[1] | 川口 信さんからのコメント(2003年12月24日 11時06分47秒 ) | パスワード |
丁寧なご挨拶 ありがとうございます。
今年もあとわずか8日。 明子様そして平熱の皆様もご健康にご留意の上
良いお年をお迎え下さいますように!、平和な年でありますように!
[2] | さちこさんからのコメント(2003年12月24日 13時02分32秒 ) | パスワード |
御無沙汰してます。
昨年は川口さんから可愛いクリスマスカードいただきましたね。
あれから一年たったのですね。
私は例によって暇なクリスマスイブです。(笑)
大掃除や年賀状しなくてはいけないことが沢山あるんですけど。
ついついサボってパソコンに向ってしまいます。
心配おかけしましたが父も随分元気になりました。
最近お墓や寺などついでがあるとついつい覗いてしまうという変な癖がつきました。
秦熱や家紋のことで書きたいことが沢山です。
驚きの事実?その1。
まだ調査中ですが長島の戦いの時、
北勢で最後まで信長に抵抗していたところとと秦さんが集中してる所が、
一致するのです。
長島史によると萱生、赤堀、田辺、千種、長深等の城砦が散在し(北勢に)
長島衆と一味同心していたとあるのですが、
萱生は春日部氏が城主で以前書いた平田、長谷川の多い毛伸びの井戸のところです。
千種(千草)は菰野でここが秦さんが多い。
長深も秦さんだらけ。
城主は富永氏ですが、長深城跡すぐ近くの寺に秦さんの名がありました。
富永山○○寺浄土真宗の寺です。
服部友貞の墓のある上相場は林さん畑中さんばかりだし、(どちらも秦氏)
林家の家紋が丸に抱き茗荷、
三輪さんもこの辺りに多くやはり丸に抱き茗荷でした。
畑中家の(服部の墓を守してる家)菩提寺の紋が三つ葉葵。
徳川家の物とは少しデザインは違うけど。
時間がないのでまた。
調子に乗って変な方向に話がむかってごめんなさい。
[3] | さちこさんからのコメント(2003年12月24日 21時03分46秒 ) | パスワード |
クリスマスの話題でなく申し訳ないのですがついでに。
以前歌舞伎の松本幸四郎家の話がありましたが、
半年程前現松本幸四郎の長男である市川染五郎が、
松本家ゆかりの地である三重県東員町を訪れたというニュースがありました。
どういった関係かと思ったら、
上に書いた長深の秦家から藤間家へ養子に行き7代目松本幸四郎となったそうです。
ですから現松本幸四郎はこの秦さんの孫、
市川染五郎さんはひ孫。
そして7代松本幸四郎の長男が市川団十郎家へ養子に行ったので、
今年大河ドラマで宮本武蔵をやった市川新之助さんも秦さんのひ孫になります。
しかし何でこんな田舎から歌舞伎役者の養子になったのか不思議です。
それから例の私が平田家継の子孫かその関係ではないかと以前書いた、
三重で衆議院している平田耕一氏。
前回の選挙で民主党の岡田幹事長と一騎打ちで激戦になるはずでしたが、
平田氏重複立候補で比例代表でいい順位だったので、
選挙せずとも当選確実で期待に反し(?)静かな選挙でした。
それはいいとして・・・・。
数ヶ月前四日市の富田に行ったのです。
仕事で初めての道を通りました。
だいたい土地鑑はあったのですが、
車を運転してたら入り江になっている小さな漁港につきあたり進めなくなり
仕方なく方向転換。
ふと見ると表札に服部と書いた古い大きな家があったのです。
なんとなく気になり車を降りてみました。
2〜300坪は敷地のある戦前の建物ではないかと思うのですが。
立派な家でした。(ちょっと古ぼけてたけど)
家紋を見たら丸にカタバミで平田家と同じ物。
道をはさんだ隣に近代的な立派な家がありこちらへ行ったら、
平田と書いてあってびっくり!
後で住所を調べたらやはり平田耕一氏の家でした。
詳しくは判らないですが、
この辺りは古くからの漁港で、
新しい家がよそから入ってくることはまずないと思うのです。
ここの服部家と平田家は古くからのお付き合い或いは親戚かも。
おそらく昔から漁師か海運業を営んでいたのではないかと。
あくまでも想像の域をでない話ですが。
それにうちの親戚の伊藤家と親戚の平田家の実家。
入り江をはさんですぐ近くでした。
こちらは職場結婚だったらしいから昔からのお付き合いではないと思いますが。
明子さんせっかくのクリスマスのスッレドをごめんなさい。
北勢を歩いてるとあれっ?と感じる事が最近多いです。
今日はこの位にしておきます。
来年は北勢の秦氏が少し気になるので調べてみようと思ってます。
みなさん、よいクリスマスイブを!
