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 投稿番号:100473 投稿日:2003年03月17日 00時10分17秒  パスワード
 お名前:服部 明子
平家落人参考文献:「落日後の平家」

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

別スレッドの takahiro さまの書き込みを新しいスレッドに立てさせて頂きました:
http://www.hikoshima.com/bbs/heike_slink/100375_13.html
以下はその書き込みです:


永井彦熊著「落日後の平家」を取寄せて閲覧しました。


著者永井彦熊氏自身、垂水ご出身であるそうなのですが、
永井氏の世代までは垂水では、
「混乱する」事を、「屋島が乱れる」という慣用句でもって表現されていたとの事、
興味深く読みました。

また同著は、全国的規模で詳細に「平家落人」について紹介されている著書となっています。
「平家落人」関連について探索されている方には参照するに重宝な書籍であると感じました。

[1]服部 明子さんからのコメント(2003年03月17日 00時16分39秒 ) パスワード
  

「屋島が乱れる」

思わず唸ってしまいました。
実感が籠っていますね。
[2]takahiroさんからのコメント(2003年03月17日 00時27分38秒 ) パスワード
  

服部明子様

 新たにスレッドを立てて頂きありがとうございました。
 「落日後の平家」、3月20日まで手元にありますので、また関連情報に
 出会いましたら投稿します。
[3]服部 明子さんからのコメント(2003年03月17日 00時50分05秒 ) パスワード
  

takahiroさま

よろしくお願いいたします。
[4]布袋竹さんからのコメント(2008年02月20日 11時50分16秒 ) パスワード

皆様、ご無沙汰しております。
図書館でも、なかなか見られなかったこの「落日後の平家」永井彦熊著
友人の養子入りで、その義理父の蔵書にあったと。それでネット検索したら、
何冊か出ていたと。私も長い間探していたが、見つからなかったのに・
で、数年越しに手に入れました。
友人は、養子とは言え、さる○十万石の大名の第1○代の継承者になりました。

「屋島が乱れる」これは、本全体の根底に、屋島以降の戦いに参加してないから・
本来なら、屋島より、滅びに至った「壇ノ浦」の方が重要のはずだが、
それを経験していないのでは・・と。

毎日、鳥撮り「バードウオッチ」に明け暮れていますが、
また、平家落人集落探訪も再開したいと
思っています。
[5]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年02月20日 15時08分50秒 ) パスワード

布袋竹さま

お久し振りでございます。ぺこり

たった今「永井彦熊氏」って
わたくしの存知上げている鹿児島の「永井さん」の御関係かしら?
と思いました。

5年前、そんな風に感じたことはなかったのに。


「屋島が乱れる」ですか

>「屋島が乱れる」これは、本全体の根底に、屋島以降の戦いに参加してないから・
>本来なら、屋島より、滅びに至った「壇ノ浦」の方が重要のはずだが、
>それを経験していないのでは・・と。

この箇所でズドンと胸に来ました。
背筋がゾクゾクです・・・

いやあ〜
不思議・・・


今日はある雑誌を読んでいたら
(ハワイ特集なんですが)
Takeko Nakashimaという女性の名前があって
布袋竹さまのことを思い出していたのですよ。

なんという偶然なんでしょう!
[6]布袋竹さんからのコメント(2008年02月21日 20時24分28秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/heike.html

久しぶりで遠出。日本で270キロ走るのは、大変なこと。
真っ暗な午前四時出立。夕方戻ってきました。

永井彦熊氏は、鹿児島・大隅半島なので、近い人かもしれませんね。
群馬・桐生でも教鞭をとったことがあるとの履歴でした。

暇潰しのギャンブラーさんに、ぞくぞくされると、こちらでは
風邪を引きそうなくらい、ブルブルきます。

平家でも上位の人だけと、行動を共にしたものにしか分からない。
一般の人はもちろん、源氏であっても、歴史の語り部であっても・・・
その後壇ノ浦の戦い。ここで平家は滅びたとしても、日向灘を南下した
1300人余りのことは、誰ももう知る由もない。
以降の歴史を伝えるのに、これは隠匿されているので、
表に出ることがなかった。
歴史は、誤まって伝えられてきた。

