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 投稿番号:100653 投稿日:2004年06月01日 13時26分21秒  パスワード
 お名前:暇潰しのギャンブラー
私信:隈さんへ

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

http://www.hikoshima.com/bbs/heike_slink/100579_22.html
の「あの世のお話」の続編を友人からコピーで貰いました。

コピーのタイトルは「幸せな人生にはルールがあります」と書かれています。

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年06月01日 13時36分26秒 ) パスワード
  

非常に納得しましたので隈さんにもお裾分けです。
218ページから221ページです。


ガーディアン・スピリットには2種類あって
・守護霊
・指導霊

守護霊は女性には女性が男性には男性のスピリットがつくんだそうで、この世に400年以上前に住んでた人

指導霊は才能や適職をサポートしてくれる存在で、ヨガだったらインド人が画家には画家のスピリット


その他に
・支配霊(人間ではない)
・補助霊

支配霊は運命を司り偶然だと思っていた事もこの霊がコントロールしている
補助霊は身近な人や先祖で他の3種類の霊のような力は持たないが見守ってくれている
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年06月01日 13時48分56秒 ) パスワード
  

この4ページ分に書かれている事はわたくしの一生を考えると納得がいくことばかりでした。

いろいろな意味で助けてくれた力はこういう霊だったのかな?と。
霊という言葉より「パワー」の方が私は好きなんですが
私は溢れるような力を頂いてました。


私の場合はこの20数年は
支配霊>守護霊>指導霊>補助霊
の順番かしら?

もっと前は
補助霊>指導霊>支配霊>守護霊
かしら?

私の現在は指導霊と支配霊は(もう役目を終えたよ)と言ってる感じ。


隈さんにもパワーがあるようにこの本を読んでみてください。
[3]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年06月01日 13時52分29秒 ) パスワード
  

著者の江原さんは私には納得がいく事ばかりです。
私が生理的に感じていることを論理的に体系的に整理してくださったという感じ。
[4]さんからのコメント(2004年06月09日 11時20分02秒 ) パスワード
  

明子さん

レス遅くなってすみません。
本の情報、ありがとうございます。m(__)m

江原さんの著書、私もちょっと気になってはいたのですよ。
本屋さんに行ってみたけど、「あの世の話」の《続編》と思われる本は置いてなかったです。

私には、明子さんのように《霊を感じる》能力はないのですが、
ここを訪ねるようになって以来の不思議な出来事の連続に、見えないパワーの存在を確信しています。

何十万円もする仏壇は買えないけど、我流ながら棚の上に「仏壇スペース」を決めて、
毎日お水とお供え物を置いてます。
そうそう、以前の明子さんのご助言に従って、包帯も置いてますよ。
「要る人はどうぞ使って下さい」と告げて。

私の先祖を含め、何処かで私達を見守ってくれている筈の「誰か」に、感謝の気持ちを伝えたいから。

今でも日頃の気の持ち方を含めて、いろいろヒントを貰っている気がします。
もちろん、ご先祖様情報も。


平家一門さんのスレにいろいろ書きこんでしまいましたが、やっぱり私の先祖は、
明子さん達の先祖と関わりがあった可能性が高いと思います。

源平合戦、南北朝時代、そして戦国時代も。

戦国期の鞆の浦近辺の情勢を調べて、分かってきたのです。

村上水軍の水夫達がほとんど一向宗の熱心な信者であったため、石山合戦で死力を尽くして戦ったこと。
先祖の出身地・服部村でも一向宗が盛んだったこと。

先祖が向島に移住した元亀元年は、ちょうど石山合戦開始の年。
この時本願寺顕如が諸国の門徒に檄文を送ったが、その一つが鞆の浦の真宗寺院に今も残っている。

当時の向島は、因島村上氏の支配地。
元々農地に適した場所は少なく、そのうえ「本願寺を信長から救え」という気運盛んだったと思われるこの島に「新しい農地を求めて」という理由だけで、うちの先祖が移り住んだとはちょっと考えにくい。。。
まだ「商売やるため」とか「塩田作る」っていうなら分かる気がするんだけど(笑)

・・・うちの先祖、本当は石山合戦に関わってたんじゃないのかと。。。

その後足利義昭が鞆の浦に居座ったのも、村上水軍(一向宗徒)が守ってくれたから。本願寺とも連絡取り合ってたのは確かだし。

鞆幕府に集まった面々もなかなか興味深いというか。。。
甲賀の六角氏とか、伊勢の北畠氏(織田家に殺された最後の当主の弟)とか、
若狭の武田氏とか、織田家に恨みのある人々。
本能寺の変前の、不穏な動きが気になります。

