[1] | 川口 信さんからのコメント(2003年06月14日 17時32分25秒 ) | パスワード |
ERIさん、ようこそいらっしゃいませ。
管理人さんがお忙しいみたいなので、管理人さんより、やや落ちる、モット落ち る、たいへん落ちる、最後の大変落ちる暇人の私が代わりに。
>巻四「宮南都ヘ落給事」の「平等院ノ前ヘ、西岸ノ上、橋ノ爪ニ打立タル宮ノ御 方ノ〜」>から「カク咲、恥シムレドモ、橋渡タムトスル者一人モナシ」
>の解釈を教えてください!!
>それとよろしければその先の
>「思ヤレクラキヤミ路ノ〜」と「宇治河ニシズムヲミレバ〜
歴史学者でも国語の古文の先生でもないですので、解釈などはとても出来ませんが、色々な先生、作家などが平家物語について編纂されておりますので、それを参考文といたしますと、多分普通の平家物語の「巻第四・船合戦」の文に相当すると推察されますので平家物語(口語訳)の「橋合戦」のところを読んでご覧になれば文の前後関係から理解出来ると思いますが。参考に下記文章をつけておきますので。
ちょうど新釈【平家物語】(松本昭夫著)に上記文章に似た記述を探しますと、
渡り川・橋合戦:宮御最期にあるみたいです。
三井寺から宇治までの行軍で、以仁王は六度も落馬をしたと、「橋合戦」の段は冒頭に言う。
頼政の軍はひげ辻から本道をとって宇治橋をわたった。背後から迫る官軍をこの長い橋でくい止めようと、兵たちは橋の御柱四列の間で、橋板をめくりあげた。頼政は平等院に御座所をもうけ、以仁王に仮眠をすすめた。
官軍が押し寄せて来た。矢合わせがはじまる。
先陣の三百余騎が向こう岸へたどりつき、平等院へ攻め入った。平家の総大将は左兵衛督(さひょうえのかみ)知盛はこれをみた。渡せやわたせ。知盛みずから全軍に下知した。
段は移って、「宮御最期」
頼政は五十余騎をつけて、以仁王を南都へ先立て、防ぎ矢を放っていたが、左の膝がしらを射られた。頼政は高声に南無阿弥陀仏を十回となえ、わが頸うて、渡辺唱に命じて自尽をした。
頼政は討死しましたが、以仁王の令旨はそのまま残り、源平の戦いに繋がっていく大事な場面です。ここで言う宮とは以仁王(高倉宮)です。
文章を「古語辞典」から解釈すれば
言葉のとおりで、橋の爪に・・・は端、きわ、終わり「宇治橋の ―にぞ押し寄せたる」(平家物語・四巻・橋合戦)とあります。
クラキヤミ路ノは死後の世界。冥途(めいど)訓読
打立タル・・・うちは接頭語、出発する。という意味
ERIさんの質問の答えになっているか、いささか気が引けるますが、私のコメントはこんなところです。あとは管理人さんが明解なご返事を頂けるのを待っていて下さい。
[2] | takahiroさんからのコメント(2003年06月14日 18時55分38秒 ) | パスワード |
既にご存知かもしれませんが、
「延慶本平家物語論考」(水原一著・加藤中道館発行)という著書に、
<第四部 歴史的関連> として、
以仁王の謀反をめぐって(504〜516ページ)
以仁王生存説をめぐって(517〜537ページ)
が所載されています。
上記図書は京都府立図書館に所蔵されています。
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