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 投稿番号:100569 投稿日:2003年10月13日 22時20分31秒  パスワード
 お名前:スプーン
平家一門のなれの果て:隈さんロムして!
キーワード:平家谷 後山
コメントの種類 :落人伝説  パスワード

初めまして。ここでは使い古された言葉かもしれませんが、引き寄せられるようにしてたどり着きました。小さい頃から(現在37才)自分が落人の子孫だとは父親の話を聞きかじって知っていましたがそれほど興味もなく、そしてそれ以上に知るのも恐い気がしていました。
先だって、父が亡くなりました。病床の中、ノートに通夜、葬儀の段取り、その後のことなどを綴ったノートがありました。白紙ページをめくっていくと最後の方に「武士は食わねど高楊枝、平家一門のなれの果て」と力弱い字で書いてあり号泣しました。暮らし向きがそんなに豊かではない我が家で葬儀等、決して父に恥をかかせるものにはすまい。関わった方々には以上に返さなければと心に決めました。そうしろと書いてあったのだと思います。以前、遠縁が「平家谷 後山」という200ページくらいの覚え書きを作りました。あとがきに「敗北したのを因果に下隠しに隠し、願わくば平家一族の再興を祈りを心に秘めて、証拠を残さず、唯、ひたすらに言い伝えに伝えただけで今日を迎えてきたが、何としても後世に伝えておかなければ先祖に申し訳が立たない」とありました。
平素より城廻や歴史書を読むのが好きな父でしたが熱心にこの本を読んでいたのを覚えています。ただ、言い伝えの中には誤ったものも多かったらしく、父は線や丸で囲ったり修正を書き入れたりしていました。
自分の家のことも余り書かれていなかったので父は病床でなにやら書いていたようですがあまりに早い迎えにそれも間に合わなかったようです。
なかなか広島県三原市の平家谷のことはどこへ行っても見あたりません。
私は父の遺志を継いで先祖のことを識ることにしました。とはいってもここだけが頼りの拙い私です。どうかご指導願います。
姓は戸川、丸に抱き冥加の家紋です。後山には平家谷八幡神社があります。
よろしくお願いします。

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 01時13分57秒 ) パスワード
  

スプーンさま

初めまして。

拝見して涙が止まりませんでした。
それ以上に驚いたのは「三原」という地名。

わたくしの母方は伊予の河野なのですが当時の先祖の母は現在の三原+竹原近辺の出身なのです。
沼田家出身(当時は「ぬた」と読んだようです)ですから
沼田川あたりの豪族だったようです。

で、当時は平家に属していたのですが
平家から派遣されていた代官の奴田入道西寂(だったと思います)がワルで
それで我が家はこの代官を殺し頼朝の旗揚げに参加しました。
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 01時26分18秒 ) パスワード
  

戸川氏についてですが
いつから戸川姓を称していらっしゃるのか?
それが分かると良いですね。


戸川氏
・美作苫西郡戸川出身は「河野」または「藤原」出身という。他に菅原氏、源氏も称する
という事でビックリしました。河野の中にも平家に残ったのは当然いますから。


戦国時代には宇喜多直家の家臣に戸川秀安という武将がいたそうです。
織田 vs 毛利の戦い、尼子勝久+山中鹿之助の上月城落城のあたりの
宇喜多の動きを読めばこの戸川秀安について出て来るでしょうから
この人物を調べたら戸川氏について分かるのではと思います。
[3]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 01時41分50秒 ) パスワード
  

>なかなか広島県三原市の平家谷のことはどこへ行っても見あたりません。

1番簡単な探し方は
三原市の教育委員会の歴史編纂課にお手紙を書いて教えて頂けば良いのです。
「当方は平家落人の部落について調べている者で三原市の平家谷を捜しております」
とお書きになれば良いのです。


教育委員会って物凄い活動をしてますよ。
ですから良い知らせを頂けると思っております。

戸川秀安についても岡山県の教育委員会で宇喜多直家について情報をお願いすれば良いのですよ。
それから教育委員会発行の歴史書の宇喜多家家臣団の名簿(分限簿のようなもの)が手に入るとよいですね。
そうしますと戸川秀安がどこに城を構えていたのか分かります。


