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 投稿番号:100481 投稿日:2003年03月30日 17時53分35秒  パスワード
 お名前:中岡恵
安徳天皇
キーワード:実は結構凄いんじゃあ・・・
コメントの種類 :人物  パスワード

初めまして。
平家物語に出てくる安徳天皇、実は結構凄いんじゃあないかなぁ、っと
最近思い始めました。
なんか、8歳で死ぬ天皇ってのは珍しくもないような気もしますが、
言い方悪いけどこの天皇は清盛(平家)の権力のために生まれてきた訳だからいわば道具みたいな感じだったわけですよね。
それでも天皇ではあったからそれなりに大事にされていたんでしょう。
しかし、可哀想な事に平家の血もひくため天皇でありながら武士の子でもあったため、最後には入水・・・天皇であって天皇じゃあいけなかった少年・・・
それに、入水した時草薙の剣も一緒に沈めて、ということは、この子が最後の草薙の剣の継承者ってわけです。
一見、平家物語ではあんまり目立ってないし、歴史上でも凄いことはしてはいないけど、
天皇にはなりきれず、神器の一つの最後の後継者になっちゃうもんだから、結構凄いんだなぁ、と思います。
まぁ、中三の子供が言ってることだから、確信は持てません。

[1]服部 明子さんからのコメント(2003年03月30日 18時00分31秒 ) パスワード
  

中岡恵さん

初めまして!
嬉しく拝見しました。

>入水した時草薙の剣も一緒に沈めて、ということは、この子が最後の草薙の剣の継承者ってわけです。

そうですね。
「剣」を道連れにしたというのがいかにも武門の血を引く天皇らしくて象徴的ですよね。

また、新しい発見がありましたら是非書き込みなさってくださいね。
楽しみです。
[2]皇竹さんからのコメント(2003年04月01日 10時32分11秒 ) パスワード
  

中岡恵さん
安徳天皇はお気の毒に二位の尼に抱かれて入水しましたが、
何もそこまで道連れにする必要はあったのでしょうか。
源氏方に捕まっても、何せ時の天皇しかも幼帝ですから、
極刑になることは先ずありません。
捕まって身元がバレてしまうのを恐れたのです。
そう、この安徳さんは替え玉だったのです。
ですから舟の中で自害させることも出来ず、
海に入って行方不明になるしかなかったのです。
母親の建礼門院は生き残っています。
どこかで実の子安徳天皇は生きてることを信じていたのでしょう。
永井路子さんもご自分の本の中で、
建礼門院はさらさら死ぬ気はなかったと言っておられます。

ごめんなさい。これは私の独断と偏見で推測しました。
聞き流して下さい。

更に独断と偏見を許してもらって・・・

この壇ノ浦については腑に落ちない戦争です。
一の谷で、源氏方はあれだけの平家の武将の首を取っているのに
この壇ノ浦では、一人も首をとっていない。
少なくとも東鏡など公式文書では、
「海に入る人々」で処理されているのである。
戦に参加してくる兵や武将は相手の首をナンボ取るかに
自分たちの暮らしがかかっているのにです。

しかし日経に連載された「池宮平家」は
私の疑問を払拭してくれました。


[3]皇竹さんからのコメント(2003年04月01日 14時56分15秒 ) パスワード
  

一の谷の後、義経は後白河法皇に意気揚々と
戦勝報告に出向いたのですが、法皇は義経の予想に反して、
余り嬉しそうな顔はしなかった。
逆に、「この度の戦の目的は、平家を滅ぼすことにあらず、
安徳天皇の無事のご帰還と三種の神器の奪還にあり」
と諭された。
これ以降、義経は戦略変更をしたのだ。

それからもうひとつ、
義経追討の院宣が出されてからの義経の謎の行動について。
身の危険が迫っているのにも拘わらず、
京、吉野、大和、伊勢を転々としている。
「池宮平家」は法皇と何らかの約束が出来ており、
法皇と連絡がなかなか取れず、
連絡を取るため近辺をうろついていた。
との記述があり、なるほどと納得した次第。



