[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年06月12日 08時14分03秒 ) | パスワード |
よしさん
初めまして。
七千傑さんは教盛子孫説ですね。
ここは七千傑氏の御登場に期待しましょう。
でも、、、鍋島藩の分限帳などお調べになったらハッキリするのではありませんか?
>これは「冨」の字の認識の低さなのでしょうか?
「冨」は俗字なんですよ。
わたくしの知り合いに「準」という字が「シ」じゃなくて「ン」の人がいます。
武田鉄矢だったか「鉄」の字は「お金を失う」と書くので縁起が悪く
「鉄」の字を「 金失 」でなく「 金矢 」と書く人って結構いらっしゃいますよ。
「冨」の字をどうして「富」と書かないのかは知りませんが
御先祖さまには何か理由があってそうお書きなんですから
それがあなたさまの御家のアイデンティティということなんですから誇りを持ってください。
「冨」の字の「納冨」姓の方は「納富」姓の方よりずっと確かな御親戚でいらっしゃると思います。よ。
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年06月12日 09時28分07秒 ) | パスワード |
芥川・菊池・久米は一校で同級生でした。
菊池は恥ずかしい理由があって京大に行きましたが(確か)、
芥川と久米は東大に行きました。
その一校時代
菊池が「俺の 寛、の字には『点』がある。お前達より出来が良いということだ」と言ったので
クラスメート達は特に芥川が「そりゃ、テメーのオヤジに学が無かったってことだ」と反論した
とその場にいた「おじいちゃま」から聞いたことがあります。
昔は文部省の指定が無かったので、それに筆で書いてたので、
漢字はかなり勝手な字を書いてたようで(画数とか姿かたちとか書き易さとかで?)
更に最近は文部省指定で旧漢字を使わないので
「北條氏」など「條」の字を「北条」と書くので若い人は混乱するようです。
確か「富嶽38景」でも「冨」の字で書かれてた記憶です。
皆さんの関心を引くようにタイトルをちょっと変えますね。
[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年06月12日 10時07分28秒 ) | パスワード |
九州西部には土地鑑が全く無いのでトンチンカンをお許しください。
もしワタクシの御先祖さまだったらどうするかというのを書きます:
上記に書いたように鍋島家関連の記録を手に入れる。
県や市の教育委員会の歴史編纂課から取り寄せるか、または県の図書館で取り寄せる。
それから「鍋島家の家来であった」と語るには「竜造寺家」や「西郷家」を調べたら良いのでは?
と思います。
それで竜造寺関係と西郷家関係の記録を取り寄せます。
鍋島家に仕える前に竜造寺あたりに仕えてたのでは?と思いますから。
そこから遡って南北朝時代の納冨氏について調べていく。
さらに遡って源平時代を調べる。
結論:
1・やっぱり「竜造寺家」の家臣団を調べると思います。
2・九州西部のどの辺りが本拠地だったのでしょう?諫早〜松浦郡あたり?長崎〜佐賀〜福岡?
この辺りを一生懸命捜すと思います。笑
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年06月12日 10時21分01秒 ) | パスワード |
ウィキペディアで調べて来ました:
佐賀藩の家臣団の序列は、
「三家」・「親類」・「親類同格」・「家老」・「着座」・「独礼」・「侍」・「手明槍」・「徒歩」・「足軽」となっている。
これ以外にも、上級家臣と主従関係を有する陪臣や被官といった身分が存在し、
手明槍以下は、日常は農商業に従事して生活を営んでいた。
上級家臣団
1. 三家(小城鍋島家・蓮池鍋島家・鹿島鍋島家の三支藩主)
2. 親類(白石鍋島家・川久保神代家・村田鍋島家・村田家)
3. 親類同格(諫早家・多久家・武雄鍋島家・須古鍋島家)
4. 家老(横岳鍋島家・神代鍋島家・深堀鍋島家・太田鍋島家・倉町鍋島家・山代鍋島家)
5. 着座(納富鍋島家・石井家・成富家・岡部家・坂部家・千葉家・岩村家・中野家・大木家・江副家・執行家・有田家・深江家など概ね18家前後)
この5番目 着座 納富鍋島家 と書かれていますから
佐賀県の県教育委員会に問い合わせればかなりの事が分かると思いますが。
更に御本家には家系図が伝わっていると思うので問い合わせてはいかがでしょう?
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年06月12日 10時40分41秒 ) | パスワード |
http://www.hikoshima.com/bbs/heike_slink/100130_22.html
源三どのの書き込みによりますと
平家方のいろいろな方が御先祖さまの可能性として広がりますね
笑
平知盛さまのお子様に対馬の宗家を始めた方がいらっしゃるので
否定し難いですね。
笑
[6] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年06月12日 11時18分01秒 ) | パスワード |
可能性が果てしなく広がるので整理してみました。(って?笑)
1・お祖父さまの勘違い?
