[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月29日 02時17分56秒 ) | パスワード |
やっほー
さちこさん
お声かかってますよ〜
[2] | さちこさんからのコメント(2003年06月29日 17時27分49秒 ) | パスワード |
ひにゃさん。
私の大好きな秦氏!
ありがとうございます。
でも秦氏にハマッタら大変ですよ。
抜け出せません。
どんどん深みにいって、
調べれば調べる程判らなくなります(笑)
でも、トンでも説があたり前なので、
色んな空想ができて楽しいです。
お知恵を貸して下さいね。
宇佐八幡宮ご指摘のように秦氏関連です。
長いのですが読んでみてください。
鹿児島、島津のことも書いてあります。
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-51.html
秦氏はどうしても源氏と関連付けられてしまいます。
極端なものでは、
源氏=新羅、秦氏系。
平家=百済系。
などと言う説もあります。
桓武天皇の母が百済系だったとされるからですが、
私は桓武天皇は新羅系と思いますが(多分)
>神功皇后の三韓征伐の伝説について
ちょっと調べてみています
是非調べたこと教えてくださいな。
私もよい資料がないか探してみます。
[3] | 川口 信さんからのコメント(2003年06月29日 20時38分02秒 ) | パスワード |
ひにゃさん、とうとう手を出しましたか。
それなら、さちこさんの手助けを。
『宇佐神宮と秦氏』で検索すると106件のヒットがありました。
http://websearch.yahoo.co.jp/bin/query?p=%b1%a7%ba%b4%bf%c0%b5%dc%a1%a1%bf%c1%bb%e1&r=%2fArts%2fHumanities%2fHistory%2fBy_Subject%2f&y=y&hc=0&hs=0
この中は全部宇佐神宮と秦氏との関係について述べたURLばかり、参考に。
[4] | さちこさんからのコメント(2003年06月29日 21時33分46秒 ) | パスワード |
川口さんコリャいけないよ。(笑)
ひにゃさん。禁断の実を食ってしまう。。かたぎの世界に戻れません。
でもせっかくだから、
秦熱の秦義則さん、そのマンマ秦さんにもにもコメント頂きたいですね。
リンクしておきます。
[5] | ひにゃさんからのコメント(2003年06月29日 22時13分30秒 ) | パスワード |
ありがとうございます。
さちこさま 川口さま
ホームページ、読ませていただきました。
たいへん参考になりました。
ありがとうございます。
>禁断の実を食ってしまう。。かたぎの世界に戻れません。
…こわいですね。
でも、このまま神功皇后のことについて調べていくとしたら、
避けては通れない道のような気がしております(笑)
お手柔らかによろしくお願いいたします。
不勉強で未熟者ですが、
何かお力になれることがございましたら
いつでもお声をかけてくださいませ。
さて、神功皇后の資料についてですが、
私がレポートなどを書くときに参考にさせていただいているのは
永井功という方の著書です。
でもこれは、自費出版本のようで、
福岡市の私立総合図書館で貸し出し禁止になっている貴重な本のようです。
神功皇后については
こちらの方には新羅の役に関する伝説が沢山残っておりますし、
古くから、いろいろな形で
伝説を集めたりしているようです。
何か仰っていただければ、
調べ物のお手伝いくらいは出来るやもしれません。
ほんとうに不勉強なのに、
口ばかり大きなことを言ってすみません(汗)。
私事ですが、来週の火曜日に
神功皇后の新羅の役について発表しなければならないので
今、それのレジュメづくりに追われています。
…全然まとまる気配がありません。
ヤバイです…(涙)
[6] | 秦義則さんからのコメント(2003年06月30日 23時26分49秒 ) | パスワード |
ひにゃさんはじめまして!
呼ばれてやってきました〜
隋書に九州は豊という地域に秦王国があったとされています。
豊という地域自体かなり広い地域だったと思うんです。
今の大分県から山口の一部、四国の宇和島あたりまで含まれていたように思います。
ヤマタイ国と狗奴国の中間部分の独立王国でしょう。
秦王国は新羅系の王朝であり、その後、秦氏は兎族の宇佐氏や辛島氏とも混血して行きます。月読命を祭り、農耕を得意とし勾玉がシンボルとなります。
宇佐氏や辛島氏といえば宇佐八幡なんですが、八幡は本来「ヤハタ」と発音するのが正しいと思います。
八幡さんは稲荷神社についで全国で多い神社なんですが、多くは古墳などの上に建てられ、秦氏の霊を慰める役割とともに、呪術や諜報活動の拠点として全国に広がったのだと思います。
熊襲の中にも秦氏の血が混じっているので、
新羅勢力の拡大を恐れて、邪馬台国系の天孫族の神功皇后は熊襲を討伐し、
天照大神、住吉神等の託宣を得て、三韓の攻略に出発したのでしょう。
その結果、百済、高句麗を従えたとされています。
このあたりから、新羅系の秦氏は忌み嫌われたのだと思います。
秦氏は、出雲とも仲良く、スサノオの命自身は新羅系ですし、少名彦の命は秦氏の神様ですし、大国主命とも親交があったのに、やはり天孫族に攻略されます。
大和においても同様の事が起こり、
耳成山の耳(長髄彦命)は去り、饒速日命は負けてしまい、畝傍山の天孫族、神武の統一国家が実現されて行くのではないでしょうか?
かなり、持論が入ってましてすいません!
[7] | ひにゃさんからのコメント(2003年06月30日 23時46分56秒 ) | パスワード |
秦義則さま
はじめまして〜
ありがとうございます!
>隋書に九州は豊という地域に秦王国があったとされています。
>豊という地域自体かなり広い地域だったと思うんです。
豊という国は、
のちの豊前や豊後の国名につながるものでしょうか?
