[1] | 嘉村孝さんからのコメント(2003年02月15日 23時05分17秒 ) | パスワード |
服部様
そのあたり、永井路子さんの「相模のもののふたち」がすごく面白いです。
横浜の有隣堂の有隣新書なので横浜・東京の本屋さんに多いですがこの間は大阪でみました。
それこそ「有名」でご存知の方も多いと思いますが、お勧めです。
何と行っても現地を歩かれているのがよい。三浦半島の記述など、はっきり言って司馬遼太郎の街道を行くなどとは段違い。薄くても中身はぐっと詰まっています。
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2003年02月15日 23時09分20秒 ) | パスワード |
嘉村さま
早速の御紹介
あまりの速さに驚いております。
ありがとうございました。
[3] | 川口 信さんからのコメント(2003年02月16日 08時00分46秒 ) | パスワード |
こないだ大正時代に刊行された「義経記・石田軍記・曽我物語・筑紫軍記」が一緒に編集されている本を読んだばかりで筑紫軍記には大友家系図」がのっております。
筑紫軍記は読まなかったのですがよく解りませんがなぜ合本されているか不思議ですね。これから読んでみますね。
『曽我物語』の十一に他で展開している関係文がありましたので。
『 兼隆を婿に取ること』の段がありました。
かくて北條は此事いかにせんと案ずるに、世に聞えなくば、末悪しざまにはあらじと思ひけれども、平家の侍に、山木判官兼隆という者を同道して下りけり。道にて何となき事の序(ついで)に、御分を時政が婿に取らんと云ひたりし言葉の違(たが)ひなば、源氏の流人(るにん)婿に取りたりと訴へられては、罪科遁れがたし、如何せんと思ひければ、伊豆の国府に著(つ)き、かの目代兼隆に云合せ、知らず顔にて女(むすめ)を山木判官に取らせけり。されど佐殿に契や深かりけん、一夜をも明るさで、その夜の中に逃出でゝ、近く召使ひける女房一人召具して、深き叢(くさむら)をわけ、足に任せて行く程に、足曳の山路を越え、夜もすがら伊豆の御山に分入り給ひぬ。契朽ちずは出雲路の、神の誓は浅からず、妹背(いもせ)の仲はかはらじとこそ守り給ふなれ。たのむ恵の朽ちやらで、末の世かけて諸共に、住果(すみは)つべしと祈り給ひけるとかや。
[4] | さちこさんからのコメント(2003年02月17日 13時12分09秒 ) | パスワード |
なんとなく古代を引きずってるようなお話しです。
よかったら参考にしてください。
http://www.loops.jp/~asukaclub/hmemo/hmemo040.html
物部氏と蘇我氏の対立は有名で、
秦氏は蘇我氏とともに物部氏を倒した事になってますが、
神社などを調べると、
秦氏と物部氏そう対立していたようではない気がします。
大伴氏が蘇我氏に滅ぼされたのなら、
秦氏との関係はわかりますが。
蘇我氏と一番対立してたのは秦氏でしょうね。きっと。
百済VS新羅ですから(笑)
これをいつの時代まで引きずっていたのかは謎ですが。
多分蘇我氏と
[5] | さちこさんからのコメント(2003年02月17日 13時13分32秒 ) | パスワード |
多分蘇我氏と
これはなかったことに。
間違えました。
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