[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月11日 21時10分11秒 ) | パスワード |
全然分かってませんが
鍋島さんはママの御家の竜造寺家も考えなきゃいけないんですよね。
竜造寺家は藤原秀郷の子孫だから藤原姓。
で、ここを継いだ、というか乗っ取った、というか →鍋島猫騒動
鍋島家と竜造寺家が複雑に親戚だから「両方」言えるんじゃないですか。
だから結婚は1回にしろって(貞女は2夫にまみえず)って言葉が言われるんだろうな。
[2] | 太郎さんからのコメント(2005年08月11日 22時30分50秒 ) | パスワード |
少弐家を竜造寺家が滅ぼし、竜造寺家を鍋島家がのっとり・・・
もしかして、下剋上につぐ下剋上?
ギャンブラーさんはあまり好感もってないようですね、竜造寺家や鍋島家に。
[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月11日 23時13分25秒 ) | パスワード |
>あまり好感もってないようですね、竜造寺家や鍋島家に。
竜造寺家は諫早の西郷家を滅ぼしましたからね。
私はこの西郷家というのになんとなく惹かれるものがあるのです。
理由が分からないので余計惹かれるんでしょうけど。
少弐氏は九州の名門ということで織田信長が明智光秀に名を名乗らせてますねえ。
でも馴染みがないのでピンと来ないのですけど。
竜造寺隆信という一代の名将が九州西部を征服して
娘が鍋島直茂という有能な人物を生んだので
能力のある人物が母方爺さんの家を助け(竜造寺の2頭政治でしたっけ?)
結局は相続してしまう、これは当たり前と思いますが
直茂は多分竜造寺家の皆さんの人心は把握してなかったんでしょうね。
こういう問題は難しいですね。
多分「直茂 and/or 子孫」になにか問題があったのかもですね。
鍋島騒動の光茂は名君だったらしいですけど。
私は九州の名将としては立花家がいいんじゃないかなと思ってます。
ここはスッキリしてるようなので。
[4] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2005年08月11日 23時51分08秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm |
鍋島氏は宇多源氏佐々木氏流で隠岐義清の裔。
系譜は、経秀−経直=経房(少弐氏より養子、改藤原姓)−茂尚−清房−直茂−勝茂(竜造寺氏の家督を併合)。
系譜により細かい違いがあるが、血系的には藤原氏秀郷流少弐氏庶流である。
[5] | 太郎さんからのコメント(2005年08月11日 23時58分31秒 ) | パスワード |
竜造寺隆信の母親(未亡人)が、鍋島直茂の才能を見ぬいて、息子の隆信と仲良くやってもらおうと、直茂の父親(家臣)と二度目の結婚をするという、少し特別なことがまずありましたね。
こうして義兄弟になった隆信と直茂でしたが、あとで隆信の養子に直茂がなったり、直茂の養子に隆信の孫がなったりと、力関係のバランスを保とうとするような努力があったようですね。播磨屋さんのページの一番下に、それを示すような系図がありました。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/nabesima.html
で、だんだん鍋島家の方が上になっていくと。
隆信が戦死したあと、直茂ばかりが竜造寺家のために頑張っていたようないきさつから、私はなんとなく竜造寺→鍋島の移行は必然だったのかな、みたいな気がしますけれど。
猫騒動とかのお話は、竜造寺寄りの人たちからの嫌がらせで作られたお話のような気しますね。
[6] | 太郎さんからのコメント(2005年08月12日 00時07分30秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2005年10月03日 19時35分05秒
[7] | 太郎さんからのコメント(2005年08月12日 00時15分20秒 ) | パスワード |
あ!!日本の苗字七千傑さんと時間的に僅差の書き込みだったのですね。
そうです、そうです、少弐氏より養子をもらったことにより、源氏姓から藤原姓に変わったのですよね、鍋島家は。
私は平家が…
いや、何でもありません(汗笑い)
[8] | 太郎さんからのコメント(2005年08月12日 00時18分53秒 ) | パスワード |
藤原氏秀郷流少弐氏庶流というのですね、正式には。
ご指摘、ありがとうございました!
