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 投稿番号:100773 投稿日:2005年05月01日 04時01分55秒  パスワード
 お名前:田内・・・
田内氏と地名について
キーワード:田内 左衛門教能
コメントの種類 :質問  パスワード

徳島県東祖谷の剣山には大剣神社という社がありますが
その縁起書によると平家の家臣である田内左衛門丞教能が安徳帝と平家残党を
先導しこの地に至り云々・・・との記述があります。
いわゆる,各地に残る平家の落人伝説ですが
剣山を経由する徳島から高知にかけてのルートには
田内氏に縁の者が祖谷地方に立ち入った可能性を示す形跡が
地名として残っているように思われます。
たとえば,讃岐から塩江峠を経て徳島の脇町へ出て,そのまま南進し
祖谷へと至るのルートの途中の穴吹には田野内川
剣山の麓にも田内谷という地名が残っています。
そこからさらに伊予土佐へ至る経路である西祖谷にも田内の地名があり
これは無関係だと思いますが・・・
将軍神社なるものも近くにあるようです。
さらに西進した愛媛県新宮にも田ノ内の地名がみられます。
これらは不思議と平家の残党狩りによって
追い詰められて逃げ延びていった経路に符合するようにも思われます。
さらに,京柱峠を経て高知県へと到った先には
戦国時代に長曽我部氏の本拠地があった南国市があるのですが。
長曽我部氏が見地を行った際に記録した
長曽我部地検帳には
「田内ナニガシ」という名が多く見られ
一族で多くの土地を領有(?)していた様子が伺われます。
もちろん長曽我部氏の家臣としてもその名が見られます。
長曽我部氏亡き後も
土佐山内氏が家臣をまとめた
先祖書差出にも「田内儀左衛門教季」等の名が見られます。
山内氏の厳しい残党狩りの際にも
庄屋や郷士などとして生き延びていったのだと思われます。
ところで,うちの先祖は高知で郷士をしていたそうで
黒船来航の際に浦戸の砲台を守るべく
駆けつけた,駆けつけ郷士の中に先祖の名を見るのと
日露戦争の際に従軍した従軍氏族の中に先祖の名が載っています。
それ以外はほとんど詳しいことを知らぬまま今に到っています。
先述のことは先祖供養の意味で私が調べたことで
一般的な事実や推測を言っているに過ぎません。
高知市の比島には田内神社なるものもつくられるぐらい
田内という姓の住民が多く
また,土佐勤皇党の領主武市半平太の実弟には田内衛吉という人や
菜園場という地名の元にもなった国学者の田内菜園など
田内氏にゆかりの人も多いかと思います。
どなたか高知または四国の田内氏について情報をお持ちの方
お教えくださればありがたいです。

[1]田中愛造さんからのコメント(2005年06月02日 02時22分29秒 ) パスワード

田内様
 ご投稿、一ヶ月になり未だに何方もご返事が得られなく、申し訳け有りません。 
御先祖供養の意味を理解せねばなりませんので、簡単ながら説明致します。既に解明されて居られるかとは思いますが、平熱に於いてはタブー視しているのかも知れません。と申しますのも、茲では大半が平氏の御子孫が圧倒的で、余り語りたく無いのかも、平家滅亡の一因とされる田内氏の(裏切り)が平家物語に見られます。
 吾妻鏡に於いては、平氏方の捕虜として阿波成能の名があり、源氏方に騙されたのか?本当に裏切ったのかは、定かではありません。平家から見て例え敵であったとしても、敵を語ってこそ味方を知る、発想の転換が大切です。
 田内氏は(たうち・たのうち・でんない、傳内)と呼ばれ、阿波・讃岐・土佐・伊予での名族で、古くは第八代孝元天皇より出て武内宿禰の子、蘇我石川宿禰の子孫。蘇我氏の川堀(大和高市郡田口村より起こり)推古帝田口臣賜い田口姓。子孫、阿波介・讃岐状掾成行(名東大夫)阿波に赴任す、其の子田口阿波太郎成秀(公文所)ー田口阿波民部大輔成能(重能・成良)−田内左衛門尉教能(則能・成直)ー平三郎成継・・・と続く。土佐の香宗我部の家臣、田内與三郎・次郎兵衛等は教能の子孫。長曾我部氏に敗れる。三河の田内氏も教能の末裔、後の牧野氏。
 通説では壇ノ浦合戦で戦いの途中で平氏を裏切り三百艘をもって源氏方についたとされます。
 田内氏を名乗る祖としては、阿波田口氏族・清和源氏・桓武平氏・菅原氏族等が存在し、土地や家紋も重視すべきで、図書館や教育委員会で調べて見ては如何でしょうか。又、菩提寺や宗派も大切です。
[2]田内さんからのコメント(2005年06月04日 20時44分33秒 ) パスワード