この1300人余りが、南九州や離島に移動していっておかしくない。
鹿児島に、落人伝説地が多いのは、これが元になっているのではと・・

ハワイはじめ、南太平洋の島々を、ヨットかクルーザー・
豪華客船でも良い、出かけてみたいとは夢としてあります。
姫様のお心に一瞬でも、思い浮かべてもらえ、
嬉しくて、一筆とりました。

[7]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年02月21日 23時27分10秒 ) パスワード

布袋竹さま


>壇ノ浦の戦い。
>ここで平家は滅びたとしても、日向灘を南下した1300人余りのことは、誰ももう知る由もない。
>以降の歴史を伝えるのに、これは隠匿されているので、表に出ることがなかった。
>歴史は、誤まって伝えられてきた。
>この1300人余りが、南九州や離島に移動していっておかしくない。
>鹿児島に、落人伝説地が多いのは、これが元になっているのではと・・


ゾクゾクしました。
顔から血の気が引き、卒倒しそうでございました。


「1300人」ですか。

南の島
特に
沖縄は
長い間「日本とは関係ない」と思って来ましたが ←中国系かと思ってました

「1300人」の御子孫の1部の方達の御子孫だったのでしょうね。


(中国系なら名字は1字が多いんだろう)と思ってましたが1字より3文字の名字が多いですものね。
それで(中国系というわけでもないんだな)と不思議に思っていました。


名字の中に「事実」があって「真実」が隠されているんでしょうね。


「平良」さんとおっしゃる名字は「平」を遠慮なさっておつけになったのかも
ですね。
何百年もの思いとか涙とか込められているんでしょうね。


沖縄の言葉には古い日本語が使われている、とは聞いていましたが。
同胞だったんですね。
涙が出ますね。
[8]箱柳永田さんからのコメント(2008年02月22日 18時31分14秒 ) パスワード

 布袋竹さま 暇さま

 >同胞だったんですね

 沖縄の神社は熊野は名乗っていない が 内容は熊野神社です
波上宮・沖宮・識名宮・普天間宮・末吉宮・安里八幡宮・天久宮・金武宮を称して八社という 
 いつごろから八社と呼ぶようになったかは明らかではない
はっきりいえることは、八社信仰が真言密教の影響を強く受けていることである
『八社縁起由来記』によると、七社はいずれも熊野権現の勧請
  祭神は伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊の三神を祀っている
 以上 全国熊野神社参拝より 
  

   大浜熊野大神社も
    御祭神:速玉男命・伊弉冊命・事解男命 で同様ですし
 
 頼朝が鎌田の娘(忠致の孫)を探し出して地頭にした 
 春日井篠木庄にある熊野神社 も
    御祭神:速玉男命・伊弉冊命・事解男命 です
 
 又 町内の熊野神社も祭神は同じです(多分大浜から分祠)
  
  身内は何処に行っても同じ神様を祭っているだろう
  神社の祭神名が同じなら一族がいた可能性は高いだろう(安直ですね)

 そんなわけで、忠致次男 致将は大隈で築城し、そこから沖縄まで逃げた、
 という仮説をたて長田さんに問うたことを思い出しました
  
 白赤さんは、長田の伝承では、台湾まで逃げて高砂族になっていると、
 おしえてくれました  ほんとかよー? 沖縄は通り越すのー!と、
  びっくりし 高砂族になったら神社作らんよなー 手掛り消えたー
 ガッカリした事を思い出しました 懲りずに神社の御祭神を調べてます
[9]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年02月22日 22時33分09秒 ) パスワード

箱柳永田さん

背筋がゾクゾクしました。

ホントすごいですね。


>身内は何処に行っても同じ神様を祭っているだろう
>神社の祭神名が同じなら一族がいた可能性は高いだろう
>(安直ですね)

