[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年12月21日 07時26分47秒 ) | パスワード |
小林さん
初めまして。
備前蝶紋という名称は初めてですが調べてみたら
東軍の池田左衛門輝政公 1565〜1613 が備前蝶紋使用だったそうです。
御名字の小林姓がいつから使用されているのか本家さんで教えて頂けると良いですね。
[2] | 小林です。さんからのコメント(2003年12月21日 15時55分09秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさんへ
早速のご回答、ありがとうございました。
すでに本家とは縁が遠くなりつつありますので、聞きづらい面はあるのですが、ご先祖のお墓参りも兼ねて、行ってみようかなあとは考えておりました。
そして、なぜ備前蝶紋をサカサアゲハと読んでいたのかも知りたいところでした。
中国地方の池田家と、下総地域の小林家が同じ家紋なのも不思議です。
情報、有難う御座いました。また、何かご存知のことがありましたら、お願いいたします。
[3] | 川口 信さんからのコメント(2003年12月21日 16時19分48秒 ) | パスワード |
小林さん 初めまして。
ちょっと調べました。
「播磨屋の徳川旗本八万騎の家紋」
http://www.harimaya.com/o_kamon1/hatamoto/hm_ko.html
によれば、丸に揚羽蝶
伊勢平氏という。上総に住んだ時代、長柄郡小林の地名から小林を名字としたと伝え、のち三河に移り、徳川松平氏に仕えた。とあります。
また文政旗本武鑑には、小林家が四家記載がありますが、小林鎌太郎家(清和源氏本国三河家紋丸内上羽蝶)、小林清之亟家(清和源氏本国三河家紋丸内上羽蝶)、小林田兵衛家(藤原氏本国丹波・家紋七寶内花菱)、小林惣兵衛家(清和源氏本国三河家紋丸内上羽蝶)になっております。
徳川家に仕えたので、源氏と称してるかもしれませんが。
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年12月21日 23時27分01秒 ) | パスワード |
川口さま
そうしますと上総以来の平家一族の小林氏かも知れませんね。
そこがもう少し詳しく分かるといいですね。
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年12月22日 00時31分13秒 ) | パスワード |
小林さん
>上総に住んだ時代、長柄郡小林の地名から小林を名字としたと伝える
という事から千葉県教育委員会の歴史編纂課に問い合わせてみては如何でしょう。
どういう御先祖さまがいらっしゃったか分かるかも知れません。
[6] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年12月22日 00時39分42秒 ) | パスワード |
ちょっと地図を調べてみましたが
千葉県長生郡長柄町小林になるんでしょうか?
茂原市の近く?
さらにビックリしたのは千田という地名が近くにあること。
清盛の姉が嫁いでたという千田氏の所領地でしょうか?
私個人は市原に先祖がいたように思います。
[7] | 田中愛造さんからのコメント(2003年12月22日 02時02分13秒 ) | パスワード |
桓武平氏国香流伊勢氏族.維盛の末男秀衡が上総国長柄郡小林邑に住して家号とする宗家紋・丸に二連揚羽蝶、蝶車輪違。分流紋・丸に揚羽蝶、輪違い。
[8] | 田中愛造さんからのコメント(2003年12月22日 02時37分29秒 ) | パスワード |
武蔵・上総・下総・相模の小林さんは桓武平氏を称し、殆ど揚羽蝶を使用している。別に、小山氏流小林・伊賀氏流小林・も揚羽蝶である。小林氏は50氏以上の大族で平氏の出自も多く、書き上げると、かえってややこしくなると思いますので、的確性に調べて下さい。
[9] | 小林です。さんからのコメント(2003年12月22日 17時18分24秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさん、川口さん、田中さん、お調べ頂きまして本当に有難う御座います。
どうも「小林」という姓は、何らかのアゲハチョウ関係の家紋を使用する家が多いようですね。
ところで、親から情報を得たのですが、現在、佐原の本家は農家をしており、屋号が「せいえもん」(「晴右衛門」という漢字のようです)というのだそうです。