でも結局豊臣秀吉の天下になって、水軍は海賊禁止令で弾圧されてしまったのですけどね。
信長が伊賀忍者を嫌ったように、秀吉は水軍を警戒したようです。


うちの先祖は何処まで知ってたんでしょうね?当時の裏事情。。。
[5]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年06月10日 01時15分34秒 ) パスワード
  

隈さん

友人にコピーの本(文庫本サイズ)のタイトルを聞いてみますね。
1ヶ月ぐらいかかるかもですが。


この間のその時歴史が動いたの「信長暗殺の真相」では光秀に暗殺させたのは足利将軍という結論でした。


どうやら隈さんの御先祖さまも信長打倒に頑張ってたのかもですね。
平家・南朝・信長打倒
やっぱりこの線でつながりますか。


面白いですね。
日本史で自分の先祖のことなのに子孫は全く知らないでいる
改めて(え〜?うちの御先祖さまも参加してたんだ〜)と気付く。
だから私達が今に存在してる。

子供を持つということは先祖に対する最大の孝行だと思います。
[6]さちこさんからのコメント(2004年06月13日 00時01分40秒 ) パスワード
  

清水次郎長に関して調べていたら少し色々繋がったと言うか。
やはり御先祖様は子孫にメッセージを下さっているのかもと感じました。
この件に関しては何処へ行っていいものやら困ったので、

明子様、隈様。
両お姉様がたのスッレドに手前、勝手ながら、
おじゃま致しやした次第でござんす。

清水次郎長と言えば荒神山の喧嘩で年配の方はご存知かも。
伊勢神戸の長吉の荒神山の賭博の縄張りを、
桑名の穴太の徳が奪おうとした所、

吉良の仁吉、清水次郎長が長吉を支援し決闘になった講談などで有名な話です。
でも意外な知られてない次郎長親分の側面があったのでご紹介します。


http://www.ffortune.net/social/people/nihon-edo/zirotyo.htm

 >さて、慶応4年(1868)次郎長の人生を一変させる事件が起きます。

 >この年官軍は東海道をどんどん東進。やがて江戸では幕府軍と激しい戦闘が
 >行われることが予想されました。しかしこのままでは幕府は官軍の前に完全
 >に打ち破られ、徳川家自体が消滅してしまうと幕府陸軍総裁・勝海舟は危機
 >感を抱きます。そこで彼は官軍の指導者の一人で旧知の間柄である西郷隆盛
 >と連絡を取り、江戸城を官軍に無抵抗で明け渡す代わりに、徳川家に寛大な
 >処置をしてくれるよう交渉しようと決意します。

 >そのため勝海舟は腹心の山岡鉄舟に密書を持たせて駿府まで来ていた西郷隆盛
 >の元に派遣します。そして、この鉄舟の護衛役を依頼されたのが街道の治安を
 >事実上一手に管理していた次郎長であったのです。

 >この鉄舟とそれを支援した次郎長の努力は実り、この年3月13〜14日、勝海舟
 >と西郷隆盛の直接交渉が実現。江戸城は無血開城されることとなり、
 >その14日、五ヶ条のご誓文が発表されて明治維新が始まります。

現在、次郎長生家は服部家が維持してお土産やさんとして観光地になってます。
次郎長の兄の御子孫になるそうです。

次郎長が船頭、船侍の家に生まれたというのも興味深い話と思います。

清水次郎長。
吉良仁吉。
神戸長吉。

このヤクザ三兄弟三人とも服部家臭い(笑)

清水次郎長は服部家が生家を継いでる。

吉良の仁吉。
吉良一家を興した人ですが。(荒神山の戦いで亡くなってます。)
インターネットでも簡単に検索できる、
五代目吉良一家、服部周吉がでてくるのです。(爆)

後は神戸の長吉な〜。
この神戸と言うのは伊勢神戸、三重県の鈴鹿市です。
ここは、平家、南朝、反信長を引き摺っていた町です。
伊勢街道の町で江戸時代には栄えてました。
この辺り服部家が結構多くて。。
もしかしたら長吉もと思ったのでが、
神戸一家の二代目は伊藤家となってました。(残念?)

神戸には仕事の関係で親しくしている服部家があるのですが、
昔から商人の町で育った人なので先祖の事などあまり関心ないといううか、
私としては伊賀の服部家フェロモンをバリバリに感じるので、
「もしかして平家では」等と聞いても大爆笑されたりとか。。。
でももしかしたらこれが普通の感覚かと思ってました。




[7]さちこさんからのコメント(2004年06月13日 00時29分17秒 ) パスワード
  



先日仕事で神戸の服部家へ行ったら、
「町おこしで神戸の長吉祭があるからきてねと」
言われてビックリ!


http://www.city.suzuka.mie.jp/life/kurashi/event/files/143.html

 講談「荒神山の決闘」、
 無声映画「血煙り荒神山」
 講演会「神戸の長吉と吉良の仁吉、その虚像と実像」
 吉良町フェア
      

やっぱり何かあるのだと思い祭のチラシをもらい、
今までは知ってはいたけれど荒神山には行った事がありませんでした。
神戸からは車で15分位の所です。
何故か行ってみなくてはと思い荒神山へむかいました。

信号で止められてふと電柱をみると、

 ここは河田町

と書いてありました。
神戸のすぐ隣が河田町?

