたそうです。
武士は成長過程で儀式を1つ1つきちんとやって一人前の武士として世間に認められた
[36] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 05時02分44秒 ) | パスワード |
次回は(10)の成之のお話です。
猪山家がいかに教育に身を入れたか。
猪山家は御算用者の家だったので
経理の場合
能力次第で役職手当が増えたので
子を有能な人間にするために教育にはお金を惜しまなかった。
まさに「育てる+教える」そういう家庭だったのです。
勉強させて能力を高め技能を磨けばいくらでも出世できる経理の仕事の家だったから。
[37] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 05時07分55秒 ) | パスワード |
成之に出費を惜しまなかった例
9歳の時、勉強道具一式に銀18匁 約7万2000円を投じた。
手習い塾に通い、
家では父・直之が算盤を教え
11歳からは剣術の稽古にも通った。月謝は銀2匁。
7日間の集中稽古に銀70匁5分 約28万円の出費
ですって。
今だったら7日間の海外旅行に28万円ぐらい使うのでしょうか?
[38] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 05時23分13秒 ) | パスワード |
現代のサラリーマンの生活も大変だけど江戸時代の武士の生活も大変だったんですねえ。
年収1200万円で
可処分所得が260万円で生活しろなんて。
若主人のお小遣いが月に6000円なんてねえ。煙草代だけですね。
現代ならローンの重圧に負けそうな家庭ですねえ。
[39] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月31日 00時35分05秒 ) | パスワード |
新作紹介:
「武士の家計簿」の著者でいらっしゃる磯田道史先生の新しい本
「殿様の通信簿」が出ました。
朝日新聞社
1365円
[41] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月05日 02時50分25秒 ) | パスワード |
最終章:江戸時代の武士は明治時代にどうなったか?
天保13年から明治12年までの37年間、
親子3代に亘って付けられた
猪山家文書(私生活の収入と支出を細大漏らさずつけた家計簿)
父信之 藩の経理係 切り米40俵→知行70石で年収530万円
子直之 藩主の秘書役も勤め 切り米40俵+小判8両で年収700万円
孫成之 父から経理マンとして英才教育を施された
[42] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月05日 02時57分54秒 ) | パスワード |
猪山成之
教育パパ、父の苦労の甲斐あって
13歳で出仕。
10年後慶応3年23歳で40俵(年収540万円)
同格の家から妻を迎えた。
慶応3年4月
藩より京都の藩邸に転勤命令。
前田藩は幕府方だった。
米や鉄砲の弾の買い付けを任された。
赴任8ヵ月後の慶応4年1月鳥羽伏見の戦いで
幕府方の負け。
金沢藩も新政府軍に恭順を示し京より撤収。
その年の夏、金沢に戻ろうという時
新政府軍の最高位の大村益次郎からお声がかかった。
[43] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月05日 03時01分47秒 ) | パスワード |
成之、大村益次郎と出会う。
大村益次郎とは
実質的な新政府軍の総司令官
徹底的な合理主義者
大村益次郎は
軍隊1万人をAからBに移動させるのに草鞋がいくら必要でいくら費用がかかるのか
そういう管理の出来る人材を捜していたところ
家来から金沢藩に猪山という有能な者がいると聞いた。
猪山成之にしてみれば突然呼び出されて驚いた。
[44] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月05日 03時07分15秒 ) | パスワード |
いつの時代も算盤の出来る者は必要であるが
猪山成之も幼い頃よりよく勉強し、厳しく教育され、計算技術を学び、よく頑張ったが
暇な時にはお姫さまの簪を作ったり
参勤交代の費用を計算したりしていたが
時代が変わって
経理の出来る有能な人間が必要となり
能力に応じて給料が支払われる能力主義の時代となり
時代が猪山成之を要請したということ。
[45] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月05日 03時12分27秒 ) | パスワード |
代々磨いた計算能力
大村に認められ
戊辰戦争の時は資金調達係をした。
鼠半紙1枚に「大村益次郎」と書いて見せれば
何千両、何萬両という大金を鴻池などから調達できた。
大村益次郎は明治2年9月4日京阪神地方を訪問中
反対派に襲われ
11月5日(新暦1869年12月7日)亡くなった。
[46] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月05日 03時14分24秒 ) | パスワード |
明治4年
成之は海軍の経理係となり7等官で
年俸1235円
現在の3700万円。
[47] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月05日 03時19分45秒 ) | パスワード |
当時は1等官から15等官まで分かれていて
1番下の15等官の年俸は約450万円だった。
ここから少々混乱
4等官は知事や大佐クラスで年俸が現在のお金で?21億円・・・と言ってた?