あんたイブなのに暇なのねって?
[4] | 小林雅成さんからのコメント(2003年12月25日 12時32分42秒 ) | パスワード |
さちこ様
>赤堀、田辺、千種、長深等
赤堀はうちの祖母の実家(勿論秦氏)で、千種(ちくさ)は、うちの屋号(津山藩御用商人)だし長島にもそんな地名あるんですね(^^)
>宮本武蔵
これも本姓菅原氏とか村上源氏とかいってますけど、やっぱり秦氏でしょう。宮本もねこもしゃくしも藤原氏いってるけど、秦でしょ、実際のところ(^^;)
[5] | さちこさんからのコメント(2003年12月25日 22時34分39秒 ) | パスワード |
小林雅成様
秦さんの多い千種は今は三重県菰野町千草で長島ではないのです。
織田信長は服部家及び一向宗徒の本拠地である長島を孤立させる作戦で、
まず北勢の外部から落城させたようです。
赤堀は四日市ですが他にも赤堀というのがあるのですか?
四日市の赤堀。。判る人には判りますよね(笑)←笑っていいの?ごめん!
三重県の藤原町。
ここの上相場に服部友貞の墓といわれる、
何故か古墳の類にされるものがあるのです。
平安時代この地に逃れてきた藤原氏は秦氏系藤原氏ばかりなのですよ。
藤原町史を読んだら藤原町に16の神社があるのですが、
三つの神社は紋が不明、
16の神社うち五つの神社は伊賀の服部家の家紋である並び矢なのです。
春になり暖かくなったら確かめにいきます。
千種川。
秦河勝を祀る赤穂の大避神社もこの近くですね。
千種川の治水工事を秦氏が行っていたとか。
面白いので見てください。
http://www.kamnavi.net/en/harima/kamigosake.htm
祭神
不明。たぶん大避大神(秦河勝)
由緒
不明。
秦氏は秦の始皇帝の子孫弓月君の渡来に始めると言う伝承を持つ。 調庸の民を率い て王権に尽くした氏族とされる。彼らの持つ技術・資産から見れば、王権そのもの を乗っ取ることも容易だったと思われるが、どうもおとなしすぎるきらいがある。 王権とは新たな渡来人が乗っ取るものではないと言う雰囲気ができていたのであろ うか。現在でもタイ、インドネシア、マレーシアでもチャイナ人が丁度古代日本の 秦氏に相当するのか、経済はほとんど握っているのだが、政治には表舞台には立た ない。タイの王様の地位を乗っ取ることは考えにくい。
赤穂の秦氏は千種川流域に勢力を扶植していったようで、上流の上郡にも入ってき たのだろう。
秦河勝は聖徳太子に仕えたが、皇極二年(643年)蘇我入鹿の乱を避けて、難波 から赤穂の坂越の生島に逃れ、没後は生島に葬ったと伝わり、
また上として祀ったと言う。
[6] | 林原英祐さんからのコメント(2003年12月26日 05時55分53秒 ) | パスワード |
平熱の皆様に感謝して、、
今年も、何とか、皆様のお話に引っ張られて一年が過ぎました。
少しずつ、すこしずつ、遅れ出している自分を発見しながら、、、
人が生きると言うことが「あ!そう言うことなんだ!と納得させられながら、、」
来年もまた、皆様にお世話になるんだ!
私の、、、ありがとう
良いお歳を、、
主観的歴史観を大切にします!!