そして次郎長親分ゆかりの荒神山へ到着!
でもそこには以外なことに、

「春日局ゆかりの寺」

となっていたのです。
でもたしか荒神山の住職は村上家で??
[8]さちこさんからのコメント(2004年06月13日 00時48分26秒 ) パスワード
  

http://www.isecha.net/odekake/hokusei.htm

 鈴鹿市加佐登の荒神山は、春日の局の崇敬があった寺として知られています。


 春日の局(1579-1643)は、時代劇の好きな人は知っていると思いますが、
 戦国時代から江戸初期に活躍した人です。
 明智光秀の家臣斎藤利三の娘で、稲葉正成の妻となりましたが、
 のちに離別して慶長9(1604)年、
 ・川家光の乳母となり、家光の将軍継嗣に尽力しました。
 家光が将軍となってのちは、大奥にて権勢をふるいました

 江戸時代初期に、
 順海上人という出羽湯殿山の行者が再興しました。
 寛永10(1633)年、順海が伊勢神宮参詣の途中、
 失明した時に、霊夢を見ました。
 その霊夢によって荒神山に参籠したところ開眼しました。
 順海は眼が治ったことに對する報謝として、観音寺の再興に尽力しました。
 順海の姉・春日局は、弟の目が治ったことで観音寺に帰依し、
 釣鐘と五体の仏像を寄贈しました。


 江戸時代、このあたりは幕府領、亀山藩領、神戸藩領と支配地が複雑に入り組んだ ところで、警察機構の目が行き届かず、
 参詣人で賑わう毎年4月7日の観音寺の観音会式には賭場もたくさん立ったそうで す。



荒神山観音寺は真言宗のお寺ですが、
お稲荷さんも祀ってあって雰囲気的にうちの服部家の寺に似てました。
住職も同じく村上家で。
(勿論こちらの方うが立派ですが。)


[9]さちこさんからのコメント(2004年06月13日 01時09分44秒 ) パスワード
  

      ↑

立派なのは言うでもなく荒神山のほうです。
自分で書きながら日本語難しい。

中途半端ですがまた書きます。

明子さん。
次郎長が気になったのは江戸時代も伊賀の服部家が商売関係、
海運で結ばれていたかもと思ったのです。

木曽岬、長島は今は田舎ですが、
江戸時代は東海道の交通の要所でした。
名古屋と木曽岬は今考えるよりは近かったかも。
祖父など平気で手漕ぎの船で名古屋へ行ったみたいです。
服部家同士の縁組も多かったみたいです。

もし祖父が生きていたら、
あそこの服部ならしっとる。
なんてことも?


[10]さちこさんからのコメント(2004年06月27日 16時11分13秒 ) パスワード
  

投稿が遅くなりがちですが続きです。

春日局の父斉藤利三についてですが、
信長に仕える以前は美濃稲葉城主、斉藤義竜の家臣でした。
(斉藤義竜は道三の息子で父を殺し城主となりましたが実子でなかったという説も)
義竜が亡くなった後は息子の竜興が城主となりました。
ですから斉藤利三は竜興にも仕えてました。

同じ家臣の稲葉一鉄が竜興から信長に寝返った時に一鉄の家臣となったようです。
または斉藤氏が滅んでからという説もあります。


   斉藤利三について
       ↓
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yoropara/retuden/retu00112.htm
 
後に利三は一鉄から明智光秀の家臣となります。


一方信長に敗れた竜興は服部家を頼って長島入りしています。
今まで見過ごしていたのですが、
竜興が一人だけで長島入りするとは考えられず当然家臣も連れているはず。
竜興と共に長島入りした土岐氏一族がいたと思います。
むしろ信長に寝返ったのは少数派かも知れません。
斉藤利三と親しかった人物が服部家の近辺にいた事は充分考えられます。

でも勝者信長側と違い悲しいけど資料が少ないのよね。。。長島は。
斉藤氏の家臣の苗字調べてお墓や電話帳しらべるとか(?)