今の知事は年俸1億円ない。
1等官の三條実美や大久保利通は3億円・・・と言ってた?昔の3億円?
現在は人口の3.2%が公務員だが
明治時代はその8分の1しか居なかった。0.4%しか役人がいなかった。
それで明治時代の役人は給料が良かった。
[48] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月05日 03時27分52秒 ) | パスワード |
(47)の年俸21億円や3億円の件は確かめた方は下記にレスをお願いします。
明治6年の猪山家
収入1200円
生活費400円(これは約1200万円あたり)
残金が800円(これは約2400万円あたりが残った)
残ったお金について「浮ろう金簿」によると (ろう=亡冠に下がニク月に???)
ポンと金100両を預金したり
東京タワー下の芝3丁目に300坪の土地を金100両で購入。
磯田先生は100両を今の数百万円とおっしゃってましたけど・・・
貨幣価値が下がったのかな?
坪1万円ぐらいだ、と。
ここもちょっとおかしかった。
[49] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月05日 03時38分32秒 ) | パスワード |
明治4年7月廃藩置県。
武士が大量失業。
父直之が成之に故郷の人々の消息を書き送った。
金沢では廃藩置県により2万人の武士が失業した。
薩摩出身の知事が県政を執った。
直之の手紙による士族の窮状:
明治5年親戚の150石取りの家の娘が裕福な商人の家に嫁ぐ、とあった。
これは数年前なら有り得ないことだった。
でも「当勢(世)流行の由」と。
明治6年相撲見物に、荷物番に武士が混っていて驚いた、と。
(さなけないね、武士が荷物を運んだりしてるなんて、と)
夏に犀川の河原で武士がトウモロコシやどじょうを焼いて売っていた。
(庶民同様、屋台仕事で武士が金稼ぎをしているなんて、と)
最近は馬に乗っている者に武士がいない。
(昔は馬に乗れるということは位の高い武士の特権だったのに
今は身分の低かった者が馬に乗っていてビックリだ、と)
家禄に応じて支払われていた年金は僅かで、それも順次打ち切られたので
武士の暮らしは困窮を極めていた。
[50] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月05日 03時49分29秒 ) | パスワード |
猪山家の親戚のその後
A家:元100石取りで同じく御算用者の家
明治5年、酒屋を始めたが明治6年末、家を売り払い猪山家の貸(借?)家に転がり込む
B家:元110石の馬回り組の家=藩主の身近に勤めていた家という意味
明治5年恥ずかしいか内緒で看板も上げず木綿を商う呉服屋になったが1年で廃業し
明治7年製紙工場で雑務係となり年収48円(約150万円)で一家5人を養う
C家:元切米40俵の定番御徒(ていばんおかち=下級武士)
明治5年東京で仕官し8等官になり大阪へ赴任。後、三井へ移り、会社経営者となる
猪山家の親戚7〜8軒の内、成功しているのは猪山家とC家のみ。
当時10軒いたら2つ成功していれば良かった。8軒は経済的に滅びていった。
[51] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月05日 03時58分20秒 ) | パスワード |
明治維新を境に勝ち負けを決めたのは何か?