もし戸川秀安が「平家」を名乗っていなくてもがっかりなさる事はありません。
平家というのを隠してたと充分考えられますから。
この人物について分かると良いですね。
私は「秀」の字は豊臣秀吉から拝領した又は宇喜多秀家から拝領したのでは?と思っています。


スプーンさまの御先祖さまは岡山〜広島あたりに縁があったのではと想像しています。
それから
戸川秀安は身を立てたけど我が戸川家は世に名を立てる事がなかったのが残念という事もありかとも思います。


教育委員会に情報をお願いするのはご遠慮なく。
返信用の切手を同封すれば良いのですよ。
その土地の歴史を研究してるんですから莫大な情報を持ってます。
土地の大きな本屋さんでも研究書を置いてるという事もありますよ。御旅行のついでに手に入るといいですね。
[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 01時50分53秒 ) パスワード
  

「戸川秀安の母」について分かりました。


戸川秀安の母
戦国時代の武家の女性。
夫富川安定の死後、息子秀安(戸川と改姓)と妹の2子が残されたが
兄の出世の邪魔になるとして妹を池に投げ込んで殺したと伝えられる。

宇喜多忠家の乳母となり
のち岡総兵衛と再婚。
生まれた子に軍事を教えるなど武芸に秀でていたともいう。

だそうです。
こちらの戸川さんの戸川氏というのは戦国時代だったのですね。
[5]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 02時05分24秒 ) パスワード
  

では次に「河野姓戸川氏」について:

伊予国河野氏族にして美作国苫西郡戸川邑より起こる。
河野通信の後胤、稲葉通弘4代の後、
富川助之丞正実が備中国児島に住み
宇喜多能家の配下となる。

その孫、秀安の時、戸川に改む。
この秀安ははやくして父を失い、母と共に宇喜多和泉守直家に身を寄せ、
のち2万5000石を領する。

その子達安(みちやす)は宇喜多秀家の信を得、備中庭瀬2万9000石を賜る。
[6]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 02時10分38秒 ) パスワード
  

将軍家綱の末期延宝7年11月2日の人事で戸川安風が無嗣減封の処分になってますね。
[7]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 02時17分37秒 ) パスワード
  

結局備中国庭瀬は明治維新の頃
2万石で譜代の板倉摂津守勝弘が雁間詰めで終わって
明治維新で子爵になってますね。
[8]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 02時31分39秒 ) パスワード
  

よく分かりませんが「平家谷」で検索してみたら
なんと!広島と伊予が出て来ました。(伊予で平家谷ねえ・・・と絶句)


〒720-0392 広島県沼隈郡沼隈町大字草深1889番地6

沼隈町役場で尋ねると良いのかしら?

電話 084-980-7701
FAX 084-987-2382
[9]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 02時36分50秒 ) パスワード
  

平家落人関係でしたら、こちらでしょうか?


◎平家谷 花しょうぶ園

平通盛が隠れ住み,菖蒲湯につかって戦の疲れを癒したと言い伝えの残るこの地は,自生の菖蒲が多くあったことも手伝って,地元の横倉地区住民が中心となって,開園しました。
 約12000平方メートルの園に500種・約50000本の花しょうぶを地元住民の手作業で植栽しました。花の見頃は6月中旬です。
  ・所在地        沼隈町大字中山南  横倉地区
  ・問い合わせ先    沼隈町観光協会(電話084-980-7711)
  ・開園期間       6月上旬〜6月下旬
  ・開園時間       午前9時〜午後5時まで
  ・入園料        大人500円  小中学生200円
  ・アクセス        JR福山駅南側バスターミナル14番乗り場から鞆鉄バス横倉行きで約30分,
                下車後徒歩10分
                山陽自動車道 福山西ICから車で約30分 
[10]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 02時53分23秒 ) パスワード
  

こういうのもありました:


平家谷は沼隈町横倉地区の別称です。ここは奥深い山里であり、平家伝説の残る情緒あふれる集落です。平通盛夫婦をまつった通盛神社や平家の軍旗である赤い旗をまつった赤幡神社など、平家ゆかりの旧跡や地名・伝説が数多く残されています。平通盛が菖蒲湯につかったと言い伝えの残る平家谷に「平家谷花しょうぶ園」が平成2年開園しました。建物を除く全てが地域住民の手作りで、約500種・50,000本のしょうぶが乱れ咲きます。また、隣接地に平家谷「つばき園」があり、こちらは約580種・1,000本のつばきが花咲きます。(つばき 3月・しょうぶ6月)

