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 投稿番号:100643 投稿日:2004年05月03日 18時06分27秒  パスワード
 お名前:木梨恒寛
頼朝に仕えた伊勢平氏「桓平」?
キーワード:平家清の従兄弟「桓平」
コメントの種類 :人物  パスワード

はじめまして。
伊勢平氏のことで調べている木梨です。

4月8日の投稿にありました「平家清」の母方の従兄弟である「平桓平」(「平良平」の子)のことでご存知でしたら教えてください。「桓平」は、伊勢平氏(祖父である「維綱」は「清盛」の父である「忠盛」に仕えていた)であるにも拘らず文治5年の奥州合戦で忠勤と「尊卑分脈」にあります。ということは、この時点で既に頼朝に仕えて鎌倉にいたということでしょうか?また、その場合、どういう経緯で鎌倉に入ったのかご存知でしょうか?
「家清」の父である「宗清」と「良平」の女である母は、平治の乱で捕らえられた「頼朝」の命乞いを池禅尼を通して懇願して「忠盛」から預かり、丁重にもてなしたということで、「頼朝」から命の恩人と感謝されていたとあります。
「良平」が「宗清」と義兄弟であったことが関係しているのでしょうか?
よろしくお願い致します。

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年05月04日 19時12分28秒 ) パスワード
  

木梨恒寛さま
初めまして。


阿濃津の桑名さんで分かると良いですね。
私にはさっぱり分かりません。


桓平さんの従兄弟か兄弟あたりの血族に該当するのでは?と思う人物で
頼朝公の随兵グループの中にこんな名があります。

   
     伊藤四郎家光
   

つまり頼朝公の生え抜きの武将達の中に
伊勢平氏らしき名である<伊藤の四郎家光>という名がある、という事です。


家清の母は桑名氏出身なので
状況証拠から
伊藤の四郎家光という人物はお書きの「平桓平」(「平良平」の子で良基の弟)に近いのでは?と。


家清の母が伊勢平氏の桑名氏
家清の母方の従兄弟かハトコなら本姓藤原姓・俗姓伊藤氏でもおかしくないだろうとの仮定です。
(家清の母方のおばさんが藤原(伊藤)氏に嫁いだのだろうと思うのです)


さらに義経の生母の常盤御前の身柄を預かっていたのが藤原忠清なんて情報もどこかで読みました。


良平のパパの維綱は後白河院の御世に功績あって右衛門尉に任命されているそうなので


諸般の理由を考えますと
頼盛公が鎌倉に行った前後に鎌倉へ行ってた+奥州合戦にも参加したというのは推測出来ます。
特に平家が壇ノ浦で滅びた後は頼朝に仕える道はあったでしょうし。


この家光という人物は家清の弟かも知れないですね。
または
良基と桓平の弟かも知れないですし。


立派な源氏方武将に混じって伊藤四郎家光という平家らしき武士が奥州征伐後意気揚々と鎌倉方人物として
名を挙げていることに非常に不思議に思っています。
この名は源平合戦当時は私は源氏方に全く見てないですから。


註:一緒に名を連ねているお歴々

    小山の七郎朝光         北條の五郎時連
    千葉の太郎胤政         土屋の次郎義清
    里見の冠者義成         浅利の冠者遠義
    三浦の十郎義連                    伊藤の四郎家光
    曽我の太郎祐信         伊佐の三郎行政
    佐々木の三郎盛綱        新田の四郎忠常
    比企の四郎能員         所の六郎朝光
    和田の太郎義盛         梶原刑部の丞朝景



ひょっとすると
池の大納言家の家老の2人が宗清であり良平であった
2人は同格で
更に良平も池禅尼に頼朝の命乞いをしてたのかも。


平家の都落ちの時
池大納言家は都に留まった
宗清は平家の方々と落ちて行った

この時、良平系は池の大納言に従って全く源氏には弓を引くことなく鎌倉へ恭順したのかも。


桓平と家光
同一人物か兄弟か従兄弟か
この関係が分かると面白そうですね。
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年05月04日 19時26分05秒 ) パスワード
  

数年前のNHK大河の「時宗」の番組

兄の時輔さんの嫁さんの付け家老に服部某という人物がいましたよね。
時輔さん自体、炎の中で、不思議な生還を果たしている。
う〜む・・・

なんだ?こりゃ!と見てましたが

そうか、伊勢伊賀の平家の末裔が鎌倉に下って時宗の時代にもひっそりと生きていたのか?と。


やっぱり伊勢伊賀の平氏も鎌倉に行ってたようですか?
[3]木梨恒寛さんからのコメント(2004年05月16日 19時53分09秒 ) パスワード
  

暇潰しのギャンブラーさん、

本日、5月4日付で書き込んで頂いているコメントに気がつきました。
遅くなって申し訳ございませんでした。

教えていただいた「伊藤四郎家光」なる人物が、「良平」「桓平」「良基」或いは
「宗清」「家清」とどのような関係があるのか調べてみたいとは思いますが、今のところ平氏姓の中に「伊藤」という名はないように思っています。