新羅系の秦氏は嫌われていたのですか?
この間、大嘗祭のビデオを見ていましたら、
大嘗祭に使う衣は秦さんにつくってもらうことになっているようで…
よく分かりませんが、
いくつか大嘗祭の衣をつくる家がある中で、
昭和天皇の大嘗祭は秦さんが担当されたみたいなのですが、
すごく天皇家から大切にされている立派なご一族なのだなあ
という印象を受けました…
忌み嫌われていたなんて、びっくりです
[8] | 布袋竹さんからのコメント(2003年07月01日 00時35分38秒 ) | パスワード |
鹿児島に飛行機で着けば、空港は元は十三塚原「じゅうさんつかばる」という。
国分八幡・今の鹿児島神宮を焼き討ちした、宇佐八幡の使者13人が次々に死んだ
という、いわれの場所です。鹿児島神宮はヒコホホデミノミコトを祭ってあり
もちろん、天皇家の先祖・天照大神の系列です。
秦さまの解説で、おぼろげながら、大和朝廷が熊襲を討伐・熊襲と仲の良い出雲を
国譲らせ、百済高句麗を従わせ、という図式が解ってきました。鹿児島は、逆に
宇佐から打って出てこられた場所なんですね。
[9] | 秦義則さんからのコメント(2003年07月01日 23時03分33秒 ) | パスワード |
ひにゃさん、布袋竹こんばんは!
秦氏の豊の国、もちろん豊前や豊後もそうだよ!
昔はそれぞれの国が独立国として認め合ってたと思います。
親百済系の国や高句麗系や新羅系の国々
それぞれの国の大王の一人が中心となって倭国を治めていたんだと思うよ。
大王のしるしは三つの宝、剣と玉と鏡。
それは、大陸の魏呉蜀のように、また百済、高句麗、新羅のように。
これが、三島大社の原点である三島体制だったと思います。
これを崩したのが、百済系天孫族だったのでしょう。
天孫族こそが大和を治めるものとして他を排斥していったのだと思います。
秦氏は政権を放棄し闇の世界に溶け込んで行きます。
この頃から「サンカ衆」とのつながりも出来ていったのだと思います。
大きな技術を持つ者の地位を低くしておかないと、大和朝廷自身が危うくなります。
秦氏から僧侶がたくさん出ているのもうなづけます。
平安期以降、秦氏はほとんど歴史の表舞台から消えてしまいます。
[10] | ひにゃさんからのコメント(2003年07月02日 01時53分16秒 ) | パスワード |
秦義則さま
ありがとうございます!
お蔭様で何となく、見え始めてきたような…。
雄略天皇が病気になった際、
秦氏を呼び寄せたというのは
政権を放棄し、呪術的なものに係わるようになっていたからでしょうか。
今日やっと
取り組んでいた神功皇后の新羅の役についての発表が終わりました。
勉強不足なので結果は散々でしたが(汗)
先生がいろいろと興味深いお話をしてくださいましたので、
ノートをまとめましたら、
書き込みさせていただこうかと思っております。
[11] | 秦義則さんからのコメント(2003年07月02日 22時51分56秒 ) | パスワード |
ひにゃさん、何のお役にも立てなかったと思うけど、
秦氏に興味を持ってくれている人が多くいて幸せです。
ぜひ、ノートの書き込み待っています!
[12] | ひにゃさんからのコメント(2003年07月12日 23時28分59秒 ) | パスワード |
随分ご無沙汰していてすみません。
何かばたばたしていて、
お約束のノートもまだ纏められていないんですが(汗)
明日、宇佐神宮に行ってこようと思っています。
[13] | 秦義則さんからのコメント(2003年07月13日 19時40分37秒 ) | パスワード |
ひにゃさん、ご無沙汰です。
九州の秦王国と宇佐がダブって存在してます。
宇佐氏自身が秦氏の流れを汲むのは間違いないようですよ。
弓月の君が秦氏を率いてきて、王国を作ったと思います。
宇佐神宮、いかがでしたか?
宇佐以外でも、
出雲王国はスサノオの命や大国主命、少彦名命たちがやって来て作ったと思われるし、
丹波王国は天日矛がやって来て作ったのかなと思います。
いずれも秦氏の神々です。
古代日本に栄えたロマンな一族:秦氏1〜4でも、色んなお話しをしているので
ぜひ来てくださいね。
http://hikoshima.com/bbs/heike_slink/100531_7.html
[14] | さちこさんからのコメント(2003年07月19日 21時56分33秒 ) | パスワード |
ひにゃさん。
洪水は大丈夫でしたか?
今年の気象は少し変ですね。(寒すぎ〜)
何故かヨーロッパでは猛暑らしですが。
>この間、大嘗祭のビデオを見ていましたら、
大嘗祭に使う衣は秦さんにつくってもらうことになっているようで
この話しは凄く気になりました。
雅楽に関しては、
秦氏系雅楽は平安時代には差別されたそうです。
応仁の乱の頃、
朝廷楽師が乱を逃れ、
雅楽が衰退しました。
秀吉の時代になって、
四天王寺(秦氏系楽師)を朝廷に招いて再興したということです。
平野国臣が香椎宮の宮司の子孫としてますが、
香椎宮、三韓征伐とは縁深い所です。
[15] | 初さんからのコメント(2003年10月27日 01時17分24秒 ) | パスワード |
天武朝は、八色の姓や天皇号からいって、道教かぶれだったのは確かです。
その天武朝に、秦氏は全国に神社を建立しました。
つまり、秦氏の神社は道教であるといえます。 景教と道教の関連を
示すHPはあるのでしょうか?
唐においては、 景教と道教が混在していたのではないかと推測するのですが
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