[1] | 花月さんからのコメント(2003年08月22日 18時24分42秒 ) | パスワード |
はじめまして 大嶋様
花月と申します。
私もこちらのHPで『鈴木家と揚羽蝶の関係・・』で、皆様に大変お世話になっています。
今回、お盆で少し分かったのでその報告をしようとPC開いたら大嶋様の文が目に入りました。
そうなんです!親戚でも本家でも、意外に誰も親身になり興味や関心を持たないんですよね。
これから一緒に探していきましょう。
同じ揚羽蝶ですから、通じることもあるかもしれません。どうぞよろしくお願い致します。
[2] | 川口 信さんからのコメント(2003年08月22日 18時43分18秒 ) | パスワード |
大嶋愛子さん はじめまして。
花月さん 暫くでした。是非お盆の様子お聞かせください。
大嶋さん、以前大志万さんのスレで大嶋姓について色々と展開しました川口です。大嶋、大志万は漢字変換では「おおしま」で出てきます。
とりあえず下記スレを読んでお分かりにならない事がありましたら、コメントをまたお願いいたします。名古屋・岐阜は一体で下記スレに出てくる大嶋家の一族かも知れません。
http://www.hikoshima.com/bbs/heike/100333.html
[3] | 大嶋愛子さんからのコメント(2003年08月22日 20時12分10秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2004年02月23日 08時20分36秒
[4] | 当分ギャンブラーじゃないさんからのコメント(2003年08月23日 13時29分08秒 ) | パスワード |
大嶋愛子さま
私は愛知県小原村とか大治村とか全く土地鑑が無いので分からないのですが
大治村でしたらピンと来るものがありますが
小原村は
100%どこ?
尾張?三河?
と迷子状態です。
今、空き家になってる実家にいるので地図帳も無いし・・・
ヒトのマシンを借りてるので検索もうまく出来ないし・・・
三河でも「揚げ羽蝶紋」を使用してる家を知ってます。苗字違いますが。
それから猿投(尾張ですね)の辺りでしたらやっぱり平家だと思いますし。
それから「しま」の島は元の字が「嶋」だと思いますから大嶋家と大島家は同じと思います。
(我が家の家系書の古代時代部分は「鳴」で「嶋」の代用をしてたのですよ〜。
漢字制限が無かった時代のお話になりますが)
お祖父さまの戸籍謄本または遡って明治の初めまでの戸籍謄本(除籍謄本など)
をお取り寄せになって確認なさってはいかがでしょう?
フランスにいらっしゃってもアメリカに住んでいてもどこにいても先祖からの血が呼び掛けるのに
なのに日本に住んでる人は先祖や苗字に興味が無いなんてよくありますよね。
調べたい土地からうんと離れた場所に住んでる方が
自分のアイデンティティに目覚める
なんて不便がありますよね。
私の従弟はNYにいるんですが
自分のアイデンティティを探るために日本を出たような男の子です。
そしてこの従弟と私は何重にも関わっています。
この話を熱心に聞いてくれるのも私の身内ではこの従弟だけです。
私の知ってる事をこの従弟にいろいろ教えてあげたら彼はいろいろ感じることが生まれたみたいです。
でも彼には日本に当分帰れない事情があるのです。
なのに知りたいことが次々出て来て不便してるみたい。
でも一生懸命不便な環境・少ない資料で考えていると向こうから教えてくれます。
大嶋愛子さまの場合は「大嶋」と「大島」の漢字の事から御先祖探しに入ると良いと思います。
それから古文書ですね。
もし明治の初めも小原村に御先祖さまが住んでいらっしゃったのでしたら
小原村の歴史。
教育委員会に問い合わせれば良いですよ。
それからお寺さんに問い合わせて教えて頂く。
大嶋さんという御苗字は非常に日本的なお名前ですから調べるの大変でしょうね。
御先祖さまの御加護がございますように!
[5] | 当分ギャンブラーじゃないさんからのコメント(2003年08月23日 13時40分30秒 ) | パスワード |
ひょっとすると小原村って豊田の近くでしょうか?
そうしますと!
