[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年01月16日 22時38分24秒 ) | パスワード |
やっちゃんさん
初めまして。
全く分かりませんので他の方の書き込みに期待してください。
それでタイトルを勝手に変更させて頂きました。この方が人の目を引くと思いますから。
全然分かりませんが
播磨屋さんのHPを参考になさってください。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kaziwara.html
ここの ●足利氏被官-梶原一族 の8行目から。
>鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇によって建武の新政ができたが、
>その武者所の所司に 梶原景直が登用されこの景直の一族は京都将軍家に仕えた。
>これに対し、鎌倉に残った 梶原氏は、鎌倉公方足利氏満の御所奉行人であった梶原道景が知られる。
*何とか右エ門
この名乗りの人がいつの時代の人なのか?
江戸時代でしょうかね?そうすると上記の情報と矛盾しますね。
どなたかの書き込みに期待してください。
[6] | Masa.Hattoriさんからのコメント(2008年01月17日 00時08分11秒 ) | パスワード |
「梶原平三景時子孫の景直」のタイトルに引かれて、このスレッドに来ました。
残念ながら、梶原何右エ門景直については分かりません。
「梶原景時子孫の景直」なる人物が他に居ました。服部左近景直という人です。
この人は尾張藩士 服部善兵衛家、沢右衛門家のご先祖です。
尾張藩士の家系譜集「藩士名寄」(蓬左文庫版)に次の系譜があります。
景直は、梶原平三景時五男 五郎景種の後胤。
元祖五郎景種は正治二年正月駿州清見関において梶原一族が滅亡した折、遁出し、姓名を隠し諸国を流浪す。
伊賀国に至り服部郷に住居する。これにより在名を姓氏に用い代々同所に住居する。景直の代に尾州川並に移り住居する。
景直――――直俊――+―直時 ――+―直春
左近 忠右衛門 |太郎右衛門 | 三七
| +―某
| | 西村孫次右衛門
| | 松平伊豆守信綱に仕え家老役を勤める
| +―直頼
| ↓数馬
| ↓同姓善兵衛直兼養子
+―直兼 ――+―直頼
善兵衛 | 数馬
| 実は同姓太郎右衛門直時三男
| 養父同姓善兵衛に実子出生により養子を辞退
| 武州川越松平伊豆守信綱に勤仕
+―直貞 ―――――――――――――――――+―直好
善兵衛 | 善兵衛
初め前田家に勤仕。その後浪人。 +―直次
武州川越にて軍法修行。 沢右衛門
前田家に帰参、故あり再び浪人。
延宝元年、尾張家に勤仕。子孫尾張藩士。
直俊は、尾州川並に住居し、柴田勝家に勤仕。その後故あり浪人。明智光秀に勤仕。明智家滅亡後前田利家に勤仕。
直時は、前田家に勤仕。大坂冬・夏の陣に参戦。
直兼は、前田家に勤仕。普請奉行を勤める。
直貞の代になり尾張家に仕えた。
尚、家紋は丸に並び切り竹矢筈(「士林泝・」)
[7] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年01月17日 02時09分59秒 ) | パスワード |
は〜
そういう展開もありますか。驚
日本の名字も紋も複雑なんですねえ。
母や妻の関係で、という可能性もあるでしょうし。
梶原家が美濃尾張辺りに行ったというのは分りますが伊賀に行ってましたか。
梶原氏なら梶原の名字を名乗っても充分名家なのにねえ。
>景直の代に尾州川並に移り住居する。
尾張の川並って戦国時代に重要な役割を果たしたカワナミ衆の一員になったのかなと
ロマンが広がりました。
そうすると南北朝時代に家を再興する足掛かりを得たのかな?
などホント凄い情報をありがとうございました。
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