[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年05月31日 12時15分12秒 ) | パスワード |
http://www.hikoshima.com/bbs/heike_slink/100504_97.html
の春名さんといい
岡山はやはり平家がらみですねえ。
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年05月31日 12時21分56秒 ) | パスワード |
やはり平家と南朝方に関係があったそうです:
この大桜は後醍醐天皇が隠岐からお戻りになった時立ち寄られ桜を愛でられたという言い伝えがあるそうです。
さらに岡山県真庭郡勝山町岩井畝にも大きな桜があり
平家の武者が京の都より移したとの言い伝えがあるそうです。
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年05月31日 12時27分42秒 ) | パスワード |
「大桜」は「醍醐桜」と呼ばれ昨年の「武蔵」のオープニングに使われたそうです。
それで(どこかで見たことがある桜だなあ)と思ったわけだったのね・・・
[6] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年05月31日 12時31分31秒 ) | パスワード |
http://sakura.itp.ne.jp/okayama/skr-okayama01.html
に「大桜」の写真が出てます。
[7] | 小林雅成さんからのコメント(2004年06月02日 16時15分19秒 ) | パスワード |
ギャンブラー様
水道局の検針員さんが、春木さんでした。来月の引き落としのお知らせを今日みていたら、担当:春木になっていました(^0^)
[8] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年06月02日 23時57分16秒 ) | パスワード |
>水道局の検針員さんが、春木さんでした。
こうして意識し出しますと結構いらっしゃるものなんですね。(笑)
映像に家紋も映ってましたが見取れませんでした。
ややこしい複雑な紋に思えました。
昔は家名を重んじ家紋で自己広告宣伝やってましたから
人に会えばすぐに出自や由緒が分かったのに
今は日本国民は平等になってますね。
>担当:春木になっていました
この「春木さん」も岡山の御出身でしょうかねえ。
600年前の先祖が一緒にキッタハッタやってたのでしょうかねえ。
[9] | 小林雅成さんからのコメント(2004年06月03日 09時36分19秒 ) | パスワード |
春木さん所の家紋は、岡山県第2位の家紋で、ごく普通のもんなんですけど、、。(『都道府県別 姓氏家紋大事典』より)
>「春木さん」も岡山の御出身でしょうかねえ。
そうです。岡山市の人です。
>600年前の先祖が一緒にキッタハッタやってたのでしょう
どうなんでしょう?一癖も二癖もある家は大抵歴史に良かれ悪かれ名を残していますから、、。春木家って岡山県ではマイナーだとおもいます。おそらく南北朝以降では目立っていないのでしょう(^^)ざっと目を通しましたが、『美作庄官録』(美作国の庄屋の名簿)にはありませんでした。
[10] | 小林雅成さんからのコメント(2004年06月03日 09時41分16秒 ) | パスワード |
【訂正】です。(^^;;;
津山藩士で春木氏がありました。
自分でつくった家紋データベースをチェックするのを忘れていました(苦笑)
[11] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年06月03日 10時35分48秒 ) | パスワード |
>津山藩士で春木氏がありました。
>自分でつくった家紋データベースをチェックするのを忘れていました(苦笑)
お〜
津山といえば日本の臍ですね。
日本のど真ん中に春木氏がいらっしゃいましたか。
[12] | ときおさんからのコメント(2004年06月04日 03時19分17秒 ) | パスワード |
我が町のご紹介に感激・・・ドキッ!!。
ご無沙汰していました。本業に精進していました。
落合町ホームページ を見てください。
