[1] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2006年07月13日 20時58分31秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm |
粟沢 様へ
粟沢氏は信濃国諏訪郡粟沢邑発祥がほとんどです。(例外もあり)
甲斐の粟沢氏も同族で諏訪神家族です。
諏訪氏は健御名方命の後裔と伝えられていますが、
金刺舎人裔、文殊裔、敏達帝裔、桓武平氏、清和源氏満快流など異説もあります。
清和源氏満快流説は、源満快の曾孫為公の娘が諏訪為仲に嫁いだことに因ります。
子の為盛が源氏に改姓、孫の盛行が神人部氏に復姓したところから諏訪氏は神武帝裔の金刺舎人裔が真実ではないかと考えます。
粟沢氏は諏訪敦家の子粟沢七郎敦方を祖とします。
敦方に至る系は「日本の苗字七千傑」の「姓氏類別大観」http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/fclan_index.htm 諏訪氏を参照下さい。
[2] | 隈さんからのコメント(2006年07月14日 12時50分08秒 ) | パスワード |
粟沢さん、日本の苗字七千傑さん、こんにちは。
粟沢氏の由来についてはすでに日本の苗字七千傑さんが書かれているし、
私は東日本の事は詳しくないので、出る幕では無いかも知れませんが。
粟沢さんのご先祖様が「平家の落ち武者」、という言い伝えは、この辺りから出たのかも知れません。
諏訪にも、粟沢さんのお父様の実家からも近いですし。
↓
http://www.geocities.jp/komagane_life/page/hasemura_tanbou.html
>平家落人の里”浦” 壇ノ浦の戦いに敗れた平家の落人が住み着いたという浦地区、
平惟盛の子孫と言い伝えられ、壇ノ浦の”浦”が地名となったといわれる。
>城山 平惟盛の末孫の市ノ瀬兵庫正保が三峰川と粟沢川の狭間に築いた山城跡。
なお、こちらの落人の里については、以前このサイトでも取り上げられています。
↓
http://www.hikoshima.com/bbs/heike/100283.html
粟沢さんのお家との直接の関連は分かりませんが、一応参考までに。
[3] | 粟沢さんからのコメント(2006年07月14日 16時41分27秒 ) | パスワード |
日本の苗字七千傑さん、隈さん
早速ご丁寧に、どうもありがとうございます。
貧相と思えた自分の名が、遠く秋田の地名にあったり、山や川に付いていたとは驚きです。
水上にも平家落人伝説もあり、なんらかの関係があるのでしょうかね?
戦国時代になると、それ以降がどうも不明になっているようで残念に思えますが、また何かお分かりの事がありましたらよろしくお願い致します。
遠い祖先が、どのように暮らし、また、どのように生き延びて来たかを思うと、ロマンと共に感謝の念が耐えません。
ありがとうございました。
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月15日 08時10分00秒 ) | パスワード |
粟沢さん
粟沢氏は
建御名方神から出て諏訪大祝の子孫頼重の孫・敦貞の子、敦方が粟沢を名乗っている
とわたくしの資料には出てますが、
諏訪家のご出身なら立派な御家ではありませんか。
出自が分かっている、ということはたいしたものだと思います。
でもいろいろ伝わるお話に納得がいかないようでしたら
明治の初めの御先祖さまの除籍謄本をお取りになってください。
明治の初めにどこに住んでいたか?
そこは多分江戸時代に住んでた辺りでしょう。
その住所を頼りに粟沢家の本家を割り出し由緒をお訊ねになってはいかがでしょう。
どこをどう流れたのか?
家紋が揚げ羽蝶だからといって平家とは限りませんし
蝶紋は平氏・源氏・藤原氏その他いろいろな家が使用しています。
名字も必ずしも諏訪系じゃないかも知れませんし。
まもなくお盆が近づいて来ますから
その前に4−5代前の明治の初めの御先祖さまからハッキリさせましょう。
つい数十年前まで日本は大家族主義でしたから
昭和の初め迄は御親戚のお名前が全部戸籍謄本に出ていますよ。
お盆には皆さんに集まって頂いて
御先祖さまについてどなたか詳しく御存知の方はいないか?