ご丁寧なお返事,まことにありがとうございます。
家紋等についての件,暇な折にまた調べてみます。
家紋は高知に多い扇の紋です。
丸に日の丸扇ですが
地紙など親類ではありますが
少し異なっています。
佐竹や三谷などの姓とも親戚関係らしく
合同で田内神社と言うものをお祀りしているようです。
田内次朗兵衛の名は知っていましたが
香曾我部氏の家臣とは知りませんでした。
戦後のどさくさで鎧兜刀剣など
一切が散逸したようで
先祖を知る手がかり等になるものも
残っている墓碑銘や菩提寺の過去帳
そして,祖父から断片的に伝え聞いたことぐらいで
ほとんど無い状態でしたので
貴重なご意見となりました。
ありがとうございました。
[3]田中愛造さんからのコメント(2006年10月05日 22時34分57秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2006年11月28日 00時02分50秒
[4]小林雅成さんからのコメント(2006年10月06日 16時35分51秒 ) パスワード

横レス失礼します。

蘇我石川宿禰の子孫の田内氏で、後に大坪氏で家紋は扇紋ですか?
特に問題ない使用例だとおもいますが。
[5]田中愛造さんからのコメント(2006年10月06日 17時46分53秒 ) パスワード

小林先生

 ご無沙汰致して居ります。専門家のお出ましで一安心です。
 ご賢察有難う御座います。
 
[6]小林雅成さんからのコメント(2006年10月07日 09時16分58秒 ) パスワード

田中愛造様

蘇我石川宿禰は、大化の改新(所謂クーデター)で表舞台から葬られてしまう蘇我氏の一派ですが、私見では軍需産業(製鉄関連)をにぎっていたのではと推測しています。

ですから、この場合、家紋と名字は、製鉄用語(古代タタラ)では、扇=あふぎ=熔鉱炉、大=製鉄の民オオ、坪(鉱物資源(つち)をとり尽くして切り取られ平らになった)、内は、安徳天皇がらみでは、内裏、内舎人ともとれますが、御在所以外は鍛冶屋の鍛鉄(鉄をうつ)に関連するかと想像しております。田は多と通じて用いられるのでオオを連想します。

最近、インドの製鉄会社タタが、イギリスの製鉄会社を買収する話が出てきていますね。



[7]高知田内さんからのコメント(2006年10月26日 22時03分58秒 ) パスワード

横から失礼します。(漂着)
高知の田内姓の者ですが、内は分家で大豊の出です。
家紋は扇の地紙に日の丸です。

お邪魔しました。

[8]田中愛造さんからのコメント(2006年10月27日 01時37分40秒 ) パスワード

高知の田内様

 貴重なご意見、有難うご座居ました。是非とも大坪氏とご交流下さい。
[9]大坪さんからのコメント(2006年11月27日 18時41分45秒 ) パスワード

田中先生、小林先生ありがとうございました。しばらく見ておりませんでしたのでコメントがあり驚きました。本当にありがとうございました。私の家は父の代で奈良に出てまいりました。今も高知に家と墓地があります。ただ遺されている物や情報が少ないのでわからないことが多かったのですが、その後自分なりに調べたところ、当時二軒あった大坪姓の一方から養子を貰い大坪を名乗ったようです。家紋もその家は檜扇紋で当家と似ています。大坪になってからその家の分家として紋を変えたのか、もともと扇紋であったのかはわかりません。また昔(江戸初期?)、銅山が村にあったが山崩れで閉山となりそこに関わっていた田内氏が高知市内に移ったらしいという話を聞きました。これからもどこまで調べられるかわかりませんが根気よく調べていきたいと思います。今後ともご指導よろしくお願いいたします。
[10]田中愛造さんからのコメント(2006年11月28日 00時18分22秒 ) パスワード

奈良の大坪様

ご無沙汰です。メールに、フルネームで戴いておりましたので誠に失礼致しました。
ご配慮に欠けておりましたので、〔3〕は削除致して置きました。
[11]愛媛田内さんからのコメント(2006年11月29日 00時26分50秒 ) パスワード

伊予出身の田内です。詳しいことは知りませんが祖母から聞いた話だと先祖は武士で、国元で何らかの失態を犯したために四国に逃れてきた一族のようです。田内金左衛門とかいう名前らしいです。愛媛より高知の方に田内姓多いんですねー。そういえば田内衛吉という人も土佐勤王党の人ですよね。彼の命日と自分の誕生日が同じなのでちょっと驚きました
[12]石川 三谷さんからのコメント(2007年09月27日 21時34分37秒 ) パスワード

はじめまして
横レスで失礼します。
私は石川県出身の三谷と申します。
田内さまのコメントに自分の姓がありとても驚いております。
亡くなった祖父から幼少のころ聞いておりましたのは
@先祖は「三谷彦左衛門」ミツヤ コザエモン 現在はミタニと名乗っております。
A「平家方の家系で四国に縁がある」
壇ノ浦の合戦で敗北し、海路か陸路かは不明ですが能登半島にたどり着いたと言い伝えがあります。
B家紋は「揚羽」ではなく「蔦」です。
自分のルーツに非常に興味がありますので、何でもご存知の方は宜しくお願いします。
[13]大坪さんからのコメント(2007年10月27日 08時01分58秒 ) パスワード