[4]皇竹さんからのコメント(2003年04月01日 15時33分33秒 ) パスワード
  

ことのついでにもうひとつ、
平家の埋蔵金伝説は余り聞いたことはないが、
本当にないのだろうか。

徳川埋蔵金とか、山下将軍のそれとか・・・。
実際この手の話で、金銀財宝が出てきた試しはないのだが・・・

しかし清盛は宋貿易で儲けていたから、
どこかに隠していたかも?
当時の国の財政は清盛の稼いだ金で、
ほとんどの公共工事(寺院の建設、修理)が賄われていた。
無いわけがない。
都落ちの時、焼いてしまったか。
これから源氏と戦わねばならない。
武器、弾薬、軍資金がいるのだ。
一旦九州に落ち延び、体制を建て直し京へ攻め上るためにも。

軍資金の保管に一役かっていたのは、
案外平家を裏切った熊野水軍なのでは?
平家滅亡後、宋船を操り自軍の港へ運び入れた?。
元はと言えば、海賊あがりなのだ。
もちろん証拠はない。

安徳天皇、三種の神器の話から大きく話題がそれてしまった。
ごめんなさい。

でもね、紀州あたりで熊野水軍の埋蔵金にちなんで、
海水浴客に宝探しのイベントをやっているそうではないか。
暇になると色んなことを考えてしまうのだ。
もひとつゴメンナサイ。

[5]服部 明子さんからのコメント(2003年04月05日 09時55分02秒 ) パスワード
  

>軍資金の保管に一役かっていたのは、
>案外平家を裏切った熊野水軍なのでは?

なるほど
熊野水軍が裏切ったその理由に「猫ババ」があったかも?
面白いですね。
[6]薩摩節さんからのコメント(2003年04月16日 12時32分26秒 ) パスワード
  

安徳天皇・三種の神器
天皇が生存し落ち延びて、その後亡くなって陵があると言われている場所が
全国に9つもあると言うことは、実際に影武者の動きもあるのでしょうか・
その、ひとつを訪ねましたが、本物に感じます。
いずこの場所も、そう思います。特に辻褄の合った逃亡日記がちゃんと残っていたりするのですから。
しかも、付近の地名に因縁めいた名前が多いのも・
徳島・祖谷地方に剣山と言うのがあり、これは草薙剣を隠したとかも・
安徳帝の侍医の家系が残っているとか・

薩摩硫黄島では、その後、臣籍降下して、子孫は現在まで伝わっているとか・
三種の神器も、時の島津氏に取り上げられたような話しも・・
[7]皇竹さんからのコメント(2003年09月11日 09時48分16秒 ) パスワード
  

2,3日前、週間朝日連載の宮尾本「平家物語」を、立ち読みいたしました。
物語はいよいよ最後のクライマックス。
何と、安徳天皇と守長親王を取り替えているではありませんか。
吉川平家も森村平家も池宮平家も書かなかったことに挑戦している。
今後の落日後の平家がどのように書かれるか、期待したい。

以下にある同人誌に載せた私こと、安徳天皇替え玉派の一文を転載します。

安徳天皇伝説秘話(宇佐家備忘録より)
平清盛の娘は殆どの書物は8人としています。ところが9番目の姫が、宇佐家の系図に宇佐公通の妻浄子として出ているのです。安徳天皇の生母建礼門院徳子と姉妹関係になるということです。
宇佐家・宇佐神宮は当時、伊勢神宮と並び称され、天皇家の神社として機能していた程の格式のある神社でした。宇佐公通は大宮司であり、同時に豊前、豊後、筑前、筑後、壱岐、対馬の国守をも兼ねていた。
この時公通の正室には藤原秀遠の女加代がいたが、加代は正室の座を降り、公通は清盛の女浄子を正室に迎えた。平家全盛の時代、正に政略結婚であった。すでに前の正室加代の子として公房がいたが、浄子は女子弥生と嫡男公仲を生んだ。
都を追われた平家は九州の地で体制を整え再起を図ろうとした。壽永2年(1183)9月3日、ここを皇居と定め、平家の官人や女官たちも宇佐入りし、四国、中国、九州の各地から平家に味方する多数の武将、兵士たちも集まり、宇佐は平家一色に染まった。そして七日間に渡って、平家一門は宇佐八幡宮に参籠して、平家再興の大祈願祭が盛大に行われた。七日七夜祈りに祈った満願の日の夜半に宇佐公通に神託が下った。
「安徳天皇の命は風前の灯、嫡男公仲を天皇の身代わりに立てよ」とのことであった。
公通も妻浄子もいかに天皇の命を守るとはいえ、我が子を天皇の身代わりに立てて、一天万乗の君と取り替えるなどとは、恐れ多い極みであり、一晩まんじりともせず、ただ震えが止まらなかった。しかしこの神の神託は決行され、嫡子公仲は天皇安徳の身代わりとなって、壇ノ浦の海底深く沈んでいった。公仲と入れ替わった一方の安徳天皇は、表向きは公通の実子公房の弟となって大宮司に任ぜられたが、出生の由来と身の上を知ってからは仏門に入り、実母建礼門院や平家一門の菩提を弔ったという。墓は公通の妻、叔母の浄子とともに、公通の墓の傍らに密かに葬られている。公通は文治3年(1187)に亡くなっているが、その日付けは実子公仲が安徳天皇の身代わりとなって、壇ノ浦に入水した3月24日と奇しくも同じ日であった。
 最初嫡男であった公房は公仲(安徳)を嫡子とし、自らは庶子の地位に下がって、長く公仲(安徳)を献身的に支え、後見補佐したという。又公房の母加代も公通の正室から側室の座に下がっても尚、忠節と義理を立て通した心情は感極まるものであったという。

