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 投稿番号:100788 投稿日:2005年06月19日 11時55分36秒  パスワード
 お名前:暇潰しのギャンブラー
期限切れ情報:旧尾張藩士のお調べ所

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

期限切れ情報でごめんなさい。
友人から連絡を受けてたのに書き込むのを忘れてました。


今年の建国記念日の特別企画だったか
対象は1200件ほどですが
旧名古屋藩士の御子孫用に「お調べ所」が開催されたそうです。


尾張藩が藩士の家の記録を明確にするために作成・提出させた
江戸中期の「 士 木木 シ斥 シ回」しりんそかい
江戸後期の「 藩 士 名 寄 」
を元に作成したデータベースから

・当主の名前
・家禄
・役職履歴
・お目見えを初めて許された年などを調べることが出来たそうです。


ただし名字だけからでは検索できないのでちゃんとした御子孫が対象。
さらに当時の居宅を探す地図コーナーもあったそうです。


いずれ誰でも検索が出来るようになるかも。
その時はまたお知らせします。
かな?

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年06月19日 12時00分53秒 ) パスワード

>旧名古屋藩


読み返してビックリ!「旧名古屋藩」は「旧尾張藩」の間違いです。


我が家にあった明治時代初?期の書き物の表紙に「名古屋藩」なんて書かれてたので
アタマの中は「名古屋藩」で入力されてました。
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年06月14日 10時11分39秒 ) パスワード

以下
http://www.hikoshima.com/bbs/heike_slink/100897_47.html
Masa.Hattori氏の書き込みの転載です。




はじめまして、Masa.Hattoriです。初めての投稿です。

私は、以前アップされました「切り竹矢筈紋の服部氏」の父親です。
あれから7年の歳月が経ちました。息子に触発されて、我が家のルーツや尾張藩史について調べています。
図書館での調査が中心ですが、インターネットでも色々の発見がありました。2、3ご紹介します。

<1>名古屋市博物館のサイトにおいて、今般、新しいデータがアップされています。「名古屋城下デジタル復元地図」です。
弘化4年・明治3年・現代の地図があります。
弘化・明治において藩士名をクリックすると禄高・役職・住所が表示されます。
姓・名等で検索ができ、氏名をクリックすると居住地の地図が表示されます。
また現代の地図と重ね合わせることが出来ます。
ただ現代の地図には、町名表示がなく、どのあたりか分かりずらいのが欠点です。

<2>愛知県図書館のホームページにはデジタル古絵図「愛知県図書館所蔵絵図の世界」があります。必見です。
国絵図、郡絵図、村絵図等あります。「城下重ね絵図」は、名古屋城下の絵図と現在の地図(町名表示あり)とを重ね合わせることが出来ます。

<3>書籍を見つけました。「尾張藩在郷名家録」2006年12月発刊。
>安政4年(1857)、同5年時点の在村有力者を集大成した貴重な文書の影印本。
>藩内11代官所別にその氏名と居住する村、苗字・帯刀・御目見などの待遇を記す。
>『尾張藩士録』の庶民版とも言うべき本です。
(東海地方の郷土史本専門店の「マイタウン」の出版目録より転載)

上記につき名古屋市の鶴舞中央図書館にて閲覧してきました。
荷之上の服部さんも記載されていました。津島には大橋さんの名がありました。
尚、前掲の『尾張藩士録』とは、嘉永五年時点の尾張藩士名をいろは順に記し、
俸禄、役職、居住地、家紋、菩提寺が明記されている「家中いろは寄」の復刻本です。

<参考>名古屋市博物館のサイトでは、尾張藩役職者一覧−−尾張藩士の系譜集「士林泝・」および「藩士名寄」より
集約した9000名の役職者の一覧−−がありました。これにより我家のご先祖様らしき人物を発見しております。

ただ、残念ながら博物館のサイトは2007年4月にリニューアルされ、そのとき当該一覧は、削除されてしまいました。
リニューアル当初は「ただ今、準備中」の表示がありましたが、今はその文言も削除されています。
当方はダウンロードしていましたので助かっています。今後の調査に大いに参考となる資料です。閲覧していただけず残念です。
[3]アカコッコさんからのコメント(2007年07月07日 13時42分12秒 ) パスワード

 ご無沙汰しております。家庭内で無線ランで繋いでおりましたが、不具合があり不通になっておりました。

 http://www.museum.city.nagoya.jp/ (名古屋市博物館)

『名古屋城下デジタル復元地図』

 >弘化4年・明治3年・現代の地図があります。

 見てきました。色々(ダウンロードや解凍など)複雑な作業がありますが、弘化年代と明治年代の同じ苗字の家々(親と息子か?)が沢山見られ、城下町がしっかりしていて羨ましいですね。