また、その家も実は分家で、何代前かは分かりませんが、「げんざえもん」(源左衛門?)という家から分かれたそうです。
屋号などがあることから、だぶん代々農業ではないかと思っているのですが、
(サムライの家に屋号ってあるんでしょうか??)、本家の周辺には千葉氏一族(またはその分家?)の城跡などもある里地里山地域のようなので、里山好きの私としては大変興味深くなってきました。
また何かご存知の事柄が御座いましたら、ご教示いただきたくお願い申し上げます。
[10] | 小林雅成さんからのコメント(2003年12月25日 12時49分35秒 ) | パスワード |
小林さんへ
小林です。
>「さかさあげは」
これは、パースペクティブの問題でして、蝶には変わりありません。ただ、ご先祖様のネーミングの思い入れが残っていますので、記録に残すときは、自家ではさかさあげは、標準的な分類名は○○であると書いたらいいとおもいます。
備前蝶は、備前国岡山藩大名家の池田家が使用したから、『備前』を冠しているだけです。実際にあなたの家の紋はみていませんけど、鎧蝶(よろいちょう)でいいとおもいますよ、呼称は。
「せいえもん」という屋号は一応農業という解釈が妥当ですが、農村にいた野鍛冶など、士農工商の’工’の可能性もあります。
[11] | 小林です。さんからのコメント(2003年12月25日 17時03分20秒 ) | パスワード |
小林様へ
「工」の可能性があることは全く頭から抜け落ちており考えませんでした。
屋号によってその職業も分かるんですね。知りませんでした。新鮮な驚きです。
ご教示いただき本当に有難う御座います。
確実ではありませんが、どうやら宗教は「真言宗豊山派」で、その宗派の古いお寺に先祖のお墓があるようなことも分かってきました。
でも、お墓の調査はあまり好きではないので、どうしようか迷っているところですが・・。
ご教示有難う御座いました。また何かご存知の事柄が御座いましたら、ご教示いただきたくお願い申し上げます。
小林より。
[12] | 小林雅成さんからのコメント(2003年12月25日 18時01分42秒 ) | パスワード |
小林さんへ
>屋号によってその職業も分かるんですね。
すべてがわかる訳ではありません(^^;)たまたま私の親戚が野鍛冶やってただけ。屋号はずばり鍛冶屋。
>どうも「小林」という姓は、何らかのアゲハチョウ関係の家紋を使用する家
小は接頭辞でして、もともと’お’では?とおもいます。尾林姓は現存しますし、地名は『おばやし』もおおい。お+林(りん)でしょうね。
私の推論を開陳すれば、中国の山東半島をたった秦の始皇帝のローヤルファミリー一族の徐氏が百済経由で日本に入って各地に駐屯した。養蚕の技術を輸入したので、おかいこ様を象った紋章を家紋として使用した。日本では、新羅経由の氏族は源氏(元は中国東北部にいた騎馬民族系統のいわゆる鮮卑氏族)を称し、百済経由の氏族は平氏を称したので、後の世では(鎌倉以降)平氏の代表家紋は揚羽蝶となってしまった。伊勢平氏のもとはあたかも揚羽蝶のような言説がまかりとおっているのはそのような経緯かと。
同様に、任那経由や、新羅経由、渤海国経由で、藤原氏、源氏という小林さんもいるというのが現状です。
>「真言宗豊山派」
う〜ん、秦のような気がしますね。
[13] | 小林です。さんからのコメント(2003年12月25日 18時34分39秒 ) | パスワード |
小林さんへ
早速のご回答ありがとうございます。
小林さんのHPも閲覧いたしました。
TOP頁のデザインが正に当家の家紋ですが、もしかしたら当家の家紋は、丸(○)の中に鎧蝶が入っていたかもしれませんでした。
なので、正式の備前蝶ではないと思います。
とにかく、中国大陸・朝鮮半島と関係を考えると、ますます分からなくなってきましたが、また、何かお気づきの点がございましたらご教示お願い申し上げます。
小林より。
[14] | 小林雅成さんからのコメント(2003年12月27日 19時26分23秒 ) | パスワード |
小林さんへ
こっちのHPもご覧ください↑↑↑
丸に備前蝶というのも、勿論あります。
辞書的にいえば、伊勢平氏ないし、藤原氏秀郷流である。先祖が源の字を
使用しているので源氏の可能性も指摘されよう、ぐらいが回答になります。
文献で悩んだら、菩提寺に足を運ばれるのが一番かと存じます。
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