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 投稿番号:100692 投稿日:2004年09月29日 10時08分18秒  パスワード
 お名前:今井裕子
今井四郎兼平について
キーワード:今井兼平
コメントの種類 :質問  パスワード

こんにちは。突然失礼します。
今、今井四郎兼平という人物について調べています。
幼少の頃のエピソードが載った本や義仲との関係について書かれた論文など、何かご存知な方がいらっしゃったらぜび紹介していただきたいと思い、投稿しました。
ぜひよろしくお願いします。

[1]今井俊一さんからのコメント(2004年11月02日 20時00分23秒 ) パスワード

 私は今井俊一と申します
 系図などは現存しておりませんが,伝聞によると粟津でなくなった四郎兼平の長男は大阪は忠岡町で名前を変えて,生き続けたとのことです。 
 私の先祖は次男で,四国に渡り,いったん徳島県は祖谷に移り住み,その後高知県に移って,私に続いているとのことです。
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年11月03日 02時05分20秒 ) パスワード

10年ぐらい前徳音寺に行った時
九州系の今井さん御夫婦が来ていらっしゃいました。

昔は数えの17才ぐらいで長子が生まれてたりしますから
きっとたくさん男子を残していらっしゃったのでしょう。
[3]今井裕子さんからのコメント(2004年11月15日 10時45分43秒 ) パスワード

今井俊一さん、暇潰しのギャンブラーさん、返信どうもありがとうございました。
兼平さんは各地に子孫を残していらっしゃるみたいですね。
どんな私生活を送っていたのかを考える参考にもなりました。
ありがとうございました。

今井裕子
[5]チェザリスさんからのコメント(2006年06月08日 10時41分31秒 ) パスワード

http://www.ff.e-mansion.com/~kyaro/kisokiso/kisokiso.html
http://www.ff.e-mansion.com/~kyaro/kisokiso/jinbutu/siten/imai.htm
こちらに結構詳しいです。
[6]今井豊和さんからのコメント(2007年01月08日 22時33分21秒 ) パスワード

私の家も今井四郎兼平の家系と聞きます。私自身は徳島出身なのですが、今井家子孫の家系は岐阜の高山に確かに存在します。
[7]今井拓也さんからのコメント(2007年06月23日 03時48分54秒 ) パスワード
URL=http://http//www.imaiseikaku.co.jp

私の家もそうです。余談ですが6年前滋賀で夜道に迷い細い路地に入り込んでしまい奇跡に近い偶然に兼平庵の前にいました。その時は夜で雨も降っていましたので一年後の10月頃お経を知ってる友人を連れて2人で供養をしていた時、厳かな衣を着たお坊さん2人と50人位の老若男女の団体さんが後から来て周りでお経を挙げ始めました。聞いてみたところお坊さん以外の全員が今井四郎兼平の子孫でした。そして毎年諏訪から10月のこの日に御参りにくるそうです。偶然に偶然が重なる、これは運命だったのでしょう。
ご先祖様も粋ないたずらをしてびっくりさせて下さったのでしょう。
[8]今井まおさんからのコメント(2007年12月18日 00時21分38秒 ) パスワード

私も叔父から今井四郎さんと関わりがあるときいたことがあります。しかし、皆さんと違い関東違い関東の埼玉秩父小鹿野です。埼玉にゆかりがあったのでしょうか?知りたいです。
[9]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年12月18日 12時52分30秒 ) パスワード

今井まおさん


埼玉なら「関係ありそう」ですね。
(わたくしは埼玉県は土地鑑がゼロなので良くあかりませんが)


まず木曾義仲の父の義賢は上野+北武蔵に勢力を張っていて
武蔵の豪族の秩父重隆の婿だった。
義賢は甥の義平に襲われて比企郡嵐山町の大蔵館で岳父の秩父重雄隆と共に殺された。

