【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る | 使い方とお願い | 日子の島TOP
 投稿番号:100795 投稿日:2005年07月10日 00時10分48秒  パスワード
 お名前:浮線蝶小松
秀吉の紀州征伐「高野島塩屋の合戦」とは?

コメントの種類 :質問  パスワード

すいません、もう一つ質問です。
豊臣秀吉の紀州征伐で「高野島塩屋の合戦」という戦はあったのですか?
ご存じの方いらっしゃったらご教示お願いします。

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年07月10日 03時03分04秒 ) パスワード

浮線蝶小松さん
タイトルを変更しておきました。
この方が多くの人の目につき安いと思いますから。

高野島という地名は検索したところ「尾張」ばっかりヒットしました。

土地鑑の無い者にはさっぱり見当もつきません。
どこか分かりますか?
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年07月10日 03時05分27秒 ) パスワード

塩屋は御坊ですね?

ということは御坊市役所の歴史編纂だ分からないでしょうか?
[3]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年07月10日 03時18分46秒 ) パスワード

こんなのがヒットしました。
湯川氏関係でしょうか?


>JR御坊駅裏の亀山山頂には戦国時代紀中・紀南地方を支配していた湯川氏の本拠地亀山城跡があります。
>湯川氏は豊臣秀吉によって滅ぼされましたが、亀山城跡には湯川氏を偲ぶ碑があります。
[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年07月10日 03時27分10秒 ) パスワード

この↓あたりを参考に情報を集められてはいかがでしょう?


湯川氏について:

http://wiwi.co.jp/vwakayama/kankou/prefg/060200/kankou/kataribe/gobo_k.html
より無断コピーです:
関係者のかた、不都合ございましたら削除いたします。御連絡くださいませ。ぺこり

>湯川氏の祖は甲斐源氏の武田氏の後、初代忠良が事情あって熊野に来て、道湯川(現、中辺路町)に住み湯川姓を名のりましたが、周辺の賊を退治した賞として牟婁の地を賜ったといいます。後に田辺に進出し、日高へ勢力を伸ばし、室町幕府の武将として日高の小松原(現、御坊市湯川町)に館を建て、亀山に築城したのは湯川氏第三・四代のころといわれ、室町末には紀州の在地領主では群を抜く存在となりました。


>戦国時代に入って、直光の子の直春は父に勝る勇武な人物で、石山本願寺・和歌山の雑賀党と通じて、信長・秀吉に抗しました。天正十三年(一五八六)羽柴秀吉が紀州平定のため侵攻して来た際、直春は日高川をはさんだ手取城の城主直和に盟約を呼びかけたが、反って諫められ拒否されました。

>直和は直春の娘・小夜姫の夫で、この時次のような挿話がのこっています。
直和と戦うことを決意した直春であったが、親子の情はまた別。直春は娘に手紙を送って、離婚して帰ることをすすめた。娘からの返事には「父上のお心はありがたいが、嫁したからには夫に殉じるが妻の道、私がそうすることによって父上を恥かしめないでしょう」と書いてありました。

> 同年三月二十三日、秀吉軍が海陸から亀山城に迫りました。こうなってはひとたまりもないので、直春は夜に入って城に火をかけ、西牟婁軍中辺路町近露の横矢氏をたよって逃れました。しかし結局降伏し、領土安泰を図りましたが、翌年紀州の新領主秀長の招きに応じて、大和郡山市に行き、そこで諜殺されました。なお亀山の周辺に湯川姓が多く、町名もこの歴史性からきたと思われます。
[5]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年07月10日 03時31分38秒 ) パスワード

状況証拠からすると天正13年あたりに「高野島塩屋の合戦」があったのかもですね。


http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/kiikameyama.htm
無断使用ごめんなさい。不都合ございましたら削除致します。御連絡ください。

>天正13年、豊臣秀吉の紀州征伐の際、
>湯川直春は娘婿の手取城主玉置直和が秀吉方に与したため手取城を攻めた。(坂ノ瀬の合戦) 
[6]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年07月10日 03時37分27秒 ) パスワード

御先祖さまが仕えた秀長の名前が出て来ました。

http://takahira.cool.ne.jp/furuimatiB/wakayamaken/yuasaG2.htm
無断使用ごめんなさい。不都合がございましたら御連絡下さい。削除いたします。

>湯浅は和歌山県の北西部有田郡の西端で湯浅湾に面している。
>湯浅の中世は湯浅党が、末期になると、日高(現御坊市)の亀山城を拠点とした湯川氏が強力になり、
>有田・日高地方を領したが、天正13年(1585)秀吉の紀州攻めにより亀山城は落城した。
>紀州和歌山には秀吉の弟秀長を置き、和歌山城を築城したが、規模などは不明である。
>慶長5年(1600)関ヶ原の戦い後、浅野幸長が紀州領主として入り、
>和歌山城を築城し、湯浅は紀州藩領になり、そのまま明治維新を迎えた。
[7]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年07月10日 03時46分03秒 ) パスワード

やっぱり紀州の一向一揆の歴史を参考にすると良いようですね。
根来とか孫市とか高野山とか。


http://www5a.biglobe.ne.jp/~nobutugu/hideyosi/tensyou50-32.htm

この4月24日から27日までの秀吉の動きも参考になると思います。
太田氏はひどい目に遭ってますねえ。
[8]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年07月10日 03時50分49秒 ) パスワード

http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/komatubara.htm
無断転載ごめんなさい。不都合がございましたらお知らせを。削除致します。


湯川氏の小松原館の「小松」という名はどういう関係でしょう?

>御坊商工高校横にある湯川神社の境内に「小松原館」の石碑がある。 
>小松原土居は、天文18年頃に亀山城主湯川直光が「亀山城は寒風の吹く季節は住み難い」との理由から
>亀山の山麓に居館を構えたもので、亀山城の平時の居館であった。
 【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る
この投稿に対する
コメント
注意  HTMLタグは使えませんが、改行は反映されます。
 http://xxx.xxx/xxx/xxx や xxx@xxx.xxx のように記述すると自動的にリンクがはられます。
お名前 (省略不可)
削除用パスワード (省略不可8文字以内)
メールアドレス (省略不可)
URL
 ホームページをお持ちの方のみURLを記入して下さい
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇  DB-BBS-system V1.25 Rapha.