長島や木曽岬に浅井家が多くあるので、
もしかしたら浅井長政の一族も長島入りしたかもと思ってたのです。

斉藤竜興の母が浅井長政の姉か妹でした。
本当に浅井長政一族かもしれません。

荒神山の話で春日局の弟、出羽湯殿山の行者順海上人のことがあります。

春日局が何故天海を以前から知っていたか?
それは天海が光秀だったからという説があります。

でも春日局が天海を知っていたのは弟の関係かも。
出羽山も天海とゆかり深いし。
荒神山もまた修験道の寺でした。


[11]さちこさんからのコメント(2004年06月27日 16時37分03秒 ) パスワード
  

合掌造りの五箇山村に重文の村上家住宅があります。

http://www.vill.taira.toyama.jp/cultural/

山の中だからあまり水軍の村上家とは関係ないかと思っていたのですが意外な事が。


http://www14.big.or.jp/~hazuha/photo/photo003.html

  > 北陸の五箇山は合掌造りの里で世界遺産にも登録されている。
  >農民たちは、炭焼き、養蚕、和紙作りなどで細々と生活していました。
  >16世紀半ば、石山本願寺は織田信長に対抗するため、
  >僧兵に鉄砲を持たせ、軍備拡大を図ります。

  >その火縄中のその火薬を五箇山で作るよう技術者を五箇山へ派遣しています。  >五箇山は塩硝製造に好都合な豊富な燃料、
  >清冽で温度の低い豊かな水に恵まれていました。
  >また五箇山は豪雪地帯で冬期は他の地方と完全に隔絶され、
  >塩硝製造の秘密を守るには絶好の地であったこともこの地を
  >当時の日本一の火薬製造基地にする事になったのであろう。
  >なにせこの弾薬基地をバックに
  >信長と戦った石山本願寺の僧兵軍団は10年という戦を戦ったのだから。

火薬は日本海から船で本願寺へ運んだそうです。
やはりこの村上家村上水軍の一派かも?
白川郷でもやはり同じだったそうです。

飛騨には大きな川が二つあります。飛騨川と長良川。
飛騨川は途中で木曽川と合流し、
この二つの川を下るといやでも長島に着いてしまう。
おそらくここの火薬が長島にも運ばれていたいたのでしょう。

でも世界遺産の合掌造りの村が火薬製造の秘密のアジトだったとは。。。

五箇山字のごとく平村で平家ゆかりの地でもあるそうですね。
そして南朝遺臣の村でもあったそうです。

次は神戸のことを書いてみたいと思ってます。



[12]さちこさんからのコメント(2004年06月28日 22時00分21秒 ) パスワード
  

少し話はずれますが、昨日の中日新聞三重版より。


    「平景清に思いをはせて」

  ゆかりの瑞応寺に植樹。伊勢平氏会

  平景清とゆかりあるとされる東員町長深の瑞応寺で、
  伊勢平氏の会がナギの苗木を植樹した。
  平家物語に武勇が残る平景清は、
  一時期桑名市志知に屋敷を構え、
  死語に千手観音などの遺品が瑞応寺にまつられたとされる。

東員町の長深。
ここです!
歌舞伎の松本幸四郎家へ養子に行った秦家があるのは。
こんな関係があったのは驚きました。
この寺は長深の秦家の菩提寺です。

伊勢平氏の会は皇竹様のご関係でしたでしょうか?
違う会かも知れないので記憶違いはお許しください。

景清に関してはよく判らないので、
ぜひご教授お願いします。
[13]さちこさんからのコメント(2004年06月28日 22時06分10秒 ) パスワード
  

死語に千手観音=誤り

死後に千手観音です。。。。

書き込む前に気づけよとお思いでしょうが。
細かい字が見えにくいのよ!

最近。。。(自爆!)
[14]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年06月29日 00時07分38秒 ) パスワード
  

さちこさん

13は新しくスレッド立てたら良いと思います。
[15]さちこさんからのコメント(2004年07月04日 18時58分12秒 ) パスワード
  

>この寺は長深の秦家の菩提寺です。

少し訂正します。

http://hishiki77.ld.infoseek.co.jp/2-2shushi/2-2-7shiro/toin/nagahuke.htm

  長深城主跡 城主富永氏

>本丸跡には善正寺が城主の一族により建立され現在に至る。北側を除く三方の土塁>は災害に備え現在コンクリート壁となった。境内には土塁の一部が保存され長深城>跡の石碑が建立されている。

>瑞応寺は冨永家の菩提寺で、
>江戸時代まで冨春院(初代)、玉桃院(二代)、宝樹院(三代)の塔頭があった。
>冨春院は後の地蔵堂となった。(北勢雑記)。 

秦家の菩提寺は善正寺のほうです。
近くですしどちらも富永氏にゆかりがあるので混乱したみたいです。
失礼しました。

善正寺は高田派の寺ですが、
瑞応寺は臨済宗永富氏の私寺だったようです。

1568年に信長に攻められ(友貞自害と同じ年)城主が尾張に逃亡してますが、
その後も信長とは対立していたみたいです。
第二次長島攻めで降伏しましたが。

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