石川の三谷様
はじめまして。大坪と申します。私の父は高知県大豊町の出身です。私の祖母の実家も三谷で、大豊町には多くの三谷姓の方がおられます。またその中には平氏の流れをくむという伝承をもつ家もあるようです。『大豊町史』にも三谷氏のことが書かれていますので一度ご覧になられたらと思います。
[14]つたさんからのコメント(2008年01月07日 11時01分47秒 ) パスワード

はじめまして。
私も横からですがたまたまたどり着いてびっくりしている“田内氏”です。
紋は丸に3つの剣(針にも見える)です。

家の伝えでは『四郎兵衛(祖先)が大阪の陣を落ち延びて背中にお地蔵さんを担いで野市(香美郡南部)に来た』となっていますが、本当かどうかはわかりません。
母が調べたところによると香南市(?)に在住の“田内氏”は四郎兵衛さんの兄弟筋らしいとのことです。

ちょっと心霊的な話(余談)なんですが、
母が懇意にしている阿舎利さんが“ルーツ探しはやめたほうがいい”と言われて調べるのを辞めたのですが、祖先に何か血生臭い過去でもあるのでしょうか・・・・




[15]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年01月07日 12時47分15秒 ) パスワード

諺に「先祖自慢はじゃがいもと同じ。1番良い部分は土に埋もれている」と言いますからね。


>祖先に何か血生臭い過去でもあるのでしょうか・・・・

人間の先祖は聖書的にはアベルとカインの話に行き着きますし
日本の神話でしたら「神武東征」はそれこそ先住民を根絶やしに殺してきたことですし
近くでは先の大戦がありますし

人間は本来の<負>の姿は殺し盗み妬み騙し奪いですからね。


日本人の家で1度でも血を流さなかった家があるでしょうか?
人間の家で血を流さずに続いてきた家があるでしょうか?


オーストラリアの子供達は
「うちの先祖は馬泥棒だった」なんて言うそうですよ。
イギリスの流刑地でしたからね。


お母さまの懇意になさっていらっしゃる方は大変な修行をなさっていらっしゃった
ということだと思います。
御仏に全てを委ねた御方のお言葉でしょうね。
[16]つたさんからのコメント(2008年01月08日 12時27分00秒 ) パスワード

暇潰しのギャンブラーさん、レスありがとうございます。
仰るとおりですよね。

“ルーツ探し”はある種のロマンのようなものだと思います。
暗黒な要素もわたしにとっては胸を躍らせることなのですが、
母も歳をとって妙に信心深くなり
他家に嫁ぎ実家も離れたわたしには探す術がなくとても残念です。
[17]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年01月08日 13時12分24秒 ) パスワード

つたさん

>“ルーツ探し”はある種のロマンのようなものだと思います。

はい、そう思います。


お母さまのお知り合いはきっと立派な御家の御出身なんでしょうね。

でも信仰で生きるのでしたら
先祖のことは切り離そうとなさっているのでしょうね。
それよりももっと広い心で全ての人間の心を救いたい
と思っていらっしゃるのかしら?


でも我々は凡人ですから
自分の先祖のコトでいっぱいですよね。


>暗黒な要素もわたしにとっては胸を躍らせることなのですが

御先祖さまの全てを受け入れ
御自分が今この世に存在していることを感謝なさったら良いのですよ。


1番良いのは
明治時代の初めの御先祖さまの戸籍謄本(除籍謄本)を取得なさって
江戸時代にどこに住んでいたかをつきとめ

場所が分ったら
その土地の歴史資料を手に入れ
(教育委員会や大きな図書館で)
御先祖関係の事件など探しまくります。


御家に伝わる言い伝えが載っているかも知れません。


>香南市(?)に在住の“田内氏”は四郎兵衛さんの兄弟筋らしいとのことです

四郎兵衛さんの情報がつかめると良いですね。


わたくしの母方も大坂の役で敗れて落ち武者になっています。
家書によると「隠れ棲んでいた」とも書かれています。
その時に「名を変え家紋を替え」と書かれています。


ですからつたさんの御実家の家紋も
 落人になった時に家紋を替えたものなのか
 明治になって戻した紋か
ロマンですね。

わたくしの先祖は江戸時代に元の名字や家紋に戻す大変な動きをしています。
名字は許されましたが家紋は許されませんでした。


先祖に関心を持ち感謝して一生懸命調べていらっしゃいますと
次々と向こうから「この本を読め」「この番組を見よ」など
やって来ますよ。

不思議なことがいっぱい起きます。


わたくしの場合は先祖から幸せを貰ったと思っております。
知り合いの中にも御先祖がらみで大変な幸運を授けられた方が数人いらっしゃいます。


こういう個人的な幸せを超え
つたさんのお母さまのお知り合いのように自分を無にして全ての人の幸せを願う
というのがもっと上級の理想なんだと思います。


わたくしの上記の知り合い達はそういう方向に進んでいます。
[18]つたさんからのコメント(2008年01月09日 13時12分02秒 ) パスワード

暇潰しのギャンブラーさん、いつもありがとうございます。

以前母が調べてるときに四郎兵衛さんの兄弟筋の方にお会いすることができたそうで、
やはりご家族の御一人がルーツを調べている最中だということでした。
しかし文献が乏しく、その方の見解では平家裏切りに関係して出自を残してないのではないか?
とのことでした。

