[1] | さちこさんからのコメント(2003年05月25日 17時39分43秒 ) | パスワード |
今日やっと行ってきました。
想像していたよりも見ごたえがあったのでスレッドを立てて紹介させて頂きました。
お近くの方は是非足を運んで下さい。
と言ってももう日がないので申し訳ないです。
もう少し早くご紹介できればよかったのですが。
パンフレットやこの展示に関する本に興味深い事が書いてありましたので、
少しずつ書き込んでいくつもりです。
少しお勉強して来週の最終日にもう一度行ってこようと思います。
[2] | 川口 信さんからのコメント(2003年05月25日 17時48分33秒 ) | パスワード |
さちこさん、お久しぶりです。さちこさんのコメントは読んでおりますが、みんな横スレになりそうなので、控えておりました。
>仏教東漸(とうぜん) 伊勢、伊賀、そして東へ
丁度『伊勢・美濃』(古代史を歩く)の伊賀北部から北伊勢への部分を読んでいたところです。その辺は古代の古墳が多く、仏教が栄える土台が古(いにしえ)からあった所で、古代大和から東国へは、伊賀が交通の要所であった訳です。
>伊賀、伊勢が受け入れ育んだ美にふれ
良いですね。もっと早くお知らせ頂けたら見に行く予定が立てられたのに。残念。
[3] | さちこさんからのコメント(2003年05月25日 22時04分42秒 ) | パスワード |
川口さん。
ご無沙汰してました。
四日市の博物館では色々催しがありますが、
行ってもても、まっこんなものかと言う感じで。
今回もローカルな展示と思ったのです。
仏像については知識がないのですが、
どの仏像も国宝に匹敵するといううか圧巻でした。
三重県の小さな寺から集められたものが多いのですが。
仏像の起源は今のパキスタン、アフガニスタンにあるそうです。
ガンダーラ美術。
紀元前のインドにには釈迦を偶像崇拝する事はなかったそうです。
恐れ多くて偶像にはできなかったそうで、
仏足石などが残るのみだったそうです。
私の考えでは恐れ多いというか偶像にする発想がなかったのではないかと。
日本の神道を考えれば理解できると思います。
パキスタンあたりはギリシャ、ローマの文化がかなり入っていたそうです。
ギリシャ、ローマは神話をモチーフにした彫刻が知られてますが。
その文化が仏教と融合して仏像を造りだしたそうです。
(とんでも説ではなくてまともな学説です。笑。)
以前、秦熱で、アフガニスタンのハッダ遺跡の事を書きました。
ブッタにかしずくヘラクレス。
新聞で読んで驚いたのですが、
こう考えるとごく自然のことに思えます。
ハッダ遺跡のブッタにかしずくヘラクレス。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/kohswho/budhainafganistan.html
さらに詳しくは。
http://www.abaxjp.com/bamiyan.html
仏教東漸の道はここから始まります。
とんでも説の秦氏とも関係深いのではないか?
後に日本に仏教が広がり東へと伝わっていくのと
伊勢、伊賀と東国の平家の関係がすごく気になるのです。
仏像の作成の仕方も技術も関心があるのです。
あまり、とんでもは抜きにしてまじめに語りたいと思います(笑)
[4] | さちこさんからのコメント(2003年05月25日 22時29分21秒 ) | パスワード |
追伸。
川口様。
書き忘れましたそうなんです!
伊賀は交通の要所なのです。
津島もまた伊勢から尾張、東国への交通の要所でした。
江戸時代になり、
尾張から伊勢へ、東海道の熱田から桑名の七里の渡し、
海上が主要ルートになりましたが。
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