ただし木曾義仲の生母は遊女だったようですよ。
だから秩父重隆の娘じゃないみたい。

これで義仲は乳母の夫を頼って中原兼遠を頼って信濃国木曾で育った。
乳母子の1人が今井四郎。


義仲は武蔵まで進出したそうですから
当然今井四郎がお供したでしょうし。


ここの経緯は上横手雅敬の「院政期の源氏」で読めると良いですね。
それから埼玉の県の教育委員会の出してる資料から読めるかも。←県立図書館にあるかも
また埼玉の地元の歴史研究家からお話が聞けたら良いですね。


御先祖さまが日本史の中でも立派な日本男児の代表で
「男の中の男」だなんてステキですね。
御先祖さまを敬愛なさってお祀りなさるときっと幸せになれますよ。
[10]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年12月18日 23時43分19秒 ) パスワード

>(わたくしは埼玉県は土地鑑がゼロなので良くあかりませんが)



「あかりません」は「分りません」の入力ミスです。
決して風邪で鼻声というワケではありません。
[11]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2007年12月19日 21時39分32秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/

今井まおさんへ
 
全国に今井の地名は夥しく多い。
有名な今井四郎兼平の末裔に結びつけたい気持ちはわかりますが、
ナンセンスと言わざるを得ません。
埼玉県域に限定しても、武蔵国埼玉郡今井邑、武蔵国児玉郡今井邑の二カ所があります。
貴殿の居住地からは児玉郡今井邑発祥の児玉党今井氏と思われます。
また信濃発祥の今井四郎兼平が居住したと伝えられる武蔵国都筑郡今井邑のように地名遷移の例もありますから、何らかの姻戚関係があったことも考えられます。
これから先は貴殿の地の利を生かして郷土史を研究すれば、思わぬ発見が得られる可能性もあります。
[12]今井信元さんからのコメント(2007年12月26日 21時36分16秒 ) パスワード

はじめまして。

今井信元とといいます。

現在は横浜に住んでおります。

家の近くには、今井兼平が作ったといわれている今井城跡(保土ヶ谷区)があります。


さて、自分の祖先も今井兼平の末裔といわれています。

ただ、祖母などの記憶などによると、我が家は江戸時代初めに長野県岡谷市今井(中央自動車道岡谷IC周辺)の地に根付いたといわれています。


興味あることは、木曾家とのつながりを意識してか結婚式際に羽織る着物に「丸に笹竜胆」を付けていました。

普段は、表家紋はとして「丸に井」を使っております。しかし、特別なこと画ある際には、裏家紋である「丸に笹竜胆」を使っております。

同じような慣習があるのならば教えてください。


また、自分が調べた限りでは、義仲が粟津で敗死後一族はばらばらになり、一部は長野県佐久から上野の国に逃れたたという記述をかなり前の文献で読んだ記憶があります。

そして、しばらくして長野の地に戻ったとも書いてありました。

どうも、我が一族はその流れらしい感じがします。

[13]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年12月26日 22時27分55秒 ) パスワード

今井信元さん

初めまして。
良いお話ですね。
[14]兼平英雄さんからのコメント(2008年09月18日 01時25分42秒 ) パスワード

兼平英雄といいます。自分の先祖は津軽藩の家臣らしいです。幕末に追いやられて落武者となり、青森県鰺ヶ沢周辺に部落を造って暮らしていたそうです。
今でもその末裔が暮らしているとか。
自分の実家は横須賀市ですが、鰺ヶ沢に親戚がいます。
今井四郎兼平との関連は・・・無きにしもあらず?!
[15]東京の今井さんからのコメント(2008年10月04日 22時15分53秒 ) パスワード
URL=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E4%BA%95%E5%85%BC%E5%B9%B3

中学の歴史の授業で自分の先祖を調べるという課題のようなものがあったときに、父から先祖は木曾義仲の第一の家臣だと言われたのを最近になり思い出し、調べてみたところ「今井兼平」という名前にたどりつきました。

小学生のころなので記憶は曖昧ですが、父方の親戚を訪ねて飛騨高山の近くへ行った事があり、そのあたりには今井姓が大変おおく、地元の小学校の生徒のほとんどが今井さんだという話を聞いたのをおぼえています。