1.時代に合った技術を持っていたのかどうか
2.臨機応変に生きたかのかどうか
1について
「その時代に合う力があったかどうか?」
猪山家は算盤能力だった。
ペリーが来た時、みんな出陣したが、猪山家は「お前は算盤侍だろう」と言われ
連れて行って貰えなかった。
これは大変な屈辱だった。
2について
過去の栄光に拘ってると人間は生きていく上で危険。
例として
尾張藩の5000石の家老の某家が自分で財布からお金も出した経験が無かったので
騙されて娘が身売りすることになった。
新しい時代を新しい技術で逞しく生きていける人と
生きていけなくて没落する人に分かれる。
[52] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月05日 04時03分11秒 ) | パスワード |
明治11年金沢にて猪山直之亡くなる。
明治12年一家揃って金沢を引き払って東京へ。
明治12年で親子3代に亘って付けられた家計簿は終了。
猪山成之
明治26年呉で退職。
2人の息子も海軍へ。
成之の屋敷は現在教会になっている。
第二次大戦後の猪山家のことは分からない。
[53] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月05日 04時07分36秒 ) | パスワード |
かなり日本語能力に難があるので
(49)の「けんせいをとった」など 権勢?県政?ん?ん? という感じで
思い違い聞き間違いなどあるかも。
もし訂正可能でしたらよろしくお願い致します。ぺこり
[54] | アカコッコさんからのコメント(2006年08月13日 06時39分03秒 ) | パスワード |
金銭の出入については暇潰しギャンブラーさんが色々と書き込みされていらっしゃいましたので、触れられていなくて、私が興味を持った(実は知らなかった)ことについて書き込みます。
今日、明治維新によって、武士が身分特権(身分収入)を失ったことばかりが強調される。しかし、同時に維新は身分的義務(身分費用)から解放する意味を持っていたことを忘れてはならない。
幕末段階では多くの武士にとって、身分利益よりも身分費用の圧迫のほうが深刻であった。維新は武士の特権を剥奪した。これに抵抗したものもいたが、殆どの武士はおとなしく従っている。
武士の世界では、一つの家からお城に上がって勤務するのは、原則として当主一人と嫡子だけである。次男以下は勤務の席がなく、他家に養子に行くのでなければ、家で遊んでいるしかない。落語や講談で「旗本の三男坊」がブラブラしているのはその為である。
しかしこれはあくまでも「士分」とよばれる上士以上に適用される基本原則であって下士以下には必ずしもあてはまらない。
下級武士の小役人の出仕は機会・能力次第であり、一家から二人三人と役所に出ている例が少なくない。
加賀前田家は「算術」を非常に大切にした家で、藩風といってよい。それでも算術の人材は不足していた。
近世武士の世界は世襲の世界である。算術は世襲に向かない。個人の出来・不出来が如実に表れるからである。御算用者は比較的身分にとらわれない人材登用がなされていた。
実は日本最古のソロバンも、前田家の蔵に残っている。利家・利長の時代から算勘にたけた家風であり、加賀の和算といえば有名であった。
こんなところに猪山家が段々と出世していった土壌があった訳である。
猪山綏之の妻はやはり御算用者の小頭(和田半左衛門)の娘である。
[32]にも触れられておりますが。
江戸時代は「世襲身分制」の社会で武士の身分は実質的には「由緒筋目」で与えられていたといえる。 武士は「先祖のおかげ」で武士の地位についているわけで、従って武士が武士であるためには、由緒筋目の源泉である「親類と先祖」との交際が欠かせない。
猪山家では先祖祭祀に年間三三・一八匁を、つかっている。菩提寺には四五・九匁(現在の感覚でいえば十八万円)もつかっている。
多額にみえても、これぐらいが猪山家の身分に相応した「お布施の相場」であったのだろう。
明治四年七月十四日、廃藩置県によって、「金沢藩」は消滅した。翌八月十一日には旧藩主前田慶寧が金沢から去り、東京に移住した。
九月になると、薩摩出身の内田某が金沢県大惨事として送りこまれ、金沢の県政にあたることになった。
新政府はそれまで武家にしか許されていなかった乗馬を平民にも許可した。乗馬で町を通行するのは、かっては上級武士の特権であった。猪山家も乗馬できるまでは昇進できなかったほどである。
町人に無視されるのは、まだよい。直之のような「非役士族」の心を傷つけたのは、県庁の官吏による無視であった。
士族は非役で役所に出ていなくても、天下国家や県政を担う一員であるとの意識が強い。
ところが県庁の「役員」はこれを相手にしなかった。旧藩主の側近で藩政の中枢にいた直之には、これがこたえた。
「最早、我等如きは日雇稼も同段」であると手紙に書き、完全にいじけている。