 生憎PC環境が上手く合ってなく(多数のソフトが入っている)又はインストールのやり方がいけないのか、地図だけで役職や石高はみられませんでした(泣)。
                         
[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月08日 00時34分51秒 ) パスワード

わたくしも出来ませんでした。
だいたい、文字化けしてて、どれを押すんだ?状態でした。


こういうのが「お役所仕事」というんでしょうね。
誰にでも簡単に利用できる環境にするというのが本来のお役所の仕事じゃないかと思いました。
[5]Masa.Hattoriさんからのコメント(2007年07月14日 17時07分30秒 ) パスワード

暇潰しのギャンブラーさん、アカコッコさん、初めまして。

暇潰しのギャンブラーさん、こちらのスレッドにも移していただいたようで、ありがとうございます。
「旧尾張藩士のお調べ所」、「名古屋城下デジタル復元地図」、(および「尾張藩士役職者一覧」)
これらは「藩士名寄データーベース」を基にしているようです。
そういう意味でこのスレッドのほうがあっているのではと思います。
ところで「名古屋城下デジタル復元地図」がうまく起動しないのは、残念ですね。

アカコッコさんも、早速トライされたようですね。
こちらも完全ではないのでしょうか。


「名古屋城下デジタル復元地図」完成時の新聞記事の切抜きイメージをたまたま見つけ保存していましたので紹介します。
4月10日付東京(中日)新聞のようです。

<見出し等>
名古屋の藩士宅今ならどこ?

デジタル城下町図

市博物館学芸員ら完成

名簿基に13年がかり

<本文>
およそ百八十年前の名古屋城下に住んでいた尾張藩士約二千二百人の名前や役職、石高などを
デジタルデータ化した「江戸の住宅地図」を、名古屋市溥物館学芸員の松村冬樹さん(五七)らが完成させた。
十三年がかりの労作。
パソコンのクリック操作一つで、現代の地図とも重ね合わせて見ることかでき、城下町の移り変わりが手に取るように分かる。

 地図の範囲は、現在の名古屋・栄地区を中心に約五`四方。
武家屋敷、寺社、町家などを色分けし、藩士名や寺社名を示した。

 基になったデー夕は、一八四七(弘化四)年ごろ編さんされた名簿「尾
張藩分限(ぶげん)帳」と「藩士名寄(なよせ)」。
当時の正確な地図か残っていないため、八五(明治十八)年の「愛知県名古屋区市街地積全図」を参考に、デー夕を一つ一つ落とし込んだ。
絵図が残る七〇(明治三)年の記録も入力し、江戸、明治、平成の地図を画面上に重ねて表示することもできるようにした。

 例えば「小笠原三郎右衛門」の住居をクリックすると「禄高 1500石、役職 大番頭、住所 内片端東行当りより西へ二軒目北側」と表示される。
地図を重ね合わせると、現在は愛知県庁の敷地の一部になっていることも分かる仕組みだ。

 作業は一九九四年ごろ、尾張徳川家の蔵書などを所蔵・公開している同市逢左文庫(名古屋市東区徳川町)の
嘱託職員だった黄木(おうぎ)宏行さん(七五)が、藩士名寄をパソコン入力したのが始まり
七年かけて入れたデータを博物館に提供、松村さんが検索機能などを加えた。
同博物館の昨年度事業「名古屋城下町復元ブロジエクト」として完成にこぎつけた。

 これまで、尾張藩士について調べるには、膨大な古文書をめくり、難しい「くずし字」を読み解く必要があった。
松村さんは「これで古文書の人名や地理の確認など、専門的な研究が進むのはもちろん、一般の人も見て楽しむことができる。
今後も情報を加え、名古屋の大きな財産にしたい」と話す。 

 データは今月中に同博物館で一般利用できるようにするほか、CDーROMにして市内の小中学校や図書館などに配布する。
秋ごろに一般販売も検討中という。
(以上新聞記事より転載)
[6]アカコッコさんからのコメント(2007年07月14日 20時01分35秒 ) パスワード

Masa.Hattoriさん はじめまして。

>アカコッコさんも、早速トライされたようですね。
>こちらも完全ではないのでしょうか。

 デスクトップにcontents.exeへのショートカットが作成出来(これが間違いの元でした)。地図3点(現代・明治・弘化)は見れますのですが、検索が出来ないため、石高・住所が見られませんでした。

今日のHattoriさんのコメントを見て、再度最初から丁寧にやり直してみたら、ナント全部見られるようになりました。

服部様有難う御座います。

 末尾になりましたが、製作者ならびに関係各位に感謝しております。
[7]Masa.Hattoriさんからのコメント(2007年07月14日 23時46分47秒 ) パスワード