[8]皇竹さんからのコメント(2003年09月11日 11時43分33秒 ) パスワード
  

訂正
7のコメントで守長親王は守貞親王の間違いでした。
お詫びします。
[9]布袋竹さんからのコメント(2003年09月11日 12時44分34秒 ) パスワード
  

この安徳天皇替え玉説は各地にあり、薩摩硫黄島にも同様の話があります。
この硫黄島の系図・文書では、総君「つなぎみ」を中納言時房の7歳の女子と
書かれています。(県の書物では、別の人物)
この硫黄島が本物か、影武者たちの場所であったのか、どなたかが解明してくだされば・・・
でも、そのままが・ロマンがあって・・・
安徳帝硫黄島潜行説
http://www.minc.ne.jp/~hotei/antoku1.html
[10]takahiroさんからのコメント(2003年09月11日 13時09分14秒 ) パスワード
  

>2、3日前、週間朝日連載の宮尾本「平家物語」を立ち読みいたしました。
>物語はいよいよ最後のクライマックス。
>何と、安徳天皇と守貞親王を取り替えているではありませんか。
>吉川平家も森村平家も池宮平家も書かなかったことに挑戦している。
>今後の落日後の平家がどのように書かれるか、期待したい。

宮尾本「平家物語」のこの場面、私はいまだ未読なのですが、とても興味深いです。

史実では壇の浦の後、京都に連れ戻された守貞親王は、藤原基家の娘陳子と結婚し、後の後堀川天皇(承久の乱の後即位)の父となり、自身は後高倉院として院政を敷きますが、この守貞親王(後高倉院)─後堀川天皇─四条天皇の皇統は安徳帝の血流という仮説を、宮尾本平家では採るのでしょうか。

皇竹さまの著述『安徳天皇伝説秘話(宇佐家備忘録より)』、および布袋竹さまのURL『安徳帝硫黄島潜行説』を拝読致しました。

こちらの内容は、矛盾するかも知れませんが、両説共に強い真実性を感じました。
[11]布袋竹さんからのコメント(2003年09月11日 23時07分40秒 ) パスワード
  

不思議と言うか、ロマンと言うか、平家伝説には何かひかれるものがありますね。
宮尾平家の行方も気になります。

平家の埋蔵金の話
実は2ヶ所にその伝説があります。
ひとつは、単純に地名名前から、ひとつは、実際に一部を見た人から聞いたとか・
世界遺産で有名な屋久島。ここは、硫黄島潜行説でいけば、淡路守清房、左大弁忠綱らの落ちていった場所。この島の大川滝「おこのたき」に財宝を埋めてあると・
「おこ」が黄金にも通じるとのこと。
もうひとつは、工事中、南島のある場所で、埋められた大瓶「カメ」に入れてあった古銭がこぼれおちて、それを拾ったら、村の人にとがめられ、元に戻したという話。

あ、もうひとつ。これも名前通り宝島。いくつもある鍾乳洞に宝が隠されている。
硫黄島潜行説の長濱文書・ほかで、種子島の領主大江氏に黄金5千両を与えているから、たくさんの黄金を持っていたはずです。それがどこかにあると・
黄金の行方はもっと夢とロマンが・・

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