上記の花月さんの鈴木家と関係ありかと思いますが。
ただし
大嶋家と関係のある「鈴木さん」は元の字は「鱸」さんかもです。
そしてまたもや揚げ羽蝶紋の鈴木さんと何重にも関わってるのかもです。
やっぱり平家+南朝方関係だったと思います。
[6] | 当分ギャンブラーじゃないさんからのコメント(2003年08月23日 13時53分54秒 ) | パスワード |
小原村は戦国時代鈴木(鱸)越中守という方がいらっしゃったので
この鈴木さんは川口さまお書きの「大志万」さんと関係があったのかもです。
そうしますと大志万さんとも御親族?
人類は母方ミトコンドリアによると7人の女性の子孫に収まるそうで
世界人類みな兄弟って話になってしまいますが
日本人も8代遡るとみんな親戚になってしまうと聞いています。
大志万さんー花月さんー大嶋さん
ひょっとすると御一族かもです〜
[7] | 当分ギャンブラーじゃないさんからのコメント(2003年08月23日 14時04分27秒 ) | パスワード |
猿投の近く
それも
足助の北?
って事は私とも親戚になっていく?
地縁からすれば回り回って川口さまとも御親戚?
非常に「南朝方」のお仲間だったようです。
元をたどればやっぱり「平家」みたい。
状況証拠は出て来るばかりです。
やはり小原村役場に歴史をお問い合わせになってみてはいかがでしょう?
[8] | 花月さんからのコメント(2003年08月23日 16時31分06秒 ) | パスワード |
こんにちは 花月です。
大嶋さま、少しずつ楽しくなってきましたね〜うんうん(^.^)
こうして私のようにドップリ自分のルーツ探しにはまっていくのです(笑)
楽しいですよ〜 この世界(^o^)丿
寝る時間が減っていくのが少々難点ですがね。
私の一日は、会社に行っている以外は、ほとんど資料調べです。
私は今まで歴史は戦国時代のみしか興味や関心がありませんでした。
昔から憧れの人は織田信長様でしたのでそのところだけは理解できるのですが、それ以外の時代の事は・・という状況でしたので、時代背景や人物など、人の倍調べなければいけないので時間がかかります。
ギャンブラーさま お世話になっております。
何故、そんなにあちらもこちらもご存知なのでしょうか。
ギャンブラーさまは学生の頃から歴史に興味関心があられたのでしょうか。
ご自分のルーツを調べ始めてから、何年くらいで今のレベルに到達されたのでしょうか?
今の私は調べていくうちに、あちらにこちらにと関連人物などができて調べ物は増えることはあっても減ることはないです^_^;
それがまた興味を引き楽しいのですが
さて、大嶋さまへ
ギャンブラーさまがNYの従兄弟さまの事を書かれていましたが
私、最近思うんです。血は記憶し、呼び、選ぶんじゃないかな〜って。
それは、本家に生まれたとか、分家とか、嫁とか、どこに住んでるかとか 全く関係なく呼びかけるものがあり、
それにチャンネルが合った人が受信したのだと。そんなことを思います。
私の親戚も、老いも若きも、皆興味ないんですよ。どうでもいいって。
私も今までそうでした。でも今こんなにハマッています。
人は一定ではありません。成長します。
今まで受信できなかったチャンネルが、私のアンテナにひっかかり受信したようです。
今大嶋さまは受信されているのかもしれません。是非ご先祖さまの生きていらした時代を楽しんでください。
大嶋さまが受信されれば、ご先祖さまはきっとメッセージをくれます。
私は今回お盆で家に帰りましたが、偶然が何個もありました。
例えば、何十年も会っていなかった遠い親戚とバッタリお墓であったり、
その時も私はまるで分からなかったのです。(当時は子供でしたから)。先方も分からなかったようです。それなのに、先方から『こんにちは、どちらの方でしょうか?』と、声かけられたり。
