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読売の記事を教えて頂きました:
詳細と画像は
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050908i416.htm
へどうぞ。
その内に消えますから要点と補足を書いて置きます。
後一条・後朱雀・後冷泉3人の天皇の摂政関白を勤めた藤原頼通(992〜1074)邸
「高陽院(かやのいん)」から
池の南端とみられる遺構が出土。
池は推定南北140メートル以上。
高陽院は平安宮の東約250メートルにあった
約250メートル四方の大邸宅。(1万8939坪?約4ヘクタール?どっち?)
もとは桓武天皇の皇子の邸宅が頼通の手に渡り改修を加えた。
栄花物語に「寝殿の周囲に池をめぐらし、中島に釣殿を設けた」との記述がある。
1024年の秋に行われた競馬は「駒競行幸絵巻」に描かれている。
この池の大きさから舟を何艘も浮かべて遊んだ当時の有力貴族の豪華絢爛な生活が裏付けられた。
父親は藤原道長で外戚政治を踏襲した。
天皇が要するに甥達だったというわけ。
娘2人が入内したにもかかわらず皇子は生まれなかったので1064年
弟の教通に関白を譲った。
父が宇治に建てた別荘を仏寺にし平等院で余生を送った。
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