[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年06月24日 04時31分18秒 ) | パスワード |
浮線蝶小松さんへ
和歌山県の教育委員会または串本町の教育委員会の「地元の歴史編纂」をしている課に問い合わせたら良いですよ。
膨大な記録を持っていますから。
天正時代に豊臣秀吉が紀州征伐をしたというお話。
わたくしの母方の先祖も秀吉から2郡を頂いたという書き込みが家書にあります。
それでもしかするとわたくし達の御先祖さまはお知り合いかも知れませんね(笑)
どういう経緯で秀長に仕えたのか?
秀長死後どこに仕えたのか?
そして関が原の戦いがあり、大坂の役があった、この変遷でどうなったのか。
徳川幕府下ではどのようになったのか?
地元の豪族だったり名家だったりすると召し抱えられるということが行われています。
つまりそういう意味でも当時平家の維盛の流れの家であると認められていたということになります。
秀吉や秀長の経歴を書いた古書や小説や一般的な時代物に御先祖さまのお名前が出て来ると良いですね。
例えば雑賀孫一や紀州一揆なんかの小説にも出て来るかも知れません。
とりあえず教育委員会に問い合わせ地元の歴史を纏めたパンフレットが手に入ると良いですね。
大きな図書館にはそういう本がありますし、大きな本屋さんでは編纂所からの特別の本を売ってる所もあります。
田辺なんかの歴史も手に入ると良いですね。
これからお盆に備えて御先祖さまのコトをいろいろ偲んで
そしてお盆の時には一族の長老のお話が聞けると良いですね。
必ずどなたか詳しい方がいらっしゃいますから、その方の情報が手に入ると良いですね。
[2] | 浮線蝶小松さんからのコメント(2005年06月24日 12時05分08秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさん有り難うございます。
現在、串本町役場資料編纂室へ依頼しています。
それでわからなかった場合は、県立図書館へ行ってみようと思っています。
ところで、平家の家紋についてですが、代表的な物に「揚羽蝶」があるとよく出てきますが「浮線蝶」については全く出てきませんね。
兵庫県にある平家ゆかりの「築島寺」本堂にはこの「浮線蝶」があげられているようで、住職のコメントで「これが正しい平家の家紋です」と記載されていました。
又、和歌山県清水町上湯川に所在する小松家は「維盛直系子孫」を名乗っており、この家の家紋についても「浮線蝶」であると聞きました。
この「浮線蝶」紋の流れについて何かご存じの方いらっしゃいましたらご教示お願いします。
[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年06月24日 13時25分32秒 ) | パスワード |
浮線蝶小松さん
姓と紋が一致する。
ということは
兵庫県にある平家ゆかりの「築島寺」
和歌山県清水町上湯川に所在する小松家
と何らかの関係があるということですね。
では明治初期までの御先祖さまの戸籍謄本(除籍謄本)をお取りになってはいかがでしょう?
御自分から遡って古い小松家の戸籍をどんどん取っていくのです。
明治の初めまで取得出来ます。
理由は「先祖供養のため」とか。
昔の戸籍はもう凄い頁数になります。
そこで兵庫県や清水町とどういう関係があるのか?