お盆のメチャクチャ忙しい時期に、ご住職さまが、数時間たまたま寺に居て、私がお墓から帰ろうとした時に外で会ってお声をかけてくださったとか。
大嶋さまが、このようなお話が 偶然でしょ、結びつけないで・・などと不愉快でしたら、どうぞお許しください。
うちは夫がそうですので、そのような考え方も分かります。不愉快な気持ちにさせましたら申し訳なく思います。
これからも、いろいろ調べていってくださいネ。
もちろん、大嶋さまのペースでよろしいと思います。
きっと、たくさんの良いことがありますよ。
私は、お目にかかったことはありませんが、ギャンブラーさまや川口さまtakahiro様など優れた方にお会いできましたこと、ご先祖さまに感謝です。
家紋のことですが『日本家紋総鑑』という本に亜揚羽蝶のバリエが200種近く載っています。時間がある時にでも図書館に行かれたら、より近い蝶紋が観れると思います。
では また
PS.わけのわからない文は花月の特徴です。ごめんなさい。
[9] | 大嶋愛子さんからのコメント(2003年08月23日 19時32分52秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2004年02月23日 08時14分27秒
[10] | 当分ギャンブラーじゃないさんからのコメント(2003年08月23日 23時45分48秒 ) | パスワード |
日本に御帰国なさる機会には明治の初めの御先祖さま方の戸籍謄本を是非お取りになりますように。
時間はかかりますが遡れば簡単です。
先祖の供養のためにとおっしゃれば良いのです。
100回忌とでも。
さて
矢作の豪族に「鈴木三郎兵衛」?という豪族がいました。
南朝方の武士です。
この人と戦国時代の小原村の鈴木(鱸)越中守重愛が繋がれば面白いのですが。
鈴木三郎さんとおっしゃる方って日本全国で非常に多いようで
上記の矢作の鈴木さんを記念してるのかしら?と思っています。
大嶋さまの書き込みの中にいろいろ鍵になる言葉が隠されてるようで
ああ、やっぱり!
と思いました。
うたさんの御主人の重三郎さんは旧姓なんとおっしゃったのか?
鈴木家と繋がるのか?
昔の戸籍謄本は大家族主義なのでいろいろな人が一緒に書かれています。
手に入ると良いのですが。
機会がございましたら
是非大嶋家は南朝方だったかどうかお尋ねになってください。
ここから松平家や酒井家とも繋がるのでは?と思います。
[11] | 当分ギャンブラーじゃないさんからのコメント(2003年08月23日 23時58分30秒 ) | パスワード |
うたさんと重三郎さんは全くの他人が婚姻したとは思えません。
昔は馬の骨とは結婚しないですから
遠縁だったと思います。
いとことか・はとことか・またいとことか。
戸籍謄本をお取りになればその辺りが読めるかと思います。
[12] | 当分ギャンブラーじゃないさんからのコメント(2003年08月24日 06時26分27秒 ) | パスワード |
もう1度全部書き込みを拝見しましたところ
矢作川沿い
そしてその川上+川下あたり
場所にして尾張の豊田あたり+三河の碧海郡あたり
鈴木家の勢力範囲だったと思います。
日本中でものすごい土地を有してた豪族が鈴木家で
当然愛知県にも勢力があって
そのお仲間に大橋家や大河内さんや真野さんなど南朝方のお家があります。
わたしには矢作川=三河という限定イメージがあって
まさか矢作川が尾張の足助や猿投や小原にも(から?)
流れているというイメージはなかったので失礼をいたしました。
是非是非「浪合記」をお読みになってください。
検索すれば出ますから。
ここに書かれている南朝方のお家の皆さんに心あたりはございませんでしょうか?