交通手段
自家用車   山陽自動車道福山西ICから約45分
電車、バス JR福山駅から14番横倉行き(便数少なし)で約40分の終点下車、その後徒歩で約15分
問合せ先
沼隈町観光協会 TEL:084-987-1313 FAX:084-987-2382
[11]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 03時03分13秒 ) パスワード
  

そうしますと「備後福山あたり」ということになりますか。
(私は天下のお迷子名人なので方向が全く分からないのです)
[12]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 03時13分39秒 ) パスワード
  

マップ検索で
「広島県沼隈町・横倉・能登原」と検索して行きましたら
能登原小学校の北に通盛神社があり
その西に河野神社
その東に住吉大明神があり
(ウチの関係だ〜)と思わず心の中で叫んでいたのですよ。

それから通盛神社をクリックしましたら
赤幡神社
八幡神社がありました。


ここがお探しの場所のようですよ。
[13]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 03時22分27秒 ) パスワード
  

是非明治の初めに至る御先祖さまの戸籍謄本(除籍謄本)を全部お取りになりますように。
そうしますと明治の初めにどこに在住してたのか分かります。

取得理由は「先祖の供養のため」となされば良いですよ。
スプーンさまから1代1代遡ってとっていくんです。
時間とお金はかかりますが

御先祖さまの秘密なども分かります。

是非明治の初めの謄本全てお取りになりますように。


お父さまが「福山」でなく「三原」でお話になった理由も分かるかもです。
[14]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 03時25分14秒 ) パスワード
  

来年のお盆には間に合いますでしょうか?
お父さまの御冥福安かれとお祈り申し上げます。
[15]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 03時43分51秒 ) パスワード
  

能登小学校で見当はついてましたが
この「能登」という名称も平通盛ゆかりだと思います。


平通盛は権中納言平教盛と藤原資憲の娘との嫡男。弟に教経がいる。
平治2年(1160)蔵人。
のち常陸介、能登守、越前守となる。
治承3年(1179)中宮亮。


この人の最期については諸説あり
・一の谷で討ち死
・南都攻撃では副将軍、北国追討では大将軍、都落ち以降も西国で戦う姿が描かれる。

愛人の小宰相が後追い入水する悲話も描かれている。
[16]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 05時28分58秒 ) パスワード
  

スプーンさまは讃岐の十河(十合)氏にも関係がありますか?
こちらも讃岐の名門ですよね。
後に大坂で有名になっていきますが。
清和源氏三好氏の一族。

この十河氏「そごう・そがわ・とがわ」とも読むそうです。
特に京都の北野天満宮の菅原氏系が。


こうして書いていきますとゴチャゴチャになっていきますが
結局は日本人というのは日本の国内で培養され続けましたから
源平藤橘の血が何重にも混じってます。

ですから<2>で書いた戸川氏が越智姓河野氏、菅原氏とも称したというのも間違っている訳じゃないです。


スプーンさまの御先祖さまがどういう事情で「戸川氏」を名乗ったのか?
戦国時代に戸川秀安の家と関わりがあったのかもです。


南北朝時代どちらについたのか?それが分かるといいですね。
場所的に「平熱」参加者の隈さんや林原さまとも繋がってるでしょうし。
南朝方だった時に隈さんと同じ抱き茗荷紋にしたのかも知れませんし。


是非八幡神社にいらっしゃってください。
ここの紋が抱き茗荷紋だったら良いですね。
[17]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 05時41分20秒 ) パスワード
  

http://www.hikoshima.com/bbs/heike_slink/100311_44.html

で隈さんが御先祖さまが福山市服部から向島に引っ越したとお書きですから
やっぱり隈さんとはお近いようですね。
[18]スプーンさんからのコメント(2003年10月14日 22時00分04秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2003年10月14日 22時03分50秒
[19]スプーンさんからのコメント(2003年10月14日 22時07分21秒 ) パスワード
  

