[1] | 川口 信さんからのコメント(2004年01月23日 18時53分32秒 ) | パスワード |
おこじょさんスレ立ち上げ有難う御座います。
明子様の希望でこちらのほうに書き込みます。
ご本人のコメントが出されてから次にと思っておりましたが、時間が経つと忘れそうなのでまず。
コメンテイターに作家の森村誠一氏を起用したことで平家贔屓で、同氏は清盛はエポックメーキング(新しい時代を開く)な人物で、武士、経済、政治の天才として評価しておりましたね。ただの推理作家としてしか存知あげなかったのですが(私だけか)、さすが「平家物語」の本を出版されておりましたので的確に平清盛公を把握しておりまして、感服しました。
保元・平治の乱における清盛の置かれた立場、とった行動がよくわかり、崇徳・二条・後白河天皇などの関係を上手く立ち回り、平家政権の足場を築きましたね。だんだん官位を上げて平家躍進の良き時代でした。
後世の織田信長が朝廷の官位には拘らなかったが清盛公は妙に拘り対照的ですが、同じ時代の先駆者としては何か共通したものが感じ取れましたが、皆様は如何でしたか。
宗との貿易の事で他スレ「皇竹さんの宗銭」の方で展開した韓国で発見された沈没船に詰まれた宗銭の映像が写し出され、数量はハッキリ言わなかったけれど、映像からは想像以上の大量でした。文章で読むのと実際に映像で見ると迫力に圧倒されました。
主流から外れた人達は主流を嫉み・反発し・敵対勢力と結びつく、どの時代にもありますが、それで新しい時代が切り開かれて行く事になるのでしょうか。
同族でも敵味方に分かれて戦うのは時代の常だが『裏切り』で敗戦するのはとても残念ですね。(壇ノ浦での熊野水軍の件)
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年01月24日 03時13分18秒 ) | パスワード |
川口さま
ありがとうございました。
[3] | 箱柳永田さんからのコメント(2004年01月24日 13時31分34秒 ) | パスワード |
川口さま 暇潰しのギャンブラーさま 皆様へ
NHKの公平な見方に好感を持ちました、公平なればこそ、私には少々不満が残りました。 私の描く清盛像より小く感じました。
武家政治の先例の無い所に、手探りで進むなか、坂東平氏をはじめ清盛に集まる武家の棟梁への希望、平家一門個々の願いと行動に、家長として、氏の長者として、政治家として公家と妥協しながら決断する苦悩。平将門にならない清盛を裏切りと感じ動きだす坂東平氏や武士集団、こんな短時間では無理がある。
勝手な希望ですが、せめて5時間位で学術的(大河ドラマにすると見ても らうために、つまらない場面が多くなる)に作って欲しい。
皆様はどう感じたのでしょうか。
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年01月25日 09時57分52秒 ) | パスワード |
>同族でも敵味方に分かれて戦うのは時代の常だが『裏切り』で敗戦するのはとても残念ですね。(壇ノ浦での熊野水軍の件)
明治維新後イギリスの軍事顧問だったかが
日本の戦史を調査するのに関が原に行き
西軍の陣取りは完璧だと指摘し
「ただし味方から裏切りが出なきゃだけど」と付け加えたそうです。
分かる人は分かるんでしょうね。
そして洋の東西を問わずそういう事態というのが存在してきたのでしょうね。
それには軍事力+政治力+経済力が伴わなきゃいけないんでしょうね。
もともと石田光成には人望だけは無かったようなので。
普通の武士というのは田んぼから上がる年貢米の増量というが経済力アップなんですけど
宋貿易に目をつけた清盛というのは日本史上の天才だったんでしょうね。
ワタシもコイン展に行って宋銭の1枚ぐらい買って来るかなあ。
ちょっと不謹慎ですが名古屋のテレビ塔から1ドル紙幣や100円札をばらまいた青年
あまりにも小さなバカ騒動ではあったけど
ボロ株買いで600万株を買って膨らませた才能