多分お祖父さまの御実家に関わると思います。
家というのは本(先)妻に男子がいたら後添えをお貰いになって(次男をもうけては)家にとってよくないそうです。
我が家も母方父方両方に言えます。
愛子さまに呼び掛けているのは大嶋家の方かお祖父さまの方かよく分かりませんが
きっと家のことをきちんと認識して欲しいという呼び掛けかもしれません。
どんなメッセージが来ているのか分かると良いですね。
[13] | 大嶋愛子さんからのコメント(2003年08月24日 08時17分26秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2003年10月12日 01時17分59秒
[14] | 大嶋愛子さんからのコメント(2003年08月24日 08時26分16秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2004年02月23日 08時20分14秒
[15] | 当分ギャンブラーじゃないさんからのコメント(2003年08月24日 13時15分24秒 ) | パスワード |
大嶋愛子さま
どなたかの「哀しみ」というのがひしひしと伝わって来た感じがしました。
大嶋さまのスレッドで初めてお目にかかった時、身近、というのを感じました。
それで敢えて失礼な「後妻さんにも男子が生まれると家が衰える」などと
ひどい事まで書かせて頂きました。
でも先妻さんのお家の御本家をホンヤさんとして一線を引いてお立てになれば良いと思います。
「本家」だ「宗家」だと争うのは本当にいけません。人間はこれをやりたいんですけどね。
貴大嶋家にはこういうのはないようで
安堵しております。
どなたかからの大嶋家の名を残して欲しいというイメージは感じます。
わたくしも苗字を変えられない人間のようです。
ですからお姉さま?もそうかもです。
やはり明治の初めに至る全ての御先祖さまの戸籍謄本をお取りになりますように。
大嶋家に養子さんにいらっしゃった曽祖父さまのご実家のも取れると良いですね。
先祖供養のためとかおっしゃれば無難のようですよ。
やはり明治維新後の先祖の100回忌というのが取得のための1番合理的な説明かも
です。
お姉さまはご主人に「間違った」お家の方を選んだのかも
ですね。
例えば昔の敵同士とか・・・
源氏方だったとか。
北朝方だったとか。(一宮?江南?の妙興寺だったかが尾張北朝方の拠点です)
お姉さまとご主人さまは純粋培養の敵同士だったかもです。
普通は源平の敵でも南朝方で一緒だったとか反信長同盟だったとかで敵度が薄まるんですけど。
私の場合は「佐々木」でした。
どうしても嫌いでした。
理由は母方でも父方でも敵でした。
理由が分かってからそんなに嫌悪感は無いのですけど。
どうやら先祖が落人になった時に当時の先祖の母親の実家の佐々木の紋で無事今に繋がることになったようです。
それでわたくし自身は過去に憎しみがあっても現在は氷解したので今は非常に穏やかに佐々木姓を受け入れることができます。
みなが幸せになれるように大嶋家をまとめる白羽の矢が愛子さまに立ったのかも
ですね。
昔は婚姻でも同盟でも友情でも「お互いの背景=アイデンティティが了解の上」でしたけど
今は全く分からないですものね。
昔はどこそこのナニガシで更に家紋で人間が分かるので皆が納得できましたけど
今はもう忘れられてしまって
それで愛子さまにもう1度きちんとして欲しいという使命が来てるのかもです。
大嶋家と小原村の歴史との関わりが分かると良いですね。
[16] | 当分ギャンブラーじゃないさんからのコメント(2003年08月24日 13時31分59秒 ) | パスワード |
お祖母さまの「加藤姓」は
これはもう「加藤鬼頭は太閤さま以来の尾張の名門」と表現するのだそうですよ。
特に美濃国に多いのだそうです。
加藤氏でしたら藤原氏の御出身ですから平家と仲が良いのは当然。
[17] | 川口 信さんからのコメント(2003年08月24日 19時32分27秒 ) | パスワード |
三河国小原村・足助について調べてみました。小原村はすぐ隣が岐阜県ですね。
足助大字井ノ口・井ノ口城、名古屋から信州へ通じる飯田街道と、岡崎から足助へ通じる岡崎街道の合流する地点。同井ノ口町にも同じ城名があり、井ノ口左馬助長家、中根喜蔵利重などが居住した。