出て来ると良いですね。
今年のお盆に間に合うと良いですね。
もしかすると田辺藩や新宮あたりの分限禄に御先祖さまの記録があるかも。
本当にみつかると良いですね。
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年06月24日 13時29分52秒 ) | パスワード |
それから島津の家老だった小松帯刀の家も維盛子孫を名乗っているそうなので
この小松家の家紋が分かると良いですね。
[5] | 布袋竹さんからのコメント(2005年06月24日 20時27分30秒 ) | パスワード |
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/ |
幕末の有名な小松帯刀の流れは、takahiro さまもお調べになっていると
思いますが、私も自分の家系にちらっと関わりがあるので、調べてみました。
あの、池家・小松家のスレッドの一部として・
takahiro さまも書かれておりますが、結論から梶紋です。「抱き梶の葉」
小松←禰寝はいろんな出自が言われていますが、ひとつに、小松の流れ・
これは、惟盛「維盛」の孫にあたる高清の子が清盛と重盛の字を取り
清重と名乗ったのが初代とのことですが、確証はとれていません。高清は吾妻鑑・平家物語・源平盛衰記などにも登場しています。
[6] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2005年06月25日 00時38分21秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm |
浮線蝶小松さんへ
平重盛創建の浄教寺(京都)が浮線蝶を寺紋としている。
従って、浮線蝶は重盛系の家紋とも言える。
公式には、元暦元年三月二十八日平維盛は高野聖の滝口入道(斎藤時頼)が鐘を打ち鳴らす中、念仏を百遍唱えて熊野沖入水。
実は紀伊国有田郡保田山中に隠れ、清水清左衛門の家に潜居し其女を娶り、男子(兼盛)を生み元久元年六月卒去。
和歌山県清水町上湯川の小松氏は、兼盛の後裔と思われる。
[7] | 浮線蝶小松さんからのコメント(2005年06月25日 01時00分03秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさん、布袋竹さん有り難うございます。
串本町役場に依頼していた件について回答がありました。
我が小松家の先祖が豊臣秀長に仕えたと言う件はどうやら事実のようなのですが、当然ですが昔の文章で又、昔の文字を使っておりその上走り書きのような字なのでイマイチ私には解読できません。
このような場合どこか解読してくれるところはあるんですか?
小松氏が串本町和深に来る前は、現在の那智勝浦町の色川という土地から来たという記述があり、興味深いことに私の祖父が当主であった時代に先祖代々の家宝を数多く所蔵していたというのです。
祖父は早くに他界し祖母も亡くなった現在そのようなことに全く興味のない父母のもと屋根裏倉庫の奥で日のめを見ることなく眠っているのかも知れません。
そう思うとドキドキするのですが、次の休みは来月までないので無念ですね。
[8] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年06月25日 04時45分51秒 ) | パスワード |
浮線蝶小松さん
布袋竹さまの小松家も調べてみる必要がありますね。
というのはどこの家でも家紋は1つというわけではありませんから。
日本の苗字七千傑さんお書きの紀伊国有田郡保田山中の清水家についても調べる必要がありますね。
多分浮線蝶の小松家はこの清水家関係の可能性が大ですから。
>和歌山県清水町上湯川の小松氏は、兼盛の後裔と思われる。
地名から清水清左衛門関係と分かりますね。
この辺り御自分で歩いてみると良いですね。
>昔の文章で又、昔の文字を使っておりその上走り書きのような字なのでイマイチ私には解読できません。
>このような場合どこか解読してくれるところはあるんですか?
>>平重盛創建の浄教寺(京都)が浮線蝶を寺紋としている。
*普通は教育委員会が活字化してると思うのでコピーを添えて県の教育委員会に問い合わせても1つですし
または
*お寺さんに読んで頂くのが良いと思いますが
・やはり御布施ということで「1枚」は包んだ方が良いと思いますよ。
・御自分の家も維盛公の末裔であり家紋が浮線蝶使用の小松家ということで。
または
*書道をやってる方に読んで頂くという手もあります。
くずし字なんかこういう方でないと読めませんから。
>現在の那智勝浦町の色川
おやおや実は田辺方向でなく東でしたか。
こちらも調べなくてはいけませんね。
でもイヨイヨ平家色が濃くなってきましたね。
勝浦の色川の電話帳でも手に入ると良いですね。
1番良いのはお祖父さまの戸籍謄本が手に入ると良いですね。
そこから一族が見つけ易いでしょ。
まだお盆まで時間がありますから頑張って除籍謄本を手に入れてください。
なんだかスグ手に届く感じですよ。
お祖父さまがニコニコしてらっしゃる気はしませんか?
[9] | 布袋竹さんからのコメント(2005年06月25日 11時31分15秒 ) | パスワード |
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/heike.html |
先祖への手がかり、足がかりがしっかりしてきて、平家小松嫡流が
目の前になってきましたね。
家宝・古文書の類も、屋根裏から発見されるかもしれませんね。
こんなのは、大好きです。
島津家老小松家も、26代清香の代に禰寝から小松に名前換えした時に
家紋なども、新しく整備したそうですので、もしかしたら古い紋が・・
古文書などは、県などの歴史文化センターの学芸員「古文書精通の」とか
単純なものは「例・刀銘とか」書道の先生に、解読してもらっています。
[10] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年06月25日 12時53分36秒 ) | パスワード |
布袋竹さま
浮線蝶紋の小松家には御先祖さまからの働きかけがある、とやはりお感じになりますか?
