[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年01月28日 14時34分50秒 ) | パスワード |
蚊とんぼさん
初めまして!
お祖母さまの御実家の田主丸って「浮羽郡」なんですねえ。
去年縁があって「浮羽」というドラマを見ました。
風光明媚な落ち着く町でした。千枚田もあって。
それに
田主丸には平知盛さまの墓があるそうですね。
「壇ノ浦の戦いに敗れた知盛たちは、この地に落ちのびてきたが、
源氏の味方になった草野氏に討たれたといわれています。
知盛の墓は、知盛の死をかわいそうに思った村人たちが建てたのだそうです」
そして八女の近くですよね。
ここも平家の落人伝説がありますね。
わたしの友人は遠賀川の出身で
彼女の家もやはり平家の落人だって聞いています。
芋だったか蕗だったか
御先祖さまはそれに身を隠して命が助かったって。
「平家物語」や関連の作品をたくさんお読みになってください。
そして縁りの場所にも尋ねてみてください。
そうすれば自分探しになります。
蚊とんぼさんがどのような使命でまたは志で今生に生きていらっしゃるのか分かると思います。
特に赤間神宮の7盛塚は凄い所だと思います。
でも朝早く観光客の来ない時間帯に訪れてください。
昔ある著名な人物からそういうお話を聞いたことがありましたが(まさか〜)なんて馬鹿にしてましたけど
なかなかの場所ですよ。
10年以上経ってから訪れた時に一連の不思議な経験をしました。
そこから私は平家の世界にどっぷりになりました。
このサイトで知り合った方から蚊とんぼさんに似たお話を聞きました。
ある人の生まれ変わりだとおっしゃってました。
当時は「ふぅ〜ん」と思ってましたが
その後、数年後、その方のお家が安徳天皇のお医者の家だった事が分かってビックリしました。
多分その方はこの事は御存知無いと思うのですけどね。おっしゃってませんでしたから。
他にも蚊とんぼさんのような方に出会ってます。
知盛さまの生まれ変わりではいらっしゃいませんが
平家物語の登場人物そのままの男性でいらっしゃいます。
ああ、そうそう、まだまだ他にもいらっしゃったっけ。
ですから蚊とんぼさんのスレッドを拝見して
生まれ変わって遂げられなかった志を果たそうとなさる平家の武将
現代にもどんどん生まれて来ているんだな、って思いました。
これまでに出会った方の中に妙に懐かしかったり又は生理的に受け付けられない人っていませんでした?
そしていろいろ話していくと先祖達が知り合いだったと分かったりとか。
私の場合はそうでしたよ。
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年01月28日 14時41分13秒 ) | パスワード |
蚊とんぼさん
スレッドのタイトルを「落人の子孫:田主丸の平家」に変更させて頂きますね。
その方がレスがつき易いかも知れませんから。
または御希望がございましたらおっしゃってください。お嫌でしたら変更致しますから。
[3] | 蚊とんぼさんからのコメント(2004年01月28日 17時40分32秒 ) | パスワード |
とてもお早いレス、誠に恐縮でございますm(_ _)m
とてもためになりました。ありがとうございます。
以前、ネットで田主丸の事を検索したのですが、河童のお話が主になっており
真実味のない情報ばかりでした。
また、平知盛さまのお墓があるとは知りませんでした。
関係ないですが田主丸の実家はブドウ園を営んでおります。
確か、河童の大将(平知盛)が手下達を引き連れ、田主丸に入ってきたという
お話でしたね。
まあ、落人のたとえ話としては納得出来ます。
ところで、私も平家ゆかりの地は訪れたことがあります。
門司港の実家から【赤間神宮】は車ですぐの所です。
姉の結婚式もそこで行いました。
七盛塚って、耳なし芳一像から裏に入ったところですよね?