四国にお住まいの方ならお解かりになるかと思いますが、
高知という土地は“同和問題”について敏感で
戸籍等の古い資料は役所に残ってはいても一般に開示できるものに限界があるという理由で
全てを取り寄せることは出来なかったとのことです。

家紋については図書館等で調べたことはありませんが
webで調べた限りでは類似するものが全く見つかりませんでした。

家の伝えある“お地蔵様を担いで”というのも気になるのですが、
それらしいものは残されておらず
過去に武士だったことを匂わせるような品物も一切ありません。
本家は農家で代々の土地も所有していますが豪農ではないと思います。
明治の頃にはお茶屋のようなものを経営していたこともあります。

古地図などがあったらしいのですが、
そういうことに興味の無かった頃に処分してしまったそうです。


たまたまこのサイトに漂着して同じ“田内氏”について調べてる方がいらっしゃったので
もしかしたら何か新たなことが解るのではないかと思ったのですが・・・

[19]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年01月10日 03時37分18秒 ) パスワード

つたさん

>やはりご家族の御一人がルーツを調べている最中だということでした。

どこの「家」でも先祖について調べるという人が必ず出てきます。
それは御先祖さまからパワーが来るからです。
そして
それをキャッチする人が必ず1人は出ます。

四郎兵衛さんの兄弟筋の方とお知り合いになれると良いですね。
お母さまからもっと聞けると良いですし
お母さまの御親戚の方にも連絡を取り合う方が良いですね。
いろいろな情報をとにかく集めることが第一歩ですから。


>しかし文献が乏しく、その方の見解では平家裏切りに関係して出自を残してないのではないか?
>とのことでした。

市や県の教育委員会では古代から調べていますから
古代からの史料が手に入ると良いですね。
田内家がどの時代から始まったのか分りますから。

ものすごい膨大な史料があるはずですよ。

わたくしの場合は1980年代でしたから郵送でお願いしました。
教育委員会の歴史編纂課にお願いしました。

そうしましたら
担当の方から何人かの各市の歴史研究家を紹介されましたよ。
中には歴史編纂に携わった専門家もいらっしゃったり
資料を問い合わせた本屋さんからも本をお書きになった専門家を紹介されたりして
恐縮しきりでした。

地道にやっての結果でした。


田内氏は平家を裏切っても(わたくしの先祖も平家から源氏に乗り換えましたしね)
鎌倉時代に活躍なさったでしょうから鎌倉時代の資料も必要ですね。
その後土地の豪族とか鎌倉幕府の地頭とか何か役職をお持ちでしたでしょうし。


大坂の戦いは長曽我部さんに従って大坂の陣で敗れたのでしょ?
我が家に似てますね。

我が家はお地蔵さまではなく「母」を背負って住吉村に逃げたと書かれています。


ですから
源平から戦国時代までの間の歴史がどこかに埋もれているんですから
資料から掘り出さなくては。笑


系図とか家書も1つだけじゃなくて写しがどこかにあるはずですよ。
わたくしお探しまくりましたから。
親戚(血のつながりは無いけど名字を継いでいる人達も)捜しまくりましたよ。

春の彼岸とかお盆の時とかお正月とか
そういう機会はチャンスです。
誰かが何かをご存知ですからね。
「誰それが系図を借りて行って返してくれてない」とかね。
[20]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年01月10日 03時49分58秒 ) パスワード

>戸籍等の古い資料は役所に残ってはいても一般に開示できるものに限界があるという理由で
>全てを取り寄せることは出来なかったとのことです。


これは御自分から遡って1代1代除籍謄本を取得していかなくてはなりません。
弁護士を雇えば簡単でしょうけど
御自分で取得するのが1番と思います。

その際には「先祖の800回忌」とか、理由を書いてくださいね。
ま、現実的には、100回忌かしらね。笑

ただし最近の人のことは「個人情報のなんとか」で出来ないですよ。
確かに母の「いとこのそのまた向こうの人」について調べたかった時は断られました。
1993年辺りです。

これで明治の初めの(江戸時代末期に生まれた)先祖の除籍謄本が取得できましたよ。
時間もお金もかかりましたよ。笑



>家紋については図書館等で調べたことはありませんが
>webで調べた限りでは類似するものが全く見つかりませんでした。

家紋はそれこそ「御家のアイデンティティ」ですから
わたくしの先祖が大坂の役で敗れてから使った紋も1冊だけ載ってましたが
他では見たことがありません。
ロスの本屋で見ました。笑

