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 投稿番号:100655 投稿日:2004年06月09日 21時43分56秒  パスワード
 お名前:えびすや
上塩原の『源平和合の里』について

コメントの種類 :落人伝説  パスワード

ご無沙汰しています、えびすやです。

先日、家族で疲れを癒しに塩原温泉郷を訪ねました。
私達一家が宿泊した所は、温泉街の中心部ですが
そこから車で、10分強走らせたところに上塩原という
温泉があります。
その中の一件が
『源平和合の里』と謳っています。

なんでも、昔、平家の娘と源氏の若者が恋をし、
平和に暮らしたそうです。

[1]えびすやさんからのコメント(2004年06月09日 22時01分49秒 ) パスワード
  

どうやら、その地区(?)では、昔平家と源氏が仲良く暮らしたそうですが。
いくら検索しても、詳しい事がわからないのです。

塩原の中心部に妙雲寺というお寺があります。
そこは、湯西川で鯉のぼりを揚げた事によって源氏の追っ手に見つかり
命からがら逃げ、平 貞能公が小松殿の妹と一緒に塩原に逃げ
妹(妙雲禅尼)が塩原で草庵を開いた、らしいです。

妙雲寺にも寄ってみました。
まだなんとかボタンが咲いていて綺麗でした。
色々回ってみましたが、景内に平家塚がありました。
御本殿には大きな木彫りの揚げ羽紋が多数ありました。

宿泊した旅館の息子さんの話によると、塩原中心部は元々は
源氏も平家もなく村民が住んでいたようです。

平家と源氏が平和に暮らした話は、椎葉村の鶴富姫の話が有名ですが
もしかしたら他にもあるのでしょうか。
上塩原のその話も、信憑性があるのかどうなのか、
真実を知りたい所です。
何方かご存知ないでしょうか。
[2]えびすやさんからのコメント(2004年06月09日 22時16分37秒 ) パスワード
  

この上塩原の近くに、源三窟というスポットがあります。

そこは、平家打倒に失敗した源三位頼政の嫡孫、源有綱が身を隠した
鍾乳洞だそうです。
米をといだとぎ汁によって源氏に見つかって処刑されたそうですが。
心霊スポットらしいので、立ち寄りませんでしたけれど。

身を隠す源氏、身を隠す平家。
そんな境遇で仲良く暮らす事なんてできるのかしら…。

平 貞能公は、この後仙台まで逃げたのですかね?
仙台に定規さんという神社(?)があるらしいですが。
ここは、面白い伝説が残っているみたいですね。

頼朝から逃げていた義経がたまたま助けを求めたらしく
匿ったとか。
義経の奥様はここで亡くなったとか。
貞能公は手厚く葬ったと、書いてありました。
[3]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年06月10日 01時29分45秒 ) パスワード
  

えびすやさん

お久し振りでございます。
良い家族旅行が出来たようでよかったですね。


>平 貞能公は、この後仙台まで逃げたのですかね?

・平貞能は平家物語によると昔の縁で宇都宮公を頼って落ちていってますから
 仙台(奥州平泉)に遊びに行ったのは想像できますね。

それから
・貞能ゆかりの侍が宇都宮公を頼って落ちて行ったのに断られたという話も聞いてますから
 仙台まで落ちて行ったという平家の侍もいたと想像します。
 貞能ゆかりの家来が貞能本人と混乱したというのも考えられますし。



>平家と源氏が平和に暮らした話は、椎葉村の鶴富姫の話が有名ですが
>もしかしたら他にもあるのでしょうか。

あると思いますよ。
平家はもともと坂東平氏の出身ですし
源氏方に付いた家も元は坂東平氏出身が殆どですから(それから藤原氏出身者も坂東平氏および平家と親しいし)
平家の男は殺されても平家の女性の美しさとか、たおやかさに惹かれた源氏の武者は多かったと思います。

戦後の日本女性とアメリカ兵の関係のようなのがあったと思います。
(あ、当時、私はまだ影も形も存在してませんが)
[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年06月10日 01時31分55秒 ) パスワード
  

あ、そうそう
仙台の名門を出た鈴木京香さんは平家の子孫だと聞きますから
書いておきます。
[5]布袋竹さんからのコメント(2004年06月10日 09時04分12秒 ) パスワード
  

源平仲良く暮らしたと言う他地域の話

椎葉の鶴富姫と少し関連しますが、宮崎と山を挟んで反対側
熊本県の五家荘にも、那須与一の嫡男と、扇の的を支えた玉虫が
恋をしたという伝説があります。宮崎・熊本といっても、
分水嶺を越えて行けば、両方繋がっている道があります。
でも、現代の車でも2−3時間の山越えになります・・
五家荘と椎葉一行は途中まで一緒に行動していたとか

鹿児島南の海上60キロに浮かぶ三島・その中のひとつに黒島があります。
ここに棲んでいた平家の娘に恋をした
平家追討のイバドン「大庭氏」、
ついに、この地で一緒に暮らし、その墓と言われるものがあります。
となりの硫黄島は俊寛が流され、また、安徳帝と資盛一行の来島伝説で
有名な場所です。
[6]えびすやさんからのコメント(2004年06月11日 00時19分12秒 ) パスワード
  

>暇潰しのギャンブラーさん、お久しぶりです。
お元気ですか?

