[1] | 今市屋平右衛門の子孫さんからのコメント(2005年03月28日 22時00分53秒 ) | パスワード |
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延慶本平家物語にも有りますね。
第五末(巻十)41丁表より
「ただ\これ/より\屋嶋/へ\帰/て、\さんみ/の-ちゆうじやう、\しん-せうしやう/に/も\ありさま/を\まうせ。\さぶらひ-ども/も\いか/に\ふしん/に\思/らむ。\たれたれ/に/も\かく/と\しらせ/ず/して、\いか/に\うらむ/らむ/と\思/こそ\わびしけれ。\そもそも\からかは\/と-いふ\よろひ、\こがらす\/と-いふ\たち/は\たうけ\ちやくちやく\さうでん-し/て、\我/まで/は\既に
41裏
\はちだい/なり。\そ/の\よろひ、\たち/を/ば\さだよし/が\もと/に\あづけ-おき/たり。\とり/て\さんみ/の-ちゆうじやう/に\たてまつれ。\もし\ふしぎ/にて\世/に/も\おはしまさ/ば、\のち/に/は\ろくだい/に\たまはる/べし。\さちゆうじやう-きよつね/も\海中/に\沈み、\びつちゆう/の-かみ-もろもり/も\いちのたに/にて\うた/れ/ぬ。\これもり/さえ\また\かく\なり/ぬ。\いか/ばかり\たよりなく\おもは/むず/らむ。\つひ/に\のがる/べき/なら/ね/ば\おもひ-たち/ぬ/と\まうせ」/とて、\おん-なみだ\又\せき-あえ/ず。
長門本には
抑唐皮といふ鎧、小烏といふ太刀、平将軍よりこのかた、当家嫡々相伝して、我までは九代に当れり、其鎧太刀貞能が許にあづけ置たり、急ぎ取よせて三位
中将殿に奉れ、若し不思議にて代にもおはせば、六代にたべなど申せと細々と泣々の給ひけり、是より熊野へ参らんとのたまひければ、いかにもなりたまはん有さまを見奉らんとて、時頼入道も参りけり、
と有ります。
[2] | 今市屋平右衛門の子孫さんからのコメント(2005年03月28日 22時02分44秒 ) |
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本人によりコメントは削除されました。 2005年03月28日 22時03分01秒
[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年03月29日 06時55分35秒 ) | パスワード |
今市屋平右衛門の子孫さん
ありがとうございました。
助かりました(ぺこり)
[4] | 高清さんからのコメント(2005年04月10日 16時14分15秒 ) | パスワード |
小松家は平家嫡流の家とありますが、
小松家って重盛の家ですか?
詳細を知りたいのですが、家系図などあったらよろしくお願いします。
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月11日 01時43分15秒 ) | パスワード |
>小松家って重盛の家ですか?
はい
小松谷にお屋敷を構えていたので「小松殿」と呼ばれていたそうですよ。
「義経」の重盛を演じた役者さんの奥様は小松姓で
やはり重盛ゆかりの家の出だそうです。
ただ彼は「妻は重盛の子孫」とは言わず1クッションを置いて
「重盛の家に仕えてた者の子孫」とおっしゃってました。
この役者さんの人間性の謙虚さが出てるお話だと思いました。
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