つたさんのおっしゃる家紋に似た感じですよ。

どこまでも似てるなあ、と
これも先祖がらみなんだろうな、と空想しております。

きっと
源平時代も、
戦国時代も、
大坂の役も、
つたさんの御先祖さまとわたくしの母方の先祖とはお知り合いだったんじゃないか
と驚いております。
[21]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年01月10日 04時19分57秒 ) パスワード

>過去に武士だったことを匂わせるような品物も一切ありません。

山内が掛川でしたっけ?掛川から土佐に入府した時
長曽我部の息のかかったモノすべてを弾圧しましたから
その時に泣く泣く手放したのでしょうね。


江戸時代には各地でムカシの名家の子孫を捜し出して来て抱えましたけど
土佐は逆に大変な目に遭わせましたからね。
今でもその時の恨み辛みは解消されていませんものね。


でも「田内」姓の方は電話帳などから分りますでしょ?
そこからお地蔵さんのお話や家紋で尋ねることは可能だと思いますが。
返信用の封筒を同封なさって郵送でアンケートをおとりになったら良いのですよ。


徳島とか香川、愛媛の方も調べた方が良いですね。
それから大阪エリアも。


わたくしの母方は血の繋がらない人達がそれぞれ継いで栄えています。
この人達にも系図のコピーを送りました。
血を継ぐ者はみんな名字が変わっています。

こんなものですから「ルーツ探しは意味がない」とも言えます。
自爆


御先祖様を大切になさって感謝なさいますと、幸せになれますよ。
   幸せの解釈については各自違いますが
わたくしの場合は先祖には感謝しています。


あの大坂の役の時に同じような命からがらの体験をなさった御先祖さまのお話をお持ちの方とお知り合いになるとは思ってはおりませんでした。

ここ暫く先祖に感謝をしてなかったので(笑)先祖からのメッセージかもです。(笑)
[22]つたさんからのコメント(2008年01月10日 13時23分19秒 ) パスワード

暇潰しのギャンブラーさん

大変なご尽力をなさったのですね!!
(しかもロスの本屋で家紋を発見するなんて、面白いですね)
昭和は良い時代でしたね
母が役所に行ったのはもう個人情報保護法が出来た後だったと思います。
20〜30年前に古地図を掲載した本が“部落地域が表記されてる”という理由で
販売中止になったことがあります。
だから尚更“同和”に関連する資料が含まれると見せてはもらえませんね。



実を申しますと、、
ギャンブラーさんのような情熱を持って探してるというわけではないので大変恐縮しています。

四郎兵衛さんの兄弟筋の方とは母が調査をやめてしまったので交流はしてないようです。
ただその方はご自分で調べた結果を本にしたいと仰っていたそうです。
それは身内だけで見るものなのか、販売するのかまでは聞いてませんが、
製本された際に連絡してくださるといいのですが・・・・
(全くもって他力本願で重ね重ねお恥ずかしいです)

阿闍梨様が当家のお墓を見にいらしたときのことですが
場所は田舎にありがちな裏山にあるのですが他家の墓所も隣接しており、
その1つが山内から逃れた長曾我部家臣の女系の家系だと仰ったそうです。
(阿闍梨様にはそういうのを感じる力があるそうです)
もしかしたらお隣のお家とは古い時代には親交があったのかもしれませんね。
程近いところには山内家 家臣のお墓もあるんですけどね(笑)

正確にいうと母の家が本家にはなるのですがわたしの祖父が農家を嫌ったので
祖母の妹が養子をとって仕事と土地を継ぎました。
(祖父と祖母は従兄弟同士なのです)
もしかしたらその家の納屋あたりに何か残されてるかもしれません。
母が亡くなり兄の代になったら頼んで探してもらおうかと思います。


偶然たどり着いたサイトでもしかしたらご先祖さま同士が袖擦れ合っていたかもしれない方とお話してるかと思うとドキドキしますね。

お正月に3〜4年ぶりに帰郷したのにお墓参りしてこなかった事を少し後悔します。



[23]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年01月11日 05時10分18秒 ) パスワード

つたさん

>大変なご尽力をなさったのですね!!