ちなみに父方の祖父は奈良県に住んでいましたが、元々は北海道の出身だったと思います。

関係はありそうでしょうか??
[16]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年10月04日 23時47分51秒 ) パスワード

東京の今井さん

日本人で今井兼平を嫌いな人って存在するでしょうか?
義経は毀誉褒貶・好き嫌い、分かれますが
今井兼平は男として否定する人がいるとは思えません。
世界共通かな?男道として完成してる人として。



>ちなみに父方の祖父は奈良県に住んでいましたが、元々は北海道の出身だったと思います。

ご存知のように明治維新後元士族がドッと北海道に移住しました。
知り合いの北海道の農家の人も元は岐阜の出身だと言ってました。
名古屋からも(幕末は名古屋も大変だったんですよ〜。尊王vs攘夷の争い)
1部の武士が北海道に移住しました。


ですから「元々北海道」というより「北海道に移住した」の方が妥当かと思います。
北海道は元々はアイヌの方々の土地ですから。



で、ここでちょっとしたアイデアを書きます。
明治の初めの御先祖さままで、御自分から遡ってお1人お1人、除籍謄本を取得なさってはいかがでしょう?

明治の初めに住んでた所、というのは江戸時代に住んでた所の可能性が絶大ですから
かなりのことが分ると思います。


もちろん関が原+大坂の役以降
その場所に定着を余儀なくされた
というのもありますが。


明治の初めに登録された本籍あたりに今もお住まいの今井さんが御本家かも。



>小学生のころなので記憶は曖昧ですが、
>父方の親戚を訪ねて飛騨高山の近くへ行った事があり、
>そのあたりには今井姓が大変おおく、地元の小学校の生徒のほとんどが今井さんだという話を聞いたのをおぼえています。


木曾義仲第一の侍大将でしたから
そりゃ正妻・側室・一夜かぎりの女性・その他・関係のあった女性達が多かったでしょう。
男子で言えば嫡男嫡流庶子庶流その他
また女子の流れでも
明治維新以降「今井姓」を称した家も多いでしょうしね。


それだけ「立派」な人物だったということですよ。
[18]今井○○さんからのコメント(2008年11月25日 04時42分28秒 ) パスワード

幼いころから祖母に今井兼平の男児直系と言われて育ちました。
平安末期に兼平自害の報告を聞いた家族は、ご神木を持って群馬県勢多郡北橘村箱田へ落ちたと聞かされています。その後、兄弟間での相続争いで今井の姓は上箱田と下箱田に分裂。その後和解したもののご神木は下箱田の木曽三社神社へ遺品は上箱田の木曽神社へ祀りました。
明治28年・京都平安遷都1100年祭に祖父は他界していたため祖母が招待されて出席しております。その後、現在に至るまで北橘村上箱田に在住しておりますが、私も含めて名前に兼がついています。
また、20年前に火事により家計図と刀等の宝は焼けてしまい現存しておりません。唯一10000坪以上の土地が残っているだけです。

話は変わりますが、樋口兼光の子孫は新潟へ義仲の子孫は愛知へ落ちたと聞いております。
[19]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年11月25日 06時18分40秒 ) パスワード

今井○○さん


家系図は
どなたかがコピーをお持ちと思いますよ。

上箱田系、下箱田系でどなたかがお持ちでしょうし
和解なさっていらっしゃるなら
更に親睦を高めたら
どなたかが写させてくださいますよ。
そうなると良いですね。


とりあえず間もなくのお正月とか来年のお盆とか
そういう機会に話題にお出しになれば
情報が頂けますよ。


我が家も50年ほど前にコピーしたモノをワタクシがコピーさせて貰い
今はコピーさせてくれた家に我が家のをコピーして送ることになっています。

今はコピー機がありますから
何通かコピーして諸家に配っておいたら
有事の際、お互い、助け合うことになると思います。
[20]今井さんからのコメント(2008年12月04日 18時05分53秒 ) パスワード

http://www.rr.iij4u.or.jp/~komao/yoshden_top.html
↑↑↑
今井兼平・木曾義仲について
ここのページに詳しく書いてあります。
[21]ぴょんきちさんからのコメント(2009年01月02日 19時00分53秒 ) パスワード