アカコッコさん よかったですね。

アカコッコさんが、「名古屋城下デジタル復元地図」を『「四家七名字」と駿河方広寺』のスレッドで紹介されていますね。

>他スレの名古屋市博物館の『名古屋城下デジタル復元地図』に大橋小伝次の居住所が載っております。


大橋小伝次を探してみました。大橋で検索すると多くの大橋さんが表示されます。その中に小伝次さんがありました。
名前をクリックすると大橋さんの居宅が赤丸で表示されます。
同時に「禄高:150石 役職:広敷詰格 住所:東七曲り坂下北側」と記載された窓が表示されます。
(地図上の名前を直接クリックしてもこの窓は表示されます)
さて、大橋さんのご近所に、服部喜八郎の名前が見えます。
(200石、御作事奉行(並)、東新町駿河町より下へ三軒目西側)

――実はこの方、我が家のご先祖様ではないかと思っている方です。
亡父口伝の役職、知行高、および足高が一致しているのです。
直系ではなく祖母方の先祖と思われます。
尚、祖父方は弥富町の出身のようです。先祖不詳。
祖父母ともに服部姓です。――

服部喜八郎宅は、東新町筋に面しており、南へ下がると東七曲り坂下筋にぶつかります。
これを右折し西に向かい西新町筋を越えて、二軒目が大橋小伝次さんの居宅です。都合九軒先のお宅です。
この地図、主な道路について路上をクリックすると道路名も表示されます。
こうやって見ると、いろいろと楽しめそうな地図ですね。
[8]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月15日 10時24分27秒 ) パスワード

Masa.Hattoriさん


思わぬところで思わぬ情報。
ありがとうございました。


ソニーの盛田さんが白壁町でお生まれだそうです。
尾張の常滑の小鈴谷で「ねのひ」というお酒を造っている盛田家の御出身です。
そりゃあもうスゴイ裕福なお家です。


きっと尾張藩にも何らかの関係がある家なんでしょうね。
[9]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月15日 10時27分46秒 ) パスワード

あ、それから、尾張南西部「佐屋」の代官服部家からは
養子に出た加藤高明という人がいます。
[10]Masa.Hattoriさんからのコメント(2007年07月15日 20時53分16秒 ) パスワード

>ソニーの盛田さんが白壁町でお生まれだそうです。
>尾張の常滑の小鈴谷で「ねのひ」というお酒を造っている盛田家の御出身です。
>そりゃあもうスゴイ裕福なお家です。

盛田家は名古屋城下デジタル当復元地図では検索できませんでした。
盛田家は知多郡小鈴谷村で代々庄屋をつとめられた家で、酒造を家業としておられました。
白壁町には、おそらく明治以降お住まいになられたものと思います。

名古屋市のホームページに白壁・主税・橦木町が紹介されています。
http://www.city.nagoya.jp/kurashi/ku/higashi/machimeguri/bunka/nagoya00002100.html

明治以降、武家屋敷は消滅していったが、この地区に限っては、新興勢力によって町の枠組みは崩れることなく、そのまま受け継がれたとのことです。
豊田佐吉一族も居を構えています。

「映像で綴る名古屋の400年」のHPに昭和8年の住宅地図があります。
・サイトマップのアドレス
http://www.minna-chubu.jp/history400/sitemap/sitemap.htm

・昭和8年住宅地図 4(中区三の丸4丁目、東区白壁2丁目) 拡大図のアドレス
http://www.minna-chubu.jp/history400/3004/1fpart04/1f04tizu02zoom.htm

当地図においては、ほとんどが姓のみの記載であり、名古屋市HPの記述との照合により次のようになります。

豊田 佐吉邸 :長塀町2丁目の豊田浅子さん(佐吉夫人です)
養子 利三郎邸:白壁町2丁目の豊田さん
長男 喜一郎邸:白壁町3丁目の豊田さん
弟  佐助邸 :主税町3丁目の豊田さん
盛田邸    :白壁町2丁目の盛田さん 豊田利三郎邸のお向かいです。
[11]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月16日 01時29分04秒 ) パスワード

Masa.Hattoriさん

豊田さんと盛田さんのお話
興味深かったです。
ありがとうございます。


実は!
その後日譚となりますが


「伊勢さん」のスレッドで書きましたが

菊池寛が「オレの寛には『、』があってお前達より『点』が多いんだ」と
芥川や久米にえばった話は

豊田さんも盛田さんも
あの3人と同級生だった恩師から「いつも」聞かされたお話なんです。



豊田さんや盛田さんの同級生には他にもすごい御家の人達がいますが省略)


わたくしはアメリカで「英語を誰に習ったか」の話では
TOYOTAとMORITAを教えた人から習った〜
とえばってます。



ただし、「HANZO」でウケてますが。← 彼は世界的に超有名人ですよ〜
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