それが「向こうから」飛び込んで来るように次から次へと手に入りました。
エンジンがかかるまでに物凄い時間がかかりましたよ。

そのかわり一旦エンジンがかかったら
つけるテレビの番組に先祖に繋がるシーンが出てたりして
本屋に行けば本の方から懐に飛び込んで来ましたしね


他にも「切れぬエニシ」というのも分りましたよ。

日本人は8代も遡ればみんな親戚になると聞きましたが
ホントに親戚ばっかりでビックリしました。

全く場所も違うし名字も違うし、
だから関係ない他人かと思っていたら

  母と父が結婚した関係が
  母と同い年の母の大阪の従姉妹と彼女の夫の関係とよく似てました。

家紋が同じだったんですよ
しかも大昔の出身地が母の夫(つまりわたくしの父 笑)の出身地のすぐ近く同士でした。

いろいろなコトが重なって
偶然だと思っていたけれど
(この世には偶然なんてないんですよ〜、必然なんですよ〜)
の国分さんの言葉が身に沁みました。



ですから、みんな、全くの他人の関係のつもりでいても
実は大昔に先祖が知り合いだったり仲間だったり同じ血を共有してたりのようですよ。


>20〜30年前に古地図を掲載した本が“部落地域が表記されてる”という理由で
販売中止になったことがあります。

この本が手に入ると良いですね。
古本屋さんにお願いしておいたら見つかるかも。
御先祖さまの助けがありますとね、無いものが在ったりするんですよ。


土佐は江戸時代の山内家の支配で日本の中でもややこしい感情問題になってますから
今でもこじれにこじれているんでしょうね。



何かの時に古い戸籍謄本が手に入ると良いですね。

現在80代ぐらいの人だったらどこかにお持ちだと思いますけどね。
何かの機会にそういう話題を出したら良いですよ。
「物持ち」って、どなたか、お1人はいらっしゃいますよ。笑


>ご自分で調べた結果を本にしたいと仰っていたそうです。

他のお宅でも、そういう方がいらっしゃって自費出版なさったりしてますよ。

ですから田内姓の方にお手紙を出しまくって
そういう情報をお持ちの方を見つけたら良いのですよ。

中には「こんな物、いらないのに」と手放したがっている人もいらっしゃいますでしょうから。



>(祖父と祖母は従兄弟同士なのです)

ここも共通します。
母が言いますには、母の両親は従兄妹結婚だ、と。

   確かに戸籍の名字は同じなんですけどね
   系図的には従兄妹でもハトコでもないんです  
   母は自分の両親は従兄妹結婚だと今でも頑張ってます 笑
  



>偶然たどり着いたサイトで
>もしかしたらご先祖さま同士が袖擦れ合っていたかもしれない方とお話してるかと思うとドキドキしますね。

はい。
これも御先祖がらみなんでしょうね。


>お正月に3〜4年ぶりに帰郷したのにお墓参りしてこなかった事を少し後悔します。

ここがポイントですね。
御先祖さまのどなたかがパワーを送りたかったんでしょうね。笑
つたさんにキャッチして欲しかったのでしょう。


実はわたくしもね
最近パワーを感じていたのですよ。

まさか「つたさん」と御先祖さま同士が袖擦れ合っていたかもしれないね
という会話をすることになるとは思ってなかったです。


ムカシわたくしの先祖はたった50人の敵に城を落とされたのですけど
その後
数百年後にはたった200人の敵に城を明け渡したという話を「昨日」知りました。
昨日ですよ。笑


源平時代や鎌倉時代の立派なウチの御先祖さまの姿は
    あれは何だったのか〜!
です。笑


ホント「ルーツ探しって???」でした。
あはは


そうですね
今年のお盆をめどに
いろいろ手をお尽くしになって情報を集め
更には
御親戚の皆さんに集まって頂いて御先祖さまに感謝なさってはいかがでしょう?
[24]つたさんからのコメント(2008年01月11日 12時56分04秒 ) パスワード

暇潰しのギャンブラーさん

まさに“他生の縁”ですね。

現在は母が調査するのを嫌がるので出来ませんが、
そのうちわたしにも「エンジン」がかかるときが来るのかもしれません。
わたしがこうしてお話させていただいてるのは
ギャンブラーさんのご先祖様のお導きであって
わたしは今はまだ“そのとき”ではないのかもしれませんね。

阿闍梨様と出合ったのもお導きなのかもしれない、と母が言っていますが
そのお寺さんのご本尊さまが“お地蔵さん”なのですよ。
まあ「ものは考えよう」的な発想ですが・・・

他のスレッドを見て思ったのですが、
ギャンブラーさんは相模の国にお住まいですか?
わたしも現在 相模に住んでます。
もしそうだとしたらこれもまたご縁でしょうか(笑)
[25]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年01月11日 23時15分44秒 ) パスワード

つたさん


>母が調査するのを嫌がるので出来ません

こういう人も必ず一族の中に存在しますね。
つたさんの場合は「御家族の中」ですが。


わたくしの場合は「父」です。
   「ムカシのことなんか」
という態度です。笑

姉と弟も無反応です。


でも母の叔母(つまりワタクシの祖父の妹=大叔母=というの)が熱心な人でした。
その御蔭でいろいろ助かりました。
1993年だったか先祖ゆかりの江戸幕府時代の初めのお寺に行きました。

それから母の姉が熱心で
さらに
上記の大阪の母の従姉妹が熱心です。


御蔭で「幻の江戸時代に替えた家紋」を見ました。
写真に撮ったのが手元にあります。


結局こういう人達の御蔭で血の繋がらない親戚の存在も見つかりましたし
家書も手に入りましたし
源平時代の先祖が鎌倉時代に流された地に建てられたお墓にも行きましたし
  そこの教育委員会が保護してくださっていますし
  町の人がいつもきれいに手入れしてくださっているのを知りましたし


