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 投稿番号:100567 投稿日:2003年10月12日 09時43分48秒  パスワード
 お名前:扇子
服部一族の皆様
キーワード:服部家
コメントの種類 :その他  パスワード

はじめまして。調べものをしていたら偶然か、はたまたご先祖様のお導きか(笑、ここに辿り着きました。私も服部の家の者です。
うちの親が全くルーツを顧みない人間だったので私も興味を持つことがなかったのですが、ここを読んでいて僅かに記憶が蘇りました。母が、弥富の服部家で盛大な園遊会を開いていた時代の話をよくしてくれました。庭中に料理の屋台が並び、服部家一同が会する豪華な行事だったらしいです。
なぜか私の手元には服部家に高松宮が泊まられた際の記念写真があります。私の祖父母も写っています。祖父は確か東服部の家督を捨てて家を飛び出したと聞いています。それで我が家は親戚づきあいが少ないのかもしれませんが、琵琶を弾き漢詩を嗜み、人柄はおっとりとまさしく「とっさま(祖父の愛称)」=殿様だったとは母の弁。
ここで親戚の皆さんに巡り合えるとは、今まで自分の出自など考えてみたこともなかったのに何やら大変嬉しい限りです。しかも平家まで遡るとは!
現在東京在住ですが、いつかお目にかかれる時を楽しみにしています。園遊会とはいかないまでも、また子孫一同が集まるようになったら楽しいですね。

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[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月12日 10時45分27秒 ) パスワード
  

扇子さん

初めまして。
>琵琶を弾き漢詩を嗜み、人柄はおっとりとまさしく「とっさま(祖父の愛称)」=殿様だったとは母の弁。

お祖父さまはまさしく「服部家」の血筋でいらっしゃいますね。
芸術をこよなく愛し「金持ち喧嘩せず」で人とは争わない。
わたくしの父も同じです。

我が父は琵琶じゃなくて現代人なのでバイオリンの方が好きですが。(練習させられるのが嫌でした)
漢詩でなくてその変形の詩吟ですが。

絵もうまくありませんか?
我が家の方は美術系もかなりです。(除:ワタクシ)


戦後の大変化で働かなくてはならなくなった父がよく耐えたと思います。
私自身は不労所得の時代に生まれたかったです。
[2]扇子さんからのコメント(2003年10月12日 14時25分08秒 ) パスワード
  

暇つぶしのギャンブラーさん、
初めまして、まだ見ぬ血族との初コンタクトだ!
祖父についてはあまり記憶がないのですが、写真で見ると目鼻立ちがくっきりしたかなりの美男です。津島祭りでの裃姿(確か一緒に若き日の道也氏も写っていました。映画「ラスト・エンペラー」のジョン・ローンそっくりだったので母にこれは誰!?と聞いた覚えがあります。)、洋装でステッキを構えた写真もあり、そのダンディぶりときたら・・・しかし長女である母は全く祖父に似ず祖母似で、私もその系統なのが残念。芸術に関してですが、母、姉共にデザイン関係で仕事をしていました。ルックスはさておきこちらは服部の血を受け継いだということでしょうか。
今度名古屋の実家に戻った時に何か資料があるか調べてみます。歴史的発見、あるいはお宝がでてくるか!?
[3]さちこさんからのコメント(2003年10月12日 19時32分41秒 ) パスワード
  

扇子さん、はじめまして。

荷之上の重文になってる服部家の方ですね。
東服部家と言ってたのですか?
はじめて知りました。

弥富近辺もそうですが、
名古屋や(初代の市長が服部家の人)
北勢には結構、有力者の服部家があったようです。
おそらく殆どが伊賀の服部家の出だったのではないかと思います。

伊賀の服部家=忍者というイメージです。
確かにそういった部分もあるかもしれないですが、
諜報活動などというのは服部家に限らず戦争があればつきものですし、
服部家は忍者装束で裏の世界で活動してしてただけではないのですけど。

何か変な先入観を世間は持ってるみたいで(笑)

伊賀にいた頃はおそらくかなり羽振りがよかったのではないかと考えてます。
私たちの先祖の服部家は何らかの理由で伊賀から尾張に移ったといううか、
伊賀と尾張は古代から密接な繋がりがあったと思ってます。

室町時代津島を中心に服部家がかなりの経済力を持っていたのは事実でしょう。
伊賀にいた頃から経済だけでなく、
大陸からの思想、文化をいち早く取り入れ吸収してきたと思います。

伊賀は先進国だったのです。

服部家のことが少しずつ解明出来たらいいと思ってます。
御協力よろしくお願いします。

[6]扇子さんからのコメント(2003年10月13日 09時11分06秒 ) パスワード
  

さちこさん、はじめまして。
「東服部」は、大服部の東にあったのでこう呼ばれたと記憶しています。祖父の代でなくなっています。重文の家からいつ頃分家していったのかよく知りませんが、多分きちんと調査なさっているさちこさんの方がお詳しいはず。
家紋の話が前の方に出ていましたが、私が知るのは着物に入ってる母から受け継いだ服部の女紋で「八つ矢車」です。唯一私に「服部の血」を意識させるシンボルです。
昭和三年生まれの母は当時にしては珍しく東京の女学校に送り込まれ、弥富の土地を失った戦後は名古屋市内で洋風の家に祖父母と住むなどモダンな生活ぶりでした。古色蒼然としたものに囲まれた弥富時代の反動でしょうか、私達子供も和風なものは徹底排除で育てられました(バレエにピアノに油絵・・)唯一母が自慢げに語ったのは重文の雛祭りです。華やかなりし服部家の古き良き思い出らしく、何度も聞かされました。なのでデパートで二百万の雛壇見ても彼女は「フン」て感じです。
こちらこそ教えていただくことも多いかと思います。これからもよろしくお願いします。

ギャンブラーさん、
ジョン・ローンに似てたのは若き日の通也氏です。眼鏡が溥儀殿下してました。祖父は長い顔で、目鼻立ちがはっきりとした精悍なタイプ。母はハンサムな祖父に似なかったことでますます憧れの対象だったらしい。
それから昭和天皇に随行したのは12代目当主ですか?そのお礼に高松宮殿下がクッキー持ってきたということ?祖父母と殿下以外の人々は謎なのでこの写真をアップロードして皆様に鑑定していただきたいところです。アップの仕方がわからない・・・
「自慢」のお気持ちよくわかります、祖先を誇りに思えるなんて素晴らしいことですよね。消されなくても誰もむっとしたりしないと思いますよ。
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