[9] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月12日 01時08分01秒 ) | パスワード |
「葉隠れ」は平熱にもありますね。
佐賀は私は好きなんですよ。
血のDNAが騒ぎます。
竜造寺家と鍋島家はややこしいですね。
竜造寺の娘が鍋島に嫁に来て鍋島直茂を生み
竜造寺隆信の母が鍋島に再嫁して
結局鍋島の方が優秀だったんでしょうね。
知り合いの島津の姫君の親友に鍋島の家老の娘がいてあれこれ聞いたことがありますが
この島津の姫君のお仲間に南部藩の家老の娘もいて(こちらは津軽家とのゴタゴタがある)
それでこういうお家問題というのを当事者のお話という形で聞いたのですが
当事者がまだ生きていらっしゃるからここに書けないのが残念ですが
今もしっかり尾を引いてるとだけ<軽く>書いておきます。
結局は時の権力者が認めたらそれで一件落着なんだけど
当事者は心の整理がつきませんものね。
直茂の母というのは
隆信の母というのとは血は繋がってない?
隆信の母という女性がどういう人物だったのか?
再婚する前に竜造寺の娘だった女性は死んでたのでしょうか?
我が家の家訓の1つに「家庭を複雑にしてはいけない」というのがあるんですけど
竜造寺の妻=鍋島の妻=はどこの家の娘だったんでしょう?
そこにも原因があったのかしら?
彼女の存在はシェークスピアばりの小説の題材になると思いますね。
猫騒動はハナシが小さ過ぎますが。化け物話になったというのが「日本」なのかなあ。
竜造寺隆信の母というのはどこの出身になってるのですか?
大友とか少弐関係?
なかなか政治的なスゴイ女性だったと思います。
[10] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月12日 01時39分56秒 ) | パスワード |
ちょっと思い出したことがあります。
鍋島の家老の娘から島津の姫君に「ひこさん」を信仰するようにと話があり
島津の姫君から私にひこさんへお参りに行くように、
そういう話がありました。
ひこさん信仰ってその鍋島関係の本に書かれてますか?
*確かひこ山だったと思います。
*我が家にその毘沙門天の写真があります。お不動さん?
まちがってたらゴメンなさい。
[11] | 太郎さんからのコメント(2005年08月12日 12時23分45秒 ) | パスワード |
「葉隠れ」、平熱にもありますか!
しっかり本を読み終えたら、ぜひそちらも読ませていただきます。
>直茂の母というのは
>隆信の母というのとは血は繋がってない?
母親関係は詳しく知らないのですが…
隆信は竜造寺家兼の曾孫、直茂も家兼の孫娘が母なので家兼の曾孫。
どちらも竜造寺家の大物の曾孫ですが、片方は竜造寺本家を継いだのに対し、片方はその家臣の家柄に生まれたのですね。
>隆信の母という女性がどういう人物だったのか?
>再婚する前に竜造寺の娘だった女性は死んでたのでしょうか?
>竜造寺の妻=鍋島の妻=はどこの家の娘だったんでしょう?
>そこにも原因があったのかしら?
>彼女の存在はシェークスピアばりの小説の題材になると思いますね。
隆信の母がどんな人だったのか。確かにシェークスピアばりのものがありますね!
彼女の再婚という行為が、隆信と直茂を兄弟の絆で結びつけ、竜造寺家を強力な家にしましたが、同時にそのことが、竜造寺家と鍋島家の立場の逆転へとつながっていったわけです。
隆信の母や、ひこさん信仰について、本に載っていたらお知らせしますね。
[12] | 太郎さんからのコメント(2005年08月13日 13時33分39秒 ) | パスワード |
>再婚する前に竜造寺の娘だった女性は死んでたのでしょうか?
弘治2年(1556)直茂18歳の時、隆信の生母・慶・尼(けいぎんに)が、妻を亡くした直茂の父・清房の押し掛け後妻となったそうです。
[13] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月13日 14時27分56秒 ) | パスワード |
ということはヤモメと女ヤモメが一緒になったわけで
彼女が有能な部下父子を取り込んだということですねえ。
普通は夫の弟とか親戚とかと再婚すると思うのですが
「部下」を再婚相手に選んだというのが彼女のスゴイところだったのですね。
直茂は1538年生まれ
隆信は1529年生まれ。
ママは直茂を弟分に取り込んだんですねえ。
義兄弟にしてしまえばよもや直茂が隆信を軽んじることはないだろうと。
頭の良い女性だったんでしょうね。
私は島津の姫君から「ひこさん」に一緒に行こうと誘われたりして
その他にもあちこち誘われてたのでこんがらがってます。
彼女のクラスメート達の
鍋島+黒田+立花
ここの姫君達の話がこんがらがっていて
どこやらの霊験あらたかなお山に行くのに「基山」でどーたら言ってましたっけ。
背振山は立花さん関係で出て来たように思いますし。
私は九州は土地鑑ゼロの上にすごい方向音痴なので
上記3家のお話がこんがらがってるかもです。すみません
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