エンジンがかかったらスゴイですよ。
コワイぐらい色々なことが起きたりします。

それまでに地道に今出来ることをなさったら良いのですよ。
土佐の(県や市の)教育委員会発行の歴史の本を取り寄せて読んだり

そうしますと次に何をしたら良いのか分っていきます。


>わたしは今はまだ“そのとき”ではないのかもしれませんね。

>阿闍梨様と出合ったのもお導きなのかもしれない、と母が言っていますが
>そのお寺さんのご本尊さまが“お地蔵さん”なのですよ。
>まあ「ものは考えよう」的な発想ですが・・・

そうですね。
ものには2面性がありますから
お母さまのお願いも聞いてあげませんと親不孝ですしね
今は「その時ではない」ということなんでしょうね。



>ギャンブラーさんは相模の国にお住まいですか?

今は8500km離れた所に住んでいます。


9世紀か10世紀頃に先祖が市原市に住んでた近所に行った時にある体験をし
また鎌倉には鎌倉時代に先祖が住んでましたからね。
御成町とか材木座とか極楽寺とか好きですよ〜

腰越は嫌いなんです。

DNAに刷り込まれた先祖の記憶がそう感じさせるのかな?
なんて思います。



関東にお住まいでしたら高知の郊外の御実家に行くというのはちょっと大変ですね。
東京の国会図書館とか
東大の図書館とか
スゴイ資料があるときいてますけどね。

そちらで出来ることというのもあると思います。


まずは御先祖がらみの平家物語の項をしっかり読んで
出て来る固有名詞(地名とかもね)を調べまくるとかね。

今の段階で出来ることをなさったら良いですね。


東京や横浜あたりの電話帳で「田内さん」を調べたりね。


わたくしはムカシある田舎の市の電話帳をかっぱらって来たことがあります。

その頃は東京の八重洲口だったかで日本全国の電話帳が用意されてましたっけ。
今でも東京でしたらそういうのがあるかも。
「今だから出来る段階のこと」をなさってみてはいかがでしょう。



「お地蔵さん」「地蔵菩薩」というのも不思議な御縁ですよねえ。

実は最近「仏像を彫る」という番組を見てまして
最終的には「お地蔵さん」を彫るらしいんですが
笑ってしまうぐらい偶然が重なりますね。


ムカシわたくしは「あんたにはお地蔵さんと神さんがついている」と言われ
   それも嫌いな人にです
「あんたには何をやってもかなわない」とイジメ甲斐がないことを言われました。


神さんの正体はどこの神さまか分りますけど
お地蔵さんは謎だったのです。

まさかココでお地蔵さんや地蔵菩薩のお話をすることになるとは思いませんでした。


やはり日本人というのはDNAの中に先祖の記憶というのが刷り込まれているのかも。
「日本人」という共通点は世界でも稀なんだって確信に変わります。
[26]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年01月11日 23時20分27秒 ) パスワード

ですからね
鎌倉で?
四国で?
鎌倉時代にもつたさんの御先祖さまとわたくしの先祖が親しくしていたのかもですよ。

是非鎌倉時代の歴史関係の書物をお読みになってください。
御先祖さまのお名前が出て来るかも。


大坂の役では同じく落人になってますから
その前にも何度も同じような経験をしてるんでしょうね。


そういう先祖のいろいろな過去を知ることが出来るなんて
生きていく時に力になってくれますよ。
[27]つたさんからのコメント(2008年01月15日 12時35分43秒 ) パスワード

暇潰しのギャンブラーさん

色々ありがとうございます。

わたしは歴史にうといので
どのあたりから攻めていったらいいのか見当を付けかねますが
ここはご先祖様のお導きを信じて直感で目に付いた本あたりから読んでみることにします。
家の伝えが正しいことが前提ですが(笑)

当家の紋に似ているというギャンブラーさんの御紋を拝見してみたかったです。
また何か新しいことがわかり、このサイトがまだ存続していればupしますね!

ちなみに、
お寺のご本尊である“お地蔵様”は地蔵菩薩の形態ではなくて、
本当に道祖神の“お地蔵様”なのですよ。
もともと阿闍梨様のお父様が霊感の強い方で、
たまたま見かけたお地蔵さまに導かれてお寺を建てたとのことです。


嫌いな人に「あんたには何をやってもかなわない」と言われたそうですが、
お地蔵さんと神さんが見えるような人が何をしようとしたのか考えると怖いですね・・・



[28]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年01月16日 11時03分06秒 ) パスワード