いえいえ、安直だなんて。
それがアイデンティティということ、とも言えます。
だって御先祖さまを祀ってるということでしょうから。
氏神さま、とかね。



>そんなわけで、忠致次男 致将は大隈で築城し、そこから沖縄まで逃げた、
>という仮説をたて長田さんに問うたことを思い出しました

なるほどね。
ありえますね。


数年前、中国人の乗客が「平家揚羽蝶紋の横睨み」の模様の紙袋を持ってて
あら?
と思ったことがあるんですが

>白赤さんは、
>長田の伝承では、台湾まで逃げて高砂族になっていると、 おしえてくれました  
>ほんとかよー? 沖縄は通り越すのー!と、  びっくりし 
>高砂族になったら神社作らんよなー 
>手掛り消えたー ガッカリした事を思い出しました

沖縄から更に下ったのかもです。


人間の行動力ってすごいですからね。笑
[10]takahiroさんからのコメント(2008年02月26日 22時34分28秒 ) パスワード

暇潰しのギャンブラー様 

 私信を掲示板上にて失礼致します。

 昨年お伝えさせて頂いておりました神社への転居について、急遽、時期が早くなり、ご連絡をできないうちに移転を致しておりました。
 
 現在、移転先にて未だネット環境が整っておりません。

 今後ネット環境が整い次第、新しいメール連絡先等をご連絡させて頂きます。

 どうぞよろしくお願い致します。

 (今回は友人宅のパソコンを借りて書き込みをしております。)


布袋竹様

 同じく私信を掲示板上にて失礼致します。

 昨年度、住居を移転し、以前お伝えしておりましたメールアドレスが使用不可となりました。

 新しいアドレス取得し次第、ご連絡をさせて頂きます。

 どうぞよろしくお願い致します。


 私信を大変失礼致しました。

(今回の投稿にあたり記入しておりますアドレスは、偽アドレスです。ご了承お願い致します。)

                       takahiro
[11]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年02月27日 03時46分57秒 ) パスワード

takahiroさま

ありがとうございました。


布袋竹さまより「読んだ」とのレスがつき次第
このレスは削除致しますね。



[12]布袋竹さんからのコメント(2008年02月27日 09時45分01秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/heike.html

暇潰しのギャンブラーさま
takahiroさま

拝見しました。
連絡の付かなかったのは、そういうわけだったかと・・
了解いたしました。

この本は、鹿児島でも各地域で、それぞれ調べなくてはならないものが
一度にまとまっていて、とても便利です。
もちろん、鹿児島だけでなくて、全国のものも・

少し読破して、いろいろレスしたいと思っておりました。
[13]沙羅双樹さんからのコメント(2008年03月12日 22時27分01秒 ) パスワード

 
 こちらで 落日後の平家 という書名を拝見して、
検索したら、違う著者名で多分別物でしょうか、
ともあれそれも読むことにしました。
 
 時々、平家関連の本を検索したりで、読む物を探していましたが、
長く御無沙汰してしまったようでした。
 先ずは勝手に御礼まで・・。
 
 たった八百年前のこと、だから・・でもありしょうか・・、
語り継がれていて、こちらでもこんなに盛況で、子孫の端くれとして、
重ねて御礼申し上げます・・。
 
[14]沙羅双樹さんからのコメント(2008年03月13日 22時29分20秒 ) パスワード

 
 壇ノ浦の最期まで戦った方々は、どんな方々なのでしょう、
うちもかもしれないし、屋島かもしれないし、散り散りなのでしょう?
とわたしが聞くのも変かもですが・・。
 ひたすら勉強不足ですね・・。
 
[15]布袋竹さんからのコメント(2008年03月15日 21時10分49秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/heike.html

沙羅双樹さんへ

『落日後の平家』は同じ題名で新しいもの「と言ってももう数年経過』
の上下二巻になった著者の違うものですね。
これは、一巻だけのものです。

壇ノ浦で戦った方々は、平家物語やその他の資料で、出ていると思います。
はっきりと、捕えられて・死体が上がった・とかあれば、確実その人でしょうが、
沈んだとか、不明と言うのは、やはり、不明なのでしょうね。
替え玉も少なくなかったのでしょう、。

