[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年02月13日 01時45分11秒 ) | パスワード |
谷山さま
詳しいことが分かって良かったですね。
>平家方宿称田使難波家
これは 平家方・宿称すくね・田使たじ・難波家 とお読みするんですねえ。
http://www.kct.ne.jp/~kshimizu/otonai.htm に
>田使氏は吉備に屯倉、屯田(大和朝廷の所領)を置いたとき、
>ここから上がる租税の管理人として遣わされた者の子孫が田令(たつかい)→田使と名乗りかえ、
>吉備国津高郡駅家郷難波の地(岡山市一宮付近?)に住んでいたようです。
と書かれています。(無断拝借ごめんなさい。不都合がございましたら削除致します)
[3] | 谷山正夫さんからのコメント(2006年02月18日 18時17分16秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさんへ
色々教へていただき有難うございます。
[4] | ナッツさんからのコメント(2007年05月26日 18時39分25秒 ) | パスワード |
はじめまして。私も旧姓、谷山と申しますがご先祖様は富山県・岐阜県出身です。色々と情報を探しています。谷山正夫様のご出身は鹿児島ということですが、何か関係はありそうですか?
[5] | 谷山正夫さんからのコメント(2007年05月26日 21時34分28秒 ) | パスワード |
ナッツさん
ナッツさん、はじめまして。谷山正夫です。ご連絡有難うございます。谷山姓に関して色々情報をさがされていらっしゃるそうですね。ナッツさんのご先祖様(谷山家)は富山県・岐阜県だそうですが、谷山と言う姓は平凡で、どこにでもありそうな名前です。私が知っている限りでは殆どの方のルーツは鹿児島県若しくはそこからの出身者です。私は現在東京に在住していますが、数年ほど前に谷山と名乗る鹿児島県出身の方とたまたま知り合い、現在でも懇意にさせてもらっていますが、同じ鹿児島県なのにどうも私の家のルーツとは違うようでした。
私谷山姓の由来は古来鹿児島薩摩半島に谷山郷と呼ばれた地名があり、平安時代末期伊作平氏と呼ばれた平家の一族であった13代別府兵衛尉孫太郎忠光(島津忠久の頃)が谷山郷を開墾し、郡司として以後代々谷山を名乗ったのが始まりです。
[6] | ナッツさんからのコメント(2007年05月28日 23時53分11秒 ) | パスワード |
谷山正夫さま
ご連絡ありがとうございます。「谷山」という姓はどこにでもある名前だったのですね。私は北海道に住んでおりますが、親戚以外は同じ姓を名乗る方とは(北海道以外)お会いしたことがございませんでした。
インターネットで、鹿児島にも谷山村などがあることを知りました。正夫さまは随分詳しくお調べになっているのですね!!凄いです(*_*)私も正夫さまのように自分のご先祖様のルーツを辿ってみたいと思っています。本当に有難うございました。
[7] | 谷山正夫さんからのコメント(2007年05月29日 14時35分51秒 ) | パスワード |
ナッツさん こんにちは。
まずお詫びから、「谷山という姓はどこにでもある名前」と言う意味ではございません。どこにでもありそうなありふれた名前みたいですが、実は意外と少ない。」と言う事をお伝えしたかったのですが、私の稚拙な文章で誤解を与えてしまったようです。お詫び致します。
北海道は鹿児島からみれば、本当に遠いところですね。そこにも私と同じ名前の方達が一生懸命生きているのかと思うと、なんだか嬉しくなってきました。
予断ですが、失礼ですがナッツさんのお手紙を見ているとなんだかほのぼのとしたお人柄が私に伝わってくるようです。(もちろん良い意味です。)
これからもナッツさんのルーツ探し、蔭ながら応援したいと思っております。
それでは...。
[8] | ナッツさんからのコメント(2007年05月29日 23時19分30秒 ) | パスワード |
谷山正夫さま
こんばんは。私の解読不足で申し訳ございません。
今日、図書館へ行き富山県や岐阜県の資料をお借りしてきました。私はあまり歴史や地理が得意ではないので、この機会に色々な都府県の歴史や風土を学び楽しみながら探してみようと思っています。
あの〜、平家の落ち武者さんに関する情報で何か知っておりましたら教えて下さい。
*応援ありがとうございます(*^O^*)/
[10] | 谷山さんからのコメント(2011年11月18日 12時48分23秒 ) | パスワード |
嘉吉さん
谷山です。
>この板が生きているかわかりませんが
このスレッドは当初知覧難波家について色々情報を集めたいという意図で立てられたものです。谷山姓について今後もし何かご意見があればお手数ですが関連スレッドか、別にスレッドを立ててご投稿願います。
>鹿児島の谷山分家といわれている家系
>ルーツの源は今では大隈半島、肝付郡肝付町の歴史民族資料館に保存されていると思います。
このスレッドを読まれた他の方に鹿児島県の谷山姓について誤解をされないようにしなければなりません。姓氏家系大辞典によると鹿児島県の谷山姓由来には薩摩の桓武平氏を祖とするものと、他に大隈半島肝付郡高山出身の谷山姓があるそうです。
もし嘉吉さんの仰る通り肝付出身なら、後者の谷山さんであり、仰られている事につじつまが合います。
*薩摩谷山姓由来についは平安時代末期からの「郡司と地頭の相克」など多数の文献・資料があります。
*もし武家の家系なら消失でもしないかぎり一門の誰かが家系図(嶋津藩に提出)を持っているはずです。
>先祖からの言い伝えでは、谷山家は平安時代には落ち武者、・・
この件についてはもう少し勉強され直して下さい。
今後もポジティブで明るいご意見なら未知の情報として歓迎します。
追記:
知覧難波家は南北朝・室町時代以降嶋津藩(知覧)に京都風の文化を広める事に貢献した由緒ある家柄です。
このスレッドでは以前他の出自である難波家を参考に取り上げてしまいました。その難波家とは知覧難波家とは別の難波家であり田代清左衛という武士が秀吉の時代に嶋津藩の門の浦海賊事件を咎められ出京し秀吉の奉行衆にワイロを送り、禍を治めた功で嶋津家から難波姓を名乗る事を許されたとあります。またその家系図は知覧難波家系図を借りて独自に作成し直されたものである。いずれにしても鹿児島大学の五味克夫教授によれば、その難波家は「知覧難波一門中にしめる位置や、知覧家士中にしめる位置等なお不明な点も多い」と指摘されている。
このような理由で関連スレッドを削除した次第です。
[22] | 花散里さんからのコメント(2023年04月06日 19時04分31秒 ) | パスワード |
ここのスレッドは爾来だいぶご無沙汰してしまい、とっくに消去されてしまっているのではないかと思っていましたが、未だ残っていると知りよかったです。
それは最近吉川英二の新平家物語を完読するのに仕事にかこつけて何度も挫折しながら10年かかてやっと読み切ったことを思い出し、平熱のあの時の投稿も今まで中途半端にしたまま、切りよく終わらせられかなかった事が心に引っかかかっていました。
皆さまにはあまり興味ない話題だと思いますが、以下懸案だった件追記いたします。
難波姓発祥の地。岡山県など幾つかありますが、三つの代表的な発祥地。
@ 大阪府大阪市難波(浪速区)から奈良時代に発祥。
A 香川県讃岐市難波郷から平安時代に発祥。
B 愛媛県松山市上難波・下なんば平安時代に発祥。
けだし本稿の難波氏は祖仁徳天皇に流れを汲み、摂津の国難波に発祥していることから発祥の地は@に該当してる。これで不明な疑問が解決されたようです。貴重なご示唆とご助力いただいた方々にお礼申し上げます。
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