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 投稿番号:100620 投稿日:2004年03月03日 14時13分02秒  パスワード
 お名前:暇潰しのギャンブラー
平家物語に描かれる涙:人情の世界

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

NHKの番組で「涙は痛みを和らげる」という番組がありました。
註:玉葱の臭いで泣くのでは効果は無いのですが、と。


その番組の中で
「昔の日本人はよく涙を流したものだが最近は文化が変わってきて泣かなくなった」
というのをやってました。


歴史上の人物では特に源義経はよく泣いた:

「判官は猛き武士なれども
あまりにあわれに思ひて
鎧の袖を顔に押し当ててさめざめとぞ泣かれける」


これは世間の人が「そうあって欲しい」という人間像に義経は合ったから人気があるんだ、とも。

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年03月03日 14時15分21秒 ) パスワード
  

平家物語を研究するのに「涙」について論文を纏めるというのもいいかもですね。
[2]田中愛造さんからのコメント(2004年03月03日 20時17分08秒 ) パスワード
  

 小さい時の私は(泣き虫)でした、好く涙を流したものです。それは、泣く事に依って楽に成り、又、物事より逃避出来たからに他はでは在りません。しかし、そんな私に父が諭した言葉が(男は親が死んでも涙を流すものでは無い)と教えられ、以来私は涙を流す事は一度もありません。涙を流すことで救われる事柄が多く有りますが・・・。歴史の中では『手を取り合って涙を流す光景』が好く出て来ますが、私には卑怯にも見えます、感動して涙することも或のだが。然しながら、母の臨終前に父の肩を揉んだことがあります、最初で最後かもと云いながら、約小一時間でしたが、そんな父を肩越しに見ていると、父の両手の甲の辺りにポタポタと、涙が零れ落ちるのが見られ、複雑な心境にも癒された思いでした。明治生まれの頑固な父は、元は、アナーキストでしたが転向を余儀なくされ、画家として大成致しましたが、其の頑固親父を牽制したのが、(元・本願寺御堂の輪番、大阪拘置所教誨師)の吉川卓爾氏で、私の父母は、大拘の篤志面接委員として毎月極刑囚のお茶の会をひらき、服部緑地には極刑囚の無縁墓を建立したり、死刑囚の慰問に努め、吉川先生の縁で本願寺に百号の絵も寄贈し御門主様との御縁も頂きました。私にお経を教えた吉川先生が去り、父がさり、多くの人達が去っても、涙を流してあげる事も出来なかったのが悔やまれます。私事で誠に済みません。
 そんな父が残した絵があります、父の遺志を受け殆どの絵画は寺社に寄贈致しましたが、ギャンブラー様の【血曼荼羅】を読んで思ったのですが、父が入院中某病院の看護婦に血を貰い、その血で絵をかいたのが、数枚家に残っており人様に差し上げるのも憚り、色は茶褐色に変色し、奇妙としか言えない絵です。父が、平清盛の事を知ってや知らずや、今に為っては不明です。ギャンブラー様の書かれる事一つ一つが、私の想いの中に深く感応致し不思議に思われます。
 もっと、歴史的意義のある事柄にせねば為らないのに、平熱に関係無く済みません
[3]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年03月04日 02時15分44秒 ) パスワード
  

田中愛造さま

>もっと、歴史的意義のある事柄にせねば為らないのに、平熱に関係無く済みません

いえいえ
田中さまの上記の書き込みは「人間」の生き様が書かれていて

お父上さまの過去の深い苦悩が読み取れ
さらに本願寺も軍部に協力した過去を反省をしています。


お父上さまがどんな御思いで看護婦さんに血を所望して絵をお描きになったのか
この「血」の意味
追求するとしましたら心が張り裂けそうなお父上さまの過去に至りそうで恐くなります。
涙が止まらなくなります。
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