2・お祖父さまのお話が正しい!
3・平教盛説が正しい!
4・事情があって御先祖さまは平教盛と称している?
例えば
主君より臣下の家の身分が高い場合、御遠慮したのかも。
だって知盛さまの御子孫には対馬の殿様がいらっしゃるわけですから
鍋島の殿様には目の上のたんこぶになってしまうから
それで藩に出自や家紋を提出した時に他の方の子孫という事にしたのかも。
皇室でも婚姻により同じお名前の方が出現する場合、御遠慮して漢字を変える
なんてことがありますから。
他のスレッドで長田家は徳川家の先祖にテをかけたということで名字を変えた、って
ありました。
日本の場合はそういう「遠慮」ということが行われましたから
もしお祖父さまが確かに「御先祖さまは知盛さま」とおっしゃってるなら
ありうるかもですよ。
普通は先祖を良くする傾向にあると思いますが
逆にすることもありました。
今は鍋島家に遠慮する必要が無いので「実は」とお祖父さまが一子相伝の秘密をおっしゃったのかも
わたくしの母方も長い時間をかけて名字のみ元に戻して良い許可が出ましたが家紋の方はとうとう許しが出ませんでした。
[7] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年06月12日 12時48分32秒 ) | パスワード |
>芥川・菊池・久米は一校で同級生でした。
なんかおかしいと思ったら
「一高」
のタイプミスです。
[8] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年06月12日 12時59分07秒 ) | パスワード |
>芥川・菊池・久米は一高で同級生でした。
成績の順番もこんな感じ。
久米は出来が悪かった、と「おじいちゃま」が言うてはりました。
「おじいちゃま」が言うには「自分は芥川より出来た」って「だから作家にはならなかった」。
あはは
[9] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2006年06月12日 23時57分44秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm |
よしさんへ
「富」は冨のほか5種の字体が存在しますが、便宜上「富」に字体統合をしております。
明治4年(1871)の壬申戸籍作成時の届けた字体が基準で、届出者の誤記や役場担当者の転記ミスなどで誤字体を含めて様々な俗字や異体字が存在します。
俗字や異体字の詳細については下記URLを参照して下さい。
日本の苗字七千傑Q&AのQ34(http://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/q&a4.htm#034 )
「納富」姓は納留と通じ、肥前国藤津郡納富分邑に由来。
歴史的に主要な出自としては、桓武平氏教盛流と大蔵姓岩門氏族。
桓武平氏納富氏は、一時密かに平姓を改めて藤原姓を称する。
知盛の裔としては対馬宗氏、肥後宗氏や筑後真木氏が存在しますが、納富氏は未確認です。
また納富姓の多くは地名に拠るものであり、全てが桓武平氏や大蔵姓と考えるのはナンセンスです。
詳細は佐賀県立図書館で「鍋島家士録」や「佐賀県史」などを閲覧されては如何でしょう。
また御本家の「納富系図」が閲覧出来れば上々と考えます。
[10] | よしさんからのコメント(2006年06月13日 00時09分17秒 ) | パスワード |
こんばんは。
暇潰しのギャンブラーさん
こんな些細な質問にたくさんの答えをいただきまして本当にありがとうございます。
私は埼玉在住で先日、用事で帰ることになり、忙しい時間の中で寄ったので、あまり深く話は聞けず、その中で聞いたのが、「平知盛の〜」と言う話だったんです。
家系図は見せてもらいました。ただ、古いので破れるのが怖くて触れませんでした^^;
最初の部分だけ見ることができたのですが、
写メが少々ピンボケして一部読めませんでしたが読める部分だけ書き出すとこんな感じです。
「納冨系統
家紋藤之花後・・・
登藤・・・紋釣・・・
太古者・・・其竜造寺之・・・
納冨但馬守藤原信景
後入道号道周」(レ点とかあり)
ここまでなのですが・・・^^;
家系図は納冨家以前のものは無いそうで、納冨家以前は祖父が大学の教授に調べてもらったそうです。
暇潰しのギャンブラーさんの仰るとおり、竜造寺を調べるとまた少しご先祖様を知ることができそうですね^^
後はご先祖の地で文献を見て回れたらと思います。
家系図をもっと中まで見れれば良かったのでしょうね^^;
[11] | よしさんからのコメント(2006年06月13日 01時40分22秒 ) | パスワード |
こんばんは日本の苗字七千傑さん
お返事をいただきありがとうございます
先ほども少し書いたのですが、納冨但馬守藤原信景の藤原と言うのがそうなのでしょうか?