硫黄島に伝わる古文書や、この「落日後の平家」その他から
屋島を出て、伊予・豊後を抜けた人々の名前は、それらに出ています。
昔、少し抜粋したのが、ホームページに載せてあります。

日向灘を南下・硫黄島に向った非戦闘隊は、
       大納言時房 中納言経正 参議業盛 淡路守清房 豊前守知邦
       美作守宗親 左大弁忠綱 蔵人左衛門大尉通正 佐内侍 狭野       内侍
   侍大将 越中次郎兵衛尉景光 上総五郎兵衛尉盛継 日高阿波前司吉房        福原相模原守季長(のち肥後)
    資盛以下300人余り 雑兵1千60余り

この1300人余りが、硫黄島では300人ほどになって、残りは途中で逃亡離散しているから、鹿児島の大隅半島には平家伝説地がたくさん残っているわけです。
[16]布袋竹さんからのコメント(2008年03月15日 21時27分33秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/heike.html

箱柳永田さん

大変失礼しました。
レスが抜けておりました。遅くなりました、申し訳ありません。

奄美大島には、そのものずばりの、「平有盛神社」や「平行盛神社」
平資盛を祭った「大屯神社」などがあります。

平家の信仰の神社を建立奉るのは、自然だと思いますね。
源氏・平家とも、伝説ある甑島にも、厳島神社がありますし、他にも・・

去年の十月、沖縄の正月の祭りで出かけた西表島
節祭で、衣装を着た村人が、何か懐かしく感じて仕方がなかったです。
昔、どこかで見たような人々と、雰囲気。
[17]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年03月16日 02時04分23秒 ) パスワード

>節祭で、衣装を着た村人が、何か懐かしく感じて仕方がなかったです。
>昔、どこかで見たような人々と、雰囲気。

こういう感じって、血に刷り込まれているからなのでしょうね。
DNAにしっかり源平時代の記憶が存在しているって思います。


NHKの「のど自慢」を見るようにしていますが
全く知らない土地の人々なのに
たまに1人ぐらい「懐かしく」感じる人を見つけたりします。
[18]沙羅双樹さんからのコメント(2008年03月16日 21時19分02秒 ) パスワード

 
 布袋竹 様
 
 レス、有り難うございました。
 名前を見ても、余りよく解かりませんでした。
 
 それにしても、鹿児島経由で硫黄島ですか・・、物凄いですね・・、
余り聞いたことが無いかも・・。
 もしや、その御子孫とか・・。
 しかし、何故に硫黄島、そこにも落ち人が住んだのでしょうか・・。
 
 失礼かもですが、家紋は何でしょう。
 揚げ羽蝶の人にねっとで出遭ったり、本当かどうか紋付きを
新幹線駅で見たことがありました・・。
 何だか引き合わせ?というのもあるみたいですね、人も地も。
 
[19]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年03月17日 00時50分47秒 ) パスワード

今朝のNHKの番組(つながるテレビ)で

トカラ列島に「平島」という
人口70人
周囲7km
集落は1つだけ
という島があると紹介していました。


村主(むらぬし)賢治さんとおっしゃる58歳の男性は
兵庫県出身で53歳の時に移住した
と紹介していました。

村主さんは魚醤作りをなさっています。


「平島」という名に釘付けになりました。
[20]布袋竹さんからのコメント(2008年03月17日 09時57分55秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/heike.html

沙羅双樹さん

硫黄島は、鹿児島南薩摩「薩摩半島」からも晴れていると見えます、60キロ位の距離です。
ここは、平家に流された俊寛がいた島と言われています。
この俊寛の怨念が、もしかしたら、流島した平家「安徳帝」を呼び寄せ??

