キーワード:伊王島 俊寛 コメントの種類 :史蹟
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大変ご無沙汰しております。
只今、九州におりまして、今日は雨をついて、船で長崎市港外の伊王島に渡り、俊寛僧都の墓に参拝してきました。
この件については多分、今迄散々論じられていることかと思いますが、私の出身地佐賀では、佐賀市郊外の嘉瀬に俊寛僧都の墓があります。実は俊寛僧都は鹿児島の南ではなく、長崎港外の伊王島に送られ、後に嘉瀬に帰って死んだのだというわけです。
嘉瀬津は古い港であることから戦前の「史跡名勝天然記念物調査報告」などでは、さほど荒唐無稽なことではないということになっています。担当者が、平家当局に対しては鹿児島の南に連れていったと報告したものの、実際は長崎だった、というわけです。
その場合の墓の所在は、こうして伊王島と嘉瀬の少なくとも2説(実際はもっとたくさん)あるわけですが、今日、伊王島を訪れると、ここのは石碑自体は江戸時代で、割合新しく、嘉瀬の方が古いなという印象でした。しかし、対岸・野母半島の深堀には有王や亀王の遺跡などもあり、それなりの伝承もあるようです。
そんなわけで、よくは判りませんが、もう一つ、伊王島の船溜りの形が、以前行ったことのある山東半島・蓬莱の倭寇防衛の根拠地によく似ていたのに興味を覚えました。日本の最西端はやはり大陸と何かにつけて近そうです。
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