僕も四郎兼平の末裔にあたります。長野、新潟、富山に今井の地名や朝日の地名が在るのが先祖との関連がある事が、皆さんのおかげで分かりました。兄の樋口兼光の子孫に、樋口兼継(直江兼継)がいます。NHK大河ドラマがたのしみです。
[22]今井さんさんからのコメント(2009年03月17日 17時54分51秒 ) パスワード

はじめまして、私の母方の祖母は旧姓が今井で、滋賀県の坊主かなんかの家でした。祖母が生きている頃には、今井兼平の末裔だと聞いた記憶があります。
祖母には、男系の兄弟がいなくて、戦前の話ですが、私の母か叔父(弟)が養子に入るとかなんとかという話もあったそうですが、財産もほとんどなくなってしまったので、立ち消えになったらしいです

それと、戦国時代後期には、今井という町が堺のように町民(商人?)自治の
町として成立していてそこも今井家に関係あるように聞いた記憶(こちらはかなり希薄な記憶)もあります。

参考になりましたでしょうか?
[23]今井の親戚さんからのコメント(2009年03月22日 10時06分10秒 ) パスワード

堺には、戦国時代に豪商かつ茶人で名をなした「今井宗久」がいましたね。この人物のことかしら?
今井宗久は毛利に滅ぼされた尼子氏の一族と伝えられ、祖は近江佐々木氏で近江国高島郡の今井氏と伝えられております。この説を信じれば、今井兼平とは別系ということでしょう。

今井兼平の末裔とおっしゃる今井姓はかなり分布しているようで、群馬県渋川市にも木曽三社神社をおまつりしている今井一族がおられますよ。
[24]秋川さんからのコメント(2009年06月02日 16時14分35秒 ) パスワード

私の母方の祖父の家系は今井四郎兼平の子孫とのことですが、彦根の井伊家に仕えていたため、主君の苗字の「井」の字を「今」の後につける事を憚り、当時は内山と称していたと伝えられています。越後の与板藩を井伊家が領した時に与板に移り勘定方を務め、明治期に姓を今井に戻したと聞いております。
[25]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月03日 01時35分12秒 ) パスワード

秋川さん


初めまして。

>主君の苗字の「井」の字を「今」の後につける事を憚り、

はい
当時は使ってはいけない字という禁止がありましたね。
井伊家では井や伊は当然マズイですよね。
それから主君のお名前の漢字は勝手に使うな!と。


>越後の与板藩を井伊家が領した時に与板に移り

NHK大河で「与板」という地名を知りましたよ。
今の長岡市内になるんですねえ。

御先祖さまの兄君の子孫(樋口家)ゆかりの地にもなりますから秋川さんの御先祖さまには感慨深かったでしょうね。


>明治期に姓を今井に戻したと聞いております。

良かったですね。
江戸時代ずっと忸怩たる思いがおありでしたでしょうね。
[26]長野県岡谷市の今井さんからのコメント(2009年07月15日 14時12分59秒 ) パスワード

私は長野県岡谷市出身の今井です。

本家は今井信元さんが仰っている岡谷市の今井(地区)にあります。
私も以前、中学校の歴史の授業で祖先を調べるという課題で本家の家系図は辿った事があり、その時に今井四郎兼平が祖先と分かり、源氏の家系であることを誇らしく思ったことを記憶しています。
[27]愛知の今井さんからのコメント(2009年07月27日 08時50分58秒 ) パスワード