由来は?
家紋は?
南北朝時代はどっちだった?
戦国時代は?
どうして山梨に引っ越したのか?
いろいろ話題を振ってみましょう。
早くしないと、そういう事を御存知の方が鬼籍に入ってしまわれますよ。
お盆の前に御先祖さまのことを考える機会があったなんて
御先祖さまからパワーが来ているのでしょう。
今を逃したら永遠に忘れ去られるのかもです。
いろいろ分かったら該当地の教育委員会から資料を頂きましょう。
県の図書館でも分かると思いますが。
御先祖さまを大切になさればだんだん分かってきますよ。
その代わり悲しい過去も分かったりしますけど。
今、自分が存在するのは御先祖さまの血や涙の御蔭なのですから
今年が良いチャンスなのかもです。
[5] | 粟沢さんからのコメント(2006年07月15日 09時55分59秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさん
貴重なご意見ありがとうございます。
そうなんですよね、年配の方々はもう殆ど存命していなくて、
話しを聞かせて貰える機会も減っています。
正直私も諏訪氏の系譜を見て、こんなにも簡単に
自分の名前が出て来るとは思わず驚いています。
しかし、そうなると欲が出るもので、
その後はどうなっているのか調べているのですが、
諏訪氏以降の所在が掴めずモヤモヤとしています。
現実のところ真実は定かではありませんが、今後書物やドラマを見る時に、
系譜に出て来る人物が身近に感じて、より楽しめそうに思えます。
漠然と、血は古代より繋がっていると思ってましたが、
何かがチラッと見えたような気もしています。
[6] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月15日 11時26分15秒 ) | パスワード |
>そうなんですよね、年配の方々はもう殆ど存命していなくて、
>話しを聞かせて貰える機会も減っています。
そうですね。
御存知の方は80代以上の人になるでしょうね。
でも長老のような方が必ずいらっしゃるものですよ。
自分の知ってることを誰かに伝えたいと願っていらっしゃる方が。
今年がこの人が見つかるチャンスなのかも。
やはりオジサマオバサマ御親戚の方からおききするより方法はないでしょう。
可能性として
諏訪大明神の勧進で全国に散った人の子孫かも知れないし
源平時代に平家方だったのかも知れないし
南北朝時代に新田方に付いて浪合村まで転戦して山梨に定住したのかも知れないし
武田とのゴチャゴチャで全国に散ったのかも知れませんし
平家の落人という「言い伝えがあるなら」かなりの確率でそうなのでしょうし
もし家紋から、そう、お父上が思っておっしゃたのなら、当らず遠からずかも知れないし
住んでた場所が粟沢だったから、そう名乗ったのかも知れないし
いろいろな地域の粟沢という地名の由来を調べたら何か出て来るかも。
今年のお盆というのが正念場なのかもですよ。
>何かがチラッと見えたような気もしています。
御先祖さまからのパワーが来ているのでしょう。
もし御先祖さまのお墓やお住まいだった所が分かりましたら行ってください。
[7] | 粟沢さんからのコメント(2006年07月15日 19時33分14秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさん
色々ありがとうございます。
もう少し、ロマン紀行の旅をしてみます。^^
さて、次は不明な戦国時代以降だ!
[8] | 粟沢○○さんからのコメント(2008年09月02日 23時08分39秒 ) | パスワード |
2年前のスレにコメントしてみる・・・。
私も「粟沢」です。
諏訪氏の子孫(ってほどでもない)という話は、子供のころから聞かされてました。
諏訪 → 武田 → 徳川 ・・と仕えてきたようです。
戦のたびに負けているくせに、今日まで生き残ってるあたりは自慢していいかも、と思っています。祖父の祖父の弟?だかが五稜郭で官軍に負けて帰ってきたというような話は、割と最近の話っぽく残ってます。
今週末、遅めの夏休みをとって、長野県茅野市の粟沢城址・粟沢観音に行ってきます。
[9] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年09月03日 00時26分36秒 ) | パスワード |
粟沢○○さん
是非南朝方だったのか?
その繋がりで徳川に仕えることが出来たのか?
それも探ってきてください。
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