http://www.town.ochiai.okayama.jp/
町の観光 ・ 醍醐桜
「醍醐桜の概要」
醍醐桜についてのご紹介や醍醐桜へのアクセスが紹介されています。
楽曲『醍醐桜』について
歌手の北島三郎さんが歌う楽曲「醍醐桜」について紹介しています
美作国の原田氏の後裔の方が町長でして、「醍醐桜の会の辻 騏一郎会長」です。
「醍醐桜」の保護育成基金造成のため「醍醐桜」のCDが制作されています。
この曲は、千年の風雪に耐えた醍醐桜と人の生き方を重ねた内容の歌詞です。(本当は千年より若いとか・・・?。)
大河ドラマの撮影の始めの方では、郡内各地でかなり撮影されたようです。
本位田(当地では「ほんいんでん」と呼ばれています)の「おばば」の役
をされた方も来られていたようですね。途中には白銀の玉をはじいておら
れたとか・・・「たまお、さん」だからお好きなんでしょうね・・・。。
・春木氏について
詳しくは存じ上げて居りません、小林様のご意見の通りだと思います。
当地は南朝方がわんさ存在していたようですので。関係在ったかもし
れませんね。なにせ、元弘2年で船上山の後醍醐天皇のもとに駆けつ
けた者で「36人衆」と言う者が存在していますから!!。
・日本の苗字・・・には 「 伊勢外宮社家(度会氏)、嵯峨源氏渡辺氏
流など。長島藩、津山藩、大和」に春木氏が存在し7,700人と出てい
ました。
[13] | 小林雅成さんからのコメント(2004年06月04日 20時00分35秒 ) | パスワード |
ときお様
>本位田(当地では「ほんいんでん」と呼ばれています)
作州の言葉で、【ほんいでん】でないのですか?(^^;
勝田郡には本井伝さんもいますから、もともとはほんいでんだとおもいます。
赤松氏族だから、もともと西播磨の地名の本位田より名乗りはじめたんだとおもいますが、、。『姓氏家系大辞典』のもといだは例外として、ほんいんでん・・・カルチャー・ショックです(^^;
[14] | ときおさんからのコメント(2004年06月04日 21時44分30秒 ) | パスワード |
小林様 ご無沙汰でした。
実は私も最近まで,本位田は「ほんいでん」だと思っていました。
「ほんいんでん」は「作州弁・岡山弁」のエリア深く入ってから
の「なまり」の反映かな,と一人勝手に想像しています。
ちょっと脱線ですが
数日前に逆の事例を見つけました。「瀬戸大橋の橋脚」で有名に
なりました島で、岩黒島です。これは「いわくろ」では無く→元々
「いくろ」島と言うらしいです(驚きでした)。
四国多度津沖の佐柳島は「さやなぎ」では無く→「さなぎ」島と言
うのを知りました。
当てた漢字で、元の呼び方が代わって来てしまうやつですね。日本
語って複雑ですね。
[15] | 小林雅成さんからのコメント(2004年06月05日 21時44分57秒 ) | パスワード |
ときお様 お忙しそうですね。
>「ほんいんでん」は「作州弁・岡山弁」のエリア深く入ってから
??作州にはいってから、英田郡美作町に位田という地名があります。
ここはいでんとよみます。ちなみに位田村の庄屋は妹尾氏。
>なりました島で、岩黒島です。これは「いわくろ」では無く→元々
>「いくろ」島と言うらしいです(驚きでした)。
これで、漢字のとおりにいわくろの発音で馴れるともとの大和言葉の意義が失われるわけですね(^^;
>四国多度津沖の佐柳島は「さやなぎ」では無く→「さなぎ」島
柳を【やなぎ】ではなくて【なぎ】と読むのは、名字では柳楽(なぎら)などがあります。ちなみに柳楽氏は後醍醐帝のボディーガードしていた武将の子孫。
ということで、脱線しつつも南朝の話題に戻す(笑)
[16] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年06月05日 23時45分50秒 ) | パスワード |
>ちなみに位田村の庄屋は妹尾氏。
>ちなみに柳楽氏は後醍醐帝のボディーガードしていた武将の子孫。
>ということで、脱線しつつも南朝の話題に戻す(笑)
やっぱり出自がハッキリしてるというのは気分が良いです。
14世紀から15世紀に日本の激動の渦の中にいたというのが良く分かるから。
「人は死して名を遺す」
いい格言です。
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