私は愛知県吉良町に住んでいます。
名字は今井なんですが、今井四郎の末裔と聞いたことはありません。

しかし、私の家の周り一帯は、ほとんど今井の姓です。また、変わったことにその今井のグループにを今井一統と呼び、今井一統でお墓を1つしか持っていません。なので私の家も近所の今井さんもお墓は共同で1つだけ。個々のお墓を持っていません。

このようなことから、少し歴史に詳しい知り合いに聞いたところ、なんらかの理由で多く墓を持つことができなかった先祖(戦いで敗れた武者たち)をもつのではないかと言われました。

そうなると名字的に今井四郎に関係があるのかもしれない。と思ったのです
が、よくわかりません。でも、高山からそんなに遠くないので、関係があるかもしれませんが…どなたかわかるでしょうか?
[28]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2009年07月27日 13時50分41秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/

吉良町の今井姓のほとんどは、三河国幡豆郡今井邑(西尾藩領)の地名に由来します。
地名遷移による村名の成立も考えられますが、戦国大名今川氏発祥地の幡豆郡今川庄との関連も考えられます。
今井邑の村名由来探求を目標に、地道に吉良町史の研究をお勧めします。
[30]今井四郎兼平の子孫さんからのコメント(2009年10月04日 14時17分34秒 ) パスワード

うちには、今井四郎兼平とゆう名前が載っている家計図があります。(ボロボロだけど)家は宮崎県に住んでいます。
[32]台東区の兼平さんからのコメント(2010年04月08日 22時57分14秒 ) パスワード

名字の由来が今井四郎兼平かは実際に家系図がありますので見てみないとわかりませんが、中学生の時に祖父が存命中に祖父が長男でその子供の長男の長女ということもあり見たことがあります。
かなり長く書かれていました。

本家は茨城の潮来で農家をしているはずです。農業の仕事をしているため今は本家を継げと言われていますが、拒否をしています。
ただ、確実なのは源氏の流れをくむ家系であることは確かです。

祖母が平家の家系で、お祖父ちゃんと結婚の時に源平合戦を繰り広げちゃったのよ(笑)と私に言った記憶があります。

なので、源氏の家系であるんだという記憶が鮮明にあります。

少しでも兼平という名字の方の参考になればと思います。
[33]今井信元さんからのコメント(2010年05月22日 22時51分55秒 ) パスワード

こんにちは。12番で発言した今井信元です。お久しぶりです。

いろいろと調べて行くうちに、木曽御嶽山の八合目に今井兼平にゆかりの墓か石碑があるそうです。

もし、詳細な情報をお持ちの方がおりましたら、情報をお願いいたします。
[34]しんきさんからのコメント(2011年02月23日 15時17分07秒 ) パスワード

自分も今井四郎兼平の子孫です。父からききました。群馬に住んでいます。
[35]今井さんからのコメント(2011年07月04日 00時06分37秒 ) パスワード

親が、長野県岡谷市今井出身です。
私も今井姓です。兼平公の家系と聞いています。
ちなみに家の家紋は、丸に笹竜胆です。
いろいろ情報教えてください。
[36]今井信元さんからのコメント(2011年07月10日 21時35分26秒 ) パスワード

>>35の今井さん

こんにちは、12番で発言している今井信元です。


私の親も岡谷市今井の出身です。

そして家紋も同じく丸に笹竜胆です。

もしかして、遠い親戚かもしれませんね。

ちなみに、本家の墓は今井の交差点から岡谷インターに向かった次の信号の角にあります。(笑)

できれば、いろいろと先祖のことで情報交換しましょう。

よろしくお願いします。


[37]かるさんからのコメント(2011年07月23日 18時27分20秒 ) パスワード

はじめまして

日本経済新聞の「私の履歴書」によると、
北澤敬二郎大丸元社長の実家の丸山家は今井兼平の子孫となっています。
[38]今井さんからのコメント(2011年08月04日 02時11分48秒 ) パスワード