「良平」の父、「維綱」は、清盛異母弟である「家盛」の乳母父であったとの記述が『本朝世紀』にあり、家盛が20才という若さで亡くなった後は、その弟である「頼盛」池大納言家で「良平」と義兄弟の「宗清」とが同格で仕えていたと思われます。

そして、「東鑑」によれば、「頼盛」が頼朝に招かれて鎌倉に下る時、「宗清」は同行を固辞し、近江野路に至りて辞し帰り、直に屋島に往きて宗盛に仕う...とあります。

そこで、「良平」が「頼盛」の鎌倉行きに同行したのではないかと思うのですが、
「頼盛」が頼朝に招かれて鎌倉に下る時の同行者の資料がないものかと探しており ます。



[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年05月17日 00時17分36秒 ) パスワード
  

木梨恒寛さま


>今のところ平氏姓の中に「伊藤」という名はないように思っています。

この件ですが
「伊藤」「伊東」はもともとは藤原氏出身なんです。(後世この2家の漢字は混乱されて使用されているようです)


まず10世紀後半の藤原秀郷と平貞盛の関係を思い出してください。2人は協力して平将門を討ちました。

1)伊豆で伊東祐親が平家方だったというのは御存知ですよね?(娘が頼朝の子を孕んで大変でした)
2)伊豆から伊勢に引っ越した<いとうさん>があります。
  丁度、坂東から1006年に伊勢伊賀に引っ越した平貞盛子孫があるように(これが平家になりました)
  同じ頃、伊勢に下った藤原氏は俗姓伊藤になりました。
  (それでこの時代の伊藤と伊東は区別がハッキリしていました)


(2)のいとうさんは当然伊勢伊賀に下った平氏(平家)と運命共同体を築き
   藤原=古市=伊藤家は平家の軍事部門を担当し
   特に平清盛の義兄弟の藤原伊藤5忠清・景清父子は有名どころですね。

   さらにこの藤原氏は平家一門ということで平姓でも名が出てきます。
   藤原忠清景清父子は伊藤とか古市また<平>でも名が残っています。


もともと坂東に於いて平と藤とは御先祖さまの御縁でずっと仲が良く
伊勢・伊賀国於いても平と藤は仲良く
伊勢伊賀に於ける両家の関係は南北朝時代も協力関係にありましたし
対信長包囲網でも協力関係にありました。 


ですから平姓の中に俗姓いとうさんを見つけようとするのでなく
平氏との関係の中でいとうさんを考えてみてください。

結局は伊勢のいとうさんは名前では平というのは分かり難いのですが
母がいとうさん(またはいとう家から養子に入った)ということになりますか。



>「伊藤四郎家光」なる人物

ですから「伊藤」なら伊勢関係で「伊東」なら伊豆の伊東祐親か工藤あたりのゆかりの人物ですね。
昔は漢字をテキトーに使用してるので「伊藤四郎家光」なる人物は「伊藤」なのか「伊東」なのか?
でもどっちにしても藤原秀郷公関係の子孫でしょうね。そして平氏とラブラブ関係。



>「良平」の父、「維綱」は、清盛異母弟である「家盛」の乳母父であったとの記述が『本朝世紀』にあり、

やっぱりありましたか。
ありがとうございました。


余談ですが
清盛の次男の基盛の乳母の家というのが「伊藤5」の弟の景家なのです。
ここも基盛が若くして亡くなっていますから(24歳だったか)パッとしませんが。

こうして家盛にしろ基盛にしろ主人が若くして亡くなりますと家老達は名前が出て来なくなりますから
歴史に埋もれますね。


平家は仲の良い一族でしたからみんな血で結ばれているのですよ。
名字からは分からなくなってますが
一頃昔のワタシは知らない人の横に行くと(この人とは先祖で知り合いだった)(先祖同士が敵だった)
というのをビシバシ感じたものです。


>「頼盛」が頼朝に招かれて鎌倉に下る時の同行者の資料がないものかと探しております。

私も気にかけておきますね。


それから「いとうさん」の家も家系的にはいろいろ言われてますが
わたくしが書きましたのは藤原忠清景清父子の子孫の家の人から聞いたことです。

また、この「伊藤家」の蔵は開けることを期待されているのですが
やっぱり外野からごちゃごちゃ言われたくないようで開けたくないそうです。

これ以上の暴露話はプライバシーに関るので秘密。
[5]さちこさんからのコメント(2004年05月17日 22時10分10秒 ) パスワード
  


>やっぱり伊勢伊賀の平氏も鎌倉に行ってたようですか?