あそこは、夜に1人で行った事があります。
何か答えが見つかるかな〜・・と思いまして・・・
結局、怖くて芳一像の所までしか行けませんでした(笑
でも、お茶屋のところにある絵巻には、見入ってしまいましたね。
吸い込まれる様に、ず〜っと見入ってました・・・
結局何も得られるものはありませんでしたが、夜の暗がりの中で異様なほどに
静まり返った境内は、かなり神秘的でした。
切なく、悲しく、そんな空気が静かに流れてました・・・
何となく感じたことですが
「もう俺達のことは静かに眠らせてくれ・・・」
そう言っている様に感じました。
ここは、また今度明るいうちに是非行ってみたいですね。
ちなみに、以前北九州の小倉に住んでいた時には、【隠蓑】というところに
行った事があります。
諸説によれば、安徳天皇が逃げ込んで、蓑を住人から掛けてもらって助かった
といいます。そこは本当に気持ちのよい所でしたね。
>生まれ変わって遂げられなかった志を果たそうとなさる平家の武将
>現代にもどんどん生まれて来ているんだな、って思いました。
このお言葉を聞いて、おもいっきり納得しました^^
現世にも過去の仲間がたくさんおられるんですね。
まだまだこれから勉強して、早く自分の【何か】を見つけたいと思います。
まずは、田主丸の実家を訪ねるのがよいかもしれませんね。
20代半ばの若僧ですが、これからも良きアドバイスを宜しくお願い致します。
あ、あとスレッドタイトルの件ですが、お手数お掛け致しました。
「落人の子孫:田主丸の平家」で結構でございます。
それではまた、ご連絡致します。
ありがとうございましたm(_ _)m
[4] | 布袋竹さんからのコメント(2004年01月28日 18時37分17秒 ) | パスワード |
「浮羽郡田主丸」棚田などもこの近辺にいくつかある・私も先年訪ねました・
すごーく、ご無沙汰していた「田主丸のネットフレンド」から
私の掲示板に、珍しくも本日カキコがあり。
この近くは、切ない想い出の地でもあります。
平家伝説がたくさん伝えられている場所のようです。
この中の他のスレッドにもいくつも出ています。
ぜひ、出かけられ、はやく、目的・他が見つかると良いですね。
がんばってください。陰ながら祈ってます。
[5] | nyaoさんからのコメント(2004年01月29日 01時15分17秒 ) | パスワード |
田主丸の隣り町の吉井に実家のあるnyaoです。
なぜか浮羽郡で吉井町だけネタになってないですね。(笑)
さて浮羽郡に関わりのある豪族と聞くと、
真っ先に思い浮かべるのが星野氏です。
浮羽郡と八女郡北部(星野村など)を隔てる耳納(みのう)連山には、
星野氏がいくつかの砦を築いていたという歴史が伝えられていますが、
星野氏と平家の落人たちとの接触の有無を考えると、
これまた面白いネタが出てくるかもしれませんね。
鉄道だとJR九州・久大線の田主丸駅が最寄り駅。
知る人ぞ知る河童型駅舎と大きな河童像がで〜んと構える駅です。
最近は特急「ゆふ」の停車が増えるなど増便続き。
以前紹介された高良内などと併せて巡るのもまた、
趣があって宜しいのではないかと思います。私事ながら駅の河童像のデザインを手がけた佐藤節太氏が私の叔父で、
河童の像や磁気は工房でよく見せてもらってましたが、
まさか落人伝説とつながりがあるとは知りませんでした。(汗)
今度ゆっくり取材…できるかなぁ?
[6] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年01月29日 02時36分11秒 ) | パスワード |
面白いお話がいくつも紹介されましたね。
偶然とはいえ背筋がゾクゾクしました。
[7] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年02月03日 10時07分05秒 ) | パスワード |
<1>に書いた 草野 分かりました。
筑後あたりに勢力を張ってた 草野永平 という武将がいました。
治承4年(1180)ごろ源氏についたとされてました。
当時は
筑前の原田種直と肥後の山峨透遠に挟まれて万事休すだったんでしょうね。
味方の源氏方は豊後の臼杵惟隆と緒方惟能で山の向こう。
[8] | やまっこさんからのコメント(2008年06月13日 02時41分03秒 ) | パスワード |
私の住んでいる所はうきは市浮羽町なのですが、田主丸町は同じ郡内でした。そして平さんという方は沢山確かにいらっしゃってて、私の勤めている職場の近くにも沢山いらっしゃいます。そして、その方達の先祖は平家であるという事は確かに言われていますね。事実は今となっては確認できませんが…。
[9] | 橋本数学さんからのコメント(2009年11月22日 00時59分28秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2009年11月29日 22時53分50秒
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