上記書き損じがありまして書き直しました。

早々の詳しいお返事をありがとうございます。仕事場でこっそり開き、情報の多さに驚き、喜び、戸惑ったというのが本音です。
まず、私の説明不足が原因でずいぶんギャンブラー様を手間取らせたことをお詫びします。
姓を名乗らなければ情報を得られないし、名乗るのにも抵抗があったので・・・曖昧になってしまって。
このサイトを見つけ、興奮も手伝っていたので申し訳ありません。
●三原に平家谷は実在していて私が「どこへ行っても見つからない」と書いたのは「ネット上で検索しても三原の平家谷についての情報を見つけることが出来ない」という意味でした。
●三原の平家谷は1184年一ノ谷、1185年屋島、で敗れその後、この谷にしばらく住んだのち、残族をあつめて1191年に集落を作ったという資料があるそうです
昭和60年に数基の五輪塔に角塔婆を建て800年祭の法要を行っています。
●沼隈の平家谷の平家八幡と三原のそれは全く同じ作りになっているそうです。
●父は明治からの謄本を大切にしていました。実家に帰ればあると思います
。昔ちらと見たときには筆書きにこよりで綴ってある明治時代のものも確かにありました。「今ではこれは取れない」と父がいっていました。
●ですから姓は明治から同じです。
●その他の姓に平田、平川、小川、河野 等あり、川が流れていたからかなと思いました。
●父がその姓の上に「平氏」「藤原」など鉛筆で書いていたのも気になります。
いろいろなことを考えています。
私は何が知りたいのか?知りたくないのか?・・・・・・
実は平家物語も知りません。どなたか入門編のようなもの、一番読みやすかった本を教えていただければ幸いです。頑固で厳しく、世間話などしたことがなかった父と、今ゆっくり会話しているような気がしています。
[20]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 22時58分09秒 ) パスワード
  

能登原八幡神社。源平の昔、平能登守教経が能登原へ布陣したことに由来すると伝えられ、新しい年の平安を祈願し古式ゆかしく弓を射ます。
[22]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 23時01分24秒 ) パスワード
  

スプーンさま

やっぱり三原なんですか?
そうしますと三原市教育委員会の歴史編纂またはお寺関係で尋ねると良いでしょうね。

昨日沼隈のXXさんという方が平家谷のどこやらを管理していらっしゃるというのを読んだので
この方だったら三原の事情も御存知かと思って捜してみたのですが
捜すと無いものですね。

で、捜している内に<20>の記事がみつかりました。
[23]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 23時31分54秒 ) パスワード
  

●その他の姓に平田、平川、小川、河野 等あり、川が流れていたからかなと思いました。

この川ってどの川に因んだのでしょうね?
沼田川でしょうか?
大谷川?
西野川?
河原川?
恵下谷川?
と三原市の地図を眺めてゆかりの川はどれなんだろう?と睨んでるのですが分からないですね。
ワタクシの母方も大坂方で敗れて落人してた時、故郷の川の名を名乗っていましたよ。
「戸川姓」をいつ名乗ったのか?
三原の川に因んでだったのでしょうか?


上記に書いたように沼隈の平家谷にいらっしゃいましたら三原の平家谷について情報が得られるかもですね。

三原って駅からして山が迫ってますよね。どれが後山なのか分からないです。
明治の戸籍をお持ちでしたら
1番古い御先祖さま(江戸時代生まれのかた)がどこに住んでたか
そこから見当はつかないでしょうか?

あとはお寺さんですね。菩提寺の名。お聞きになってらっしゃると良いのですが。


沼隈・平家谷は三原・平家谷から何らかの圧力で出て新しく沼隈で平家の集落を形成したのか?
それとも12世紀時代から三原と沼隈は連携して存続して来たのか?


