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 投稿番号:100639 投稿日:2004年04月13日 23時31分44秒  パスワード
 お名前:暇潰しのギャンブラー
鎌倉祭り:頼朝公の命日って?

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

現在鎌倉で「鎌倉祭り」が開催されているそうです。
そこで疑問:頼朝公の命日って?


○鎌倉祭り

 4月13日  
 源頼朝公墓前祭 (源頼朝公墓前)
 源頼朝公の命日に、墓前で鶴岡八幡宮神職による供養を行う。


正治1年1月13日(西暦1199年2月9日)に亡くなったと思ってたのですが・・・

でもお近くの方は万障繰り合わせて偉大な英雄である源頼朝公の御供養に是非御参加を!

[1]田中愛造さんからのコメント(2004年04月14日 18時51分09秒 ) パスワード
  

暇潰しのギャンブラー様  お久し振りです。小林氏との会話楽しんで居ります、私にとって最も興味のある事柄で、過去に旧約聖書を基に系図を作成した事があり・・
 さて、源頼朝公はギャンブラー様の仰る通りですが、鶴岡や石清水にしても、春は若宮祭とか臨時祭や桜祭りで、寺社仏閣の最盛期です。私は大阪府や近畿二府四県の祭礼関係の役員を致して居ります。其れは別として、鶴岡八幡宮の源平池は太鼓橋を挟んで、右を源氏池、左を平氏池と呼ばれ、その昔は源氏池に白の、平氏池には紅の蓮が咲き乱れていたが、今は二つの池に白と紅が入り交ざり、昨今の時代を象徴しているかに思われます。一度御見分下さい。無理ですね?(^^);
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月15日 00時10分49秒 ) パスワード
  

田中愛造さま

源氏池と平氏池でございますか?
気がつかなかったです。蓮の花も。

風流心に欠ける無粋な人間なので(そういえば池があったっけ?)と・・・

次回は気をつけます。
[3]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月15日 00時11分38秒 ) パスワード
  

レスを頂きました:


HPでこういうPRをされたら、知らない人は本気にするよ。
絶対、「頼朝は4月13日が命日なんだ」ってね。

おかしな鎌倉市ですねえ。
頼朝も、「何とかしてよ−!」と地下で叫んでるかも。
[4]布袋竹さんからのコメント(2004年05月12日 23時43分13秒 ) パスワード
  

前回上京の折、時間があったので鎌倉に
鶴岡八幡宮に参拝・東西池見てきました。
婦人政子は大庭景義に命じ東西の池を造らせ
東「源氏」は三島を配し、三は産なりと祝い
西は4島を造り四は死なりと平家滅亡を祈り
これが、源平池の言われ。旗上弁天社由緒記より
アドレスは源平池の平家池写真
http://yokensaka.com/bbs/clip/img/368.jpg
[5]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年05月13日 00時21分28秒 ) パスワード
  

>政子は大庭景義に命じ東西の池を造らせ

大庭家もいろいろあったんですねえ。

こうして名が後世に残るって、いいですね。
「オレは生きていた〜」
と主張出来て。
[6]布袋竹さんからのコメント(2004年05月13日 19時24分48秒 ) パスワード
  

婦人は夫人でしたね。皆様・ギャンブラーさま、失礼しました。
それとなく >政子は大庭景義に
と、ご教示いただきありがとうございました。
まだ、こんな変換は序の口・・

>大庭家もいろいろあったんですねえ。
平家追討で、南島までも。そして、椎葉「那須の大八郎」と同じように
平家の女性と恋に落ちて、薩摩の南の果ての三島の「黒島」に
イバドン「大庭どん」の墓と呼ばれる墓が黒島にあります。

ヤベェ・庭が場になってた・寝不足や見直さなかったら恥の上塗りだった
[7]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年05月14日 00時58分36秒 ) パスワード
  

>薩摩の南の果ての三島の「黒島」に
>イバドン「大庭どん」の墓と呼ばれる墓が黒島にあります。

やはり日本の果ての南海まで人は移動してるんですねえ。


>ヤベェ・庭が場になってた・寝不足や見直さなかったら恥の上塗りだった

でも「大庭」と「大場」は同じ一族でしょう、と思います。
違いの理由は知りたいですね。


南海の果てに「服部」なんてのもあったらいいなあと思います。
[8]布袋竹さんからのコメント(2004年05月14日 01時32分54秒 ) パスワード
  

>南海の果てに「服部」なんてのもあったらいいなあと思います。
鹿児島南島の平家伝説地スレッドにも書きましたが、
「服部」姓「平」姓とも、奄美大島にあります。
平姓はお墓の家紋が揚羽蝶紋になっているのもあります。
もちろん、平家落人来島伝説が残されています。

わが家も父の祖先は鎌倉武士
それが東シナ海に浮かぶ甑島まで
古い時代にも、人の移動。納得です。
でも、現代は逆に、仕事を求めて都会に暮らし、都会の墓地に眠る。
古代も現代も何かリンクされて・因果は巡るか・
[9]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年05月14日 08時57分34秒 ) パスワード
  

>「服部」姓「平」姓とも、奄美大島にあります。

嬉しくなりますね。
自分と同じ血を分けた人達が一方は南の果てまで落ちていった、なんて。

沖縄の「平良」さんというのは「平家」がらみなんでしょうかねえ。



>古い時代にも、人の移動。納得です。

人とは凄いですよね。
現代は簡単に移動が出来ますが昔は自分の力で移動するよりなかったし殆どは力尽きたでしょうし。
それでもちゃんと移動して生きて子孫を残し亡くなって墓を残す。
人間とは凄いと思います。


歴史や地理の授業って今更ながら感服してます。
自分には関係無いと思い込んでいる南の果ての島に実は自分と血を分けた同胞がいるんですものね。
学校を出て随分経ってから何百年も昔に分かれた一族を思い起こすなんて。
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