このように士族に不満を抱かせた原因は、国や県の役員(官員)にでられず、志が果たされないなかで、特権が一つずつ剥奪され、経済的にも追い詰められていったからである。
[55] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月14日 02時03分28秒 ) | パスワード |
アカコッコさん
目からウロコの維新後の武士の姿
ありがとうございました。
知らないことばかりでした。
>維新は武士の特権を剥奪した。これに抵抗したものもいたが、殆どの武士はおとなしく従っている
これって無条件降伏後の日本人の姿を彷彿とさせますね。
ということは
維新後の武士も降伏後の日本人も、縛ってた物から解き放たれて「ホッ」とした、
ということなんでしょうね。
本当にありがとうございました。
[56] | アカコッコさんからのコメント(2006年09月12日 18時24分44秒 ) | パスワード |
今朝なんとはなしにチャンネルを回していたら、偶然下記の放送に遭遇いたしました。
NHKで「歴史に好奇心ー拝見・武士の家計簿」という題で放送しておりました。
登場人物も直之殿など家族の面々。
このスレを読んでいたので良く理解でき勉強になりました。有難うございます。
次回の放送は9月15日(金)午前10時より第4回(最終回)だそうです。
もっと第1回から見ておればよかったな!!。
暇のある方は是非ともご覧下さい。
[57] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年09月13日 00時21分00秒 ) | パスワード |
アカコッコさん
ちょっとはお役に立てたようで嬉しうございます。ぺこり
また再放送があるでしょう。
本当に興味深い番組ですよね。
維新は起こるべくして起きた
武士の暮らしは行き詰まっていた
それには天地が引っ繰り返るほどの転換が求められていた
前田家の待遇はけっこう良かったようで
それでも暮らしは厳しかったのですから
豊かでない他藩の武士の暮らしは更に困窮してたんでしょうね。
アカコッコさんが前田姓の方と重ねて遠縁になるなんて御縁ですね。笑
更に将来お孫さんがG院に御入学できて御学友になれましたら
もっと素敵ですね。
同窓生になれるチャンスだって本当に希少なんですから是非是非!G院に!
学費援助なさってあげてください(笑)
「平熱」関係者から御学友誕生なんてスゴイじゃないですか。
将来の天皇さまの人生のお役に立てるかも知れないなんて
日本人としては最高の生き方の1つですもの。
[58] | アカコッコさんからのコメント(2006年09月13日 18時20分34秒 ) | パスワード |
>更に将来お孫さんがG院に御入学できて御学友になれましたら
もっと素敵ですね。
そう出来れば良いのですが。七年後か十年後ぐらいまでしか私の寿命のほうが?。
[56]の放映の件は私の勘違いでして、昨日みたのがどうも第1回らしく、今日も放映しておりました。
これは第2回で猪山家の収入と借金の金額などで、借金を家財道具や着物を売ったもので充て支払い借金は少し減ったそうです。
明日(9月14日)も同じ10:05分から第3回の放映があります。
今日も「歴史に好奇心ー拝見・武士の家計簿」を見れたのは、天からの「この放送を見ろ」との啓示か。
なんだかこの頃勘違いやトンチンカンな事が多いみたいで。
だんだんボケが始まってきたのかも(笑い・泣き)
[59] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年09月14日 00時12分40秒 ) | パスワード |
>なんだかこの頃勘違いやトンチンカンな事が多いみたいで。
>だんだんボケが始まってきたのかも(笑い・泣き)
いえいえ誰にだって起こるのですから御安心を。笑
わたくしでも 犬をCAT なんて言って 猫をDOG なんて言ったりして
(あ、緊張感無しになっている!)
と気付いて気を引き締めます。
どこかで「あっ!」と気がつけば良いのだと思います。
学生さんは試験があり、勤め人は査定がありますから緊張しますけど
隠居さんになりますと試験が無いのでついつい意識が弛緩してしまうのでしょう。
是非しっかり「歴史に好奇心ー拝見・武士の家計簿」を御覧になっていろいろ考えてください。
番組を御覧になってメモをなさいますと良いのですよね。
わたくしでも、もう、どんな番組だったか記憶の彼方ですから(笑)
このスレッドを見直して思い出さなくては(自爆)
[60] | アカコッコさんからのコメント(2006年09月15日 15時28分17秒 ) | パスワード |
三回は「なぜ武士は貧乏なのか」と中心に展開しておりました。
ようは武士の身分費用の出費が多いということであるが。
家来の給金や食費。祝儀交際費、儀礼行事費用、寺社祭祀費などが消費全体の三分の一にあたるそうです。
四回は「勝組みと負け組みとの分かれ」として、今回もこの本の作者磯田道史氏が色々と説明されておりましたが同様趣旨のことが「武士の家計簿」のあとがきにも述べておられるので、そちらから。