三原の後山というのは通称でしょうから(三原の地図では私の目には入らなかったです)
三原の人に尋ねるしかないでしょうね。


●父がその姓の上に「平氏」「藤原」など鉛筆で書いていたのも気になります。
「平家」と「藤原秀郷系藤原氏・・・藤原忠清一族」は刎頚の友ですから
仲が良いので
一緒に落人になった藤原の子孫でしょうね。


ワタクシがスプーンさまでしたら
全く手掛かりが無い場合、
三原の教育委員会または沼隈に行く
のどちらかで調べていくと思います。
[24]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月14日 23時51分45秒 ) パスワード
  

平家の落武者の裔と称する広島県三原市幸崎町のノウジというのが引っ掛かりました。
現在の所、情報はこれだけですが<さいざきちょう>と読むそうです。

それから三原には八幡町というのがあるそうです。

残念ながら両方とも「表図外」になるので地図には載ってませんが
スプーンさまの御先祖さまに近くなりましたでしょうか?
[26]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月15日 00時04分20秒 ) パスワード
  

三原市の山の中のそのまた山の中に「平」という地名がありました。
御調郡に八幡神社もありました。
それから前後という場所もありました。
平木という地名もありました。

御調町役場の近くでした。
[27]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月15日 00時11分12秒 ) パスワード
  

こんな情報も引っ掛かって来ました:


平家の落人伝説竜王山:三原市で1番高い山。665m
元暦2年(1185年)の源平合戦、屋島の合戦、壇ノ浦の合戦と続けて敗れた平家は、源氏の追っ手から逃れるために散り散りバラバラとなり、瀬戸内海各地に身を潜めて源氏討伐兵の恐怖に脅えながらひっそりと生き延びて来ました。三原の竜王山(沖浦町)も、平家の家臣、奏四郎国重(はたしろうくにひげ)が開いたという伝承があり、自らを癒すために、神社、地蔵を奉ったと言い伝えられています。



御調八幡宮:三原からバスで30分だそうです
神護景雲3年(769年)和気清麻呂が大隈に流され、姉の和気広虫(法均尼)がこの地に流された縁で、創建された日本6ヵ所八幡の第4番目にあげられている由緒ある神社です。
境内には、豊臣秀吉が参拝にきて植えた、しだれ桜などがあり、この一帯は県立自然公園の一部で、神社は県の天然記念物。
桜門は国宝級建物。


竜王山は高い山なので隠れるには都合が良かったでしょうね。
[28]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月15日 00時16分22秒 ) パスワード
  

沖浦町を地図で見たら
なんと「沼田川」の南でした。

全然方向違い・・・・三原駅の西南っていうのかしら。(方向音痴なので)


やっぱり戸籍を調べてどの方向か知るのが良いようですね。
[29]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月15日 00時31分13秒 ) パスワード
  

この「竜王山」ですが三原では載ってないのですよ。
それで広島県の竜王山で調べたら「福山と尾道にある竜王山」になってしまうのですね。

それで両方調べたら
福山の竜王山の近くに「向平池」というのがあってゾ〜でした。
実は平家の大勢力だった武門担当だった藤原氏の勢力範囲にも向平という地名があるんですよ。

更に(なんなの?これ?)と思ってその近辺を調べたら御調郡になるそうで
更に向島という所だったのです。
これこそ隈さんの御先祖さまの引越先でした。


これって何なの?
これってオカルト平家の面目躍如?でした。

もう目の前  真っ白   クラ〜   と気が遠くなりそうです。
私は平家のオカルトから既に脱出してると思ったのですが
私に何が伝えたいんだろう?です。

隈さんここロムしてるかしら?
[30]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月15日 00時42分02秒 ) パスワード
  

更に書かせていただきますと
この向平はワタクシには実に実に不思議な不思議な平家のオカルト真っ只中のご縁の事情がありまして

私情を交えず書かせて頂くとして

我が家が一向衆徒として伊勢長島一揆で織田信長と戦っていた時
御先祖さまが伊勢の北畠さまに年賀の挨拶に行って罠にかかって殺された所が
この藤原勢力の土地でした。
彼らも織田信長に対抗して争っていたのですけどね。


最近そういう事を忘れかけていまして
不埒者なワタクシに
「滅びし平家の怨み忘れたわけではあるまいな〜」
と藤原忠清の息子の1人の景清の言葉が浮かんでしまいました。

イヤァ〜
もうビックリなんですよ。
[31]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月15日 00時44分31秒 ) パスワード
  

というワケで隈さんに読んで頂きたくタイトルをちょっといじらせて頂きますね。
[32]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月15日 00時56分30秒 ) パスワード
  