足助町大字追分・大島村館、この古屋敷は、鈴木久右衛門野屋敷跡と伝えるものである。この鈴木家は徳川の旗本であったが、寛永年間にゆえあって家断絶とある。なんで大島村館なのか?。
小原村乙ケ林城小原村・榑俣(くれまた)城:大草城主鈴木家の家臣古山某がいたと伝える。
小原村大字市場字城・市場城:永正年間初代城主鱸(すずき)藤五郎親伝以下四代長康まで、この城にとどまったという。
足助町字飯盛 ・飯盛城:尾張・三河の両国から信州へ通じる飯田街道の要衝にある。足助氏は後醍醐天皇に従った。その後酒呑(さちのみ)の郷士鈴木氏が入った。
足助町・足助(あすけ)城:尾張・三河と信濃を結ぶ交通の要点であった。代々足助氏が領した。重長は鎮西八郎為朝の娘をめとり、為朝の孫の大島次郎為家をかくまったため、平家に攻められ落城。その後重範は後醍醐天皇の笠置山挙兵に、天皇側にたち、捕らえられ処刑され、重政は宗良親王の東征に従う。戦国期には「鈴木喜三郎がこの城に居る。以上「日本城郭全集より」
以上のように小原村・足助は街道の要点で宗良親王を津島に送り届けてから守りの為南朝方の武士たちが要所要所に住み着いた土地かもしれません。何か分かったようなわからないような文章ですが、おぼろげながら土地鑑が出来れば幸です。
為朝の孫の大島次郎為家の名が出てきましたが、私も為朝の系統に大島氏がいたとは初見ですので良くわかりません。今度調べてみます。
大島光義は新田氏流の義俊の子義成(里見)の子供義継が大島姓を名乗った訳で子の氏継は)大井田)を名乗り、時継が大嶋姓を継いだもので、その子孫は現在大島の字を使っております。
これは新田神社近くの十騎神社(新田義興の従者の武士達をお奉りしている所)の由緒書に大島氏の氏名が記載されておりますので間違いありません。
義継の弟の時成(烏山)の次男親成の子親清は、南朝への忠志を心中に秘めて北朝に帰順し、尾張蜂須賀保(美和町蜂須賀)の地頭に任ぜられて、蜂須賀大和守と名乗ったとも言う。のちの蜂須賀小六正勝は、この末だという伝承もある。
新田大炊助義重(よししげ)の孫、里見義俊(よしとし)が次男
義継(大嶋蔵人)―氏継―義隆―氏經―經隆―經兼―兼經―光兼―義兼―光継―義勝―某(西翁丸)―光宗―光義 ・・・・・・とある。(寛永諸家系図伝より)
加藤家については大名になった家が清正家・嘉明家光泰家と三家ありますが、光泰家の家老には代々大橋家が明治まで連綿と続いております。
以上のように状況証拠を積み上げれば南朝系の大島光義家の一族であると推察されますが。同じ揚羽蝶紋を使用しておりますし。だが新田氏系になってしまいますが。
[18] | 当分ギャンブラーじゃないさんからのコメント(2003年08月25日 02時10分27秒 ) | パスワード |
川口さま
凄い!
さすが!
感服!
「大嶋」と「大島」の違いが歴然ですね。
この差はアイデンティティの世界ですから
大嶋愛子さまのお家は「大嶋」系ということになりますか。
戸籍謄本で確認をお願いしたいところですね。
余談になりますが
「中島」と「中嶋」の違い。
中島さんはなかしまさん。
中嶋さんはなかじまさん。
中島さんは尾張の豪族のなかしまさん。賤が谷合戦の7本槍の1家なのにね〜
ところが中央に出て行くと尾張の中島さんがいつのまにやら「なかじまさん」に変身(変心?)してしまって
ワタクシにははがゆいのなんの。
ふふふ
「大嶋家」と「大島家」の差異はそういうところにありましたか。
おおしま家の皆さんにとっては「大きな違い」になりますよね。
どこで分かれたのかという。
私は「足助」は足利の一族?臣下?になるのだろうと思ってました。
小原村は尾張と三河と信濃で争ったエリアかもですね。
(天才的お迷子人間なので土地鑑ゼロです)
[19] | 当分ギャンブラーじゃないさんからのコメント(2003年08月25日 02時48分45秒 ) | パスワード |
川口さまの書き込みを再度拝見し
鈴木(鱸)藤五郎は藤原氏系だったのだろうと想像します。
貴族系鈴木家ということになりますね。
確か浪合記に出て来る鈴木さんは貴族系に分類されてたと記憶しています。
小原村の歴史とともに足助村の歴史も調べないといけませんね。
大島次郎為家・・・為朝の孫ですか・・・
為朝の孫を匿って
その為に平家に滅ぼされた、という事は
平家にも義理があり源氏にも血でつながり心は千々に乱れたというのが分かりますね。
ここで「しま」の違いのアイデンティティが分かるでしょうか?
