[1] | takahiroさんからのコメント(2003年04月16日 00時54分49秒 ) | パスワード |
日本史探訪6 源平の争乱 (角川文庫)に次の記載がありました。
『はじめ、(熊谷)直実は養い親の(久下)直光に仕える身であった。そのころ、直実は直光の代理として京都に上り、大番役という京都御所の護衛の役についたことがあった。しかし仲間の者から代人であることをあざけられ、一人前の武士として扱われなかったことにカッとなり、勝手に直光のもとを離れて、当時都で羽振りのよかった平知盛の家来になってしまった。
だから、頼朝旗揚げの時はまだ平家方の武士で、石橋山の合戦では大庭景親に従って頼朝と戦っている。しかし、やがて志を改めて、頼朝の御家人となり、佐竹征伐の手柄によって熊谷郷の主となったものであった。』
私は知りませんでしたが、一の谷の合戦で平敦盛を討った熊谷直実は元は平知盛の家来であったのですね。アクセスさんの記載のように、直実は平家家臣であった時代に、すでに敦盛と何らかの関わりがあった可能性もあり、『平家物語』巻第九「敦盛最期」もまたこれまでと違った読み方も出来そうです。
敦盛について、またいろいろと教えてください。
[2] | アクセスさんからのコメント(2003年04月21日 20時26分35秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2003年04月21日 20時28分19秒
[3] | アクセスさんからのコメント(2003年04月21日 20時31分44秒 ) | パスワード |
(↑すみません、まちがえたので、削除させてもらいました)
takahiroさま、詳しい説明ありがとうございました。
とても感激です!わざわざ文庫の名前まで…。今度暇ができたら、探してじっくり呼んでみようと思います。
それで、私もなにかお役にたてるよう地元の事を調べてみました。
他の話でもよろしければ、アクセスの他の意見も一覧にのせる予定ですので、見て下さい。
敦盛については、また、何か発見があったら、すぐお知らせします。
[4] | 烏夜啼さんからのコメント(2003年07月21日 03時36分01秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2006年08月07日 00時21分43秒
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