こんばんわ。
35の今井です。今井信元さんとは、遠い親戚かもしれませんね。
兼平公のゆかりの地には、笹竜胆の家紋がありますから、なんらかの
関係性があると思いますが、時代が古すぎて、資料が無いのが現実で
37のかるさんの言うように、どうやって派生してるのか、つきとめ
られないです。
家の家系図では、15代先位の家系までは、わかりますが、それ以上
は、不明です。江戸中期から末期ぐらいまでの家系図だと思います。
おそらく兼平公の代まで考えると、30代先ぐらいまで、わからないと
直系は、分からないかもしれません。
[40]今井さんからのコメント(2011年10月16日 22時47分32秒 ) パスワード

今井信元さんが いう 岡谷市今井出身です
多分 丸に笹竜胆と もう一つ家紋があると思います
男性用と女性用とあると聞きました
情報交換出来れば幸いです
[41]今井悠紀さんからのコメント(2011年11月18日 12時09分21秒 ) パスワード


私も今井四郎兼平の子孫です。
父親が今井です。今井家本家は長野県小布施町にあります。
私は埼玉県生まれですが父は長野県生まれで、本籍が長野です。

今井の藤原氏の血を引く立派な家系みたいですよ♪
(先祖が兼平系の人は)

[42]今井悠紀今井悠紀さんからのコメント(2011年11月20日 00時05分45秒 ) パスワード

家紋は桔梗です。
秋に咲くあの桔梗です。
本家に家紋が飾ってあります♪
[43]今井信元さんからのコメント(2011年12月05日 13時37分35秒 ) パスワード

>>42

 以前、どこぞの文献で「巴御前」の家紋は桔梗というのを読んだことがあります。
 
 どうも「母方」の家紋ということが書かれていたと記憶しております。
 
 もしかしたら、兼平敗死後、逃げる際に身分を隠すためその紋を使ったのかもしれませんね。
[44]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2011年12月05日 18時17分20秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

>以前、どこぞの文献で「巴御前」の家紋は桔梗というのを読んだことがあります。
 
あくまで推測だが、巴御前の母方は清和源氏満快流中津乗氏だろう。
中津乗氏の家紋が桔梗だったのではないか?
知久氏は諏訪姓で家紋は梶葉だが、初代知久敦俊の養子として中津乗信貞が嗣ぐ。
六代祐超は南朝に属して、尹良親王より車輪の紋を賜う。
しかし江戸期の旗本知久氏が定紋に桔梗、替紋に梶葉、源氏車を用いるのは、出自を満快流と称する為と考える。
[45]今井茂己さんからのコメント(2012年04月27日 20時27分14秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2017年10月29日 09時46分47秒
[52]今井さんさんからのコメント(2015年01月12日 14時32分21秒 ) パスワード

丸に笹竜胆の由来など調べたのですが、源氏の代表的な家紋が笹竜胆で、義仲公の末裔と名乗った木曾家の笹竜胆を用いており、岡谷市今井出身の今井はやはり笹竜胆を用いている事から、中原氏と源氏の二つの家紋を使用していたのかもしれません。あくまでも推測の話ですが、今井家は笹竜胆の家紋の使用を許されて、今にいたってるのかもしれません。
[54]今井みみさんからのコメント(2019年03月06日 17時23分55秒 ) パスワード

私の父は今井兼平が遠いご先祖だと言いました。家紋も確かに丸に剣片喰剣です。日本で、今井兼平の嫌いな人がいるでしょうか?と言うコメントがありました。私の父は私達家族(母、姉、私も女)を精神的に追い込むほどろくでもありません。ですが確かに父は飲み友達から「兄貴」と慕われ近所でも頼りにされています。まあ、他人から見れば確かに嫌いになる要素はないのかもしれませんが、身内は大変なものでした。なにせ背中に彫り物のある小指の無いおじさんが、1番の友達だそうですから。…私は二回、長野の今井のお墓に一人で御墓参りに行きました。人が寄り付いていない様でした。花立てを新しいものに変えておきました。最後まで読んでくださった方、機会がありましたら人生を全うした今井兼平のお墓まいり、してみてください。
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