わたくしなんぞがビシバシ感じてもしょうがないのですけど
久し振りに感じます。
わたくしの父方母方両方の先祖からの「親しみ」を感じます。
平熱久し振りのオカルト度です(笑)
[11] | 布袋竹さんからのコメント(2005年06月25日 16時26分51秒 ) | パスワード |
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/ |
私に霊感があれば、バンバン感じていたのでしょうが・
だが、凡人にも、ご先祖の後押しがあるのではと想像できます。
いま、takahiro さまの「池頼盛家と小松重盛家」のスレッドで
まさに、先祖からの後押しでなければ、偶然にしては出来すぎ・が
たくさん・というか、ほとんどと言ってよいほどありました。
この浮線蝶の小松さまも、きっとそう考えておられるかも・と
私のところに集まった二つの系図と
takahiro さまのところの系図と兄弟流れになるのですからね。
平家・小松家は滅びていなかった・・
[12] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年06月26日 00時53分48秒 ) | パスワード |
>平家・小松家は滅びていなかった・・
本当に不思議!
実は昔、御近所に「シゲモリさん」とおっしゃる家があって
最近テレビで「いえもりさん」とおっしゃる方で出演なさってて
(平家なのかなあ?)と思ってました。
日頃なにげなく過ごしていますが一歩踏み込むと実は昔のお仲間だったりするんでしょうね。
浮線蝶紋って、「浮線紋」って、優雅ですものね。
貴族の雰囲気たっぷり。
なるほどなあ、なんて思いました。
同じ維盛公の御子孫でも遠く離れてお互い赤の他人だとばかり思っていたらなんとなんと。
家紋や名字に残っていると分かり易いですね。
でも紋や名字が800年の間に全く変わってしまって分からない御家もあるんでしょうね。
紋や名字って勝手に変えず、命に替えても守ったというのには涙がこぼれます。
[13] | 浮線蝶小松さんからのコメント(2005年06月28日 00時26分02秒 ) | パスワード |
そうですね。
ここまで調べている間、何度か偶然が続き現在に至っており、ご先祖様が導いてくれたのではないかと思う部分があります。
このまま一気に古文書やはっきりするお宝が見つかるよう今一度導いて欲しいものです。
その結果は来月初めにはっきりすると思いますので、その時はご報告させて頂きます。
[14] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年06月28日 07時06分27秒 ) | パスワード |
楽しみにしてますね。
[15] | Wolfさんからのコメント(2010年11月02日 01時31分37秒 ) | パスワード |
平の小松は幕末に麹町に屋敷があり、
旗本だったという情報がありますよ。
ちなみに家紋は丸に揚羽蝶とのことです。
ぜひ掘り起こしてみてはいかがでしょう。
[16] | 平 維盛さんからのコメント(2011年04月12日 00時19分21秒 ) | パスワード |
私の祖先は1590年代に、武州児玉郡宮内村(埼玉県児玉町宮内ー現在は平成の大合併のため本庄市児玉町宮内)から隣接の上州藤岡(現在群馬県藤岡市)に出て商いを始めました。もと、武田氏に従っていた芦田氏が徳川家康によって藤岡5万石に封ぜられ、藤岡に城下町をつくったので、城下町の商家となったのです。私の祖先は中世の時代から「小松」姓を名乗っていたようです。この、藤岡の小松家は現在は商家ではありませんが、私の従兄弟が13代目の当主として、跡をついでいます。
