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報告遅くなりました。先月の中旬に祖父の実家へ行ってまいりました。
そこは和歌山県と三重県の県境の山奥でした。その土地の方だとわかると思うんですが、近くに瀞峡という観光地があり、とっても景色のいいところでした。春には桜が山一面を覆い、秋には紅葉がすばらしいんだと地元の方がおっしゃっていました。祖父の実家は瀞峡よりももっと山奥に入ったところにあり、周りは山で囲まれたとても小さな集落のひとつでした。
祖父の実家はその集落でも3本の指に入るほど大地主だったそうです。祖父の家は昔からその集落にある神主をしていたそうで、全国各地にある“どぶろく祭り”を最初にその土地でやろうと提案した大森神社の神主だったようです。今では11月のその祭りがあるまでは、その神社は神主のいない神社となってしまっており、当然祖父の実家は土地も人手に渡ってしまい、神主の職は誰も継いではいません。
母と私がタクシーを一日チャーターし、祖父の実家の集落へ訪れたところ、行き交う人々はものめずらしそうに私たちを見ました。それには訳があったのです。その集落は年々過疎化が進んでおり、町へと若者は山を降りてしまい、残ったのは私の母よりもちょっと上の年代以上の方ばかり。おまけに、とてもいいところなのに観光客がこないため、タクシーがその集落に入ってくるなど日常的ではなかったのです。
しかし運良くお寺の総代さんに出会うことができ、祖父のことを知ることが出来ました。もう祖父の実家を継いでいるものは誰もいないこと、昔からある祖父の実家のお墓(20石以上)の供養がそのままになってしまっていること、神主をしていた家でもあるため無縁仏にしたくてもできないこと。総代さんの口からは、こっちが申し訳なくなるほどの思いを受け取りました。そして、先祖のことも知ることができました。
先祖は平家の中流階級の武士であった平忠度に仕えていた神主だったそうです。源平の合戦の際平忠度たちと共に、和歌山県の山奥へ落ち延び現在の集落を作ったとされているようです。その土地はほかにもいろいろ平家の言い伝えがあるそうです。また、将来いつになるかわからないけれど訪れたい土地だったように思います。
最後に、総代さんの思いも含めてこちらを出るときに用意していたお線香を、お墓のひとつひとつにお供えして帰ってきました。
今回の旅はなんだか奥の深い旅であったように思います。普段の何気ない生活の中では感じ取ることのできない、人と人との縁の深さを知ることが出来ました。とてもよかった・・・これ以上の言葉はありません。
読んでくださり、ありがとうございました。また、なにかあったら投稿したいと思います(^−^)/
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