[1] | アカコッコさんからのコメント(2006年06月25日 07時53分48秒 ) | パスワード |
東海道五十三次―平塚宿 ◆歴史◆
http://www.u-kanagawa.gr.jp/tokaido/hiratsuka/rekishi/hrekisi.html
「平塚」の歴史や地名の由来など詳しい説明があり、大変勉強になりますので、
一部転載させていただきます。都合がわるいのでしたら削除いたしますが。
平塚の名前の由来は?
江戸時代の天保十一年に幕府によって編纂された「新編相模国の風土寄稿」の中に里人の言い伝えとして「昔、桓武天皇の三代孫・高見王の娘である平政子が、東国へ赴く途中の天安元年(857年)2月にこの地で亡くなった。棺はここに埋葬され、墓とし塚が築かれた。やがてこの塚が平らになったため、里人はこれを“平塚”と呼んできた」という一説があり、これが平塚という地目の起こりと言われております。
[2] | GuessWhoさんからのコメント(2006年06月25日 11時34分10秒 ) | パスワード |
平塚の歴史、ありがとうございます。いちお、存じておりましたが、古代の趣のある伝説です。
「花水川」は確か、以前の頼朝時代は「金目川(かなめがわ)」と呼ばれていたのではないかと考えてます。西日本側から見て、平塚の手前の大磯に当時の「東海道」の「宿」があり、宿での宴のための遊女等もおり、にぎわっていたという記述が『曽我物語』にある。不確定ながら、「金目川(かなめがわ)」からして、「花水川」よりも「神奈川」といったところか?
[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年06月25日 13時47分38秒 ) | パスワード |
>桓武天皇の三代孫・高見王の娘である平政子
「政子」というのは平姓には合う女子の名前のようですね。
そして女性の名前としては古来から身分の高い女性用のお名前みたいですね。
更に!
かかあ天下(爆)
>「金目川(かなめがわ)」
「金目川(かなめがわ)」→「神奈川」ですか?
合いますね(笑)
[4] | 紫さんからのコメント(2007年11月09日 23時06分22秒 ) | パスワード |
はじめまして、こんにちは。
平塚に住んでいる者です。
地元のことについて書かれていたので、
私もコメントを残したくなってしまいました。
古い地図を見ると花水川は
「金江川」「金屋川」「金目川」などと書かれています。
現在では河口域を「花水川」、中流域を「金目川」と呼んでいます。
この川を北上すると、政子が妊娠したときに神馬が奉納された
「光明寺 金目観音堂」があります。
>「金目川(かなめがわ)」→「神奈川」
…という話は聞いたことが無いです。
神奈川の由来は横浜の神奈川という場所で、
ヤマトタケルが「金色に輝く川」と言った→金川→なかがわ
頼朝が「神が大いに示す」と言った→神奈川
という説があるみたいです。
横浜市公式サイトhttp://www.city.yokohama.jp/me/kanagawa/kusei/profile/town/town_01.html
[5] | Guess_whoさんからのコメント(2008年01月06日 21時28分03秒 ) | パスワード |
政子さんというのは後の世につけたのではないかと考えられるが、
以下の図に無いかたのようにも思われますが、、、。
ちょっとよく不明な点が多いですね。
平将門系図 あるHPから引用
http://www3.ocn.ne.jp/~thirao/familytree.htm
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