[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年12月26日 11時31分53秒 ) | パスワード |
生まれた所があちこちにあるというのも変ですねえ。
[2] | 太郎さんからのコメント(2004年12月27日 01時43分43秒 ) | パスワード |
「木曾」を辞書で調べると・・・
長野県南西部、木曾川上流一帯の称。木曾郡の地域。ヒノキなど良材の産地。
とありますね。長野県説はないのですか?
[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年12月27日 07時22分03秒 ) | パスワード |
太郎さん
木曾義仲は父親の義賢が従兄の義平(=頼朝や義経の長兄)に殺されて
それで乳母の夫である中原兼遠の信濃の屋敷に引き取られたのですから
長野生まれというのはないのです。
木曾義仲は次男で母は遊女だったそうです。
[6] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年12月27日 07時39分02秒 ) | パスワード |
私は関東は土地鑑が全く無いので埼玉も群馬もこんがらがってますが
木曾義仲は久寿元年(1154年)生まれ
父親の義賢は久寿2年(1155年)8月16日に殺されているそうです。
父親の義賢は仁平3年(1153年)上野国群馬県多胡郡に下向して
武蔵国の豪族秩父重隆の婿になり上野国・北武蔵国で力を持ち
久寿2年、武蔵国比企郡大蔵館(埼玉県嵐山町)で義平に攻められ
妻の父の重隆と共に殺されたそうです。
[9] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年12月27日 23時37分06秒 ) | パスワード |
それで木曾義仲の生地は
・上野国(群馬県)多胡荘
・武蔵国比企郡大蔵館(埼玉県嵐山町)
というのが有力です。
昔は生母の身分が低いと、先に生まれてても次男扱いになりますから
多分義賢の長男?嫡男!というのは正妻(秩父重隆の娘)が産んだ息子でしょう。
[10] | 太郎さんからのコメント(2004年12月28日 01時02分08秒 ) | パスワード |
「木曾」義仲につられてしまいました、あはは(汗)
確かに義仲は中原兼遠に引き取られたのでしたね。
【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る 】 |
|
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇ DB-BBS-system V1.20 Rapha. |