もう涙が止まらなくなってしまいますが
プライバシーをお話すれば

ワタクシの前世の恋人が平行盛さま配下の侍大将でして(行盛さまのおじさまのような立場でした)
向島近辺に出張ってたのですよ。


まるで「あきらけいこちゃん、俺のこと忘れるな〜!バカ」と言って来てるみたい。
[33]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月15日 01時00分39秒 ) パスワード
  

父方のワタクシの当時の名字が「平田」なんです。

それでスプーンさまのお父さまお持ちの資料にも平田姓が載ってるということで
御一緒した一族の者がいたのかしら?と。
[34]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月15日 10時46分28秒 ) パスワード
  

スプーンさま

もし思い出したような事がございましたら
またお書きになってくださいね。

これから夫の実家に突然出掛けることになってしまいましたので暫く拝見できませんが。
[35]スプーンさんからのコメント(2003年10月17日 13時38分52秒 ) パスワード
  

先日、仕事で機会があり三原の図書館へ行ってまいりました。三原市史を見てみると結構載っていました。(旧地名:山中村)
30分ほどしか時間がなかったので休日にでも行ければいいのですが。
苗字からたどっていく場合は何か書籍がありますか? 
また、ご指導ください。
[36]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月17日 17時42分46秒 ) パスワード
  

スプーンさま

三原にいらっしゃいましたか。
三原市史をコピーできると良いですね。
さらに史談会などが出している本が手に入ると良いですね。


名字から調べるとしたら
群書系図部集という本かしら?全7冊
図書館で置いてるといいですね。
地元の図書館に電話をなさって問い合わせると良いと思います。


旧山中村って現在のどこになるんですか?
[37]スプーンさんからのコメント(2003年10月17日 21時24分22秒 ) パスワード
  

山中村は現在の中之町の一部です。
先日言い忘れましたがsogoは私のハンドルネームです。
尊敬してやまないライターさん(本業は編集者だったと思います)「十河 進」さんの苗字を勝手にいただきました。戸川に引っかけたところがあります。余談になりますが彼の書いたコラムを読んで何度涙を流したかしれません。人の心を動かすことのできるものが書ける彼を尊敬しています。
映画の好きな方でその方面のコラムが良くでています。
お時間のある方は是非「十河進」で検索してみてください。
http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam_b/2sam_30905.html
これは私の好きな話です。
彼は確か讃岐の方で先祖は豪族だったと何かに書いていらっしゃいました。
余り関係ない話ですみません。
群書系図部集、調べてみます。
[38]スプーンさんからのコメント(2003年10月17日 22時47分58秒 ) パスワード
  

宗旨についてですが、後山は皆、曹洞宗のようです。
が代々伝わる仏像がどこの家の物も真言宗の物らしいのです。
本を書いた遠縁も「不思議だ」としているだけでした。
[39]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月17日 23時59分58秒 ) パスワード
  

スプーンさま

>「十河 進」さん
ではなるべくどんな人なのか本で気に掛けて調べてみますね。
多分、御先祖さま同士どこかで・何かで繋がっていくのかも知れません。
それが分かったら人間の「縁」とか「生」って面白いと思います。



宗教はどこかのスレッドで書きましたが御先祖さまの心でいつでも変わりますから
どんな縁で変えたのかそれが分かると良いですね。
土地の主人の宗教に合わせたのか真言宗が何かで禁教になったのか
どういう理由だったか分かると良いですね。
三原市史で理由が分かると良いですね。

うちでも一向宗の熱心な信者歴は父方・母方共に対信長の歴史で出てきます。
以来我が家は一向宗というか浄土真宗です。
姉の家は夫が日蓮宗なのであそこは日蓮宗になっていくと思います。
私は夫がキリスト教なんですが夫が「どうでもいいよ」と言うので改宗はまだしてません。


中之町って凄く大きい土地ですね。
糸崎町の北の方の山全体になってしまいますね。
大きな川があるからこの川に因んだのでしょうか?
この川の名称がどんどん変わってるので「戸川姓」に因む小さな川があると良いですね。


三原のような山が海にせり込んだ土地は敵からの守りに適してたそうで隠れるのに良かったそうですよ。

掛平山なんてのがありますがさしずめ「前山」に相当するのでしょうかねえ。
ここに「平」の字がついてるのも何なんだろう?と。
[40]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月18日 03時39分09秒 ) パスワード
  