この島の南に、種子島・屋久島、そしてトカラ列島、そして奄美大島、沖縄と続きます。

家紋は蝶紋とは違いますが、色々あるようです。
奄美大島には、平さんと言って、蝶紋のお家がいくつかあります。

私が見てきた鹿児島の伝説地
安徳帝・俊寛、トカラ・大島など
URLに載せていますので、
[21]布袋竹さんからのコメント(2008年03月17日 10時42分12秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/heike.html

暇潰しのギャンブラーさん

やはり、姫様はまだ、そちらの勘が衰えていませんね。
この島にトカラの中では、最初に平家落人が渡ってきたと言われています。
他の島と違い「他島は、南の珊瑚礁島を除くと高い火山(千メートル近く)島です」
平坦なので、名付けられたか、それとも平家に因んでか・・
どちらにしても、平家の子孫と言う日高氏は、島津時代、郡司の家系でした。
残っている家譜によると、新小弐(有盛)との話のようです。
[22]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年03月17日 12時27分10秒 ) パスワード

>平坦なので、名付けられたか、それとも平家に因んでか・・

同じように思いました。



「つながるテレビ」の始まりが「陸マイラー」の話題だったので
(去年もやってたけど、これって再放送?それとも続編なの?)
と片耳で聞き流していたら「トカラ列島」「平島」という言葉が聞こえてきたので
驚きました。


「トカラ」で「平」なら「平家」がらみに決まってるでしょ!
と。

船が出てる、というのが嬉しかったです。
「TOKARA」
と船体に書かれていてウルウルしちゃいましたよ。



>平家の子孫と言う日高氏は、島津時代、郡司の家系でした。
>残っている家譜によると、新小弐(有盛)との話のようです。

出自を書いて提出する時に、めちゃな事は書けませんから
(周りが許しませんから)
ロマンがありますね。
[23]沙羅双樹さんからのコメント(2008年03月17日 22時43分30秒 ) パスワード

 
 布袋竹 様
 
 失礼しました・・、硫黄島違いなんですね当然か・・。
 
 平 の付く苗字は、わたしの両親の田舎、落ち人村にも結構
あるみたいです。
 
 昔々、職場の先輩も、源氏から平家に寝返った 向かい揚げ羽蝶だと、
後になって知ったかなあ・・。

 hp.も拝見させて頂きます。 
 さて、溜まってる本も読まなくては・・。
 
[24]板倉典子さんからのコメント(2008年07月12日 16時15分11秒 ) パスワード

こんにちは。
唐突ですが、「新小弐」のヨミを知りたいのですが
教えてください。
[25]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年07月12日 21時50分33秒 ) パスワード

小弐は「しょうに」で良いのではないでしょうか?


ですから「新小弐」=しんしょうに=では?と思いますが。
他の方からレスがつくと良いですね。
[26]月龍さんからのコメント(2013年11月08日 16時22分10秒 ) パスワード

こんにちは。古いスレなのでコメント書くのは迷いましたが。

この本読んでみたいけど、アマゾンで調べたら高くってっっっ
買うのを迷っています。

何故って、今は亡き祖父の一族が牛根の出身だからです。
家紋は向かい蝶(私には蛾にしか見えませんが)。
薩摩藩の士族でしたから、
維盛の子孫である基盛の子、信基あたりがルーツかと思いつつ。

戦争で焼けてしまいましたが、
平安時代からのもの・・・と言われるものは、
昭和初期までは残っていたようです。

あくまで聴いた話ですけど。
[27]空の青海のあをさんからのコメント(2013年11月08日 22時54分40秒 ) パスワード

月龍さん


薩摩にもちゃんと平家の一門の方がいらっしゃって
島津家の守りの家として(現在も)存続しています。


これはNHK大河の「篤姫」でも最後の短い紀行記で紹介されていましたよ。


今からでも頑張ってお調べになってください。
[28]空の青海のあをさんからのコメント(2013年11月08日 22時55分50秒 ) パスワード

1つ思い出しました


それは「小松家」を守る家
としてNHKで紹介されていました。
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