つい最近、岡本知高さんの小鹿学園時代にお世話をなさった女性を見て驚きました。

似てるんですよ
母方の顔に。
わたくしにも似てると言えば似てるし。


宿毛とか高知の辺りには知り合いはいないと思っていても
やはり日本人というのは切っても切れない「血」で繋がっているんでしょうね。


>家の伝えが正しいことが前提です

勿論ですとも。
御家の言い伝えというのはアイデンティティですから
その言い伝えのある家が狭義での一族になります。

名字が同じ
家紋が同じ
言い伝えが同じ
これは「最も身近な親戚」ということになります。


わたくしも「言い伝えの方が正しかった」ということが幾つかありました。
言い伝えの幾つかを「絶対に否定してた」のに
後で「言い伝えが正しかった」ということを知り、
「言い伝え」って「ナカナカあなどれない」とうちひしがれました。



言い伝えは他人からとやかく言われることじゃないです。
身内だけは後々の世に言い伝えて欲しいです。

ですからヒトには言わない方が良いでしょうね。

一子相伝のようにコッソリ言い伝えるのが良いと思います。
他人からドーたらコーたら言われたくないです。
(身内の中ではいいですけどね)



>本当に道祖神の“お地蔵様”なのですよ。
>もともと阿闍梨様のお父様が霊感の強い方で、
>たまたま見かけたお地蔵さまに導かれてお寺を建てたとのことです。

すごいですね。
何か意味があるのでしょうね。
込められた思いというのが何か分ると良いですね。



>嫌いな人に「あんたには何をやってもかなわない」と言われたそうですが、
>お地蔵さんと神さんが見えるような人が何をしようとしたのか考えると怖いですね・・・

嫌いなヒトに言われた時はイヤでしたけど
他の人達に「いいわねえ、守られているってことね」と言われて

確かにこれまで何度も命の危機にさらされた時も無事に乗り切ることが出来ました。


最近では
2002年のテロ事件で
いつもの日でしたら死んでました。

この日は文字通り「神風」が吹いたために
それで「その時に限って」その場にいなかったんです。

その場にいた人は数人死にましたし大怪我したヒトも何人かいますしね。
その人達は知ってるヒト達です。


(この事件の犯人を知ってる人がこの平熱に当時来ていらっしゃってということもありました)


もう1つはつい去年の11月の終わりです。

ありえない「霧」が出て命が助かりました。
夫と義兄とわたくしの3人はこの濃霧の中を高速で事故死するのかと覚悟したんですけど
この「霧」の御蔭でこうして今も生きています。

(わたくしの住んでる所は「霧」なんてありえないんですよ。
砂漠に住んでますから。湿度2%とかのね。
天気予報で「雨」となってても雨が地上に届かない所ですから
註:たまには雨も降りますけどね。ハリケーンがメキシコを襲ってる時には 笑)


御先祖様に感謝して生活してますとね、助けてくれますよ。
御先祖さまでなくても、生まれたことを感謝していると、助かりますよ。

お地蔵さまの意味が分ると良いですね。
[29]大坪さんからのコメント(2008年01月20日 14時27分20秒 ) パスワード

こんにちわ。
私の名前は大坪です。
私の祖父が徳島の出身で、大坪家の家計図を長年にかけて作成しているのですが、よっとして遠い親戚かも?なんて思ったのでメールしてます。
私の祖父の父は高知県出身で、本家はお武家様の出身のようで長曽我部とも関連があると聞きました。
あの時代(ひい、ひい、ひいお爺さんの時代)には名前を皆さん買ったと聞きましたが....
[32]田之内眞盛さんからのコメント(2012年11月12日 20時58分09秒 ) パスワード

ええっこんなブログがあったのですか。驚きです。私は愛媛の松山に住む田之内というものです。67歳の年寄ですが、生まれた家は庄屋でした。私が生まれた時にはすでに庄屋制度などなかったですが、松山でも古びた山村でしたから、封建制度の名残が残っていて私は庄屋のぼんで育ちました。家は明治時代まで田内(デンナイ)でした。ところが明治時代になってからでも家が三回も焼けてしまったのです。そのうちの一回は村全部が焼けてしまい、隣村まで焼けてしまいそうになったのです。ところが隣村との境にあった地蔵さんが倒れてこの火を消してしまったそうで、隣の村人はこの地蔵さんを寺に預け、火伏せ地蔵として祀っています。今でも地蔵はあるし、この話が松山の伝説として残ってもいます。かくほどの火災に遭遇して私の家は平家の歴史を残した品物が焼けてしまったのです。だから私の家が田内左衛門尉教能の子孫であるという証明はできません。しかし、平家物語に出てくる田内と家来の烏谷との繋がりは今でもあるのです。落ち延びた山中で、烏谷を含め九百年という年代を生きてきたのです。その村は時代の流れに逆らえず、四十年ほど前に村人が村を棄てて町に出てしまったのです。私の家もその前に村を棄て、町の生活に浸ってしまっていたたものですから、そのことに関しては何も言えません。しかし、あの平家物語に出てくる家来の烏谷だけが頑張っていてくれているのです。田内左衛門尉教能が落ち延びた村で九十歳を過ぎたお婆さんだけが一人寂しく生きておられます。これだけのかすかな証拠しかない私は平家の落人などと恐れ多くて言えず、落人そのもののごとく黙ってひっそりと生きているのです。

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