私はを一つの名前だと思っていました^^;
「冨」は俗語だったのですね。
自分の地元に俗語でないもう一人の「納富」さんがいます。遠いいとこなのか、それとも関係ないのかとても気になるところです^^
[12] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年06月13日 02時16分29秒 ) | パスワード |
よしさん
>家紋藤之花後・・
>登藤
家紋の藤紋が現在「下がり藤」なら「後に」「昇り藤」から何か理由があって替えたのかもですね
その理由が読めると良いですね。
なにか理由があったのですから。ここ知りたいですね。笑
>太古者・・・其竜造寺之・・・
>納冨但馬守藤原信景
昔は竜造寺家に仕えていて(家就の時かな?)
確かに納冨但馬守藤原信景という人物はいらっしゃいますね。
どこかで読みました。
納冨但馬守藤原信景という人の時に竜造寺家と婚姻して藤原姓を称したのかしら?
平家でも軍事部門担当だった藤原忠清の一族は「平忠清」とも書かれますから
御先祖さまが理由があって藤原姓を名乗ったというのは考えられます。
一族になったからでしょうね。
「竜の家」と我が家では呼んでるのですが
竜の家も藤原秀郷の御子孫ですから藤原姓ですね。
正史では頼朝より土地を佐賀県竜造寺に賜って竜造寺家を名乗ったそうなので
元はどこにいたのか?
竜の家が佐賀に来て関係が出来たのか?
やっぱり竜造寺家を調べたら鎌倉時代の御先祖さまが分かるかもですね。
そこが分かったらその前の御先祖さまの過去が明るみになるかも。
笑
>私はを一つの名前だと思っていました^^;
字が欠けてますね。
>自分の地元に俗語でないもう一人の「納富」さんがいます。遠いいとこなのか、それとも関係ないのかとても気になるところです^^
明治時代に戸籍を作った時に違う漢字で登録したのか
全く別の家なのか?
御自分の戸籍を遡って明治の初めの御先祖さままで取ったら良いのですよ。
そうすれば明治の初めにどこに住んでたか分かりますから
ついでにどんな家と婚姻関係を結んでたかも分かりますから
いろいろ分かりますよ。
もう一人の「納富」さんの事も分かるかも。
[13] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年06月13日 02時24分34秒 ) | パスワード |
http://www2.harimaya.com/ryu/ryu_root.html
播磨屋さんのHPに竜造寺家が載ってました。
竜の家は平家の残党討伐に功あって頼朝より土地を拝領し竜造寺と称した
ですって。
あらら(汗)
鎌倉時代に竜の家に仕官したのかもですね。
で、戦国時代に竜の家が鍋島に乗っ取られて鍋島家に仕え江戸時代を送り現在に至る?
[14] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年06月13日 03時03分30秒 ) | パスワード |
無断転載ごめんなさい。
もし不都合がございましたら削除致します。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~tachi/sengoku/no.html
に納富信景について出ています。
納富栄房の子。江上氏を攻めた際に頭角をあらわし、今山合戦でも活躍。戦功を立てた。
この今山合戦をチェックしたら源平時代の御先祖さまが書かれているかもです。
[15] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年06月13日 03時14分09秒 ) | パスワード |
やっぱり佐賀県教育委員会および鹿島市教育委員会に
古代〜源平時代〜戦国時代の資料をお願いすると良いですね。
[16] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2006年06月13日 21時56分17秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm |
よしさんへ
姓氏類別大観桓武平氏教盛流(http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/011/01104.htm )の納富安房以降は、
安房─龍法師丸─家貞─則貞(則房)─栄房─信景
1.貴殿の拝見した家系図の但馬守信景に繋がっている。
2.しかし龍法師丸は早世しているので家貞が実子かは疑問も残る。
3.また栄房は龍造寺隆信の家老職となり、初めて納富と称した説も存在する。
大蔵姓田尻氏あるいは藤原姓龍造寺氏から養子か猶子を迎えた可能性も考えられる。
[17] | 田中愛造さんからのコメント(2006年06月14日 11時16分37秒 ) | パスワード |
三千傑氏の仰るとうりです。
水ヶ江家龍造寺信周の次男有田九兵衛長昭は、納富左馬助賢景の養子と成って居ります。更に、賢景の妻は鍋島直茂の娘を娶っています。長昭の子納富孝賢。又、大蔵岩門家田尻丹後守鑑種の長子家和は、納富三郎を名乗り納富を継いでいます。
[18] | よしさんからのコメント(2006年06月14日 21時54分16秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさん、日本の苗字七千傑さん、田中愛造さん、大変貴重なコメントありがとうございます^^
私ももっと深く自分のルーツを知りたいと思い自分でも深く調べないうちに色々と聞いてしまいました。
まだまだ、自分でも調べてみたほうがいいみたいですね
抜けている部分が多いので、そこを埋めてから、またお邪魔したいと思います^^
[19] | どみどみさんからのコメント(2006年09月03日 22時26分02秒 ) | パスワード |
皆さん、すごいですね!
