[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 05時53分54秒 ) | パスワード |
ハガさん
初めまして。
タイトルをちょっと変更させて頂きました。
御名字+御紋 → 状況的には岡山ゆかりの平家方で南朝方?と思いますが
亀山・亀岡となると どういう事情だったのでしょう?謎
御先祖さまが江戸中期から京都で呉服の白生地屋を営んでいらっしゃったということで
途中で武家はやめて商人におなりになったのでしょうか?
是非是非お調べになって書き込んでください。
家紋研究家の小林先生は岡山の津山御出身ですから昔は御近所さんだったのかしら?笑
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 06時05分21秒 ) | パスワード |
>京都府の亀岡市にある先祖の墓の中には「垪和氏続」の墓もありました。
他のサイトの書き込みに
http://ohaga.blogspot.com/2005/12/hagazoku.html
垪和氏続公(はがうじつぐ)は
小田原北条氏に仕えた重臣で
1128貫675文頂いてた
と書かれています。
1貫は現在の約10万円だそうですから
年収約1億1280万円強だったことになりますね。笑
[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 06時10分53秒 ) | パスワード |
亀山・亀岡御出身ということは北朝方御出身なのかしら?
でも家紋は何故丸に抱き茗荷紋?
是非詳しく!
[4] | raylowさんからのコメント(2006年04月25日 10時07分38秒 ) | パスワード |
>暇潰しのギャンブラー様
色々と勉強になります。
両親が以前、家計図の復元をしておりましたので
実家に戻り屋根裏から引っ張り出して見てみないと
詳細はわかりません。
あ、当然両親とも健在です(笑)聞いてみる方が早いですね^^;
>年収約1億1280万円
うらやましい限りです(笑)
また詳細がわかれば書き込みいたします。
では、よろしくお願いいたします。
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 11時10分31秒 ) | パスワード |
http://kamurai.itspy.com/nobunaga/houzyouSS/index.htm
「信長の野望」の北条の武将名鑑にこんなのが載ってました:
北条家の家臣 「松田家」 「大道寺家」 「遠山家」 は 「三家老」 と呼ばれており、北条家の中でも特に重要な地位にあったのだが、
それに匹敵するほどの領地を与えられていたのがこの 「垪和家」 である。
元は駿河の豪族(地方権力者)だったようで、
北条家の初期の頃から北条家に仕えており、垪和氏続 は東駿河の 「興国寺城」 という城の城主となった
今川家 が 武田家 の侵攻を受けて滅亡した後、
武田信玄 は駿河を制圧するために 興国寺城 にも攻め込むが、その攻撃を防ぎきり、
北条氏康 から感状(感謝状)を賜っている。
[6] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 11時26分11秒 ) | パスワード |
学研の「北条5代」という本には
北条氏の20人いた家老の中に垪和ほうきの守康忠という方がいらっしゃいますよ。
垪和氏続は幼名が又太郎で順位は11番目
松山衆で
この松山衆というのは埼玉県吉見町の松山城に属した侍らしいです。
もしかしますと元は旧上杉系の家臣かも。
だから亀山というか亀岡にお墓があるのかしら?
そうすると南朝方じゃなくて北朝方?
でも垪和姓ってモトモトは岡山って感じですけど。
南朝方だったのが上杉に仕えたのかしら?
面白いですね。
[7] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 11時38分54秒 ) | パスワード |
垪和氏続公の通字の「氏」は北条氏から頂いたのか?と想像しましたが
普通は、例えば、北条氏政が家臣に自分の名を1字与える時は下の字ですよね。
だって北条氏の通字が「氏」なんだから、自分の家の通字は与えられない。
与えたら「同格」になってしまう。
ということから
ひょっとすると「氏」の字は足利氏から頂いたのかしら?
足利尊氏の母が上杉の出身で亀山・亀岡の出身でしょ?確か。
そのあたりの関係かしら?
