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 投稿番号:100829 投稿日:2005年10月16日 02時36分22秒  パスワード
 お名前:範頼のファン
蒲冠者/源範頼の能力
キーワード:範頼
コメントの種類 :人物  パスワード

はじめまして。最近になって源氏平家に興味を持ったものです。
つい最近、吾妻鏡(現代語訳版)を読む機会がありまして。義経が大きく書かれている、ところどころに源範頼があり、初めて名前をしりました。
大河ドラマでは、頼朝のゴマすり上手。吾妻鏡では義経に手柄をとられる無能な兄。
として描かれていましたが、少し調べると・・違うんじゃないかと思いました。
義仲討伐、一ノ谷合戦。と総大将をつとめあげ。
さらに九州平定のための一年におよぶ遠征。歴史学者に人達は、この遠征こそが平家滅亡の最大要因だと語っていました。
源範頼は、ただの凡将なのか。名将でありながら義経の陰にされた存在なのか。
みなさん、どう思われますか?

[1]蒲冠者さんからのコメント(2006年07月30日 21時36分47秒 ) パスワード

こんにちは。初めまして、範頼が好きな蒲冠者と申します。

範頼は名将だと思いますよ。兵糧不足などの理由で評判の悪い西国遠征ですが、実際には山陽道や北九州を制圧して、彦島の平知盛を孤立させた遠征ですしね。山陽道や北九州は平家の基盤となる地域です。当然平氏に味方する勢力は多いわけですし、慣れない西国で戦うのは相当な困難であったと思われます。あの木曾義仲でさえ、西国遠征は惨敗に終わってるくらいですから、この遠征がいかに難しいことであるかは容易に理解できます。まして、範頼のときは飢饉も発生していましたから苦戦はやむをえないでしょう。
しかし、範頼はその状況下で、さらに崩壊寸前の軍勢を維持したのです。この遠征中に和田義盛が範頼に帰郷を訴えたことを範頼の無能の根拠にする小説がたくさんありますが、全く事実が見えてないと思います。確かに和田義盛は帰郷を願いましたが、範頼は説得して思いとどまらせているんです。肝心の小説はそこはスルーなんですよね。(笑)当時頼朝の代官にすぎぬ範頼にそれほど権限があったとは思えません。関東武士にとって主君はあくまで頼朝ですから、その代官程度の範頼にどれほど心服していたかは疑問です。しかし、それでも範頼が軍を維持できたのは他ならぬ範頼の将器が関東武士を従わせるに足るものだったからではないでしょうか?三浦義澄に周防の守りを託すときにも、嫌がる義澄を説き伏せて周防を守らせたのも範頼です。やはり将としては一流の武将であったと思います。
もっとも、近年では範頼もだいぶ再評価され、凡将という評価はだいぶ減り、義経の連勝を陰から支えて、平家討伐に貢献した武将という評価に落ち着いてきてますね。名将という一般的な評価を得るのはかなり難しいでしょうが、平家討伐に貢献した源氏の武将という評価くらいは既に得ていると思いますよ。
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