小松家の祖先は平家の落人であるという言い伝えは、ずっと言い伝えられてきました。わたしは祖先のことを、これまでいろいろと調べてみましたが、なかなか、はっきりしたことまでたどり着けませんでした。しかし、つい先日、インターネット上で、「埼玉苗字事典」というものを発見し、その中に、明治30年代に書かれた「児玉記考」という文献の内容の紹介が書かれてあり、児玉の宮内村旧家の小松家の記事が載せられていました。その内容には、紀州で、生き延びた平維盛の子孫が一時、信州の諏訪へ落ち延び、さらに、文永年間に子孫が宮内村に移り住んだ、という内容がかかれています。「埼玉苗字事典」の内容を紹介しますので、参考にしてください。わたしは、44年ほど前に、児玉の宮内村の小松本家を一度、たずねて、聞き取りをしたことがありましたが、そのときの本家では先祖についての言い伝えというのははっきりと覚えている人はいませんでした。その時わかったのは、宮内の小松本家では使っている家紋は、表紋が丸にあげはちょう、裏紋が丸に違い鷹の羽ということでした。「埼玉苗字事典」の「児玉記考」の記事は以下の通りです。
児玉郡宮内村(児玉町) 児玉記考に「旧家小松文七、鼻祖小松嘉門は桓武天皇の遠孫小松内府重盛より出づ、寿永年間平家の一族檀の浦に敗滅以後子孫紀州に潜伏し、又数年を経て信州諏訪に土着し、文永の初年当地へ移住す。爾来祖先嘉門より当代に至る二十五代六百四十四年間連綿系統絶へず、長子良之助死亡せしに依り、二男分家佐七を宗家に合せ相続せしむ」と見ゆ。紀州有田郡上湯川村小松氏系図(清水町)に「小松内大臣平重盛―惟盛(元暦元年熊野沖にて入水とあり。実は紀伊国有田郡保田山中に隠れ元久元年卒去)」。上湯川村に旧家小松弥助家一戸存す。是に附会し、さらに諏訪志料を引用す。小浜村小松神社明治二十九年碑に宮内小松孝三郎。児玉町八幡社明治三十五年碑に宮内小松幸三郎あり。七戸現存す。
(関連記事)信濃国に重盛後裔説が多くあり。諏訪志料に「小松氏、平姓を称す。三位平重盛の長男伊与守惟盛の男・右京太夫平盛政は文応元年信濃に下り、横瀬の里(安曇郡八坂村)に潜居す」と。附会なり。信濃小松氏の家紋は三蓋松、丸に剣梅鉢、梅鉢等を用いる
[17] | 諏訪さんからのコメント(2012年12月30日 17時00分25秒 ) | パスワード |
代々、平家の末裔と言い伝えがある諏訪の清水家に関わるものです。
すでに昔を知る身内が他界しており、調べものには困難な状況におります。
諏訪には理由は分かりませんが清水家、小松家、小口家ばかりが眠る墓地があり、私の先祖の墓ももそちらに祭られています。
当該墓地には石造物群と記載された碑が教育委員会によって立てられ、確かに古すぎて文字が読めなくなった墓石や石等がたくさんあります。
墓石の清水家の家紋は「丸に違い鷹の羽」、小松家は「丸に梅鉢」、小口家は「丸に立沢瀉」です。
清水家は同族内での結婚を良しとしており(かつて年配の親族より血は濃く保つことが明治期においても重視されたとのことを聞いた)、3家の交流は特にないとの話でした。清水家は同族およびある増沢家とのみ婚姻関係が結ばれています。例外は昭和になってからです。
この墓地のいわれや、浮線蝶小松様の裏紋にあたる清水家の「丸に違い鷹の羽」と平家との関連性についてなど、どのようなことでもよいのでご教示いただけますと幸甚です。
[18] | 浮線蝶小松さんからのコメント(2013年01月15日 22時14分17秒 ) | パスワード |
皆様、大変御無沙汰しております。
以前、こちらでお世話になりました浮線蝶小松です。
先日、わたくしは初めて神戸市周辺の平家の史跡めぐりに行って参りました。
それぞれの史跡をめぐるたびに自分の気持ちの高ぶりを感じ、久しぶりに平家熱が蘇ったような気がしました。
[19] | 空の青海のあをさんからのコメント(2013年01月16日 02時32分23秒 ) | パスワード |
浮線蝶小松さん
お久です。
やはり平家の末裔としては「血湧き肉踊る」でしたか?
それも小松家子孫でいらっしゃるから、余計、感ずるところ・思うところが深かったのでは?
また平家の史跡めぐりのことなどお書きになってください。
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