と申しますのは、普通は家来が主人と同じ名前とか漢字だと御遠慮申し上げて替えるんですよ。
それどころか「禁止」です。
皇室でも新しく嫁いだ嫁=妃殿下=が同じ名前ですと変更します。
堂々と「氏」の字を用いることが出来たということはそれだけの価値や意味があったと推察致します。
これは御家の名誉ですから家書に経緯が書かれていると良いですね。
[8] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 11時45分55秒 ) | パスワード |
「北条5代」続き:
駿州興国寺城将
垪和伊予守氏続
北条家評定衆
垪和ほうきの守康忠
北条氏家臣の垪和氏は
おそらく美作の国人で室町幕府奉公衆であった垪和氏の一族であろう。
早雲の時に従ったものと思われる。
垪和氏が初めて史料に現れるのは天文11年(1541)の垪和又太郎である。
彼は2代目であろう。
のちに左衛門太夫次いで伊予守を称したとみられる。
その子が垪和氏続である。
[9] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 11時54分41秒 ) | パスワード |
「北条5代」続き:
垪和氏続は父と同じく初め又太郎、後に伊予守を称した。
「北条氏所領役帳」では松山衆の1員として1028貫文余の知行高が記されている。
松田・大道寺・遠山氏らと並ぶ大身であり
当時、氏続は松山衆を指揮する1人であったようである。
永禄12年(1569)正月、駿河に侵攻してきた武田信玄に対するため
駿 河 薩 土垂 峠 (するがさったとうげ)に向かった。
多聞坊文書によると、この時、須津(すつ)八幡宮多聞坊に判物を出している。
(まだまだ続く)
[10] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 11時58分37秒 ) | パスワード |
この後、氏続は駿河国興国寺城の在番を命じられるが
8月に改めて「興国寺城主」に任命されている。
元亀2年、1571年、正月には一族の善次郎とともに興国寺城を死守した功を賞された。
興国寺城在城はこの年7月まで確認される。
まだまだ続く(汗)
[11] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 12時06分46秒 ) | パスワード |
これ以後のこととしては
山角康定・松田康長らと共に三島護摩堂に竹木刈取禁止の文書を出していることが知られているに過ぎず
天正7年(1579)2月になると子息の又太郎が氏直から「直」を与えられている。
彼は後に氏続の跡を継いで伊予守を称した。
垪和氏続は翌8年2月に死去した。
(北条家 併 ←イの無い字 ならびに 家臣過去帳抜書)北条家ならびに家臣過去帳抜書より。
続く
[12] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 12時09分45秒 ) | パスワード |
垪和氏続は北条氏の譜代家臣では唯一「氏」を冠している人物である。
また早雲以来、北条氏にとっては縁りの深い興国寺城の城将となっていることからも
彼が相当の待遇を受けていたことが推測される。
続く
タイトルを後で再度変更しますね。
[13] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 12時17分37秒 ) | パスワード |
垪和康忠は垪和氏続とは何代か前に分かれた同族であろう。
康忠は笠原康明・石巻康保(やすもり)・山角康定らと同じく中堅クラスの側近家臣であった。
彼ら同様、康忠もまた氏康から1字を拝領したのである。
初め、刑部丞、のちにほうきの守を称した。(ホウキの国の漢字が無くて、すみません)
彼が史料で初めて現れるのは永禄12年の越相同盟の時である。
遠山康光と共に上杉方と交渉に当ったり
甲相同盟の交渉に当ったり
このころもっぱら他大名への使者を勤めていた。
続く
[14] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 12時23分49秒 ) | パスワード |
また奉行人、評定衆としても活躍した。
天正2年の下総関宿落城後の関宿支配や
同6年からは笠原康明に替わって岩付領の支配を担当した。
特に上野では厩橋に在番して北条氏の東上野支配に大きな働きをした。
なお、康忠の子に善七郎豊繁がいたが詳しいことは不明である。
(以上書いた方は黒田基樹さんとおっしゃるそうです)笑
[15] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 12時28分23秒 ) | パスワード |
歴史群像シリーズ<14>
真説「戦国北条五代」早雲と一族、百年の興亡
1989年10月1日発行
株式会社 学習研究社
1000円
一族で纏めてお買い上げになってあげてくださいね。笑
他にもいろいろ載っていると思いますから。
今年のお盆にでも間に合うと良いですね。
御先祖さまは大切になさってあげてください。
子孫を必ず守ってくださいますから。
[16] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 12時49分08秒 ) | パスワード |
駿 河 薩 土垂 峠 (するがさったとうげ)
ここは過去何度も激戦が行われた所です。
確か新田義貞だったか鎌倉幕府滅亡の時もここで大激戦があったように記憶しています。
[22] | 垪和さんからのコメント(2018年10月03日 21時44分23秒 ) | パスワード |
はじめまして、垪和に代々住んでいます。家紋も抱き茗荷です。垪和氏や竹内流、系譜等もあります。色々お聞かせください。
【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る 】 |
|
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇ DB-BBS-system V1.25 Rapha. |