為家系が「大島」で
「大嶋系」はこの次郎為家と区別する?
大嶋太郎何某または大嶋三郎何某という人物が存在した?愛子さまはこちらの系統?
足助家と大嶋家の関係を調べてみる必要がありそうですね。
新田家が出て来てこんがらがりますが
結局は為朝がからんで新田家に組みし易かったということになりますか?
こうして考えていきますと
徳川氏はやっぱり新田氏関係だったんだろうな
と状況証拠にしてしまいます。
もう1度
大嶋家は大島次郎為家系統ではないということで
揚げ羽蝶紋使用というのがワタクシにはすんなり理解出来ましたが・・・
[20] | 当分ギャンブラーじゃないさんからのコメント(2003年08月25日 04時05分36秒 ) | パスワード |
ここでバカ話を書き込ませて頂きますが
大嶋さまや花月さんもお書きのように
自分の家の事に全く関心の無い人っていますよね。
これって
こういう人って
昔、口分田時代、またはその前、
支配されたくない、税金払いたくない、義務果たしたくない、自由が欲しい、と
「逃散」したり「逃亡」した人がいましたが
それから「農奴」なんて身分の人がいましたが
そういう血が純粋培養で出てるのかな?と思うのです。
ある人は「うちの先祖は天照大神になってる。先祖なんてバカバカしい」と言いますが
アマテラスさんは結婚せずにいた(だから子供がいなかったはずになってる?)
だけど
日本の重ソした女帝(天智や天武のママじゃない人)には確か愛人の僧侶がいましたよね
イギリスだって元祖エリザベス女王には愛人がいましたよね(イギリスにタバコをもたらした人)
歴史上+法律上結婚してなくったって女は子供が生めるのよね。
それで「うちはアマテラスさんが先祖なんだって、ちゃんちゃらおかしくって」と言った人に
「男だって隠し子がいるのに女に隠し子がいなかったとは言えないんじゃない?」と。
内心尊敬してるんですけどね、彼女には。
それから
「自分の先祖はアフリカのサル」
「自分の先祖は逃散農奴」
なんてキッパリ言う人を。
でも花月さんや大嶋さまに(昔お仲間だった)ってそういうイメージが沸くのです。
「平熱以前では100%知らない人」なのに。
人間って移動するからある土地にずっと皇紀2663年間縛られてたわけじゃない。
だけど(あそこら辺に一緒にいた)というイメージが浮かぶのです。
ただし浮かばない人もいます。
で、自分なりに合理的な理由を考えるわけですが(笑ってしまいますが)
私の場合は父方のお仲間には「平家」「南朝方」「反信長」でイメージが外に沸くように思います。
母方の「源氏方」についてはもっと違う感じです。
平家のお仲間についてはやっぱり「怨念」かしら〜?
ファミリー的などろどろした濃さかしら?
うまく表現できないのですけど
私の荒唐無稽なイメージが川口さまの資料によってエンドースされると
私ってまだ平家のオカルト・パワーが消えてないのかな?
なんて思ってしまうのです。
「平家時代のお仲間、見つけた〜」って感じでしょうか?
[21] | 大嶋愛子さんからのコメント(2003年08月27日 05時09分58秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2004年02月23日 08時18分10秒
[22] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年09月01日 02時54分04秒 ) | パスワード |
「しま」というのは
波間に浮かぶ「しま」だけでなく
縄張りのような、区切りのある場所のことも「しま」というそうです。
そういえばヤクザも「しま」という言葉を使ってるような?