あまり関係ない話しで横スレになるかもしれませんが。

鎌倉の御霊神社。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~pu_aru/koma/11goryou/goryou.html

 平安時代末期に創建されたと言われています。
 元々は、大庭、梶原、長尾、村岡、鎌倉、
 の関東平氏五家の霊が祭られていたそうですが、
 後に鎌倉権五郎景政公ひとつになったそうです。

この神社、並び矢の神紋です。
服部家と何か関りがあったのかと思うのですが。


明子さん。
服部家が追い出した長島城主の伊藤氏は、
平家の残党狩りで伊勢にきた工藤、長野氏の一族です。
なるほど。。。

だから少し違う伊藤家か(笑)
[6]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年05月17日 23時23分29秒 ) パスワード
  

さちこさん

>服部家が追い出した長島城主の伊藤氏は、
>平家の残党狩りで伊勢にきた工藤、長野氏の一族です。
>なるほど。。。


なるほどなるほど
それで「ワルの伊藤長島城主」を追い出したワケですね。

我が家とその一党にすれば(いつかあのイトーを追い出してやろう)と機会を虎視眈々狙っていたワケだ。


もとは同じ藤原秀郷の子孫の伊藤でも頼朝系の伊藤ですか。
こうして「伊藤」氏もいろいろだってことですか。

長野氏は南朝方になっているのですが
その前は鎌倉の手先だったのですか。


そうすると上記の「伊藤の四郎家光」という人物はいよいよ謎ですね。


伊勢の伊藤と伊豆の伊東と鎌倉の伊藤と
いとうさんは麻の如く混乱していったのですねえ。
[7]さちこさんからのコメント(2004年05月19日 00時36分48秒 ) パスワード
  

明子さんありがとうございます。
お返事喜んでます。

秦熱で思想がシルクロードまで飛んでしまう服部家ですが、
少し気になって地元の歴史も調べました。
それで色々判ったのですが。

私が読んだ資料なのでごく一部なので、
当然私の知識不足もあるのでご了承頂きたいのですが。


戦国時代、伊勢伊賀では大小の権力争いがあり各城主が競い合ってました。
婚姻関係を結んだり小さな城主同士で結束したり、また争ったり。

でも、服部家はそんな権力闘争に無関心といううか。。?

長島史を読むと、
平家残党狩りの長野氏一族伊藤家。
この圧政を制した服部家。

この件に関しては色んな説がありますが、
伊藤家がこの地で嫌われたのは間違いない。

はじめから源氏で伊勢へ残党狩りにでてくるのは、
これは今となっては仕方ない事かもしれませんし許せます。

でもあの伊藤ってさー、元は伊勢の。。
この感覚?かしら?

壇ノ浦での平家の敗北を知り手のひらを返して、
源氏に寝返り、残党狩に協力した?

そして長野一族の北勢進出にともに便乗し長島城主となった。

そんなイメージがあるのですよ。


長野氏に関しては始め南朝系であるものの、
一族バラバラという事情があってかも知れませんが
どちらかというと北朝系かも?

どちらにしても私の調べた範囲ですが、
私見で恐縮。。。

一向宗徒、本願寺の関係があったとしても、
服部家はかなりの資金、武力を持っていたと思うのです。
でも攻められる時しか武力を使ってない。
他の城主を攻めたという記録が無いのです。

織田信長に対抗する力を持ちながら、
服部家は伊勢一国の支配など考えてなっかたと。


横暴な長島城主伊藤重晴。
侵略者織田信長。
平和主義服部家。

なんだか書いていて判らなくなりましたが、
宿題だった本能寺の変の件少し見えてきた今日この頃です。

木梨さん。
せっかくのスッレドをごめんなさい。
でも感謝してます。
[8]たろちゃんさんからのコメント(2008年05月24日 20時36分58秒 ) パスワード

はじめまして!素晴らしい知恵・学をお持ちの皆様!教えて下さい!私田口と言います。ご先祖が仁田八郎忠綱だ・・・っと言われたり、新田義家の流れと言われたりしてますが新田氏と仁田氏と関係ないって聞いてますが何か関係はあるのですか?地元の伝説から田口重能の流れも・・・と言う人も現れたりでネット・図書館の本を調べ関係有りそうなのは、コピー取ったりしてますが中々・・・ながい歴史の中の事なので数学みたいな答えは出ないまでも調べる道の光をさしてください!忙しい皆様申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
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