こういう人は乱世にあってはちょっとした豪傑になったんでしょうね。
比較すると
清盛という人はやっぱり歴史上の天才だったんですね。
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年01月26日 05時18分57秒 ) | パスワード |
メールでお知らせ頂きました:
「その時、歴史が動いた」は見ましたよ。
軍事と政治は、表裏一体と考えた清盛。
軍事があれば政治は、その中の一つと考えた頼朝。
どちらも、今に通用する政治家ですが、歴史は繰り返すんですね。
そして、どちらも滅びていくんでしょう。
森村誠一の「平家物語」ですね。
彼独自の考えが出て、中々面白い物語です。
勿論、彼の言ったことは小説の中に反映されています。
ですが、最後の詰めは弱い感じがしましたが。
頼朝の死を、過去の亡霊のせいにした辺りがね。
これを、きちんと整理すれば、もっといい小説だったんだが。
[6] | 川口 信さんからのコメント(2004年02月08日 12時41分28秒 ) | パスワード |
放映されてから早くも2週間が経ちました。もっとコメントが書き込まれると思いましたが、あまりないので、チョット付け加えます。
平清盛公は天才だけでなく、現代に通ずる合理的な考えを持った英雄でした。
それと言うのは、今の巨大埋め立て地「ポートアイランド」に匹敵するような構想を持った福原(経ヶ島)を造成したと言う事です。裏山を崩し海を埋め立てで造成したということです。それも船や箱に石を詰めて沈めるその上に重ねて何回も、それで岸壁みたいになる。現代で言う「潜函工法」みたいですね。
宗貿易のため大宰府からでなく京の都に近いところに大型船が寄港できる港を作る。作るに当たっては風や波で作業が困難だった時、人柱を埋めればと作業の人が言った時、暴君だったら拾人や百人を人柱にして埋めてしまえとのたまうかもしれないが清盛公は造成の石ひとつづつに「一切経」を写経して埋めさせたという合理性にはさすがと思います。これが経ヶ島のいわれだそうです。
現在、神戸港が貿易で盛んなのははるか平安時代から貿易の拠点としての継続があったからで、平清盛は神戸港の恩人ですね。
それと平家納経の平清盛自筆であると言われている画像が紹介されていましたが、武将らしい力の入った筆づかいでさすが平家の棟梁としての貫禄がありましたね。
あまり時間が経たのでハッキリしないので他で調べました。
平家納経の中に清盛の書かれた(願文の奥書):厳島神社所蔵
『今生(こんじょう)の願望すでに満つ。来世の妙果(冥加)宜しく期(ご)すべし』
とは清盛は生前にどのような望みを果たし、どのような冥加を期待したのでしょうか。
(nhk「歴史誕生」8より)
クリップ付きの迷惑メールがヤタラに増え、戦々恐々の日々を過ごしながらビクビクしながらコメントしております。
[7] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年02月08日 13時06分03秒 ) | パスワード |
川口さま
ありがとうございました。
>『今生(こんじょう)の願望すでに満つ。来世の妙果(冥加)宜しく期(ご)すべし』
来世の妙果宜しく期すべしは本当にどんな冥加を考えてたのでしょうね。
私は清盛の生まれ変わりの人々がどんどん生まれて来ていて
もう1度世の中について
真剣に取り組み直したいと希望を持って生きているんじゃないかと思います。
>クリップ付きの迷惑メールがヤタラに増え戦々恐々の日々を過ごしながらビクビクしながらコメントしております
川口さまから教えて頂いて早速友人達に知らせましたが
やはり「良く見たら自分の名前で自分に送ってた」という人が他にもいました。
元凶はワタクシかもです。ごめんなさい。ぺこり
で、いかにもニセらしく今はメール住所をいたずらしています。
昔の住所についてはどうしようもないですね。
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