島・嶋は大きい「しま」で
嶼が小さい「しま」を示すそうです。
で、島と嶋は同じ意味だそうです。
[23] | 大嶋隆一さんからのコメント(2003年09月15日 01時28分40秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2007年03月23日 15時47分14秒
[24] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年09月15日 05時44分56秒 ) | パスワード |
大嶋隆一さま
はじめまして。
まず「名字」のルーツが1つというのは言えないと思います。
徳川家のように途中から名乗ったのが歴史的に記録され世の中に認められている場合でも
その出所とした新田氏系得川氏については・・・個人的に私は「多分そうだろう」とは思いますが・・・
なんとも言えませんね。
大嶋さんという名字は日本中にあると思います。
理由は上記のように海に浮かぶ島の他にテリトリーの意味もあるそうですから
日本全国に存在する名字だと思います。
まず「大嶋」姓が出て来るのはイザナミ・イザナギの国生み神話だそうで
名字として非常に古い。
日本で1番古い名字となりますか。
それから清和源氏の孫の経基の6男下野守満快の子孫、
それから義家3男の義国の子孫
義綱の弟の義光の子孫
その他
建御名明方神が諏訪に引退して信州諏訪の神さまとなって神家1党33氏を成したうちの御子孫
それから九州島津氏の子孫
その他その他日本全国に存在するそうです。
やはり明治時代の初めの御先祖さまに至る戸籍謄本を取得なさるのが良ろしいかと思いますが。
そうすれば江戸時代末期にどこにいただろうかというのがかなり分かってきます。
その土地のお寺さんが菩提寺でしたらかなり特定されます。
それから家紋ですね。
そういうので状況証拠を積み重ねていくより・・・
それから倉敷あたりの郷土史に大嶋姓の武将がいらっしゃいましたら確かでしょうね。
なにか伝承があると良いですね。
源平戦の時はどちらのお味方だったのか?
南北朝時代は宮だったのか幕府方だったのか?
戦国時代はどこにいたのか?
ちょとした情報が得られると良いですね。
[25] | 小林雅成さんからのコメント(2003年09月15日 14時33分11秒 ) | パスワード |
大嶋隆一様
備中の大嶋ですね、それなら清和源氏新田氏族ですよ。
岡山市の丸善岡山シンフォニービル店に「岡山の家紋データブック」という本(小生の著書)が並べてありますので、引両紋欄の大中黒をご覧ください。大嶋家がのっています。
[26] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年09月16日 01時11分59秒 ) | パスワード |
小林雅成さま
そうなりますと大嶋隆一さまのお家は「南朝方」という可能性が大ですね。
後醍醐天皇の隠岐御動座あたりに出て来るかもですね。
隈さんの御先祖の服部家と引っ張り合いがあるかも。
この「平熱」ってホントに不思議な板ですよね〜
[27] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年09月16日 01時15分59秒 ) | パスワード |
結論は清和源氏源義家3男の義国の御子孫
という事になりますか。
>引両紋欄の大中黒をご覧ください。大嶋家がのっています。
今でも大中黒紋を御使用なのかしら?
それとも途中で何か別な紋に変更なさっていらっしゃるのかしら?
その場合時代の変遷に巻き込まれて?
[28] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年09月16日 08時21分53秒 ) | パスワード |
タイトルちょっといじっておきました。
愛子さま、ごめんなさい。ぺこり
[29] | 小林雅成さんからのコメント(2003年09月16日 14時15分27秒 ) | パスワード |
ギャンブラー様
小林です。
>大嶋隆一さまのお家は「南朝方」という可能性が大ですね。
2分法でいうとそうなります。
>結論は清和源氏源義家3男の義国の御子孫
、、という事になりますね。
>今でも大中黒紋を御使用なのかしら?