ちょっと検索してたらシゲモリさんとおっしゃるお店があって平家関連かしら?と。


株式会社シゲモリ本店, 0848-64-2565, 64-0666, 広島県三原市中之町4344-3,
[41]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月18日 03時51分11秒 ) パスワード
  

私でしたら

三原東高等学校
〒723-0003 三原市中之町4376−1
0848-62-7271

日本史の先生あたりに郷土の歴史に詳しい方を御紹介して頂いてしまいますが。



昔、思わぬ立派な学者先生を紹介されて恐縮した事があります。
それもいろいろな方から。
更に「今から訪ねていったら?」とまで気易く案内までされて顔から火が出てしまいました。
こちらがいろいろ調べてないと恥ずかしいですものね。


でもスプーンさまが気後れなさいますほどには向こうさまは格式ばってたりなさらなかったりしますよ。
最初上記の高校などに返信用封筒を同封してお問い合わせになって
それから「御紹介頂きました」という感じで御当人にお手紙をお書きになりましては?と思いますが。

同郷のよしみとか同じ平家のお仲間とかございますから。
[42]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月18日 03時55分22秒 ) パスワード
  

中之町の北に竜王山がありました!

それから東高校の近くに老人ホームがありました。
老人なら何か御存知じゃないでしょうか?
[43]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月18日 04時12分48秒 ) パスワード
  

八幡神社の近所を調べていたら「厳島神社」の支社があってビックリしました。

それから瑞芝霊園というのも中之町の地図を検索してたら載ってました。
ここで同じ名字で同じ紋のお墓があると良いですね。
古くなると無縁仏の合葬ということで古いお墓が壊されてしまうので見つかると良いですね。

それから中之町の曹洞宗のお寺さんが見つかると良いですね。
お寺さんも最近はサラリーマン化してて古くからの人でないと平家落人のお話を知らないでしょうね。
[44]ななしさんからのコメント(2003年10月20日 13時06分42秒 ) パスワード
  

皆様、はじめまして。
ななしと言います。

読ませて頂いて
不思議な縁を感じました。

本筋とは少々ずれてしまうかと思いますが、
母方の祖父の家は平家落人の隠れ里であるという
言い伝えが残っています。

その家では神仏混交で仏は真言宗です。
神のほうは天照です。

これまた、本筋とは違う話になってしまいますが、
皆様にご質問しても宜しいでしょうか。

お答えできる範囲で答えて頂けると幸いです。
質問;他の平家落人の村では「オカルト平家」の血統と秘密を守る為に
血族結婚が推奨されていたか。
質問;平家落人の村の「村長」もしくは一番偉い人の家系から巫女的な役割を
果たす人間を出してきたか。

ちなみに、祖父の家では明治に入るまで血族結婚が推奨されていました。
例えば、いとこ同士とか親戚同士とか。
また、1代おきに巫女的な人間(女性とは限らない)を
いわゆる「本家」(もしくは本家筋)から1人出してました。

ちなみにその祖父出身の平家落人の里と言い伝えられている所は
淡路島にあります。

そこで、皆様がよくお話になっているように
淡路の教育委員会のようなところに聞こうかとも思ったのですが…。
村が市に合併される時、土地問題で市と争った経歴があるのです。
ですので、とても市に聞きにくいのですが、
大丈夫でしょうか??

では、失礼します。
ななし


[45]まゆげさんからのコメント(2003年10月29日 21時05分00秒 ) パスワード
  

 久しぶりにこのページを拝見させていただいて、気になるキーワードがあったので書き込みします。
 私の亡くなったばあちゃんは石川県の出身で、平家の落のびた里だと聞いています。私も2〜3年前からそこに墓参りに訪れていますが、その村から奥は山以外何も無いような場所で、冬には多いときで4mくらい雪が積もるそうです。同属同士の結婚がほとんどだったようですが、そのような環境の中で自分たちが生き残っていくためには、身分をひたすら隠し、閉鎖的な生活を続けていくしかなかったのではないでしょうか。でなければ子孫にも大きな負担を与えるようなことを、続ける必要はないと思います。現にそこでは奇形児と思われる子供もいたそうですし、ばあちゃんの血筋は病気が多いです。ばあちゃんの兄弟から見ていくと、白血病、再生不良性貧血、クモ膜下出血、心臓病等、血液系の病気が多いです。私も含めてですが、血液検査をすると、かなりの確率で白血球やコレステロール値に異常が出ます。私の妹は横隔膜が不完全な形で生まれてきて大手術をしたのですが、一種の奇形なのかも知れませんね。
 でも、これらのことが、平家の子孫である証明にならないのがつらいところ、先祖から口伝されただけのことです。私の場合このような実情ですが、先祖を恨む気になれないのは、やはり、平家の子孫なのかも知れませんね。
[46]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月31日 13時25分05秒 ) パスワード
  

