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記憶をたぐりながらなので思い違いがあるかもです。
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海津町は木曽川・揖斐川・長良川が複雑にねじり合った低地の土地にある町なので浸水し易い。
田畑も家屋敷も濁った水に沈んでしまう。
そのため周囲に堤防を築き川の氾濫に備え石垣を築いて家や蔵を建てた。
水害から田畑を守るのに土地改良にも力を入れてきた。
溜まった水は稲を腐らせるので
土地の一部を掘り下げ、この土で稲付け面を高くした。
これを「堀田」ほりたという。
この土地では昭和30年頃まで家から田圃に船で行ったそうです。
また水害時には船が必要なので軒下に船を吊るしたそうです。これを「上げ舟」と呼ぶそうです。
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江戸時代の名門「堀田氏」。
美濃3人衆の1人だったと記憶してます。
また春日局の稲葉家・斎藤家とも親戚筋になる。
それでこの堀田さんは海津の「ほりた」から名字が来てるのかな?と思いました。
確か名古屋の港区だったか南区だったかにも「ほりた」という地名があったような記憶。
なんで「ほりた」なのかな?とながく疑問でしたがちょっと回答を頂いた気分。
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幕末、美濃国にあった尾張藩の支藩の高須藩主<松平義建>は男子に恵まれ
1人は尾張藩主に
1人は会津藩主に
1人は桑名藩主になりました。
6人男子があった記憶。
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舟で往来したほりたの網の目のような水路を「掘潰れ」と呼ぶそうです。
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高須藩は尾張藩の分家で
尾張藩にお世継ぎが生まれない時には高須藩から貰うようになっていました。
で、
最近の尾張藩の藩主に就く方が実は堀田家から御養子にいらっしゃってたので
あら?と思ったのです。
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URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm |
堀田氏は尾州津島七苗の一。
尾張国中島郡堀田(ほった)邑発祥。
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