私の確認しているだけで大分類で7種類の家紋を岡山の新田家では使用している。大中黒はそのままでしょう。丸に二つ引きから九曜に変えている例もありますが、、。
そのへん、詳しくは岡山市に『新田源氏の会』の会長さんがいてはるので、其の人に聞くのが一番。
[30] | 大嶋隆一さんからのコメント(2003年09月16日 22時02分37秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2007年03月23日 15時48分28秒
[31] | 田中愛造さんからのコメント(2003年09月17日 00時54分39秒 ) | パスワード |
平熱の皆さん、何時も勉強さして戴いて居ります。
姓氏家系・群書系図・源氏氏族・系図研究基礎・日本の姓氏・日本名字家系・他八冊、にて確認致しました結果。日本家系図学会の小林雅成先生や川口信さんの大嶋氏論に間違いありません。ただ、寛政譜に三連・五連の揚羽蝶の新田氏流大嶋氏と土岐氏流大嶋氏の違いに、ご注意下さい。
[32] | 小林雅成さんからのコメント(2003年09月19日 22時00分11秒 ) | パスワード |
大嶋隆一様
四国出張から戻ったばかりの小林です。
>香川県の多度津町に家
農家で、明治のはじめに恣意的につけたんでは?という疑問ですね。
はっきりいってそれは日本全体からいうとマイノリティーでっせ。
確かに、四国には地名発祥の家も存在しますが、逆にいうと専門家をうならせる、時代的に明治?戦国?、鎌倉時代に地名をもって称したのか断定できるほどの資料もってはります?
ところで家紋は何使うてはります?
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田中愛造様へ
>日本家系図学会の小林雅成先生
なんで、小生の昔のこと知ってはるの(^^;)?たしかに昔、日本家系図学会に所属していた時もあったけど、現在は日本家紋研究会関西支部の支部長してます。よろしく(^^)
系図は詳しくないけど、家紋のことなら、一応?専門家になるのかな?
[33] | 田中愛造さんからのコメント(2003年09月20日 01時45分55秒 ) | パスワード |
小林先生
失礼な事書き申し訳有りません。しかし、先生の様な方が、平熱に参加下さる事は、大変心強いと感じて居ります。私は、平熱新参者ですが・・・
勉強させて戴いて居ります。
確か?津山藩松平氏の御用商人の御子孫とか伺って居ります。平熱の皆さんの、力に為って上げて下さい。
[34] | 初さんからのコメント(2003年10月26日 18時52分47秒 ) | パスワード |
うちは、長野と愛知の境あたりの 大嶋です。
大嶋村というのもあります。
臨済宗の墓があるので、武士系なのかなと思いますが
スレッドにでてくる 明治の頃の戸籍はどうやったら取り寄せられるのですか?
[35] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年10月26日 23時27分36秒 ) | パスワード |
初さん
御自分から遡って1人1人取っていくのです。
ちょっと面倒で時間とお金がかかりますが
いろいろ家庭の事情が分かってなかなか興味深いですよ。
御親戚に1970年代、以前の戸籍謄本をお持ちの方がいらっしゃれば
その戸籍の頭に「華族」とか「士族」とか書いてあるので
分かりますよ。
[36] | 大シマさんからのコメント(2004年12月05日 20時40分24秒 ) | パスワード |
URL=http://www.ann.hi-ho.ne.jp/oshd/ |
私は倉敷生まれの大島です。江戸時代の先祖の名乗りから、美濃・大島氏の系統であろうと推測しています。尾張の大島氏もそのほとんどが美濃から移ってきたのではないでしょうか。土岐氏の内紛(船田合戦など)や信長の侵攻で美濃を追われた大島氏が多かったことでしょう。
美濃・大島氏は土岐一族ではないかと思いますが、それも『続群書類従』の土岐系図を根拠にするしかないと言った状態で、史料不足は否めません。
丹後の一色氏家臣であった大島氏、矢野氏のペアは美濃にもその名があるのは偶然なのか興味のあるところです。
さて、栃木県今市市の大島氏は源為朝の末裔を称していらっしゃるようなのですが、ご存知の方がおられましたらお知らせください。
[45] | 栃木の大嶋さんからのコメント(2015年04月08日 01時29分28秒 ) | パスワード |
私の父親が栃木出身の大嶋姓です。出身が市市かは分かりません。
先祖の墓が大きい天然石が田んぼの一画にあり、ご先祖さまは武士だったと教えられました。
父親が住んでいた付近は大嶋姓が多かったみたいです、遠い親戚なのかもしれませんね。家紋は丸に蝶です。
ご参考までに。
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