[1] | はてさんからのコメント(2006年01月30日 22時33分12秒 ) | パスワード |
↓これもあなたの書き込んだものですね。あちこちで同じように書き込んでいるようですが、基本的にここは平家の掲示板ですから、佐々木氏族の方が見ている可能性は低いです。
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No.722 森川 投稿者:もりかわ 2005/12/02(Fri) 22:25:09
はじめまして、福井県大野市の出身の森川と申します。家紋は「丸に抱き茗荷」です。明治19年式戸籍及び過去帳から7代前の森川平三郎までさかのぼることが出来ました。森川姓で「丸に抱き茗荷」を使用している家はありますでしょうか?ただ気になることがあるのですが祖父が太平洋戦争出征の時に家の前に出した提灯?の家紋は写真を見ると「丸に隅立て四目結」でした。
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以下は佐々木氏族の系譜を研究されているサイトです。
こちらで質問されては?
http://blog.sasakitoru.com/
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年01月31日 01時25分57秒 ) | パスワード |
森川さん
初めまして。
私には詳しくは分かりませんが「はてさん」のおっしゃるように
奈良県の奈良人形師の森川氏は元は武士で佐々木の流れという明治天皇絡みの森川氏のお話がありますね。
そして佐々木氏出身の森川氏の代表紋も四目結。
[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年01月31日 01時32分31秒 ) | パスワード |
以上は簡単な一般的なお話ですね。
でもスレ主の森川さんにはいろいろ謎がある。
まず「はてさん」の引用からすると
福井県大野市・森川平三郎さん
この関係がどうなるのか?
平三郎さんというお名前からすると「平氏の三男」だった?
または
平氏には関係なく「平」というお名前を使用された?
我が家の一族には源氏方ではあったけれど源氏ではないのに「源じろう」という名の人物がいますから。
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年01月31日 01時38分05秒 ) | パスワード |
1番良いのは明治の初めの戸籍謄本(除籍謄本)の住所が参考になると思います。
だいたい明治の初めは江戸時代から引き続いて住んでたという可能性が高いので。
または明治の初めに御維新で元の出身地に戻ったというのも考えられます。
もし数十年前の戸籍謄本をお持ちの人がいらっしゃったら見せて貰うと良いですね。
そこには「士族」とか「平民」とか書いてあります。
表札でも「士族」なんて書いてありましたよ。
また明治初めの住所の周りに「森川姓」の方がいらっしゃったら尋ねる。
または近くのお寺のお墓で墓石の家紋を見る。
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年01月31日 01時46分36秒 ) | パスワード |
江戸時代になって世が治まると藩主は土地の名家の子孫を捜し出して抱えました。
佐々木系森川氏は名家の1つですから
大野藩の分限録に載っているのでは?と思います。
それから県図書館のような所でいろいろ調べられますし
県の教育委員会または市の教育委員会でいろいろな歴史的資料を持っています。
こういうところで調べても良いですし。
というのは佐々木氏系森川氏は「堀部三郎左衛門満泰」の子・秀泰が森川姓を名乗った
とありますから当時はかなりの名門だったんでは?と思うのです。
実は昔の知り合いに森川姓の方がいらっしゃって
この森川さんは織田信長に仕え、後に徳川家に仕えましたから
スレ主さんの御先祖さまは徳川家康の次男にくっついて福井県に移住なさったのかしら?
と連想が最初に行きました。
それか佐々木氏関係でそちらに古くからお住まいだったのか?
[6] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年01月31日 01時50分23秒 ) | パスワード |
更に家紋が茗荷であるという「はてさん」のお話ですが
1つの家には家紋は1つとは限らないのですよ。
例えば
・主人の家より家格の高い名字や家紋だったら遠慮して他のものに替える。
・落人になった時に替える。
・主人より拝領して替える。
その他
可能性はいくらでもあります。
[7] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年01月31日 01時52分47秒 ) | パスワード |
ということで除籍謄本の1番古い情報を基にその土地の旧家の森川さんにお尋ねになるのが早道じゃないかと思います。
分かると良いですね。
特に春のお彼岸が近いですから分かってからお墓参りができると良いですね。
御先祖さまを大切になさいますと良いことがありますよ。経験上。
[8] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年01月31日 02時13分13秒 ) | パスワード |
余談ですが
わたくしの母方も佐々木の紋を使っています。
大坂の役で落人になって
それで名字を変え紋を替えたのです。
母方は江戸時代に元の名字を名乗るのは許されましたが家紋の方は許されませんでした。
名字も家紋も両方許されては家格が高くなり過ぎるので。
で、親戚の中に、フィリピンで戦死した者がいまして
その奥さんは福井の人と再婚しました。
最近その奥さんの事を思い出して考えることがあって
ここに森川さんがスレッドをお立てになったのも「御縁」なのかなあ?と不思議に思っています。
母方の使用紋も全く系統が違う紋が複数あります。
南北朝時代は「菊水紋」も使ってましたし、当然「二引両紋」も使ってますし。
その他にもいろいろ。
時代の都合で、その時になんらかの理由で紋のついた物が伝わってますと子孫は混乱します。
母方でも大坂城で働いてた時はその紋のついた物が伝わるわけで
母方は家書にいろいろ書いてありますから理由は分かりますが
家書が伝わってなかったら
「うちって葵の御紋のついた裃があるんだ〜
ってことは徳川家ゆかりだったの?」
となりますが、単に何かの御褒美に拝領しただけ、なんてね。
名字も家紋もアイデンティティですから独自のアイデンティティということは
上記のレスが当て嵌まるのか当て嵌まらないのか
それはその御家にしか分からないことです。
無関係の者が「佐々木系だろう」なんて簡単に決め付けるのもナンなので
御自分で時間をかけ、歩き回って、御先祖さまを見つけてくださいね。
[9] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2006年01月31日 20時54分40秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm |
宇多源氏佐々木氏族の森川氏は元々は堀部を称していたが、氏俊に至り母方の祖父森川入道定兼の姓に改称したものである。
森川姓は約7万5000人も存在する天下の大姓で異流も多く、全て佐々木氏族六角氏流とは断定するのはナンセンスである。
森川貴史さんは福井県大野市出身ということだから、
越前国大野郡森川(現・福井県勝山市北郷町森川)発祥と思われる。
平泉寺や白山神社に関係すると思われるので、現地調査をお勧めする。
[10] | 森川さんからのコメント(2006年10月02日 22時39分44秒 ) | パスワード |
はじめまして。
和歌山県有田市の森川です。
我が家の本家のそのまた本家は、戦争中に金属拠出のために、たくさんの昔の武具を拠出したそうで、一応、士族であったとうかがえます。
(一部分ですが)森川姓の多い所です。
当家に伝わる家紋は、http://www2.harimaya.com/sengoku/html/morikawa.html によく似ています。
紀州藩士、三百俵取りで、長州征伐に参加した森川さんが、いますが当家との関わりは、不明です。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1999news/04/402/40205.html
有田市は、昔から蜜柑の産地ですが、もっと昔は、水田耕作地の少ない、産業の乏しい生活の苦しい土地だったようです(近代に除虫菊を利用した蚊取り線香が,発達)とりとめもなく書いてしまい心苦しいのですが、皆さんのご意見を
お待ちします。
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