[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 14時03分03秒 ) | パスワード |
全く分かりませんが、
http://www.geocities.jp/bicdenki/newpage3.htm
の福岡のみやま町の情報に
>1345年, 黒木氏は武家方と瀬高、溝口で戦う
と書かれています。
情況証拠的にこの 黒木氏は平家→南朝方 になったのでは?と思います。
このみやま町史には
>瀬高で源平合戦, 壇ノ浦の戦いで平氏滅亡、郷土にて源平合戦 平家の残党が源氏の追討軍を要川(飯江川)に迎え討った
と書かれていますから
何らかの事情で広島に移ったのかも知れません。
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 14時05分47秒 ) | パスワード |
さらにこの黒木氏について
「大塚部落にあり延元2年(1337)の4月に肥後の菊池武重、恵良惟登らは筑後をその勢力下においた
それを知った足利尊氏は、家臣の一色道猷を遣わし筑後に攻め込んで来たので、
菊池氏、恵良氏は一色氏と大塚原で戦って大いに一色軍を打ち破った。その時の斬首は200余に及んだという。
又永禄8年(1565)には黒木肥前守がこの大塚で賊と戦い戦死したということが系譜に書かれている」
[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 14時13分13秒 ) | パスワード |
1189年(文治5)
源義経は衣川で討たれる
黒木助能が大番役を務める
黒木助能は瀬高庄の千町を領する
黒木定善は瀬高上庄千町を領する
武士で黒木さんとおっしゃる方はあんまりいないようですから
この人を調べたら何か分かるかもです。
御先祖さまの戸籍を明治の初めまで逆上がりの形で取得し
戸籍謄本に九州(福岡)あたりに転出した人がいらっしゃったら
可能性があるかもです。
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 14時35分45秒 ) | パスワード |
九州の黒木氏:
・肥後菊池氏の一族で同族に西郷さんも。
・筑後の黒木氏は薩摩の調(つき)氏一族または奥州安倍の一族または源氏出身のどれか。
・薩摩の黒木氏は島津系または薩摩大隅の桓武平氏出身の平田氏の流れの帖佐家(姶良郡)から黒木氏に養子に入ったのが明治の元帥 黒 木 為 イ貞 くろきためさだ。
>薩摩大隅の桓武平氏出身の平田氏
これはビックリ!
平家の清盛の一族に平田氏というのがあり
平田家継の兄?弟?が平貞能といい平家の嫡家の家老を勤めました。
また
平田家継の父は平家貞で、平家第1の郎党 と称された人物です。平清盛の家老です。
家貞は薩摩の阿多忠景の乱を平定し
保元の乱・平治の乱でも活躍し
筑後守にもなっています。
こういう情況証拠から「ゆ」さんの御先祖さまは平家の落人となって西国に落ちて行ったのだろうと思いますし、普通は、何らかの関係のある人や地を目指して落ちて行くのでかなり合っているのでは?と思います。
ところで家紋は何でしょう?
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 14時37分37秒 ) | パスワード |
もしかしますと
平家の落人として最初っから広島に落ち着いたのかも知れませんし
南朝方として従った時に広島に落ち着いたのかもしれません。
この辺りは隈さんが詳しいかも。
隈さ〜ん!
[6] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 14時39分56秒 ) | パスワード |
目につき易いようにタイトルをちょっと変えました。
[7] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 14時48分08秒 ) | パスワード |
奥州安倍氏系黒木さんは前九年の役(1053〜1062)で捕らえられた
・宗任が伊予から肥前松浦に流されここで松浦党の海賊となり
・則任が筑後に流され子孫が川崎・宮部・黒木・草野などを称した
そうで、もしかすると???
[8] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 14時55分33秒 ) | パスワード |
<3>の黒木氏について分かりました。
黒木助能は多田蔵人行綱の子で黒木荘猫尾城に拠って黒木氏を称した、
のだそうです。
ただ、この黒木という名字はもともとは上記の調(つき)氏の一族の名だそうです。
[9] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 15時12分00秒 ) | パスワード |
「ゆ」さんの御指摘の平家落人の黒木家は多分筑後守平家貞ゆかりで良いと思います。
<3>の黒木氏では源氏ですがっ!がっ!がっ!
源(多田)行綱という人は源氏なのに平家に仕えてたのです。
鹿ヶ谷の陰謀で反平家方に味方しつつ、途中で裏切って清盛に密告し、
安芸に流され許されて
その後、頼朝に味方し、義経を助け、そして義経追討でひどい目に遭わせて頼朝に忠誠を尽くしました
ですから子は父とは違った生き方をしたかも知れず
つまり全て可能性があるかも、です。
家紋が並び矢でしたら平家なのは歴然ですが
家紋はいろいろ変わりますから現在使用している家紋からは何とも言えません。
でも家紋も結構傾向があるようですから家紋も何だったか知らせてください。
[10] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 15時20分56秒 ) | パスワード |
読み返しましたら
「ゆ」さんの御先祖さま、と
落人の黒木氏を勝手に呼んでいました。
ごめんなさい。ぺこり
[11] | 隈さんからのコメント(2006年04月25日 17時45分38秒 ) | パスワード |
> この辺りは隈さんが詳しいかも。
> 隈さ〜ん!
いや、ちょっとそこまでは分かりませんけど。(^^;;
検索して見ました。。。平家に繋がるかどうかは分かりませんが、
一応備後(広島県東部)に黒木氏がいらっしゃるみたいですね。
http://www.pref.hiroshima.jp/soumu/bunsyo/monjokan/sub10-10.htm
>黒木氏所蔵文書
なるものが存在するようですから。
庄原市周辺には、平家が後白河法皇に寄進した大田荘がありました。
ここは平知盛の息子の一人である知忠の潜伏先だった、という説もあるそうですよ。(^^)
[12] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年04月25日 21時27分23秒 ) | パスワード |
隈さん
ありがとうございました。
>こは平知盛の息子の一人である知忠の潜伏先だった、という説もあるそうですよ。(^^)
そうなんですよ。
岡山か、あちらの方に行ってた、と読んだことがありました。
大田荘ですか。
ありがとうございました。
[13] | 帖佐 英朗さんからのコメント(2008年03月29日 10時32分16秒 ) | パスワード |
URL=http://www5.plala.or.jp/chosa/ |
僕の両親は、帖佐と黒木なので、とても為になりました。
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