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高山さんって「菊次郎とさき」の中で
さきさんの奉公先の男爵家でしたね。
あの作品のさきさんの奉公先の高山男爵家が実名かどうか知りませんが
昔の友人に学習院の出身者がいるので
え?
あの高山さんって元男爵家だったの?と驚きでした。
そう思うのが当たり前の品の良さでした。
下からずっと学習院でしたし、
私の友人が学習院に途中から入った時は、途中から入ってきた人とは接点が無い、なんて言ってました
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http://www.hikoshima.com/bbs/heike/100144.html
源三さんの書き込みに
3大友氏と他の平氏系の関係
大友(二代)親秀の母は畠山四郎入道娘
(高山四郎重範娘、 重範は畠山系高山氏祖の重遠の四男、重遠の兄が河越祖・重隆、弟が江戸氏祖・重継)
なんて書かれているような。。。
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4番目の書き込みです。
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わたくし的には元は平家に仕えていて源氏方に鞍替えした家かな?と思いますが
南朝方だった高山さんでしょうか?
ここは田中愛造さまや七千傑氏の御登場に期待しましょう。
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http://www.ienorekishi.com/keizu.html
に「小柏家」のサイトがあり高山三郎重遠についてちょっと書かれていますよ。
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わたくしが調べたところでは
桓武平氏ーーー秩父別当武基ーー十郎武綱ーー重綱の子で
長男が太郎重引
次男が次郎大夫重澄(この2人は秩父姓を名乗っているのでしょうね)
三男が高山三郎重遠(俗姓になってますね。よくあることです)
四男が江戸四郎重継(こちらも俗姓になってますね)
つまり本姓平氏・俗姓秩父氏・屋号が高山
こんな感じでしょうか?
思い違いなど訂正願います>諸兄氏
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高山姓は全国的に存在するが有名なところでは
上州新田郡の新田16騎の1人高山遠江守の子孫高山彦九郎がいて
この高山姓は上野国緑野郡高山に起こる
ですって。
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わたくしでしたら高山彦九郎についての情報を集めて調べてみます。
伝記に御先祖さまの重遠について詳しいことを書いている人がいるのでは?と思います。
確かなのは
県の教育委員会の歴史編纂課に問い合わせて資料を貰うことと思います。
高山男爵家は彦九郎がらみで昇爵なのかしら?>田中先生
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hiko様
ネットで秩父氏系図で探して下さい。全体像が記されています。
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[10] | ![]() | 田中愛造さん![]() |
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暇潰しのギャンブラー様
小生は高山男爵家なる家は存じ上げません。又、秩父氏系高山の子孫とされる寛政の三奇人高山彦九郎は、寛政5年に憂墳の余り久留米で自刃、元は上野国新田郡郷士の出で、子孫昇爵は有得ませんね。
もしや先生とは小生なら、此れからは愛さんでお願い致します。
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[11] | ![]() | 暇潰しのギャンブラーさん![]() |
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田中愛造さま
新田さんは明治維新で男爵になってるんですよね。
(それから安保さんも男爵になっている。)
高山彦九郎の子孫は
屋敷や禄や名字帯刀と
明治になってから御先祖さまである彦九郎に正4位だけ頂いたのでしょうかねえ。
吉田松陰でも大久保でも西郷さんでも高山彦九郎は神とされるべきなんて言ってるのに。
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上野の高山氏でしたら、紀州の「熊野那智大社文書」(米良文書)に、「檀那」として
散見されます。系譜・地元の伝承以外の貴重な第三者による証明です。
私に研究対象ではありませんので、コピーしていません。都道府県レベルの図書館、
文学部のある大学でしたら、所蔵しているでしょう。
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[14] | ![]() | 暇潰しのギャンブラーさん![]() |
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誤解のないように書いておかなくてはいけないですね。
上記明治になって男爵を頂いたのは
(新田勤王党を率い倒幕に功を立てたということで)
岩松(新田)俊純。
明治16年だったかな?
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[15] | ![]() | 田中愛造さん![]() |
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新田俊純は新田義重の子孫で、戊辰戦争で功労(新華族)明治17年男爵。
安保清康は佐賀の出で、日清戦争で功労(新華族)明治29年男爵。海軍中将。
彦九郎は勤皇の先駆者として贈位されたもので、爵位は如何かと?位階の規定には蔭位とも云われ律令官人任用制度にあり是の説明には・・生前の功績に没後位階を送る慣わしと理解すべきだと思います。
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URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm |
Hikoさまへ
高山三郎重遠の子として系図上は、
高山重昭(重久)、高山三郎重親、小林五郎重幸の三名が確認されています。
※系図纂要では高山三郎重遠の子として金子十郎家忠を挙げていますが、
村山党金子家範の子が正しく系図纂要の系線は誤りと思われます。
また大友親秀の母は、
高山四郎重範入道女(藤姓大友系図)
畠山四郎入道女(大友系図別本)
嵩山四郎入道女(浅羽本大友系図)
があり寛政譜は藤姓大友系図を採用している様である。
東鑑に高山三郎重親、高山五郎、四郎、高山彌五郎が見えることから、
重範が重昭の兄弟とも推測されるが断定は困難である。
何故なら児玉党の児玉経行の子行重は秩父重綱に養われて秩父平太を称し、
後裔に高山氏も存在する。
異姓の高山氏が結集したものが高山党と呼ばれる。
秩父氏の分流概略については姓氏類別大観(http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/fclan_index.htm )桓武平氏良文流秩父氏を参照下さい。
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[17] | ![]() | Hikoさん![]() |
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皆様投稿ありがとうございました。
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高山四郎重範についての記事を拝見したので一言。関東の高山氏の系図には記載がございませんが、朝廷に(院?)仕えた侍の子孫の系図に掲載されて在りますよ。キリシタン大名の右近もその子孫です。ここに投稿されていた方の指摘のとおり高山三郎重昭の弟となっています。
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