[7] | さちこさんからのコメント(2003年12月26日 23時02分09秒 ) | パスワード |
せかっくのスレッドを秦熱のようにしてしまいごめんなさい。
私は明日からバンコク経由オーストラリアへ行きます。
SARSの影響で今年初めNWのマイレージの特典が年末でも簡単にとれたのです。
だから日本、バンコク間はタダ!←服部家が好き。
(名古屋から東京に出るのがお金かかるけど)
バンコクから格安航空券をインターネットで買って何処へ行こうか迷ったのですが、
西オーストラリアがお値打ちみたいで。
明子さん。
今年一年、色々あったけど。
明子さん、隈さん、そして、さちこは、
平熱三姉妹と思ってます。
(明子さんにメール送っても届かないので困ってます)
長島にあった服部家の寺、長禅寺。
ここの住職が村上家なのですが、
長島の村上家は隈さんの服部家と同じ丸に抱き茗荷でした。
長島の戦い、
(私は長島の一向一揆という言葉を使いたくないです)
毛利氏が瀬戸内の水軍を使い長島に援軍を送っていたのです。
食料や武器など。
隈さんの服部家は、
服部友貞が自害したとされる二年後に、
広島から向島に移ったということですが。
このあたり気になる。
向島近辺は村上水軍の本拠地。
隈さんの服部家と長島の服部家は何か繋がっていたと思うのです。
明子さんの服部家。
名古屋の中川区辺りではないですか?
服部家に関しては書きたい事ばかりです。
例の重文の服部家とは仲良くしてます(笑)
少し説教してやったぞよ!
ホンヤの服部家もなければ、
馬の骨の服部家もない。
服部家は皆同じ。
横の繋がりを大切に。
弥冨、長島の服部家に関して語るには、
せめて弥冨史、長島風土記を読んで下さい。
重文の服部家の先祖が書いた市江祭記もね!
弥冨の重文の服部家が、
家の保存に経済的に困ってます。
何とかしてあげたいのです。
あそこが主張する服部家ホンヤ云々は眉唾なのですが。
この話しは来年にもちこむか。
皆様よいお年をお迎えください。
[8] | 小林雅成さんからのコメント(2003年12月27日 11時04分22秒 ) | パスワード |
さちこ様
>秦さんの多い千種は今は三重県菰野町千草で長島ではないのです。
そうでしたか、千種区ならば、名古屋でしたね?
織田信長の長島孤立作戦、発売中のコミックス『信長』でよみました(^^;)
>赤堀は四日市ですが他にも赤堀というのがあるのですか?
名字の赤堀は、三重の赤堀と、群馬の赤堀と岡山の赤堀が私のしっている範囲です、それ以外もあるかも、、。
岡山の赤堀は、元は源姓西村氏でして、祖母の実家の話しだと赤松氏族。赤松は系図上では村上源氏だけど、トータルでみればどうみても秦氏です。
>ここの上相場に服部友貞の墓といわれる、
小生の田舎にも上相という地名がのこってますよ。
>平安時代この地に逃れてきた藤原氏は秦氏系藤原氏ばかりなのですよ。
そうでしたか。
>16の神社うち五つの神社は伊賀の服部家の家紋である並び矢なのです。
兵庫県上郡の大避神社は八本矢車が神紋です。実際に小生はいったことがあります。
千種では、赤松氏が赤穂の製塩と並び、鉄の生産をしていたのですが、小生の本家が千種にて物流をになっていたらしく、江戸時代初めには千種の非鉄金属を商っていたといいます、やっぱフツーの家とちゃいますね(^^)
>どうもおとなしすぎるきらいがある。
といいますか、家の伝承ですとまつりごとにはでしゃばらず、家業(あきない)に専念しなさいというのがあります、政治にコミットするときは藤原氏を立ててやらせるという、いわゆる日本風のナンバー2がおいしいことをしっていたのでしょう。
>経済はほとんど握っているのだが、政治には表舞台には立たない。
うちの実家の近所はあきんどだらけなのですが、議員に立候補しようなんていうやつは一人もいません。選挙参謀ならやったるというのはいるんですが。やっぱり周囲の農村とはきわだって違いますね。農村にいけば、わしが、わしが、議員になったる、というのが大抵の村にいます(笑)
[9] | 田中愛造さんからのコメント(2003年12月29日 23時15分09秒 ) | パスワード |
服部先生初め、平熱staff一同様、そして平熱参加各位様。
半年間、いい勉強させて頂き本当に、有難う御座居ました。2004は更に良い年であります様、お祈り申し上げます。
私事ですが、氏姓を研究して足掛け35年に成ります、特に系図が好きで・・と云うより、人の先祖に想いが深く、永く関わって来ました。これからも宜敷くご教導お願い致します。
[13] | 佐藤さんからのコメント(2015年07月11日 17時44分24秒 ) | パスワード |
私の実家は畑中ですが服部家とはどんな関係だったのでしょう?使用人?親戚?どうして墓を守ったのでしょうか?
【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る 】 |
|
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇ DB-BBS-system V1.20 Rapha. |