『私はというと、猪山家の人々から、大切なことを教えてもらったように思う。大きな社会変動のある時代には「今いる組織の外に出ても、必要とされる技術や能力をもっているか」が人の死活をわける」。
かって家柄を誇った士族たちの多くは、過去をなつかしみ、現状に不平をいい、そして将来を不安がった。彼等の未来はきていない。
一方じぶんの現状を嘆くより、自分の現行をなげき、社会に役立つ技術をみにつけようとした士族には、未来がきた。
私は歴史家として、激動を生きたこの家族の物語を書き終え、人にも自分にもこのことだけは確信をもって静かにいえる。恐れず、まっとうなことをすれば、良いのである。』
放送には作者・磯田道史氏が自ら出演しておられ、へんに偉らぶらず、解り易い解説でした。聞き手役として落語家さんだったのが幸したかもしれませんが。
まだ若々しい助教授でまたハンサムであり毎回お顔を拝見しているとよけい親しみが湧いてきてファンになってしまいました。
大変勉強になり磯田道史氏には感謝もうしあげます。
これからもご活躍を期待しております。
[61] | アカコッコさんからのコメント(2010年10月31日 22時11分52秒 ) | パスワード |
『武士の家計簿』が映画化された。
http://eonet.jp/cinema/db/movie/17083.html
金沢を皮切りに全国展開されるみたいです。
俳優さんも有名人が登場しています。
近所に来たら是非ともみたいものです。
[62] | 空の青海のあをさんからのコメント(2010年11月01日 03時06分48秒 ) | パスワード |
アカコッコさん
キャストは錚々たるメンバーですね。
金沢から公開ですか。
いいですね。
今の「龍馬伝」にも言えることですが
地道に努力していると報われる時もある、って思います。
やっぱり努力する人は立派です。
世間に嘲笑されても、質素倹約で頑張って借金を無くす、というのは立派です。
日本人の鑑ですね。
[63] | 空の青海のあをさんからのコメント(2010年11月01日 15時12分37秒 ) | パスワード |
猪山家の親戚になる友人に「見てね。感想知らせてね」と書き送ったところ
「くだらん!」
と言われてしまいました。
じつは
地道に努力していると報われる時もある、って思います。
やっぱり努力する人は立派です。
世間に嘲笑されても、質素倹約で頑張って借金を無くす、というのは立派です。
日本人の鑑ですね。
って、書いたことが全てむなしくなる事件に巻き込まれていたんですって。
なるほどね。
毀誉褒貶
人生は糾える縄なんですねえ。
[64] | 空の青海のあをさんからのコメント(2010年11月02日 14時42分37秒 ) | パスワード |
友人のお話を詳しく書こうと思い αネット を利用しようとしましたが
日本語が書き込めない
このPCにはメール機能が無い
WEB PAGE を利用するのですが やはり 送れなかったです。
[65] | アカコッコさんからのコメント(2010年11月09日 18時34分47秒 ) | パスワード |
『武士の家計簿』の宣伝もTvでぼつぼつ始まりました。
下記12月4日公開映画のオフィシャルサイトで圧巻は大勢でのソロバンを弾くシーン!!。
http://www.bushikake.jp/
今日NHK:高校講座「日本史」で、猪山家の家禄の事が話題になっておりました。
猪山家の改正家禄は現米45・247石(約135円)だから奉還を申請できる。
明治7年10月1日「最後の家禄」を受け取った。家禄135円の6年分、現金405円および公債証書405円(年8%利付)である。
◎家禄奉還:秩禄公債(ちつろくこうさいについては、「坂の上の雲」人物・用語辞典に詳しい。
秩禄公債とは、明治6年(1873年)12月27日に出された太政官布告第425号に基づき、家禄・賞典禄を自主的に奉還した者に対して起業資金を与える目的で起こされた公債のこと。
[66] | 呉服問屋さんからのコメント(2010年12月23日 00時20分23秒 ) | パスワード |
はじめまして、呉服問屋と言います。
明治の御一新が話題に上がっていましたが、平熱の皆さんなら時代がガラリと変わったという経験を明治だけでなく度々受けておられるかとf^_^;
平熱の方々はご先祖さまが平安末期頃にお上に仕えていたのを勤め先を辞めざるえなかったという人が多いかと思いますので。
母方の祖父の家は勤め先を終われた後は
心機一転?!海賊兼傭兵始めちゃいましたし
徳川の世になり海賊とかダメと言われたらしく
航海術を生かして回船問屋はじめたらしいです。
御一新で没落し明治生まれの祖父は苦学して
これからは石炭じゃなくて電気の時代だ!と
電気技師になったそうです。
ある意味まさに盛者必衰ということなんでしょうかね
でわ
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