[1] | 田中愛造さんからのコメント(2004年10月04日 21時01分29秒 ) | パスワード |
坂梨様
皆様お忙しいそうですので一言。名門中の名族ですね、親御さんの云われる通り。
神武天皇ー神八井耳命ー武宇都彦命ー武速前命ー敷桁彦命ー健磐龍命ー速瓶玉命(阿蘇国造)−建渟美命ー美穂主命ー武凝人(宇治部君)ー倉主ー小国ー石金−赤目子ー鳥見ー小枝−真里子ー宇治角足(賜姓、宇治宿禰・阿蘇評督)−平田麻呂(阿蘇郡擬大領・阿蘇宮司)−武男(阿蘇神主)−定足(阿蘇宮祝神主)−継村(阿蘇宮権祝・権神主)−建人(祝神主)−共直(阿蘇宮司)−友成(阿蘇大宮司)−友仲(大宮司)−友孝(大宮司)−友実(大宮司)−友房(大宮司)−惟俊(大宮司)−惟宣(大宮司)−資永(大宮司)−阿蘇惟泰(阿蘇・健軍両社大宮司)
宇治部・宇治・阿蘇氏に於いて諸説が多く、最も信頼性の高い阿蘇国造・大宮司家のものを書いたが古書書籍類が多く残されいるのでご参照願います。
阿蘇惟泰ー惟義(大宮司)−惟景(大宮司、弘安の役功有り)−坂梨惟春(肥後国阿蘇郡坂梨邑より起こる)ー九郎・・・
姓氏家系によると《阿蘇惟澄申状に延元2年坂梨子太郎入道宗嘉、其の子雅長》と在り、阿蘇文書に正平6年《坂梨子兵衛助惟教・代官となり、軍忠致す》と。又坂梨
惟定(孫熊)足利尊氏に属し、大宮司となり惟時に敵対す。坂梨文書に《肥後国阿蘇社大宮司職云々、御舎弟乙房殿に譲與せられ候由、承り云々》又正平3年惟澄申状に《大将坂梨孫熊丸以下64余人討取り了る》又暦応4年《乙房大宮司殿》と。天正中にもこの氏見ゆ、とあります。尚、坂梨子は坂梨と併せ云う。
阿蘇氏は菊地氏と並んで氏族も多く武士団を形成した、阿蘇惟時は天皇方として、六波羅攻撃や箱根竹ノ下の戦いに転戦し、子息惟直が多々良浜の戦いで敗死し大宮司職復帰、戦後一族の坂梨孫熊丸が尊氏より職を任ぜられ、地位が動揺し北朝方に走るが貞和5年(正平4年)征西将軍宮懐良親王に帰順した。
[2] | 高森殿さんからのコメント(2006年03月11日 16時38分57秒 ) | パスワード |
代々阿蘇の坂梨に住む高森さんは、阿蘇大宮司惟直公の後裔とある本で読んだのですが、本当でしょうか
[3] | nakaiさんからのコメント(2006年03月14日 16時43分02秒 ) | パスワード |
URL=http://rizardon.com/~nakai/ |
伝承系における「坂梨」について。
坂梨家は,肥後国(三加和町や菊水町など)の阿蘇神社の創建と
深く関わっています。
熊本県菊水の阿蘇神社の石段を登る途中に,
坂梨家の祖社が建っています。
(菊池川沿い)(平家伝承あり)
三加和町阿蘇神社(和仁川)の阿蘇神社も坂梨家が関係しています。
三加和町は,豊前街道が通っています。
腹切り坂の下で参勤交代の殿様が休憩しましたが,
そのあたりにも坂梨姓の人々が住んでいます。
*****
福岡県高田町平(でーら)は,
平家落人の末裔が住んでいることで知られています。
毎年4月16日ころに,現人神さま(安徳天皇?)をお祀りしています。
この集落は,「坂梨家」ばかりが住んでいます。
瀬高清水寺−赤星(地蔵渡し)−平−吉野釈迦堂へ抜ける
「巡礼の道」の要衝です。平の入り口を,立派なお地蔵様が守っています。
*****
伝承は,以下のとおり。
平家は,要川の戦い(「平」の前にある川)で負けた平家は,山の中に隠れた。
昼は,山に隠れ,夜になると里に出た。
名前を聞かれて,「平」と答えることができないので,
「坂梨」(坂がないから)と答えた。
*****
坂がないから「さかなし」というプロットは,
阿蘇神社の北の「坂梨」(本拠地)にもあります。
*****
参考になれば幸いです。
[4] | 真さんからのコメント(2006年07月10日 19時59分51秒 ) | パスワード |
高森氏、坂梨氏、恵良氏は阿蘇氏の分家と聞きます。高森氏は比較的
新しい分家じゃないかと思います。
[5] | 友さんからのコメント(2009年08月06日 19時09分57秒 ) | パスワード |
高森氏は数百年前に分かれた分家かと思われます。
[8] | こcさんからのコメント(2010年03月15日 22時43分22秒 ) | パスワード |
坂梨家の御子孫は現在阿蘇在住です。
[9] | かつては坂梨さんからのコメント(2010年04月12日 21時50分05秒 ) | パスワード |
坂梨高城城主だった坂梨右衛門惟祐は殿様と言えるのかもね。
[10] | こcさんからのコメント(2010年04月25日 22時43分32秒 ) | パスワード |
坂梨右衛門惟佑の御子孫は、現在坂梨におられ、江戸時代は御茶屋だった家柄です。
[14] | われもこうさんからのコメント(2014年01月27日 15時19分58秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2014年09月09日 13時35分56秒
[15] | われもこうさんからのコメント(2014年01月27日 15時24分06秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2014年09月09日 13時36分20秒
[16] | 彗星植物さんからのコメント(2014年02月03日 22時24分04秒 ) | パスワード |
天正期、坂梨氏の一族である坂梨惟連(弥吾助)は西源兵衛、渡辺軍兵衛と共に阿蘇惟光の目丸逃亡に同行しました。
関ヶ原後に惟連流の坂梨氏は復興した阿蘇家の最高家臣として阿蘇神社前に屋敷を構え、現代に至っています。
宮地のご出身でしたら、惟連の子孫かもしれません。
ちなみに、同じ阿蘇家の家臣で分家である村山氏や西氏は、阿蘇家と違ってまったく名前を聞きません。
果たしてどのような歴史を辿っているんでしょうかね?
[17] | おっさんからのコメント(2014年08月19日 21時32分48秒 ) | パスワード |
阿蘇家の分家で、現在まで子孫が残っている家はありますか?
あれば教えていただけるとありがたいです。
[18] | 落ち武者????さんからのコメント(2014年09月13日 08時45分08秒 ) | パスワード |
僕も坂梨姓なんで、
いろいろしらべましたが、
平家の落武者じゃあないみたいです。
阿蘇源氏、源頼長さん、という人が、ルーツに関係してます。
むしろ、源氏みたいです。
江戸時代は肥後細川大名の元、肥後藩士だったみたいです。
坂梨平太とかいうらしいです。
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