私は、旧姓納富といいます。佐賀県に住んでいて、自分の家紋にも興味があり(ちなみに私の実家は丸に四方剣花菱ですが。江戸時代から続いているようですね。)、家紋と苗字など調べていましたら、このページに着いたわけです。
確かに納富性は、佐賀県鹿島にある納富分からきているそうで、佐賀郡北部(現在は佐賀市ですが)に多い性です。
皆さんのお話で、こんなに納富がわかり、県立図書館とか行ってみようと思います。すごくうれしいです。歴史に興味が深まりました!また、報告しにきますね。
論題の平家物語とは少々離れているようですが・・・
[20] | 赤石潤司さんからのコメント(2006年11月03日 12時20分49秒 ) | パスワード |
書き込みが少ないですね。
[21] | 赤石潤司さんからのコメント(2006年11月03日 14時13分23秒 ) | パスワード |
私も佐賀の出身で親戚にも納富がいます。
もっと拡げるために少し情報を提供しますね。
@やはり嫡流は桓武平氏のようです。
納富氏は筑前姪浜から肥前小城を経て肥前鹿島に居住して、やがて竜造寺氏の
傘下に入り肥前佐賀に移ります。
女性に関することとしてA竜造寺隆信の家老を勤めていた納富信景の子信純が1556年に神代長良と水をめぐって争い討たれて死にます。
その奥さんは、後で鍋島直茂の2番目の妻(陽泰院)となります。
A1584年島原沖田畷の戦いで納富賢嘉(信景の子)は竜造寺隆信らとともに戦死
します。その奥さんは実家の大田家(のちの大田鍋島氏で大田道灌の子孫)に納富氏の遺領をそっくり持って帰ります。
Bしかしながら一族は嫡流が衰退しても小身ながらも7家が存続しますが、離散してしまいます。嫡流はその後竜造寺氏の流れを汲む須古信周の子長昭が後を継ぎ江戸鍋島藩の着座という大身になります。
C一族離散については、竜造寺隆信の死後に筑前高祖城(前原市)の原田隆種の家来になり大老まで出世した納富越後守安俊がいます。
しかし、その納富氏も原田家が滅亡すると侍を捨て神在村で農耕を始めます。
頑張った櫂があり、子孫は庄屋となりやがて5人扶持格で苗字帯刀を許され大正時代には、衆議院議員も出ました。
その他では、鍋島藩は三支藩体制になり納富一族も分かれてしまいます。
佐賀本藩は、着座も入れて6家、小城藩は3家、納富氏の出身地でもある鹿島藩には5家があり家老まで上り詰めた家もあります。また蓮池藩に納富氏を見ることはありません。
また中には、竜造寺氏滅亡時と鍋島藩での新規お抱え時に侍を捨てた者も多いと聞きます。またそれらの多くは佐賀県北部での農耕従事が圧倒的に多いみたいです。
最後に、以前電話帳で調べた納富氏の数(関係分だけ)を書いておきます。
旧佐賀市 90世帯 旧佐賀郡富士町 38世帯 旧小城町 12世帯
鹿島市 6世帯 武雄氏 4世帯
もっと皆さんと納富氏について語りたいと思いまして、訳けの分からないままに書き込みをしました。
情報をお待ちしてます。
[22] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月03日 14時27分45秒 ) | パスワード |
>大田
実は今日なにかで「大田」さんというお名前が非常に気になってて
現実には
周りには「太田さん」ばっかりなので
「大田さん」は豊かな土地を所有してた家で「太田さんは大田さんにあやかりたい家」
というのを久し振りに思い出していたのです。
平熱からパワーが来てたらしい(謎)
[23] | 小林雅成さんからのコメント(2006年11月05日 23時48分24秒 ) | パスワード |
安徳帝陵墓参考地のある鳥取市岡益に鎮座している神社が大田神社だったと思うな〜
謎が謎呼ぶなぁ!
[24] | 納富伊助さんからのコメント(2009年01月11日 17時51分17秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2009年01月14日 15時13分25秒
[25] | 納富伊助さんからのコメント(2009年01月12日 10時33分17秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2009年01月14日 15時11分40秒
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