まゆげさん

「あの世の話」
佐藤愛子・江原啓之共著
文芸春秋(文春文庫)

の74ページとお75ページを立ち読みなさってはいかがでしょう。
薄い本なので1時間もあれば読めてしまうと思いますし。
[47]ななしさんからのコメント(2003年11月04日 10時08分23秒 ) パスワード
  

暇潰しのギャンブラー様&まゆげ様

>まゆげ様
奇遇ですね。我が家も兄弟みんな血液系が
いまいちです。
一番上は心雑音、二番目は小さい頃に血液の免疫不全の病気に。
私は、血液が血清とそれ以外に別れるのが人様より早めです。
(母もそうです。)
おまけに曽祖父(本家の総領)は血が濃すぎたせいか、
頭をおかしくなり自殺しました。
(「八つ墓村」を地でいくような勢いで…^^;;)

でも、それだけ外にでるのを恐れていたという事は
なにかしらの理由があってと言う事だと思います…。
だから、十分、平家の事が考えられるのではないでしょうか。

ちなみに祖父の家は、戦国時代は水軍&海賊、
江戸時代ぐらいから商人(廻船問屋だったっけな?)として
活動をしていたのです
(実は淡路の城下町に商売をやっていた時の建物があって
今は県か市の文化財になってます)。
ですから、母方の祖父の家に他人を入れようと思えば
入れられたのですよね〜。

でも、入れなかったのはある理由からなのですよ。
そういった理由が他の方にあるかな〜と思いまして^^;;。

>暇潰しのギャンブラー様
2〜3日ぶりに覗いてみてびっくりしました。
あまりに話題が「あの世の話」でタイムリーだったものですから。
(これもオカルト平家だから??)
ちょうどここ2〜3日、ご先祖様の供養について話を
していたのです。
しかも、結構、重たい話で…。
私の代で決着を付けられたら幸いだと思ってます…。

[48]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年11月04日 11時04分21秒 ) パスワード
  

ななしさん

>私の代で決着を付けられたら幸いだと思ってます…。

ななしさん、決着つけられますよ。
後ろで「付けられる、うんうん」と頷いてます。

ななしさんも今生で成仏出来ますね。
今回生まれて来て良かったと言える臨終を迎えられますよ。
[49]アルテさんからのコメント(2010年10月29日 07時33分30秒 ) パスワード

はじめまして  
平家後谷に関して本があります 去年実家に帰った時 父から借りました。

現在 大阪在住ですが実家は糸崎です。

父の話では昔は正月とか山から何キロか歩いて糸崎神社にお参りに来られてたそうです。

今は道路が整備されて後谷近くまで行けるそうです。



[53]羽仁敏和さんからのコメント(2017年04月13日 20時17分39秒 ) パスワード

私は、三原在住でこの前平家谷後山へ行って来ました。廃村ですが、車で行ける道があり、村の真ん中に川が流れていて、平家八幡宮があり安徳天皇をまつつています。(毎年10月最後の日曜日にお祭りがあります。)

                                    住所は三原市中之町8丁目で山中ですが、後山公民館などがあり、
平家谷後山と言う自費出版(河野書)の本があります。
[55]羽仁敏和さんからのコメント(2017年04月14日 22時38分58秒 ) パスワード

また平家谷後山へいつてきました。今日は平家八幡宮に参拝し、帰る途中
後山いた方に会い、戸川名字の方はおられましたかと訪ねると、いましたよ、
今でも少し下の方に住んでいますよと言われました。
スプーンさんの遠縁の方だといいですね。
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