>・平貞能は平家物語によると昔の縁で宇都宮公を頼って落ちていってますから
 仙台(奥州平泉)に遊びに行ったのは想像できますね。

平貞能公は仙台を永住の地と選んだのかと思っていました。
まだまだ逃亡は続いたのでしょうか。
もう少し調べたいと思います。

源氏と平家にも和合は考えられたのですね。
もしかしたら、お互いを敵意しすぎたのは
トップの方々だけだったのかな

まあ、私も当事者になればどう考えるか解りませんけれど^^;
でも、湯西川から北上したとして塩原。
そこから仙台。
当時では歩くしかなかったでしょうから、結構な月日が必要でしたでしょうね。
今は便利に車もあるし、あちこち高速道路もあるし飛行機もあるし
すぐにいけますが、当時ではそうもいかなかったでしょうね。

どんな思いで歩いたのでしょうね。

あ、そう言えば、横になりますが
ちょっと前に江原啓之さんが、ある番組に出演されていまして
FAXで悩みを応募受付していましたので
前世について知りたいと、左胸のしたに生まれつきアザがあると
送ったら、放送中に読み上げてくださって、ご返答くださいました。

私は自分の前世を知りたかったのですが、江原さんは
「アザは気にしなくても大丈夫。ただ、こういう人は
激情型だから、行動する前に思いとどまる事。」と。
…… 私が知りたかったのはちょっと違うのですが(苦笑)
でも当たっています(笑)

[7]えびすやさんからのコメント(2004年06月11日 00時46分39秒 ) パスワード
  

布袋竹さん、お久しぶりです。レスありがとうございます。

>椎葉の鶴富姫と少し関連しますが、宮崎と山を挟んで反対側
熊本県の五家荘にも、那須与一の嫡男と、扇の的を支えた玉虫が
恋をしたという伝説があります。宮崎・熊本といっても、
分水嶺を越えて行けば、両方繋がっている道があります。
でも、現代の車でも2−3時間の山越えになります・・
五家荘と椎葉一行は途中まで一緒に行動していたとか

↑を検索してみたのですがうまくヒットしませんでした。
検索方法が悪かったのかもしれません。
鹿児島、三島は検索できました。
ココの伝説(?)によると安徳天皇は66歳まで生きたとか。
これも興味深いですね。
でもいまでは、66歳は若いなあ。


私が中学の時に、歴史の先生が現代の天皇は(当時)
生粋かどうかは否であると言っていた事が
あります。
やはり、平家の持っていた鉾や鏡は受け継がれているかどうか
悩ましい、と言っていたような。
その時は、よく解りませんでしたが、
今となったら先生が何を言いたかったのかわかります。

上塩原には一軒の宿しかそれを謳っていませんでした。
極極、小さな範囲でしか知らなかったのかもしれませんね。
でも、鶴富姫のように最後淋しい思いするよりは
最後まで平和に暮らしたそうなのでよかったです。

レス、ありがとうございました。
あの〜〜〜、ところで、、

布袋竹さんは、なんて読むのですか
???

[8]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年06月11日 03時38分29秒 ) パスワード
  

えびすやさん

平貞能は九州にも行ってますし。
それであちこちで伝説を残していると思いますよ。

平家の都落ちでは一同と別れ宇都宮氏を頼って落ちて行った。
平家物語ではここで終わってますが
その後、昔の縁を頼ってあちこち放浪したかも知れません。(放浪は言葉が悪いかも)

この人は人徳のあった人物であったような印象があります。
昔仕えていた宇都宮氏が身元保証人になったのですからそれなりの人格者だったのでしょう。

一族の菩提を弔って日本全国歩いたかもです。
落人になった人々を訪ねたかも。
時には命が危うい時もあったでしょうね。


メッセージが読まれたなんて良い想い出になりましたね。
[9]布袋竹さんからのコメント(2004年06月11日 15時41分17秒 ) パスワード
  

準備万端いつでもこい・・と用意したけど
また、反れていってしまった台風4号。

五家荘ロマンスは「五家荘」検索だけで1000−3000
それに、玉虫を加えて絞って10−数十もヒットします。
http://www.kininaru-k.jp/bns/back_doc/12272002/hakken.html

鹿児島の平家伝説地は、まだまだ中途ですが、私のURLに
三島・硫黄島の分は纏めてみました

平貞能も九州にあしあとを・・・
池の大納言の子孫も南九州に都落ち
鹿児島が桓武平氏の多い理由のひとつ・・かと思います。

竹のひとつの名前である布袋竹「ほていちく」でした。
こさんだけ・ござんちくなどとも言い、杖や釣り竿にも使われます。
[10]えびすやさんからのコメント(2004年06月12日 10時53分51秒 ) パスワード
  

こんにちは。台風一過の良い天気ですね。

いま、ざっと調べた所、
塩原に着いたのは1182〜1185年くらい。
仙台に着いたのは1192年くらいみたいです。
やはり塩原のあとですね。

でもちょっと間が空き過ぎているから
途中、他にもよっているのかな。
もう少し調べたいと思います。1192年と言ったら
鎌倉幕府が出来た年ですね。

鹿児島の平家伝説も調べて見ましたが
何せ娘が休みなので思うようにいきません^^;

ゆっくり調べたい…。

布袋竹さん、竹の種類だったのですね。
HPにお邪魔しましたが、あれほど炊けの種類が
あるなんて知りませんでした。
それと、随分温泉に入っているんですね!
一番驚きました(笑)
指宿の砂風呂、入った事ありますヨ。
結構、熱いですよね。
でも、後から身体が楽になったのを覚えています。
メールありがとうございました。

調べると、色々あちこちで繋がって楽しいですね。
またはまりそう。
なんせ、激情型なもので(笑)
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