[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年03月27日 09時41分42秒 ) | パスワード |
この三井越後守について少々分かりました。
三井財閥の祖三井高利の祖父三井越後守高安は鯰江城を信長に攻められ
伊勢の安濃郡一色邑に逃れた。
三井高利は
父・高俊の時に松阪に出て酒屋兼高利貸しに。
更に綿や呉服を販売。
これが越後屋。
三井家は藤原道長の4男長宗から出
長宗5代の信正が近江三井に移って三井氏を称す。
さらに15代の成定が近江源氏の佐々木6郎高久を養子にしたので藤原姓・源氏姓を称す。
高久から5代目が高安。
孫の高利が初代八郎右衛門で通称北の三井といい総本家を称す。
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年03月27日 09時47分54秒 ) | パスワード |
鯰江城:
愛知郡愛東町鯰江 鯰江氏の居城、観音寺城を追われた六角承禎は一時この城を本拠としていた
参照: http://siro.parfait.ne.jp/oumi_castle/second_page/namazue/namazue.html
浅井・朝倉連合軍 vs 信長の戦いの時代が分かると理解できると思います。
[3] | いつも通りさんからのコメント(2004年03月27日 14時06分24秒 ) | パスワード |
> 三井家は藤原道長の4男長宗から出
> 長宗5代の信正が近江三井に移って三井氏を称す。
藤原道長6男長家の5代目藤原右馬之助信生
が近江地方官として赴任、土着し、武士となり
「三井」姓を 名乗ったのが最初という説もあるそうですよ。
信生 12代目三井出羽守乗定が、
佐々木源氏一族佐々木六角氏満経から養子(男子が無いため)を迎え、
三井備中守高久と名乗り、近江鯰江に居を構えたという説らしいです。
高久以降三井一族は名前に「高」の字を付けて近江領主六角氏に仕えたそうです。
その5代目越後守高安の時「越後殿の酒屋」で六角氏七将の一人
長男則兵衛高俊の妻殊法が三井家商売の祖と言われる才覚の持ち主。
その血筋を引いた子三井八郎兵衛高利(1622〜94)が三井家の初代始祖みたいです。
高利は一旦長兄三井俊次の江戸の小間物店「釘抜越後屋」で働きましたが
あまりの商才。その才をねたまれ松坂に追い返されてます。
俊次が亡くなってようやく再度江戸本町1丁目(中央区日本橋本町2丁目)に
再進出「越後屋」(1673延宝元年8月)を開店したみたいです。
5年後江戸本町2丁目にも出店大盛況でしたが同業者から反感を買い
江戸の大火で二店とも消失。
1683(天和3年)江戸駿河町に再建したのが現在の本店「越後屋呉服店」
三井家独特の家訓にあたるものは、その子2代目三井高平(1653〜1737)
[4] | いつも通りさんからのコメント(2004年03月27日 14時20分25秒 ) | パスワード |
つ、ついでですが
六角承禎一族郎党一夜にして観音寺城をトンづらしちゃった。(汗)
で、やむなく三井一族は松坂、津へ流がれ、
高安は、松ケ島(松坂付近)に定住。ここで亡くなってます。
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年03月28日 02時07分03秒 ) | パスワード |
いつもさん
いつも通りの貴重な書き込み
ありがとうございます。
>三井備中守高久
備中屋になる可能性もあったのですか(笑)
越後屋の方が備中屋より悪徳度が高い響きを感じます(これまた笑)
三井さんも創業当時は苦労してるんですねえ。
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